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【1章】晶乃と彩智
19.進化とともに成長した世代【1】
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『藤沢写真機店』の閉店時間は7時に設定されている。桑島徳人が店内に入ったのは6時30分頃のことだった。カウンターの中ですでに閉店の準備をしている四季は、徳人を一瞥すると、「いらっしゃい」と愛想のない声で言うと、背を向けた。
徳人は気にせずに店の中に入る。いつものことだ。四季は愛想笑いが苦手だ。今の仕事を楽しんでいるのは事実だろうが、苦痛を伴う部分が多々あるのも確かだろう。邪魔だと思っていたらはっきりとそう言う。少なくとも徳人に対しては。
「いつもの紅茶でいいですか?」
振り向きもせずに四季が問う。これもいつもの事だ。返事を聞かずに電気ポットの湯を再沸騰させ、コーヒーカップを用意している。
「今日は角砂糖一つ多めで」
「角砂糖を4つも入れるんですか」
呆れた口調が返ってくるが、リクエストにはちゃんと応えてくれる。微かにポトン、ポトンと角砂糖がカップの中に入る音が聞こえた。
店内の一角には定期的に写真が展示されている。地元の写真サークルや学校の写真部の子たちが撮ったものだ。中には腕自慢の個人が個展を開くスペースに使っていることもある。たまに、四季が撮った写真が置かれていることもある。それを観覧するために、小さなテーブルが二つと、椅子が6個置かれている。
また、四季がいるカウンターの前にも3つ、椅子が置かれている。徳人は、その内の椅子の一つに腰掛けた。
「お待たせしました」
と徳人の前に澄んだ濃いオレンジ色の紅茶が注がれたカップと、個包装された小さなお饅頭が10個ほど入った白い菓子入れが置かれた。
「仕事、一段落ついたんですね」
「ああ。さっき編集にメールで原稿を送ったところ」
「お疲れさまでした」
文章を書く仕事――数年前に脱サラして専業で小説家をしている徳人は一つ仕事が終わると、紅茶に入れる角砂糖が一つ増える。普段も甘党で砂糖の多さに四季からは呆れられているが、それでも言われた通りに増やしてくれる。
「しかし、ここに来て紅茶を飲まないと、一日が終わった気がしないなぁ。ウチからの移動の分、いろいろと時間を無駄にしている気もしないでもないけれど」
紅茶とかコーヒーとか茶菓子とかは常連だけが知っている裏メニューのような存在である。月の半分以上は、この時間にぶらりとやってきて紅茶を飲んで帰るのが日課になっている徳人である。
「ウチの店はカメラ屋であってカフェでも喫茶店でもないんですけれどね」
「最近は、カメラカフェってのもあるって聞くけれど」
「私は利用したことがないのでよく分かりませんが・・・・・・」
「俺もだ」
猫カフェなら何となくイメージできるのだが、カメラを愛でながらコーヒーを楽しむというのは徳人にはあまり想像ができなかった。もちろん、コレクターがコレクションを眺めながら晩酌をすることは理解できるのだが、そういうのとは何か違う気がする。
「たぶん、一種の情報交換の場だと思いますよ。カメラは歴史も長いし、メーカーごとに特色もあります。一人の人間が全てのカメラを触ってその特性と弱点を把握するなんてとうてい無理です。それに、被写体ごとに違った魅力があります。何だって撮れるのに、電車とか飛行機とか山とか猫とか料理とか、その被写体にとりつかれてしまう人が続出するのは不思議なものです。他にも写真を撮影するスポット選びも楽しみの一つですね。そういう情報交換の場なんだと思いますよ」
「なるほど……」
「もっとも、この辺にそういう店がないので、興味はあれど、ですね」
「興味はあるんだ」
「念の為に言っておきますけれど、この店を、カメラカフェにするなんて考えは全くありませんよ」
「それは残念。まぁ、インスタントなのに一杯250円なんてぼったくり価格の紅茶で我慢するか」
少し冷めかけていた紅茶を一気に飲み干す。
「まぁ、お金を取っているのは徳人さんだけなんですけれど」
「……おぃ」
「ちなみに、お茶代はまるまる私のお小遣いになっています」
「……」
「ところで、もう一杯どうですか?」
「……さすがに砂糖を取りすぎだからな。遠慮しとくよ。ところで、今日、彩智が来ただろう」
「ええ。背の高い女の子と一緒に来ていましたよ」
「それは、たぶん、俺も知っている子だな」
先日、学校に呼び出されたときに見かけた少女を思い出す。徳人の身長は170cmを少し越えている程度と、男としては大きい方ではないが、女性と比べたら大抵は高い。その徳人とほとんど差がなかったから、彼女は女性の中ではそれなりに背が高い方だ。
「確か……水谷晶乃さんと言っていたかな」
「背筋がぴんとした凛々しい感じのお嬢さんでしたよ。今日は、ウチのNikon D70を持って行きました」
棚の方に目をやると、レトロなデジカメのコーナーに、デジタル一眼レフ一台分がすっぽりと抜けた空間ができている。
「横に置いてあるのはCanonのEOS 10Dか。懐かしいな。どちらも、デジタル一眼レフの普及に大きく貢献した機種だ」
「2003年とか4年とかの機種ですから、もう14、5年前の機種ですね」
デジタルカメラの出荷台数がフィルムカメラを上回ったのは2003年のことだった。写真の歴史の主役にデジタルが踊り出してきた時期と言える。
「この頃は、画素数が100万単位で増える度に歓喜していたものだったなぁ」
その頃、徳人は大学生だったか、新卒で入社した会社で働いていた頃だ。この頃は、日進月歩の勢いでデジタルの画質が向上していた頃だったので、ちょっと待てばすぐに良いカメラが出てくるだろうと先延ばしにしている間に手を出すタイミングを逃し、ようやく初めてデジカメを手に入れたときはコンパクトデジカメが400万画素を越えるのが当たり前になっていた。
徳人は気にせずに店の中に入る。いつものことだ。四季は愛想笑いが苦手だ。今の仕事を楽しんでいるのは事実だろうが、苦痛を伴う部分が多々あるのも確かだろう。邪魔だと思っていたらはっきりとそう言う。少なくとも徳人に対しては。
「いつもの紅茶でいいですか?」
振り向きもせずに四季が問う。これもいつもの事だ。返事を聞かずに電気ポットの湯を再沸騰させ、コーヒーカップを用意している。
「今日は角砂糖一つ多めで」
「角砂糖を4つも入れるんですか」
呆れた口調が返ってくるが、リクエストにはちゃんと応えてくれる。微かにポトン、ポトンと角砂糖がカップの中に入る音が聞こえた。
店内の一角には定期的に写真が展示されている。地元の写真サークルや学校の写真部の子たちが撮ったものだ。中には腕自慢の個人が個展を開くスペースに使っていることもある。たまに、四季が撮った写真が置かれていることもある。それを観覧するために、小さなテーブルが二つと、椅子が6個置かれている。
また、四季がいるカウンターの前にも3つ、椅子が置かれている。徳人は、その内の椅子の一つに腰掛けた。
「お待たせしました」
と徳人の前に澄んだ濃いオレンジ色の紅茶が注がれたカップと、個包装された小さなお饅頭が10個ほど入った白い菓子入れが置かれた。
「仕事、一段落ついたんですね」
「ああ。さっき編集にメールで原稿を送ったところ」
「お疲れさまでした」
文章を書く仕事――数年前に脱サラして専業で小説家をしている徳人は一つ仕事が終わると、紅茶に入れる角砂糖が一つ増える。普段も甘党で砂糖の多さに四季からは呆れられているが、それでも言われた通りに増やしてくれる。
「しかし、ここに来て紅茶を飲まないと、一日が終わった気がしないなぁ。ウチからの移動の分、いろいろと時間を無駄にしている気もしないでもないけれど」
紅茶とかコーヒーとか茶菓子とかは常連だけが知っている裏メニューのような存在である。月の半分以上は、この時間にぶらりとやってきて紅茶を飲んで帰るのが日課になっている徳人である。
「ウチの店はカメラ屋であってカフェでも喫茶店でもないんですけれどね」
「最近は、カメラカフェってのもあるって聞くけれど」
「私は利用したことがないのでよく分かりませんが・・・・・・」
「俺もだ」
猫カフェなら何となくイメージできるのだが、カメラを愛でながらコーヒーを楽しむというのは徳人にはあまり想像ができなかった。もちろん、コレクターがコレクションを眺めながら晩酌をすることは理解できるのだが、そういうのとは何か違う気がする。
「たぶん、一種の情報交換の場だと思いますよ。カメラは歴史も長いし、メーカーごとに特色もあります。一人の人間が全てのカメラを触ってその特性と弱点を把握するなんてとうてい無理です。それに、被写体ごとに違った魅力があります。何だって撮れるのに、電車とか飛行機とか山とか猫とか料理とか、その被写体にとりつかれてしまう人が続出するのは不思議なものです。他にも写真を撮影するスポット選びも楽しみの一つですね。そういう情報交換の場なんだと思いますよ」
「なるほど……」
「もっとも、この辺にそういう店がないので、興味はあれど、ですね」
「興味はあるんだ」
「念の為に言っておきますけれど、この店を、カメラカフェにするなんて考えは全くありませんよ」
「それは残念。まぁ、インスタントなのに一杯250円なんてぼったくり価格の紅茶で我慢するか」
少し冷めかけていた紅茶を一気に飲み干す。
「まぁ、お金を取っているのは徳人さんだけなんですけれど」
「……おぃ」
「ちなみに、お茶代はまるまる私のお小遣いになっています」
「……」
「ところで、もう一杯どうですか?」
「……さすがに砂糖を取りすぎだからな。遠慮しとくよ。ところで、今日、彩智が来ただろう」
「ええ。背の高い女の子と一緒に来ていましたよ」
「それは、たぶん、俺も知っている子だな」
先日、学校に呼び出されたときに見かけた少女を思い出す。徳人の身長は170cmを少し越えている程度と、男としては大きい方ではないが、女性と比べたら大抵は高い。その徳人とほとんど差がなかったから、彼女は女性の中ではそれなりに背が高い方だ。
「確か……水谷晶乃さんと言っていたかな」
「背筋がぴんとした凛々しい感じのお嬢さんでしたよ。今日は、ウチのNikon D70を持って行きました」
棚の方に目をやると、レトロなデジカメのコーナーに、デジタル一眼レフ一台分がすっぽりと抜けた空間ができている。
「横に置いてあるのはCanonのEOS 10Dか。懐かしいな。どちらも、デジタル一眼レフの普及に大きく貢献した機種だ」
「2003年とか4年とかの機種ですから、もう14、5年前の機種ですね」
デジタルカメラの出荷台数がフィルムカメラを上回ったのは2003年のことだった。写真の歴史の主役にデジタルが踊り出してきた時期と言える。
「この頃は、画素数が100万単位で増える度に歓喜していたものだったなぁ」
その頃、徳人は大学生だったか、新卒で入社した会社で働いていた頃だ。この頃は、日進月歩の勢いでデジタルの画質が向上していた頃だったので、ちょっと待てばすぐに良いカメラが出てくるだろうと先延ばしにしている間に手を出すタイミングを逃し、ようやく初めてデジカメを手に入れたときはコンパクトデジカメが400万画素を越えるのが当たり前になっていた。
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