砂漠と鋼とおっさんと

ゴエモン

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おまけ

おまけ フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン編5

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  いかにどんな有事の際でも冷静でいられる訓練を受けていた人達といえども、この神のいたずらにしては度が過ぎている事件を目の辺りにしては混乱するなと言ったって無理がある。にもかかわらず、驚愕する者、泣き叫ぶ者、半狂乱になる者は意外にいなかった。混乱というよりも盛大な社会実験を受けさせられていると考えていた者の方が多数であった。数日経ち、数週間経ち、一ヶ月が過ぎてもなおこの事態を受け入れられずに。
 地球上は混乱、カオス、混沌、無秩序、いかな言葉を用いても、その有様は表現できるものではなかった。あらゆる通信が不通となりこちらの状況を送ることはほぼ不可能。反面月面基地からはシャッフルされ世界中の人類の営みが破壊によって侵食されていく様を望遠鏡や衛星でうかがい知ることだけはできた。それを見てもなおこの事態はまだどこか仮想の出来事と信じたかったのが月の住民達の正直な気持ちであった。

 “スーパーシャッフル” 

 月面基地でそう名付けられた地球の大異変から三ヶ月が経ち、基地内の人々は諦めにも近いが事態を無理矢理飲み込むことで強引に自らの精神を抑え込み一旦は平静を取り戻していた。これだけでも月面基地の住人は優秀な人々だったと言えよう。

 いつだったか基地の最高責任者が下した決定はこの月面基地で生き延びること。ただ生きるだけではなく、子孫を作り月の住人となっていつか地球から救援がくるまで、いやもしかしたら基地内で技術革新が起き、地球に行く方法が見つかるかもしれない、技術革新? つい昨年粘菌宇宙人が残した謎技術でこれ以上ないくらい人類は飛躍的に進歩したのに、これよりもなお? そんなの無理だ、いやいやその謎技術からまだ新しいものが生まれるかもしれない、いやいやそんな希望的観測はだめた、まずは出来ることからだ、私は農学の研究者だ、月面の食糧問題を担わなければならないんだ、配給率や自給率や、いよいやそういう細かいことはAIがやってくれる、それどころか研究そのものも大半はAIのシミュレーションでことが済む、じゃ私にできることってなに? 種をまき苗を植えること? いやいやそれももうオートメーションだ、私は女だ子供を、いやいや子供だってもう女が産む時代じゃない、男女じゃなくても子供は作れる、そういう設備も基地内にはすでにある、じゃあ私は……


 あらゆる事柄が脳を支配し見慣れぬ星のスケッチが進まぬサクラはペンを置いた。一人でいると気が狂いそうになる。電脳が脳内物質のバランスをコントロールしてくれるおかげでそんな実際狂うことはないが、この不安と寂しさだけはどうにも拭えない。いつまで経っても。少しでも気を休めるためにコミュニティエリアに赴く。くだらない話をしている男達やアカデミックな話をしているグループ、服のコーディネートの話題をしている女性達、皆人寂しくこのエリアに集う。ここは大展望窓から地球その神秘的な姿を常に眺められる設計になっているがそちらに顔を向けるものは少ない。
 サクラはそれらのグループではなく、唯一酒の提供が許されているバーカウンターに座る。個人個人に規定量や日程が定められているが飲酒は認められている。このBarで用意されている酒は月産で、基地内プランテーションで収穫された農産物で作られている。蒸留酒も醸造酒もちゃんとある。ワインやウィスキーなどの熟成に長い年月がかかる酒も先端技術によって数日で済むようになっている。
 サクラの好みは安い芋焼酎のお湯割りだがさすがにこの月面に、多くの芋焼酎の原料である黄金千貫はないためジャガイモの蒸留酒アクアヴィットをお湯割りにしてもらう。ハーブや薬草が入っていない純粋なアクアヴィットはお湯で割ることで芋の香りが立つ。口に含み口内でその香りを楽しむことで、脳内を駆け巡る余計な物を昇華させる。
 生き延びる。そう最高責任者からくだされてからも、月の住人達は以前から行っていた研究や作業を続けている。ここのバーテンダーも発酵学や微生物研究が本業だが、こうしてバーカウンターに立つことを止めないでいる。何かしていなければ己が保てないのかもしれない。


 “サクラ、種族保存はどうするのだ?” 

 決めてなーい。良い男がいればその人と残したいと思ったけど、よく考えたらここの男はみんな頭は優秀だし財力もあるし見た目も悪くないし性格もいいし、良い男ばかりで何が良い男なのかよくわかんなくなっちゃったし、もう自分のだけでもいいかなぁなんて。

  “贅沢過ぎる悩みだな。そら、そこの端っこで飲んでるエンジニアなんかどうだ? 彼の旋盤技術は世界で唯一無二だぞ” 

 べつに旋盤加工と遺伝子残したいわけじゃないし。もすこし恋愛したいなぁ。地球帰ったら少女マンガもびっくりな出会いとときめきの連続な恋愛人生送りたかったのにな。

 “恋愛アプリで充分楽しんだろ” 

 リアルにしたいの! あんなハーレムゲーすぐに飽きたし。なんなのすぐに頭撫でてくるし、抱きしめてくるし、くっさいくっさいセリフのオンパレードだし、ドSキャラとかいってただの幼少のころのトラウマメンヘラなよなよボーイ、悪ぶってるわりに実は優しいテンプレヤンキー、ただ性格が歪んでるだけのお馬鹿御曹司、自称ヤリチン実は純情遊び人キャラ、十半ばで精通してなさそうな無駄に熱血ショタっ子とかキモいのよ。たまには競馬競艇競輪ガイキチの借金モリモリヘビースモーカーのアル中出っ腹オヤジでも出してみろっての、そんなの死んでも嫌だけど。

 “大手から18禁同人まで網羅しといて何を言う” 

 うっさいうっさい! 宇宙行くための勉強で青春時代潰しちゃったんだから仕方ないでしょ! 純粋な学生みたいな恋愛したいの!

 “三十目前トウが立ったお前じゃ昼ドラドロドロがいいところじゃないのか?” 
 
 相変わらず失礼ね! ああいうのはまず愛人の一人や二人いてはじめて始まるものなの。

 “ああ、すまんすまん。お前さんはまだそのステージにも立ってなかったな“

 そういうこと。ん? なんか今私侮辱された?


 バーカウンターで月の土で作られた陶器のグラスを気怠そうに傾け大人しく静かに飲むサクラだが、その脳内では電脳ナビゲーションアプリ、ボヤージと公にはできないディスカッションが繰り広げられていた。
 サクラの恋愛談義は置いといて何組かのカップルが基地内で誕生し結婚式も行われ、その配信は地球でも大きな話題となり世界中から祝福の声が届いたが、子孫となると両手離しでは喜べない。恋愛や性交は自由だが生殖となると医療や人口管理の問題が出てくる。月面で出産や育児の研究はされていたが、計画外での出産育児は認められていなかった。 
 ボヤージが述べた種族保存、現在この基地では最重要課題の一つとなっているものだ。遺伝子工学は粘菌宇宙人がもたらした技術より以前からすでに、交配をせずとも受精卵を作れるまで技術は発達しており、子孫を残すことにおいて男女、同性はおろか自分の遺伝子のみでも子孫を残せるレベルになっていた。ここ月面基地でもその施設はあり、宇宙空間における種族維持繁栄の研究が行われていた。
 グラウンドスクラッチ、月面ではスーパーシャッフルと呼称される大異変からどのように月の住人達の子孫を残すか重要な問題となっていた。ただ生き延びるだけではいつ元に戻るとも帰れるともわからない地球をあてにはできない。ここで数世代もしくは永代にわたって人類を存続させねばならないのだ。物資は循環し再利用につぐ再利用が成功しているとはいえ絶対量は決まっているのだ。徹底した人口管理をしなければならない。自由恋愛でできる子はもちろん、そうではない大多数の者達が残すであろう遺伝子もだ。数十年数百年もしくは数千年単位先の人口管理計画を計算しなければならない。宇宙人の最先端技術で作られたメインコンピュータのAIはその問の答えをすぐに導き出した。


 “人口管理とか小難しいこと考えないで、どんどん子供作った方が今欝気味になってるみんな頑張って生きようとするんじゃね? 増え過ぎになる前に注意するから安心して子作りしてくれや。まぁ、物資は今あるぶんプラス計画どおり月面開発進めれば足りるっしょ。だいたい地球の生物誕生の時だってそんなこと考えてた生物いる? いないっしょ。もう地球に戻った時とか任務とか縛るものないんだからさ月での人類文明一から創り上げるつもりで楽しみなよ” 
 

 思いもよらない答えだった。
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