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俺とレンドが同じ軍団にいた頃、俺たちは互いに反目し合っていた。
その当時、俺たちが配属されていた南の地は王国軍の中で最も過酷と称されていた土地だった。いつ蛮族の急襲があってもおかしくない。毎日極度の緊張を強いられ、休むことさえままならない。商業的にも貧しく、観光にも向かず、肥沃な地というわけでも鉱山があるわけでもない。ただ貧しいばかりで配属されても何のうまみもない土地である。
当然中央の貴族官吏からも貴族軍人も、こんな所には来たがらない。そうなると出世コースとも縁遠くなってしまい、こんなところに志願してくるような奴はますますいなくなる。志願して来たなどと言えば、自殺志願者と疑われるほどだ。結果、俺のような、何のコネもなく中央の連中からは死んでも惜しいと思われない連中ばかりが送り込まれることになる。
そんな場所に配属されてくる貴族軍人といえば、中央での権力闘争に敗れて命の危険と隣り合わせの任地に左遷されたような奴ばかりである。
レンドもそんな貴族軍人の一人だった。噂では、もともと身分の高い貴族で、エリートコースの士官学校へ進み、将来の大将軍の候補であったという。しかし、彼は軍人の本分を忘れて政治にのめり込み過ぎた。レンドが属していた派閥の領袖が政争に敗れて中央を追放されたために、彼にも報復人事が待っていたのだ。
俺とレンドが同じ国境師団にいたのは3年間。追放されていた上級貴族は、一度は失脚してから3年後にどういう手を使ったのか分からないが中央に復帰し、そのおかげでレンドも中央に戻ることとなった。俺は同じ頃、任期が満了し軍を去ったのは前述したとおりだ。
同じ任地にいた間は、俺のような叩き上げの下士官たちは、前線に上級貴族や中央の論理を持ち込むレンドとは全くそりが合わず、時に怒鳴り合ったことも何度もあった。軍人は戦争のことだけ考えればよいという考えの俺には、軍役も政治の延長であると考えるレンドの思考は理解の範疇にあった。レンドのほうから見た俺も同じだっただろう。
俺たちにとっては、軍役を政治の世界でのステップアップにしか考えていないレンドの姿勢は、命掛けで任に就いている部下に対して不誠実であり、侮辱的な存在ですらあった。
逆に元上官から見れば、俺のような叩き上げの兵士は、足下しか見えず大局観を持たないただの戦争屋に過ぎなかっただろう。
まさしく水と油。到底相容れない者同士だった。
つまるところ、あの当時の俺にとっては、この元上官は不倶戴天の敵であり、それは向こうからしても同様で、レンドが何よりも誰よりも俺のことを嫌っていたとしても不思議はなかった。
だから、何のわだかまりも抱いていないような、にこやかな笑みを浮かべながら手を差し出してきたのを見て、かなり面食らい、不気味さすら感じたのである。
「お前の活躍も色々聞いているよ。魔獣の退治屋をしているそうだな。……今は、モンスタースレイヤーなんて言ったりするんだったか?」
「どちらでも良いですよ。何と呼んでみたところで、やることは変わらないのですから」
「なるほど、違いない」
権力というものを持つと人間はそんなに鷹揚になれるものなのだろうか。かつての感情の対立など、些末なことだったと流してしまえるほど。あるいは、5年というのは、諍いなどなかったことにしてしまえるほどの時間なのだろうか。こだわっていると思っていた自分が卑小なだけなのだろうか。
なんにせよ、相手側が、昔のことを蒸し返すつもりが無いのなら、こちらもにこやかに応じればいい話だった。俺は、警戒しつつも、差し出された手を握り返した。
「……長官。積もる話もあると思いますが、本題を先にお願いできますか? 準備しなければならないこともありますし」
ユミールが立ち上がりながら言った。俺よりやや背が低い小柄な男だった。軍服の下の胸板もあまり厚くなさそうに見えるし、あまり筋肉質にも見えない。
彼の微笑を浮かべた口元を見ながら、いかにも育ちがよさそうだな、と思う。この時はまだ、彼の名を聞いていない。
出来るだけ表情を変えないように心がけながら、心の中で目の前の男について色々と考えをめぐらせた。俺を見下すでもなく、敵愾心を燃やすわけでもなく、かといって道端の石ころを見つけるような無関心でもない。やっぱりお坊ちゃんといった感じだと、俺は思った。
「ああ、そうだったな」
レンドは言いながら、手で彼に前に出るように促した。
「ランバード・ユミールです」
ユミールと聞いて俺は思わず目を見開く。王国随一の名門中の名門であるユミール家の名を、俺だって知らないはずがない。
名乗ったユミールは俺の驚愕に気付いているのかいないのか、先ほどのレンドと同じように手を差し出してくる。「よろしく」と言った瞬間に、ユミールの口元の微笑がすっと消えた。
俺は、その手を握り返して、小さく眉を潜めた。義務的に軍役に就いている男かと思ったが、その掌の皮は厚く、剣だこがはっきりと分かるほど盛り上がっていた。よくよく見ると体格の割に肩幅は広く、握力も強い。きっと腕も相応に太いだろう。おそらく毎日木剣を振り回しているのだろうな、と思った。
「クロス・リードだ。よろしく」
俺にはあまり上級の貴族と話した経験はなかったが、それでも敬意を込めて自己紹介をするつもりだった。……が、口からついて出てきたのは同格の相手に対してそうするような荒っぽい言葉だった。だがユミールの表情を伺うと、気にした様子もなかった。
互いに手を握り、そして放すと、
「さて……では、お前への依頼の話をしよう」
と、レンドが言った。
そして、凍てついた魔の森の魔獣ヨルムの討伐の依頼と、莫大な前金と、一振りの長剣を渡されて、俺とユミールの旅は始まったのだった。
その当時、俺たちが配属されていた南の地は王国軍の中で最も過酷と称されていた土地だった。いつ蛮族の急襲があってもおかしくない。毎日極度の緊張を強いられ、休むことさえままならない。商業的にも貧しく、観光にも向かず、肥沃な地というわけでも鉱山があるわけでもない。ただ貧しいばかりで配属されても何のうまみもない土地である。
当然中央の貴族官吏からも貴族軍人も、こんな所には来たがらない。そうなると出世コースとも縁遠くなってしまい、こんなところに志願してくるような奴はますますいなくなる。志願して来たなどと言えば、自殺志願者と疑われるほどだ。結果、俺のような、何のコネもなく中央の連中からは死んでも惜しいと思われない連中ばかりが送り込まれることになる。
そんな場所に配属されてくる貴族軍人といえば、中央での権力闘争に敗れて命の危険と隣り合わせの任地に左遷されたような奴ばかりである。
レンドもそんな貴族軍人の一人だった。噂では、もともと身分の高い貴族で、エリートコースの士官学校へ進み、将来の大将軍の候補であったという。しかし、彼は軍人の本分を忘れて政治にのめり込み過ぎた。レンドが属していた派閥の領袖が政争に敗れて中央を追放されたために、彼にも報復人事が待っていたのだ。
俺とレンドが同じ国境師団にいたのは3年間。追放されていた上級貴族は、一度は失脚してから3年後にどういう手を使ったのか分からないが中央に復帰し、そのおかげでレンドも中央に戻ることとなった。俺は同じ頃、任期が満了し軍を去ったのは前述したとおりだ。
同じ任地にいた間は、俺のような叩き上げの下士官たちは、前線に上級貴族や中央の論理を持ち込むレンドとは全くそりが合わず、時に怒鳴り合ったことも何度もあった。軍人は戦争のことだけ考えればよいという考えの俺には、軍役も政治の延長であると考えるレンドの思考は理解の範疇にあった。レンドのほうから見た俺も同じだっただろう。
俺たちにとっては、軍役を政治の世界でのステップアップにしか考えていないレンドの姿勢は、命掛けで任に就いている部下に対して不誠実であり、侮辱的な存在ですらあった。
逆に元上官から見れば、俺のような叩き上げの兵士は、足下しか見えず大局観を持たないただの戦争屋に過ぎなかっただろう。
まさしく水と油。到底相容れない者同士だった。
つまるところ、あの当時の俺にとっては、この元上官は不倶戴天の敵であり、それは向こうからしても同様で、レンドが何よりも誰よりも俺のことを嫌っていたとしても不思議はなかった。
だから、何のわだかまりも抱いていないような、にこやかな笑みを浮かべながら手を差し出してきたのを見て、かなり面食らい、不気味さすら感じたのである。
「お前の活躍も色々聞いているよ。魔獣の退治屋をしているそうだな。……今は、モンスタースレイヤーなんて言ったりするんだったか?」
「どちらでも良いですよ。何と呼んでみたところで、やることは変わらないのですから」
「なるほど、違いない」
権力というものを持つと人間はそんなに鷹揚になれるものなのだろうか。かつての感情の対立など、些末なことだったと流してしまえるほど。あるいは、5年というのは、諍いなどなかったことにしてしまえるほどの時間なのだろうか。こだわっていると思っていた自分が卑小なだけなのだろうか。
なんにせよ、相手側が、昔のことを蒸し返すつもりが無いのなら、こちらもにこやかに応じればいい話だった。俺は、警戒しつつも、差し出された手を握り返した。
「……長官。積もる話もあると思いますが、本題を先にお願いできますか? 準備しなければならないこともありますし」
ユミールが立ち上がりながら言った。俺よりやや背が低い小柄な男だった。軍服の下の胸板もあまり厚くなさそうに見えるし、あまり筋肉質にも見えない。
彼の微笑を浮かべた口元を見ながら、いかにも育ちがよさそうだな、と思う。この時はまだ、彼の名を聞いていない。
出来るだけ表情を変えないように心がけながら、心の中で目の前の男について色々と考えをめぐらせた。俺を見下すでもなく、敵愾心を燃やすわけでもなく、かといって道端の石ころを見つけるような無関心でもない。やっぱりお坊ちゃんといった感じだと、俺は思った。
「ああ、そうだったな」
レンドは言いながら、手で彼に前に出るように促した。
「ランバード・ユミールです」
ユミールと聞いて俺は思わず目を見開く。王国随一の名門中の名門であるユミール家の名を、俺だって知らないはずがない。
名乗ったユミールは俺の驚愕に気付いているのかいないのか、先ほどのレンドと同じように手を差し出してくる。「よろしく」と言った瞬間に、ユミールの口元の微笑がすっと消えた。
俺は、その手を握り返して、小さく眉を潜めた。義務的に軍役に就いている男かと思ったが、その掌の皮は厚く、剣だこがはっきりと分かるほど盛り上がっていた。よくよく見ると体格の割に肩幅は広く、握力も強い。きっと腕も相応に太いだろう。おそらく毎日木剣を振り回しているのだろうな、と思った。
「クロス・リードだ。よろしく」
俺にはあまり上級の貴族と話した経験はなかったが、それでも敬意を込めて自己紹介をするつもりだった。……が、口からついて出てきたのは同格の相手に対してそうするような荒っぽい言葉だった。だがユミールの表情を伺うと、気にした様子もなかった。
互いに手を握り、そして放すと、
「さて……では、お前への依頼の話をしよう」
と、レンドが言った。
そして、凍てついた魔の森の魔獣ヨルムの討伐の依頼と、莫大な前金と、一振りの長剣を渡されて、俺とユミールの旅は始まったのだった。
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