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鋼と海とおっさんと
将棋
しおりを挟むシャオプーに着くと、以前泊まっていた宿『客桟 旅伴』に赴いた。宿は修繕をしとけと言っておいたのに、相も変わらずボロかった。中華模様の鉄製の格子状のドアを外す要領で上に持ち上げてから下部をずらして外す。
ガラス絵の八角型の灯籠が照明になっているだけの薄暗い店内、赤い長キセルからプカプカ上がる煙、紺の中華風着物長袍(チャンパオ)、番台に寄りかかって座るのはキツネ目の青瓢箪フギ。以前来た時と何も変わらぬ光景だ。
やあ、と声をかけられ、おう、と挨拶を返す。
無言で渡されるのは2本の釣竿と黒い塗の手提げがついた茶盆に茶器セット。フギはタバコ盆に将棋盤を持って立ち上がった。
……………………
街の中心を流れる川の護岸に座し釣糸を垂らしながら、パチリパチリと駒を指し、白茶を注いではその茶盃を傾ける。その上品な香りと味わいは、熱帯の暑気を和らげる。
「当主⁉ フギが? なにそれ爆笑もんなんだけど」
「笑ってる場合じゃないですよ、錫さんのせいですよ」
垂れる釣り糸の先を見つめ、複雑な紋様の入った薄い磁器の茶盃を茶盆にコトリと置く。水面で揺らめく光がフギの無表情な白い面の中で僅かに上がる口角をチラチラと照らす。
「俺っちなーんもしていなよ。ただ宿に泊まって美味い飯食って、タバコ吹かして、将棋して、釣りして、茶を飲んでただけじゃーん」
「錫さんが来るまではそれが僕の立ち位置だったんですよ。ボロ宿で毎日お茶飲んでタバコ吸って偶に釣りして読書して、安穏と晴耕雨読な日々を過ごしていましたのに、今じゃ当主たるものと、あっちこっちに引っ張り出されてますよ。あの時を返して欲しいですねぇ」
パチリと駒を一つ進める。面は釣り糸を見たままだ。
「その割には、サンドスチーム来て大忙しのはずのシャオプー当主フギ君は、ここで俺っちと茶をしばきながらタバコ吹かして釣りして将棋してさぼってていいのかい?」
「錫さんがいるから──だろ? わかっているくせに」
懐よりキセルを取り出しタバコ盆の葉を詰め火を付け、パチリと駒を一つ進める。
「そうか、そこまで俺に会いたかったか」
「ある意味そうですねぇ。どぶさらいの錫乃介、ギンピーギンピー錫乃介、そんな劇物を監視してなだめられるのは僕だけ、というのが幹部会の一致した意見ですから」
ひと吸いしてから紫煙を吐き出し、錫乃介をチラリと覗き、パチリと駒を一つ進める。
「お、なんかまた変な名前付いてるな俺。なんだギンピーギンピーって?」
“オーストラリアに自生していた毒性のある樹木でして、触ると酸をスプレーされたような痛みが走る猛毒を持っています。その苦痛は異常なもので、ギンピーギンピーの葉をトイレットペーパー代わりに肛門拭いたあと、苦しみのあまり銃で自殺した人間もいるくらいです。この木の恐ろしさはあらゆる毒の中でも最も長い持続性で、接触した部分に送り込まれた毒針の毒が20年以上も留まり続けるという研究結果がでています”
「……いくらなんでも酷くないっすか、それ?」
「つまりはそういうことさ。誰も触りたくない近づきたくない、体のいい毒物・爆弾処理という名の厄介事を押し付けられた僕は、こうして護衛に見張られながらも堂々と茶を飲んで咥え煙管で釣りして将棋をさしてられるんですよ」
キセルを咥えたまま水面に顔を戻し、錫乃介が垂らす釣り糸の先、ウキがピクピク動くのを観察したまま、駒をパチリと一つ進める。
「なんだ、サボリーマンできるの俺のおかげじゃないか」
「良い方に立たないでもらえます?」
ウキを指し示し錫乃介の視線が水面にそろりと移ると、パチリと音を一つ立て、駒を二つ動かす。
「お、なんか釣れたぞ」
「はい、王手です」
水面を見たままパチリと王手の駒を指し、紫煙を吐き出す。
「え? あれ? おっかしいなぁ?」
「食事当番は錫さんですね」
その白い面に笑みが溢れた。
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