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……あいつはついてきているだろうか。
凍てついた魔の森を全力で走りながら、俺は同じ言葉で2つのことを考えていた。
まず一つ目は、俺と同行していたユミールはちゃんとついて走っているだろうか、ということ。
もう一つは、先ほどまで交戦していた魔獣ヨルムが俺たちを追ってきてはいないだろうか、ということ。
俺たちはもしもの時の逃げ場所として確保していた泉の脇へと向かっていた。この森に入った初日――つまり昨日、この森を探索している途中で見つけたものだ。人の出入りが極端に無いこの森に関する詳細な地図などあるわけもなく、周りを警戒しながら前進する中で突然森が開け、澄み切った美しい泉を見つけた時にはちょっとした感動を覚えたものだが、とりあえず今はそれどころではない。
後ろから聞こえる息遣いからユミールがついてきている気配は感じるが、肩越しに振り返ってもその姿を認めることはできなかった。とりあえず、目的地まで走って、そこで考えることにしよう、と考える。
今は昼間の明るさと夜の暗さが入り混じる俺の一番嫌いな時間帯だ。おまけに走りながら、ずっと何かに見られているような不快さを感じ続けていた。きっと、この森に漂う独特の空気のせいだろう。
その間も、右腕には焼けるような鈍い痛みが走り続けていた。その痛みは右腕のみならず、全身に広がっていくような感じだった。
戦いの中で、俺もユミールもヨルムに多くの傷をつけられた。しかし、右腕の傷はヨルムによってつけられたものではない。後衛を任せていたユミールが撃った小銃の弾丸が、背後から俺の右の二の腕を撃ち抜いたのだ。完全な誤射。同士討ちである。
戦いの中で、同士討ちはあってはならないことなのは言うまでもない。味方に殺されては死んでも死にきれないし、絶対にそんな死に方をしたくはないものだ。だが、味方のパニックだの標的への誤認だの仲間同士の連携不足だのといった様々な要因が絡み合い、起こってほしくなくても起こってしまうのが同士討ちなのである。だから死んでも死にきれないと思いつつも、恨むに恨めないものでもある。
残念ながら、その様々な要因のうちには“故意”が含まれることが往々にある。手柄を独り占めしてやろうとか、どんな理由があったとしても、やられた方はたまったものではない。
考えたくもないが一方的な怨恨が理由なことだってある。「先の恨み、晴らさでおくべきか」というやつだが、恨みつらみを持ち出すのは平和な時だけにしてもらいたい。人はどこで恨みを買うか分からないものだとはいえ、戦場にそれを持ち込むのは人倫に悖る。
まぁ、もし、あれが故意だったと思っているのなら、俺はその場でユミールを斬って捨てていた。そもそも、半径20歩ほどの距離の中で、鉄砲の前で剣を振るったりしたらこうなってしまうのは自明というものだ。
誰かに背中を預けるのは本当に難しい。
そんなことを考えながら走っていたからか、少し痛みが落ち着いてきたように感じた。……単に、マヒしてきただけかもしれない。
早く落ち着いて、怪我の処置をしたいなぁ……と思った時、俺の鼻に入ってくる空気の匂いが変わったような気がした。腐りかけた草木や湿り気を帯びた土の混ざった匂いが、澄んだ空気や水を多く含んだものに変わった。
気のせいではない証拠に、眼前の風景もにわかに明るくなった。
目的地である泉に近づいた証だった。
「ついてきているか? ユミール」
ここになってようやく、俺は後ろの男に声をかける。
「は……い……」
後ろから聞こえる荒い息遣いの中に、返事らしきものが含まれていたようだったので少しほっとする。
「もう少しだから、頑張れ」
もう一度声をかけて見たが、今度は返事は帰ってこない。今の速度はユミールにはついてくるのがやっとなのだろう。
だが、ようやく立ち止まれる。
俺の目の前に、目的地である大きな泉が広がったからだ。
水面が陽光を反射してきらきらと光っている。俺は周囲に獣などの姿がないことを確かめると、泉の淵に近づいた。浅瀬には細かい砂が堆積しているのが分かった。俺は、細く短い草が生い茂っているのを気にせずに膝をついて、泉の澄んだ水に右腕を浸した。
泉の水は冷たかった。
しばらくは傷口に水がしみて、更なる痛みを招いていたが、泉の冷たい水が、傷の熱を取っていくにつれ、痛みもおさまっていった。
「……何とかなりそうだ」
俺の呟きに、「大丈夫……ですか?」と横からユミールが声をかけてきた。近くで小さくカラカラと板同士がぶつかる乾いた音が聞こえた。俺が自分の怪我に気を取られている間に、周囲に鳴子を仕掛けてきたようだ。何かが近づいてくれば、紐に吊るされた数枚の木片がぶつかって音を立てる。もともとは農家が畑などに仕掛けて害獣を追い払う農具の一種だが、軍でも効果が認められて兵法書にも書き記されている。
ついユミールの問いに答えなかったのは、彼がこういった罠のことを知っていることに驚いたからだった。
「申し訳ありません。私の責で……」
「気にするな。……怪我には慣れている」
俺は泉から腕を引き抜き布で拭いた。
凍てついた魔の森を全力で走りながら、俺は同じ言葉で2つのことを考えていた。
まず一つ目は、俺と同行していたユミールはちゃんとついて走っているだろうか、ということ。
もう一つは、先ほどまで交戦していた魔獣ヨルムが俺たちを追ってきてはいないだろうか、ということ。
俺たちはもしもの時の逃げ場所として確保していた泉の脇へと向かっていた。この森に入った初日――つまり昨日、この森を探索している途中で見つけたものだ。人の出入りが極端に無いこの森に関する詳細な地図などあるわけもなく、周りを警戒しながら前進する中で突然森が開け、澄み切った美しい泉を見つけた時にはちょっとした感動を覚えたものだが、とりあえず今はそれどころではない。
後ろから聞こえる息遣いからユミールがついてきている気配は感じるが、肩越しに振り返ってもその姿を認めることはできなかった。とりあえず、目的地まで走って、そこで考えることにしよう、と考える。
今は昼間の明るさと夜の暗さが入り混じる俺の一番嫌いな時間帯だ。おまけに走りながら、ずっと何かに見られているような不快さを感じ続けていた。きっと、この森に漂う独特の空気のせいだろう。
その間も、右腕には焼けるような鈍い痛みが走り続けていた。その痛みは右腕のみならず、全身に広がっていくような感じだった。
戦いの中で、俺もユミールもヨルムに多くの傷をつけられた。しかし、右腕の傷はヨルムによってつけられたものではない。後衛を任せていたユミールが撃った小銃の弾丸が、背後から俺の右の二の腕を撃ち抜いたのだ。完全な誤射。同士討ちである。
戦いの中で、同士討ちはあってはならないことなのは言うまでもない。味方に殺されては死んでも死にきれないし、絶対にそんな死に方をしたくはないものだ。だが、味方のパニックだの標的への誤認だの仲間同士の連携不足だのといった様々な要因が絡み合い、起こってほしくなくても起こってしまうのが同士討ちなのである。だから死んでも死にきれないと思いつつも、恨むに恨めないものでもある。
残念ながら、その様々な要因のうちには“故意”が含まれることが往々にある。手柄を独り占めしてやろうとか、どんな理由があったとしても、やられた方はたまったものではない。
考えたくもないが一方的な怨恨が理由なことだってある。「先の恨み、晴らさでおくべきか」というやつだが、恨みつらみを持ち出すのは平和な時だけにしてもらいたい。人はどこで恨みを買うか分からないものだとはいえ、戦場にそれを持ち込むのは人倫に悖る。
まぁ、もし、あれが故意だったと思っているのなら、俺はその場でユミールを斬って捨てていた。そもそも、半径20歩ほどの距離の中で、鉄砲の前で剣を振るったりしたらこうなってしまうのは自明というものだ。
誰かに背中を預けるのは本当に難しい。
そんなことを考えながら走っていたからか、少し痛みが落ち着いてきたように感じた。……単に、マヒしてきただけかもしれない。
早く落ち着いて、怪我の処置をしたいなぁ……と思った時、俺の鼻に入ってくる空気の匂いが変わったような気がした。腐りかけた草木や湿り気を帯びた土の混ざった匂いが、澄んだ空気や水を多く含んだものに変わった。
気のせいではない証拠に、眼前の風景もにわかに明るくなった。
目的地である泉に近づいた証だった。
「ついてきているか? ユミール」
ここになってようやく、俺は後ろの男に声をかける。
「は……い……」
後ろから聞こえる荒い息遣いの中に、返事らしきものが含まれていたようだったので少しほっとする。
「もう少しだから、頑張れ」
もう一度声をかけて見たが、今度は返事は帰ってこない。今の速度はユミールにはついてくるのがやっとなのだろう。
だが、ようやく立ち止まれる。
俺の目の前に、目的地である大きな泉が広がったからだ。
水面が陽光を反射してきらきらと光っている。俺は周囲に獣などの姿がないことを確かめると、泉の淵に近づいた。浅瀬には細かい砂が堆積しているのが分かった。俺は、細く短い草が生い茂っているのを気にせずに膝をついて、泉の澄んだ水に右腕を浸した。
泉の水は冷たかった。
しばらくは傷口に水がしみて、更なる痛みを招いていたが、泉の冷たい水が、傷の熱を取っていくにつれ、痛みもおさまっていった。
「……何とかなりそうだ」
俺の呟きに、「大丈夫……ですか?」と横からユミールが声をかけてきた。近くで小さくカラカラと板同士がぶつかる乾いた音が聞こえた。俺が自分の怪我に気を取られている間に、周囲に鳴子を仕掛けてきたようだ。何かが近づいてくれば、紐に吊るされた数枚の木片がぶつかって音を立てる。もともとは農家が畑などに仕掛けて害獣を追い払う農具の一種だが、軍でも効果が認められて兵法書にも書き記されている。
ついユミールの問いに答えなかったのは、彼がこういった罠のことを知っていることに驚いたからだった。
「申し訳ありません。私の責で……」
「気にするな。……怪我には慣れている」
俺は泉から腕を引き抜き布で拭いた。
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