ボックスアウト~リングサイドより愛をこめて~

弐式

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2章

知りたいことが知りたくはなかったことと同じだったとき【11】

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 真っ黒に塗りつぶされたジグソーパズルのピースを、形だけを頼りにはめ込んで、手探りの末にようやく出来上がりが見えてきたような感覚。

『Tさんの身内の方――Kさんはこう憤る。「川内将輝とTさんとは子供の頃から仲良しだったし、似合いだった。周りにいた人間は、自然にくっつくのが当たり前だろうと思ってたし、そうなっても祝福こそすれ、誰も否定したりはする筈がなかった。俺だってね。それなのに、アイツは全てを捨てて逃げ出した。東京の高校に陸上で進学するのを理由にして。卒業したアイツは、Tさんを捨てて、一度だって連絡はなかったんだ」唇を振るわせるKさんの怒りは、そのまま川内将輝が捨てたTさんと現在9歳の子供の怒りと同じもののはずだ。その怒りから目を向けたままで、彼は何のために走るのか。なお我々は川内選手にも取材を申し込んだが、広報を通じ、「ご質問にありますような事実は一切ございません」という解答があったのみだった』

 読んでいるだけでムカムカしてくる記事をブラウザの戻るボタンで消してから、別のニュース記事の配信サイトを開いた。

 それは、川内将輝がオリンピックの代表選考から落選したというニュース記事だった。記事には記者会見の様子が書かれていた。3人の出場選手と1人の補欠選手が発表され、その名前の中に川内将樹の名前が補欠選手にも含めてなかったことには、記者からも質問が出ていた。記者会見に臨んだ陸連幹部は、週刊誌記事の影響を否定したうえで、言い訳にも似た落選理由を述べていた。最後に世界陸上で標準タイムをクリアした上で日本人最高順位であった選手が選考から漏れるのはきわめて異例であると、主観を交えない淡々とした文章で綴られていた。

 つかさは、それからさらに幾つかのサイトを回っていたようだった。誰でも意見を書き込める大型掲示板もその中にはあった。掲示板の中では、川内将樹の名前は一方的に悪人として無責任なユーザーたちの餌食となっていた。その中には目を覆うような内容のものや、陸連や所属チームに電凸と呼ばれる抗議するように煽るようなコメント、脅迫としか読み取れないコメントもたくさんあった。

 情報強者を自認するネットの住人たちにとっては、川内将輝という名前は、一方的に断罪し、陳腐な正義感を満たす格好の材料となっていた。そして、この頃はまだ警察も検察もネットの誹謗中傷や脅迫行為の影響力を軽視していた時期であり、法による解決も期待できなかった。お笑い芸人が過去の凶悪犯罪に関わっていたという事実無根の情報を理由に中傷をつづけた十人以上の人間が一斉に検挙された事件があったのは、もう少し後の話である。

 すぐに不快になったサトルはすぐにブラウザの“戻る”をクリックした。とても全部読んでいたら気が狂いそうだと思った。ネットの中に溢れかえる“川内将輝”という人物に関する情報は、普段接している川内将輝と同じ人間なのかと思ってしまうほど乖離していた。

 最後に、『川内将輝選手が引退』という記事があったが、その記事はすでに掲載期間が終わったらしく、リンク先をクリックしてもその旨を知らせるメッセージが表示されただけだった。そして、川内将輝の名誉が回復されたという記事を見つけることはできなかった。

「……」

 つかさが何を調べていたのかを一通り把握してから、ブラウザのウインドウを閉じて、顎に手を当てて考え込む。今の段階では、それは全て推測の域を出ない話。誰の証言も得ていない、ただの妄想の話。

 もしも、記事に出ている川内の恋人だったというのがつかさの母親だったとしたら。そして、そのときに生まれた子供がつかさだったとしたら。

 入会した時に、つかさがそれを知っていたとは思えないから、それを知ったのはごく最近のことだろう。それを知ってしまった後、自分が同じ立場だったとしたら、一体どんな顔をして川内に会えばいいのかわからない。

 ……ママを守ってあげられるようになりたかったんです。……いつか、お父さんが戻ってきたら、ぶん殴って、追い返してやれるように……。

 以前、つかさが語ったボクシングを始めた理由を思い出す。数日前に交わした言葉だが、もっとずっと昔に聞いたように感じる。きっと、つかさにはその間にもっとたくさんのことがあったんだろうと想像した。

 ……辛いだろうな。

 と、サトルは思った。思ってから、

 ……ではどうしてやればいいのか?

 と考える。考えても答えは出ない。もしかしたら、このままつかさはボクシングを辞めてしまうのではないか、などという考えが頭を過ぎり、頭を左右に振った。それだけは嫌だな、と思った。
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