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2章
知りたいことが知りたくはなかったことと同じだったとき【6】
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「へえ……サトルさんには妹さんがいるんですか」
「ああ。……君より2つ上の高校3年生だ」
「年上だったんですか。妹さんなんて言い方して、失礼しました」
つかさはそう言って小さく笑った。夕食を終え、つかさは家路に急ぐが、遅くなってしまったからとサトルが横をついてきていた。辺りは真っ暗だから気遣いは有難いものの、頭を冷やしたかったので正直鬱陶しく思う。いや、自分の家に帰るのも辛い。足取りが重い――というのを、初めて経験したような気がする。こういう時は、サトルのように親元を離れて一人暮らしをしている人間を羨ましく思う。
「それじゃ……ここで。今日はありがとうございました」
アパートが見えたので、足を止めたつかさはサトルに頭を下げて駆けだした。背中にかけられた「お休み」というサトルの声に、振り返らずに手を振って返した。
しばらくして駆けていた足を止めた。もうサトルはいなくなっただろうか。ようやく、一人になって口の中から大きく息を吐きだした。自分の顔はきっと今酷く強張っている。さっきまで一緒にいたサトルの前では一生懸命普段の顔を作ったつもりだった。しかし、時々サトルが自分のほうに向けていた怪訝そうな視線を考えると、それは上手く行ったわけではないかもしれなかった。
「ただいま……」
玄関を開け、帰宅したことを告げる。
母の顔を見たくないと思っていた。サトルの夕食の申し出を受けたのも、少しでも家に戻る時間を遅らせる言い訳だった。できれば部屋に戻っていて欲しかったが、リビングに入ると母が灯りもつけずにソファに座り込んでいた。
何故灯りをつけないのかと問う前に、
「おかえり」
という声がかけられた。しかし、つかさのほうに顔は向けない。つかさは居心地悪く感じたが、この部屋を通らないと自分の部屋には戻れない。何でこんな間取りの部屋にしたんだろうと思いながらでリビングを抜けようとした。
そのつかさを母親が呼び止める。
「サトルさんって人、今まで一緒だったの?」
「……階下まで送ってもらった」
言葉少なくつかさは返す。
「そう……。ちゃんと、ご挨拶をするべきところだったわ」
「よしてよ。サトルさんはそんなんじゃないから」
母の口調には微かに責めるような含みがあるように感じた。この時間まで一緒にいたことに対してなのか、サトルを部屋まで連れてこなかったことなのか。何に対する咎めなのか分からなかった。
「あなたがそう思っていても、向こうはそう思っていないかもしれないわ」
年長者特有の諭すような物言いに、一瞬、かっと頭に血が上った。
「自分は私の年齢にはやることやって、私を生んでいたくせに! それで、相手の男には逃げられたくせに、偉そうなことを言わないで!」
自分の言っていることが支離滅裂な八つ当たりなのは分かっていた。暗い部屋の中で、母が息を呑んだのが分かった。反論めいた言葉は帰ってこなかった。言い訳めいたことも言われなかった。
何か言うかもしれないと、しばらくの間つかさは待ったが、やがて居たたまれなくなって、逃げるように自分の部屋に飛び込み中から鍵をかけた。
「私は最低だ……」
口にした言葉は、今まで保ってきた母と娘の関係を一変させるのに十分な破壊力を持っているはずだった。
* * *
……そうだ。君の父親の名前は、川内将輝だ。
叔父の幸治を市内の喫茶店に呼び出して、自分の父親の名前を問いただしたのは、21日の月曜日のことだった。学校が終わって、幸治の仕事も終わった18時前のこと。もちろん、ジムに同名の人がいることは内緒だった。
「……あいつと、姉さん――つまり、君の母親とは、同い年の幼馴染だった。母親同士が親友だった縁で、それこそ幼稚園のころから互いに知った仲だった。もちろん、俺もよく知っている」
そう言いつつ幸治はコーヒーを口にした。
つかさの目の前には紅茶の注がれたカップが置かれているが、それに口をつける気がおきず、ずっと平静を装いながら話を聞いているだけだった。
「……こんな話をするときは、苦いコーヒーは不快になるだけだな」
幸治はそう言いながら角砂糖をさらに2つ、カップの中に入れた。
「……姉さんの妊娠が発覚したのは15歳……中学3年の冬のことだった。あいつは無責任にさっさと東京に逃げて、姉さんは本来高校1年を過ごすはずの1年を棒に振った」
吐き捨てる幸治の声を聞きながら、「この人があなたのお父さんよ」という母の言葉を思い出した。あの時見せられた写真の印象では、男のほうが年上だと思っていたが、同い年だったのか。
「それで……父だという川内さんは、今、どこに?」
幸治は眉をひそめて、もう一度、コーヒーを口に運んだ。そして、噛み締めるように、その言葉を口した。
「会いたいのか?」
その言葉が出たということは、つまり幸治は川内将輝がどこにいるか知っている、ということになる。
「ああ。……君より2つ上の高校3年生だ」
「年上だったんですか。妹さんなんて言い方して、失礼しました」
つかさはそう言って小さく笑った。夕食を終え、つかさは家路に急ぐが、遅くなってしまったからとサトルが横をついてきていた。辺りは真っ暗だから気遣いは有難いものの、頭を冷やしたかったので正直鬱陶しく思う。いや、自分の家に帰るのも辛い。足取りが重い――というのを、初めて経験したような気がする。こういう時は、サトルのように親元を離れて一人暮らしをしている人間を羨ましく思う。
「それじゃ……ここで。今日はありがとうございました」
アパートが見えたので、足を止めたつかさはサトルに頭を下げて駆けだした。背中にかけられた「お休み」というサトルの声に、振り返らずに手を振って返した。
しばらくして駆けていた足を止めた。もうサトルはいなくなっただろうか。ようやく、一人になって口の中から大きく息を吐きだした。自分の顔はきっと今酷く強張っている。さっきまで一緒にいたサトルの前では一生懸命普段の顔を作ったつもりだった。しかし、時々サトルが自分のほうに向けていた怪訝そうな視線を考えると、それは上手く行ったわけではないかもしれなかった。
「ただいま……」
玄関を開け、帰宅したことを告げる。
母の顔を見たくないと思っていた。サトルの夕食の申し出を受けたのも、少しでも家に戻る時間を遅らせる言い訳だった。できれば部屋に戻っていて欲しかったが、リビングに入ると母が灯りもつけずにソファに座り込んでいた。
何故灯りをつけないのかと問う前に、
「おかえり」
という声がかけられた。しかし、つかさのほうに顔は向けない。つかさは居心地悪く感じたが、この部屋を通らないと自分の部屋には戻れない。何でこんな間取りの部屋にしたんだろうと思いながらでリビングを抜けようとした。
そのつかさを母親が呼び止める。
「サトルさんって人、今まで一緒だったの?」
「……階下まで送ってもらった」
言葉少なくつかさは返す。
「そう……。ちゃんと、ご挨拶をするべきところだったわ」
「よしてよ。サトルさんはそんなんじゃないから」
母の口調には微かに責めるような含みがあるように感じた。この時間まで一緒にいたことに対してなのか、サトルを部屋まで連れてこなかったことなのか。何に対する咎めなのか分からなかった。
「あなたがそう思っていても、向こうはそう思っていないかもしれないわ」
年長者特有の諭すような物言いに、一瞬、かっと頭に血が上った。
「自分は私の年齢にはやることやって、私を生んでいたくせに! それで、相手の男には逃げられたくせに、偉そうなことを言わないで!」
自分の言っていることが支離滅裂な八つ当たりなのは分かっていた。暗い部屋の中で、母が息を呑んだのが分かった。反論めいた言葉は帰ってこなかった。言い訳めいたことも言われなかった。
何か言うかもしれないと、しばらくの間つかさは待ったが、やがて居たたまれなくなって、逃げるように自分の部屋に飛び込み中から鍵をかけた。
「私は最低だ……」
口にした言葉は、今まで保ってきた母と娘の関係を一変させるのに十分な破壊力を持っているはずだった。
* * *
……そうだ。君の父親の名前は、川内将輝だ。
叔父の幸治を市内の喫茶店に呼び出して、自分の父親の名前を問いただしたのは、21日の月曜日のことだった。学校が終わって、幸治の仕事も終わった18時前のこと。もちろん、ジムに同名の人がいることは内緒だった。
「……あいつと、姉さん――つまり、君の母親とは、同い年の幼馴染だった。母親同士が親友だった縁で、それこそ幼稚園のころから互いに知った仲だった。もちろん、俺もよく知っている」
そう言いつつ幸治はコーヒーを口にした。
つかさの目の前には紅茶の注がれたカップが置かれているが、それに口をつける気がおきず、ずっと平静を装いながら話を聞いているだけだった。
「……こんな話をするときは、苦いコーヒーは不快になるだけだな」
幸治はそう言いながら角砂糖をさらに2つ、カップの中に入れた。
「……姉さんの妊娠が発覚したのは15歳……中学3年の冬のことだった。あいつは無責任にさっさと東京に逃げて、姉さんは本来高校1年を過ごすはずの1年を棒に振った」
吐き捨てる幸治の声を聞きながら、「この人があなたのお父さんよ」という母の言葉を思い出した。あの時見せられた写真の印象では、男のほうが年上だと思っていたが、同い年だったのか。
「それで……父だという川内さんは、今、どこに?」
幸治は眉をひそめて、もう一度、コーヒーを口に運んだ。そして、噛み締めるように、その言葉を口した。
「会いたいのか?」
その言葉が出たということは、つまり幸治は川内将輝がどこにいるか知っている、ということになる。
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