ボックスアウト~リングサイドより愛をこめて~

弐式

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3章

一度逃げ出した人間だから伝えられることもきっとある【3】

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 サトルは軽く手を上げてつかさの足を止めさせる。白いトレーナー姿でジョギング中だったつかさは少し驚いたような顔をしていたが、おとなしく足を止める。

「散歩ですか。最近は夕方、涼しいですからね」

「最近は昼間暑いから、走るのなら今頃の時間。まだ引っ越して間がないから土地勘もないだろうし、ジムで設定したジョギングコースを走っているだろうな、って思ってな。予想通りだっただろう?」

「……はぁ。話が見えないんですが」

「ここしばらく練習に来てなくてブランクができただろ? ゴールデンウィーク中の練習に付き合ってやると言っているんだ」

「サトルさん……」

 サトルの言いようを聞いて、つかさが浮かべた表情には、心底呆れたような感じがありありと浮かんでいた。

「そんなに、ヒマを持て余しているんですか」

「まぁ、そんなところだ。ジムが開いてないと、ヒマで仕方ないんだよ」

 サトルはにやりと笑うと、

「それに、俺も、川内トレーナーを少しぎゃふんと言わせてやりたいんだよ」

 と、続けた。

     *     *     *

 5月4日(日)午前10時――10分前。

 サトルが練習場所に選んだのは前日につかさを待っていた公園だった。とても小さな公園で、特に遊具があるわけでもない、2つのベンチが置かれ、樹木が少し植えられた、小さな公園。練習場所に選んだのは、この街の地理に疎いつかさが分かる場所をと考えたからだが、足元が剥き出しの土だったからというのも大きい。舗装したアスファルトの上では膝への負担は大きいのだ。

 休日の午前だけあって子供の姿もあったが、その中に少々目立つ水色のトレーニングウェアの少女の姿があった。肩を回したり腕を伸ばしたり、屈伸したり伸脚したりといった準備運動をしている。

「……おっ。始めているな」

 サトルが声をかけると、つかさは顔を上げて、「遅刻したくせに、ずいぶんとのんびりですね」と笑みを見せた。

「ん? そうだっけ?」

 高校の頃ほど、時間にルーズではなくなったはずなんだが、と思いながら腕時計に目をやる。時計の短針と長針が同じ10のところにある。

「やっぱり遅れていないぞ」と、サトルがいわれなき罪に抗議するより早く、「約束時間の5分遅れですよ」と、公園の時計を指さしたつかさが勝ち誇ったような顔を見せた。鉄柱の上に白い盤の新円の時計が設置されている。ローマ字で書かれた文字と、同じく黒い針を目でやると、確かに時間は約束を過ぎていた。時計盤の上には、おまけのように小さな鐘が取り付けられていて、9時から18時までは1時間おきにチリンチリンと金属の当たる音が鳴る筈なのだが、壊れてしまったらしくて鳴らなくなって久しい。

 実は壊れているのは鐘だけではなく……。

「……ああ」

 サトルは時計を見上げて笑った。

「あの時計は調子が悪いんだ。15分ほど遅れているんだけれど。どうも、直す気もないみたいで、僕が子供の頃からそんな感じだ」

 サトルは腕時計を見せながら言った。

「マジ……? 遅れたと思って慌てたのに」

 サトルの腕時計を正面から覗き込んだつかさは、アハハとわざとらしく笑ってから大きく伸びをして、

「なんだか、気が抜けちゃった」

「いい具合に肩の力が抜けたのなら、それでいい」

 サトルは身を包んだ黒いトレーナーのポケットに入れていた二つのバンテージを取り出した。

「もっとも、そんなことを、言っていられないくらいにビシバシやるからな」

 にやりと笑うと、巻かれたバンテージを解きながら手早く拳と手首に巻きつけていった。ぎゅっときつめに巻きつけると、マジックテープでぴたりと止める。バンテージを巻くのも、毎日繰り返してきたことだが、今でもサトルはひと巻きひと巻き丁寧に、しっかりと巻き付けていく方が好きだった。そうすることで、気持ちが引き締まるというか、切り替わっていくような感覚を覚える。

 つかさはと言えば、経験の浅い会員からは、手品扱いされるほどにするすると巻き終えてしまう。あっという間にバンテージを巻き終わったつかさは軽く拳を握り、拳を視線の位置まで構えを取るとしゅっと左拳を突き出した。

 空気を切り裂くような素早く切れのよい突きが出され、次の瞬間に拳が引き戻される。シュシュッ! と二発同じ左を突き出すと同時に、ステップを踏みながら肩を、頭を軽く振りながら左、右と拳を撃ち出す。

 相変わらず、惚れ惚れとするようなシャドーボクシングだった。

 スピードも技術も、高校1年の女子とは思えないくらいに高次元にまとまっている。確かに、高校1年の女子としては、とても強い部類に入るだろう。そして、基本に忠実かつ、真摯な練習姿勢。今後の身体的な成長を考えると、彼女にはまだまだレベルアップできる余地がある。

 だが、それでも……。
 
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