ボックスアウト~リングサイドより愛をこめて~

弐式

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2章

知りたいことが知りたくはなかったことと同じだったとき【9】

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 まず、自分がどうしたいのか、よく考えよう、という結論に達したのは今日――29日の朝のことだった。そのためには、もっと、ちゃんとしたことを知らなければならないと考えた。つかさの耳の中に入ってくる情報は、一方的で、断片的で、主観が入り込みすぎている。客観的に、情報を整理したかった。

 だからと言ってその先のことを具体的に考えているわけでもなかった。別に父娘の名乗りをしたいなどという考えではない、と思う。ただ、本当のことを知りたいだけなのだ。

 真実というのが時に残酷で、知れば知るだけ苦しむことになるのかもしれない。それは母親に対する重大な裏切り行為になるかもしれない。それを考えないではなかったが、結果を考えてその気持ちを抑えられるのならば、つかさはこんなに苦しみはしなかった。

     *     *     *

 つかさを送り届けたサトルが部屋に戻ったとき、時間は21時を回っていた。

 台所の蛍光灯を点けた。夕食の皿などが水を張ったたらいに入れて流しに置かれていた。出る前のままだった。夕食の後、つかさが洗ってから帰ると言い出したが、さすがにこれ以上遅くまで引き止めるわけにはいかないと、そうしてから出たのだった。

 その前に、まだパソコンの電源を切っていないとつかさが言っていたことを思い出した。本当に、パソコンについてはほとんど知識がないらしい。今は学校の授業でも習うものだと思ていたので、少し意外に感じた。

 部屋に入ってパソコンのディスプレイを覗くと、スクリーンセーバーが起動してOSのロゴが映し出されていたので、マウスを動かしてデスクトップの画面を呼び出す。ディスプレイはすぐに明るくなった。

 シャットダウンしようとして、最小化されたブラウザが残っているのに気付いた。

 ブラウザを閉じようとカーソルを合わせたが、クリックしようとした指が止まった。今なら、どこのWebサイトを見て回ったのか、履歴が残っているかもしれない。覗き見をするようで気が引けたが、誘惑には勝てなかった。どうせ、ここには誰もいないし、ばれることはないということが、心理的なハードルを大きく引き下げた。

 マウスをクリックする。思った通り履歴の一覧が表示された。ずらりと出てきたのは川内将輝に関するサイト。軽く10を超えるサイトに目を通している様だった。

 ……いくら、アマチュアボクシングの全日本実業団優勝選手だったっていっても、川内コーチってこんなに有名な人だったのか?

 という単純な驚きと、

 ……もしかして、つかさは川内のことが好きなのか?

 というショックとが入り混じった頭で、最初のページをクリックする。最初に彼女が見たのは誰にでも編集可能なフリーの百科事典だった。

『川内将輝――元マラソンランナー。F県F市出身。長距離では中学時代から頭角を現し、1500mと3000mのF県の中学記録を樹立。この記録は現在でも破られていない。高校は東京の陸上名門校に進み、2年と3年の時には全国高校駅伝徒競争大会にも出場。同校の2年連続準優勝に貢献する。○○大学に進学後は、4年連続箱根駅伝出場を果たすなど……』

 と、中学のころから長距離で卓越した実力を発揮していたことをうかがわせる記述が綴られていた。しかし長距離ランナーだった過去があったことを、サトルは聞いたことがなかった。

『……大学卒業後にY社実業団に入社。23歳の初マラソンで2時間11分49秒で初優勝し、2年間で国内で2度の優勝、2度の3位獲得を果たす。25歳のときの20XX年の世界陸上に出場し、日本人最高位となる銅メダルを獲得したが、翌年のオリンピック選考で落選し、出場を逃した。世界陸上で日本人最高位かつメダリストが翌年のオリンピックに故障などの理由を除いて出場できないのは極めて異例である。その理由として、世界陸上における後半の失速を協会は挙げたものの、世界選手権直後に出たスキャンダル記事がその理由ではないかという憶測は根深い。結局、世界陸上以後公式レースを1度も走ることなく、Y社を退社。現在は故郷のF県F市に戻り、アマチュアボクシングを始め、28歳から30歳までの3年連続で全日本実業団ウエルター級を制覇し、現在はトレーナーとして活動している。』

 顎に手を当てて考え込む。

 ……川内コーチは26歳でウチのジムに入ってボクシングを始めたんですよね? その前は何をやっていたんですか?

 ……ああ。普通のサラリーマンさ。東京で働いていたんだ。

 ……何で辞めて戻ってきたんです。

 ……実家があって、親がいると、一人っ子は好き勝手には出来ないものだからな。

 以前かわした会話が唐突に思い出された。東京でサラリーマンをやっていたけれど、家庭の事情で地元に帰る。ありふれた話だと思った。しかし、その話に、本当のことは何もなかった。
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