東京大学野球部についての一考察~ただ一つ

西海 広

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首相官邸

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 イタリアから取り寄せたシングルソファに腰かけ、郷田はスコッチウイスキーの入ったグラスに口を付けた。大理石に囲まれた官邸の応接室に音楽が流れている。カラヤンが棒を振ったベートーヴェンの英雄。目を瞑った郷田の口角が少しだけ上がっている。
 毛量は若い頃に比べ減ってしまっているが、白髪が混じる髪をオールバックにした七十二の日本国首相は、頬を緩ませほんの少し宰相に許された安らぎの時間を過ごしていた……のだが。
「白鳥君、僕はね、この日を待っていたんだよ。君ならわかるだろ」
「……はぁ」
 郷田の斜め向こうに座っている白鳥は、気のない返事をした。
「僕は決めていたんだよ。この日はこのソファに腰かけ、マッケランを飲む。音楽はベートーヴェンの交響曲第三番変ホ長調作品五十五とね」
「……はぁ」
「白鳥君、どうしたんだ? 君、嬉しくないのかね?」
「……はぁ」
「はっきりしない男だな。何か言いたいことがあるなら言いなさい」
「……」
 はっきりしない男……、これを国会の答弁で郷田に使われたら、野党とマスコミにまた突き上げをくらう。言葉を都合よく切り取ったり、揚げ足取りをするような輩はそこら中にいる。その尻拭いをするのは自分だ。それを思うと白鳥は憂鬱になった。
「僕と君の母校、東京大学の野球部が春と秋のリーグ戦で優勝したんだぞ。どうして喜ばないのかね。小面憎いWやKやMやHやRに今までどれだけ悔しい思いをしてきたことか、君ならわかるだろ」
「……はぁ」
 わからない、そもそも自分は野球に興味がない。もちろんそんなことを郷田には言えない。白鳥は曖昧に答えるしかなかった。
「新聞を広げ真っ先にスポーツ欄を見る。そうするとね、自ずと順位表に目が行くんだよ。上から六番目がわが母校東大の指定席になっているじゃないか。冗談じゃないよ、白鳥君。わが母校東大は常に一番でなければならんのだよ。わかるだろ、君。野球だろうが、何だろう常に一番なんだよ。一番てっぺんが東大の指定席なんだ」
「……」
 白鳥は答えに窮した。
 郷田は未だに紙媒体である新聞を読んでいる。ならば真っ先に目を通すのは一面であり、関心を持たなければならないのは政治・経済・社会だろ。白鳥はその言葉を飲み込んだ。飲み込まなければ自分に未来はない。
「胸のすく思いだ。ざまぁみろクソッタレW、クソッタレK、クソッタレM、クソッタレH、クソッタレR」
「……」
 よくもまあ、一つ一つの大学にクソッタレを付けたものだ……いや違う、クソッタレは不味い。一国の首相が使ってはいけない言葉だ。郷田は思ったことを躊躇うことなくストレートに口に出す男だ。この男に付いて行って自分はこの国の総理大臣になれるのだろうか? 
 確かに郷田は、四十を前にした当選回数三回の自分を官房長官に抜擢してくれた。その恩に報いるのが自分の仕事だ。だが、郷田の視線は国民に向けられていない。いずれ郷田の正体は国民に知られることになる。
 白鳥は、郷田から贈られたフランス製のネクタイを緩めた。このネクタイを外遊に出かけた郷田が自腹で買ったとは思えない。土産のネクタイは派閥全員に贈られたものだ。それを締めなければ郷田の機嫌を損ねる。白鳥は時折、ネクタイが自分の首を強く締め付けているような感じがした。それは郷田のプレッシャーではなく、見えない国民の一人一人のとても弱い力の集まりがそうしているのかもしれない。そう思うと白鳥は少し怖くなった。
 こんなことをしていていいのか? 不安が白鳥の頭を過った。
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