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2章
知りたいことが知りたくはなかったことと同じだったとき【8】
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店を出ると、大分日は傾いて――山の向こうに消えていたが、まだ外は明るかった。つかさはマスターから教わったたとおりに大通りを目指して歩き出した。逡巡がなかったといえば嘘にはなる。知りたいと思う感情とは裏腹に、知ったところでどうなるものかという思いもよぎる。何よりも、知りたくないという思いも、知りたいという思いと同じくらい、つかさの心のウエイトを占めていた。
知ってどうしようと、行ってどうしようと考えていたわけでもなかったのに、悩んで、考えている間も、足はひたすらに大通りを、そしてそこから真っ直ぐに陸上競技場へと突き進んでいた。
喫茶店を出てから15分後……もやもやした気持ちを抱えたままで黙々と歩き続けると、看板が見えてきた。陸上競技場があるのは市の中心街から少し離れた郊外のため、街灯も少なく辺りは真っ暗だった。陸上のみならず、野球場やら体育館やらテニスコートやら、いこいの広場などある多目的総合運動公園という位置づけで、市や県内の様々なスポーツ大会でも使用されているらしかった。
公園の敷地内には、まばらだが人影があった。走っている人たちだ。道路を走るのは暗いし通行人もいるし車も走っていて危ないので、それなりに明かりが灯されている公園の中公園の敷地の中でジョギングしている人たちは珍しくない。
案内図を見て、陸上競技場を探してから、そちらに向かって歩いていく。陸上競技場はすぐに見つかった。ロビーに入ると、幾つかの団体の姿があった。高校の陸上部の名前が背中に書かれた高校生や、少年を対象にしていると思われるスポーツクラブの面々。結構広いロビーの一角に十数人の男女の団体があった。
着ているトレーナーやスポーツウェアはまちまちで年齢層もまちまち。ほとんどが30代以上のようで、中には50代、60代と思しき人の姿もあった。つかさがやっているようなピリピリした、苦しみや痛みを伴うスポーツではない、本当に楽しむために参加しているという感じ。そういうスタンスでスポーツに取り組めることに、どこか羨ましさを覚える。
一人だけ、かなり若い女の子の姿があった。年齢はつかさよりちょっと年上。高校生か大学生かは分からないが多分20歳にはなっていない。ショートカットのヘアスタイルがよく似合う。ピンク色のスポーツウェアも様になっている。ぴんと背筋の伸びた立ち姿が格好いい女の子。彼女にもし勝手に名前をつけてもよかったらきっと“凛”にしただろうなとか、思う。何もしなくても華やかな女子は時々いるけれど、彼女はそんな感じだった。
そして、その横で談笑の中心にいた背の高い男は間違いなく川内だった。ピンクのスポーツウェアの女の子が楽しげに話しかけ、川内も時折声を立てたようにして笑う。
その瞬間に、どくんっと心臓が大きく打った。酷く息苦しい。胸いっぱいに広がる言葉にし難い感情……。
その正体に気付いた瞬間、つかさは踵を返してロビーを飛び出した。そのまま、表通りまで駆けていって、さらに競技場が見えなくなるまで全力で走った。
やがて……足を止めた。
ぜいぜいと肩で息をする。酸素が足りない。さっきとは違う理由で胸が苦しく鼓動が早くなっていた。
……私は今、嫉妬してた。
……嫉妬……してた。
名前も知らない誰かに対して。
川内と楽しそうに話している若い女性に対して。
それは……父親が若い女と一緒に歩いているのを見てしまった娘の心境なのだろうか。
車が激しく行きかう大通りの脇の歩道でうずくまって、自分の胸の中にある棘のようなものを吐き出そうとした。悲鳴ににも似た喚き声を上げるつかさを、通りを走り去る車のヘッドライトが映し出しては闇に消える。
それから1週間以上が経つ。
あの日から、つかさは自分でもみっともないと思うほど取り乱した。外面上は平静に見えたかもしれないし、そう取り繕うように努力した。しかし、勉強は手につかないし、ジムに近づけば川内の姿を隠れて探し、いないと落胆し、いても声をかけることも出来ずしばらくジム近くでうろうろした挙句に、逃げるようにその場を離れる。
その姿を傍から見れば、みっともないとか薄気味悪さをを通り越して、ある意味で滑稽ですらあっただろう。つかさ自身、自分がそんなふうになってしまうなんて思ったことも考えたこともなかった。ストーカーと呼ばれる卑劣な犯罪者のことを軽蔑こそすれ共感などしたことはなかった。しかし、このままだと、自分自身がそうなってしまいそうで気が狂うのではないかと恐れた。いや、自分自身がまだそうなっていないと思っているだけで、自分は今、ストーカーそのものなのではないか、とさえ思えてくる。
知ってどうしようと、行ってどうしようと考えていたわけでもなかったのに、悩んで、考えている間も、足はひたすらに大通りを、そしてそこから真っ直ぐに陸上競技場へと突き進んでいた。
喫茶店を出てから15分後……もやもやした気持ちを抱えたままで黙々と歩き続けると、看板が見えてきた。陸上競技場があるのは市の中心街から少し離れた郊外のため、街灯も少なく辺りは真っ暗だった。陸上のみならず、野球場やら体育館やらテニスコートやら、いこいの広場などある多目的総合運動公園という位置づけで、市や県内の様々なスポーツ大会でも使用されているらしかった。
公園の敷地内には、まばらだが人影があった。走っている人たちだ。道路を走るのは暗いし通行人もいるし車も走っていて危ないので、それなりに明かりが灯されている公園の中公園の敷地の中でジョギングしている人たちは珍しくない。
案内図を見て、陸上競技場を探してから、そちらに向かって歩いていく。陸上競技場はすぐに見つかった。ロビーに入ると、幾つかの団体の姿があった。高校の陸上部の名前が背中に書かれた高校生や、少年を対象にしていると思われるスポーツクラブの面々。結構広いロビーの一角に十数人の男女の団体があった。
着ているトレーナーやスポーツウェアはまちまちで年齢層もまちまち。ほとんどが30代以上のようで、中には50代、60代と思しき人の姿もあった。つかさがやっているようなピリピリした、苦しみや痛みを伴うスポーツではない、本当に楽しむために参加しているという感じ。そういうスタンスでスポーツに取り組めることに、どこか羨ましさを覚える。
一人だけ、かなり若い女の子の姿があった。年齢はつかさよりちょっと年上。高校生か大学生かは分からないが多分20歳にはなっていない。ショートカットのヘアスタイルがよく似合う。ピンク色のスポーツウェアも様になっている。ぴんと背筋の伸びた立ち姿が格好いい女の子。彼女にもし勝手に名前をつけてもよかったらきっと“凛”にしただろうなとか、思う。何もしなくても華やかな女子は時々いるけれど、彼女はそんな感じだった。
そして、その横で談笑の中心にいた背の高い男は間違いなく川内だった。ピンクのスポーツウェアの女の子が楽しげに話しかけ、川内も時折声を立てたようにして笑う。
その瞬間に、どくんっと心臓が大きく打った。酷く息苦しい。胸いっぱいに広がる言葉にし難い感情……。
その正体に気付いた瞬間、つかさは踵を返してロビーを飛び出した。そのまま、表通りまで駆けていって、さらに競技場が見えなくなるまで全力で走った。
やがて……足を止めた。
ぜいぜいと肩で息をする。酸素が足りない。さっきとは違う理由で胸が苦しく鼓動が早くなっていた。
……私は今、嫉妬してた。
……嫉妬……してた。
名前も知らない誰かに対して。
川内と楽しそうに話している若い女性に対して。
それは……父親が若い女と一緒に歩いているのを見てしまった娘の心境なのだろうか。
車が激しく行きかう大通りの脇の歩道でうずくまって、自分の胸の中にある棘のようなものを吐き出そうとした。悲鳴ににも似た喚き声を上げるつかさを、通りを走り去る車のヘッドライトが映し出しては闇に消える。
それから1週間以上が経つ。
あの日から、つかさは自分でもみっともないと思うほど取り乱した。外面上は平静に見えたかもしれないし、そう取り繕うように努力した。しかし、勉強は手につかないし、ジムに近づけば川内の姿を隠れて探し、いないと落胆し、いても声をかけることも出来ずしばらくジム近くでうろうろした挙句に、逃げるようにその場を離れる。
その姿を傍から見れば、みっともないとか薄気味悪さをを通り越して、ある意味で滑稽ですらあっただろう。つかさ自身、自分がそんなふうになってしまうなんて思ったことも考えたこともなかった。ストーカーと呼ばれる卑劣な犯罪者のことを軽蔑こそすれ共感などしたことはなかった。しかし、このままだと、自分自身がそうなってしまいそうで気が狂うのではないかと恐れた。いや、自分自身がまだそうなっていないと思っているだけで、自分は今、ストーカーそのものなのではないか、とさえ思えてくる。
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