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【1章】晶乃と彩智

32.元キャプテンVS現キャプテン

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 練習の終わりを告げる笛が鳴る。……結局ほとんど撮れなかった。ゼイゼイとした息をしている部員たちを撮影した彩智はカメラを下ろして晶乃の姿を探した。

 1年の青いジャージに囲まれた晶乃も顎から垂れる汗を何度も拭っている。

「それじゃ、掃除して――」

 杉内先生がかけようとした声は、

「水谷先輩!」

 という声に遮られた。キャプテンの三橋ミノリだった。

「最後に、私とも1対1をしてもらえませんか?」

 バスケ部員たちの間に微かなざわめきが起こる。

「……いいよ」

 ちょっと躊躇ったのだろうか。わずかな時間をおいて了解した晶乃の声は何となく嬉しそうにも聞こえる。

「とはいえ、あまり時間もないし……先に2点差がつくまで、でいいかな」

「分かりました。それで……」

 先攻はミノリから。

 ボールの弾む音が体育館に響く。

 低い姿勢でミノリの動きをじっくりと見極めようとしている晶乃に、隙を作ろうと色々と動きを見せるミノリ。

 キュキュと互いの靴裏が細かい音を立てる。

 こうして見ると2人とも見合っているだけにも見えるが、互いに動くに動けない状態なのだろう。高度な駆け引きが繰り返されているに違いない。 

 仕掛けたのはミノリだった。一瞬右に見せかけて左。そこから晶乃を抜き去ろうとした瞬間、パァンッ! とボールが弾かれて転がった。

「キャプテンがシュートまで行けなかった……」

 誰かの呟き。多分、1年の中から上がった声だった。

 続けて、晶乃の攻撃の番。

 今度は、先ほどよりさらに大きなどよめきが起こった。

 ドリブルで切り込んだ晶乃は例のフックシュートを撃とうとしたのだ。しかし、晶乃の指を離れたボールがゴールリングのネットを揺らすことはなかった。

 ボールが転がる音。

 ミノリが伸ばした手の先が、晶乃の放ったシュートの軌道を変えたのだ。そして晶乃のフックショットが止められるというのは、彼女らにとっては特別な意味を持つのだろう。ざわめきはしばらく収まらなかった。

 なかなか、決着はつかなかった。

 一進一体の攻防は、5回目を迎えていた。

「互角……」

 決着がつくんだろうか。あるいは決着をつけるべきなんだろうか。そう思いながら彩智はぽつりと呟く。

「どう見たらこれが互角に見えるんだ。あんたの眼は節穴か?」

 彩智の呟きを聞きとがめたらしい声が後ろから聞こえた。振り返ってみると、休憩の時に外で会った帆南が立って見ている。

「じゃぁ、解説してよ。どっちもまだ、1点も入っていないじゃない」

「水谷先輩は、一度も三崎にシュートを撃たせていないんだよ」

 ……確かに。晶乃はシュートは撃つもののことごとくゴールリングに嫌われているのに対し、ミノリの手からボールがゴールに向けて放たれることすらない。彩智が俯いて、ここまでのやり取りを思い出し、彼女の言葉が間違っていないことを確かめた時、ばたんっ! という音がした。顔を上げると、ボールが転がり、ミノリが尻もちをついていた。

「もう、やめにしよう。勝負は引き分け。去年より、ずっと上手くなっているよ」

「いいえ! 決着がつくまで付き合ってもらいます」

 晶乃が手を差し伸べながら終了の提案したものの、ミノリはそれを固辞する。晶乃に引き起こされたミノリは少しふらついているように見える。さっき転んだ時に足首でも捻ったのではないか。彩智はそんな不安を覚える。

 晶乃はさらにギアを上げて加速した。いや、ミノリのスピードが5回目になって減速していた。晶乃の切り返しについて行けない。ドリブルで一気にゴール下に達した晶乃が片手でシュートに行く。彩智だって名前を知っているバスケットボールの基本のシュートであるレイアップシュートである。

 ボールはゴールリングを音もなく擦り抜けて転がる。

「参りました」

 額の汗を手首のリストバンドで拭いたミノリが晶乃に小さく頭を下げた。

「うん……」

 と答えた晶乃の表情は冴えない。

「本当に参ったなぁ。先輩は、全然衰えていませんね」

 ミノリの半泣きにも見える笑顔の意味は、彩智には分からない。

「今日、ウチらはあんたが来る1時間以上前から練習をしていたんだ。あんたよりずっと走り回って疲れている三崎――キャプテンが敵うわけがないだろ」

 見物人の中から、帆南が喧嘩腰の声を上げた。

「そうだね。でなきゃ、ブランクのある私がまともにやりあえるわけがないよ」

 晶乃も同意するが、

「やめてくださいっ!」

 強い声をミノリが発した。負けに理由を付けられるのはプライドが許さないのかもしれない。

「もしも……体力が十分でも、私は負けてました。先輩はやっぱり凄いです。私の目標で、憧れです。なのに……」

 不意に、ミノリの顔が歪む。声が上ずったものになる。目元がごまかせないくらいに涙で滲んでいる。

 彩智も崩れた経験がある。それまで平静だったのに、急に感情が高ぶりを収められなくなり、涙が堪えられなくなる。両親が死んでから、何度も経験した。

「何で……先輩は、いつまでも私の目標でいてくれなかったんですか!」

 一旦そうなったらもう止まることはできなかった。両の目からは堰を切ったように涙が流れ落ち、口からほとばしる叫声は体育館に響き渡った。あっという間に床に零れた涙がたまっていく。慌てたように両手で顔を押さえたミノリの号泣を、晶乃はどんな思いで受け止めているのだろう。どんな顔をしているのだろう。

 この瞬間、湧きあがった感情を、彩智は後で不謹慎だったと後悔する。でも、この時彩智は、晶乃の顔を撮りたいという感情を押さえられなかった。

 そっと近づき、カメラを縦に構え、ピントを合わせる。晶乃の顔をした薄い虚像がぴったりと本物の像の上に重なる。

 晶乃は気づいていないのか、ミノリの頭をぐっと自分の胸元に抱き寄せる。ミノリの頭をなでながら、その耳元で何か囁いたようにも見えた。

 シャッターを切る。

 彩智の耳の中に大きく響いた機械音は、ミノリの泣き声にかき消された。
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