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第二話

【15】

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***


 四角い街並みを、ぼんやりと歩いていた。同じような十字路が続いて、ずっとめぐっているような気がする。暗くなった世界は、目印も、道しるべも隠してしまう。遠い世界の喧騒と、華やかな灯りの欠片が煌々と夜を照らして、嗤っているようだった。
 リヴィは、最初から知っていたのだろうか。そうじゃないなら、一体いつから知って、どんな思いで共に旅を続けてきたのだろう。
 呆然とした足取りは、やけにのろまで重く感じられた。ずっと眩暈がしているような気持ち悪さが、胸の内をどろどろと壊していく。訊きたいことはたくさんあって、けれどそれらは怯えと恐怖に覆われ、罪悪感の濁流に呑まれていく。

 俯き歩く視界。横たわる小さな影を見つけた。その影が記憶の中の彼女と重なって、息が詰まった。
「……ッ!」
 ぐっとせりあがる吐き気をこらえ、何度か呼吸をして自分を落ち着かせた。
少し開けた四角い広場。駆け寄って、力なく横たわる細い身体を抱き上げる。彼は、昼間に見た獣人の少年だった。
「おい、しっかりしろ。どうした。」
 少年はウォーブラを弱弱しく見上げて、乾いた唇を動かした。
「ごめん、なさい。」
「な――――。」
 その、刹那。夜の冷気がわずかに震えた。キィン。夜空をつんざく、激しい金属音。
「よく止めた。」
 抑揚はあれども感情をそぎ落としたような硬い声だった。言葉とは相反して、無感動に冷たく見下ろす視線には、  淡白な殺意が確かに存在している。あと少し、気づくのが遅ければ首を掻き切られていた。
薙刀で受け止めた短剣には必要以上の力は込められていない。刃を止めた時点で、この一撃では殺せないと悟ったのだろう。だから、次の殺し方を見据えている。
「誰だ、てめぇ。」
 足元から這いよる冷気を踏み込めるように、足先に力を入れてウォーブラは低い声で訊ねた。つう、と首筋から汗が滑り落ちていく。
「こうして刃を向けている時点で、敵か味方かは明白だと思うが?」
 首を傾げるふりをする。言葉の抑揚に合わせた動作にも関わらず、ひどい違和感が拭えない。月を背に立つ青年の髪は、色さえそぎ落としたような白だった。コントラストの低い灰色の瞳は、ウォーブラさえも無彩色に映しているようだ。
「まあ、いい。お前を殺しに来た。それだけだ。」
 ひゅ、と細く風を切る音。予備動作のない、味気ない蹴りだ。ウォーブラは少年を抱えたまま飛びのく。青年のつま先が微かに下衣の裾に触れた感覚があった。見れば、引っかかったように僅かな穴が開いている。
「針……暗器かよ!」
 息つく暇もなく、今度は短剣が立て続けに投擲される。意識のない少年を背に、薙刀で順番に払い落とす。硬質な音と共に石畳に落ちた短剣の刃はぬらぬらと光っていた。
「昨日俺を狙ったのはアンタか。」
「あいにく、かわされたがな。」
 背後から響いた声。鋭利な刃先が、眼球に触れようとする。
「ッ⁉」
 身を捩り、すんでのところでかわす。地面についた手を軸に青年の手元をめがけて蹴り上げるも、彼は短剣を手放しながら最小限の動きで避けると、もう片方の手で宙に浮いた短剣を掴み態勢を崩した隙を狙って下ろした。
「チィッ!」
 なんとか腕に足を掛け、その切っ先を逸らす。起き上がりざまの勢いを使って、薙刀で丸ごと叩き払った。青年は叩き飛ばされたように見えたが、手ごたえがあまりにも軽い。打撃の寸前で飛びのき、威力を殺したらしい。
 カチ、と足元が鳴った。小さな魔鉱石がちかちかと明滅したのが数瞬前。不味い、と思った時には遅く、火花が散って足元が爆ぜる。咄嗟に腕を固めたが、大した威力ではない。これは目くらましだ。一体に黒い煙が立ちこめる。気配が消え、音が失せる。ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、と自分の脈動だけがやけにうるさく響いた。
どこから、来る。
(一体どこから、どうやって俺を殺しに来やがる!)

「ウォーブラ!」
 ウォーブラが薙刀を強く握りこんだ時、弦楽器を大きく震わせたような声が突き抜けた。
 咄嗟に手を伸ばす。肌が触れ、ぐいと抱き上げられる。瞬く間に、煙の外に連れ出された。刹那。ギィン、と鈍い音。リヴィとウォーブラの前に立ったのは、イオだ。
イオは力任せに青年を振り払い、追撃する。
「こんな街中に魔族なんてね! 」
 イオの猛攻が、青年を後退させながら追っていく。
「リヴィ、イオ!」
「聞いたよ、ウォーブラ。仲介所で変な奴に絡まれたってね!」
「すまない。遅くなった。」
 リヴィはウォーブラを地面におろした。
「助かった。……それより。」
 少年のことを思い出して振り返ると、そこにはアサヒがいる。彼女は少年の具合を確認していたようで、ややあって顔をあげると、笑みを浮かべた。
「こちらは任せてください。大丈夫。これなら私の手でどうにかできます。」
 それにリヴィとウォーブラは頷き、視線を交わす。
「ウォーブラ。」
「ああ、行くぜ! 相棒!」
 同時に地面を蹴り、距離を詰める。イオが青年の攻撃をかわし、退いた瞬間に薙刀で斬りこんだ。青年がそれを避けた先を狙って、リヴィが剣で薙いだ。
「分が悪い。」
 息をつき、倒れこむように力を抜いた青年。地面にぶつかるかどうかのところで、短剣を捨てて両手を軸に回し蹴り攻撃を弾くと、跳ね上がった。そのまま後方に二度三度と身体を返し、最後は一際大きく跳んで渡り廊下の屋根に駆け上がる。
「あんた、その耳!」
 頭部を覆っていた薄布が、はらりと風に乗って流れ落ちた。その下からピンと立ち上がったのは、純白の短毛に覆われた三角の耳だ。
「獣人なのか……?」
 青年はその問いに、獣人とも魔族とも答えず、くるりと背を向けた。
「おい!」
 一瞬振り向いて見下ろすが、すぐに視線を外して屋根を蹴る。機敏な動きで、あっという間にその姿は見えなくなった。夜風がその気配もろとも攫ってゆくようだった。


「ウォーブラ。」
 幾分か小さいウォーブラの肩に、リヴィが顔をうずめた。
「勝手に死んでくれるな。」
「俺ぁまだ死んでねぇよ。」
 リヴィの頭を、そっと撫でる。いつもはさらさらと流れるような黒髪はしっとりと濡れていて、首筋に張り付いている。あちこち走り回ってきたのだろう。
大きな背が微かに震えていた。
「……。」
 どう声を掛ければいいのか分からなかった。
 今までリリのことを言いだせなかったのは、恐れていたからだ。リリとよく似た怜悧な瞳に拒絶や恨みが浮かぶかもしれないと、そう考えるだけで、足元から全部崩れてしまいそうな気がしていた。けれど、リヴィは知っていた。
 何を言うのが正解か、分からなかった。
 星が瞬く間の、やけに長い沈黙。
「……リリは、孤独だった。」
 不意に、リヴィが言った。
「リリはずっと、嵐のような暗い世界にいた。それを変えたのが、ウォーブラ。お前だ。」
 リヴィは身体を起こして、真っすぐにウォーブラを見つめる。澄んだ浅瀬のような、青色の瞳。
 ウォーブラは、その瞳から目を逸らすことができなかった。
「蔑まれることを当たり前に受け入れ、そのうちに自分を狭く押し閉ざしてしまったリリは、同じように忌み嫌われても、自由に駆け回る君に強く憧れた。初めて自分から踏み出し、あきらめていた何もかもに気付き、君と共にいたいと望んだ。」
「けど俺は、リリを救えなかった。」
「救われたんだ!」
 リヴィが叫ぶ。
「何が、分かるんだよ! 」
 ウォーブラは声を荒げた。
 リリでもないのに、一体何が分かると、どうしてそう言い切れるのか。
 今までリヴィからリリの話を聞いたことも、リリからリヴィの話を聞いたこともない。
 もし、心の奥底まで知り得る仲だったなら、どうして一度もそんな話をしてくれなかったのだろう。どうして、リリはいつも寂しそうな横顔をしていて、苦しそうに笑っていたのだろう。それとも、二人にとって自分はただの他人というだけのことだったのか。そんな不毛な考えが、行き場もなく濁流のように荒れ狂った。
「俺は約束した。ずっと一緒にいるって。遠くへ、世界中好きな場所に行こうって、約束して……、……護れ、なかった。」
 彼女のたった一度だけの約束。大切な言葉。
 それを、自分の傲慢でめちゃくちゃにして、彼女の全てを奪ってしまった。
あったかもしれない明るい未来。彼女が望んでいた生き方。本当の言葉。そんな何もかもを踏みにじった。それは、リヴィの人生からリリを奪ったことに他ならない。

「……リリは、ウォンを愛している。」
 言葉が理解できず、ウォーブラは顔を上げた。リヴィは悲しげに笑んでいた。




「何もかも奪われて……それでも、ウォン。君はリリの希望であり続けた。どれだけ苦しくて、死んでしまいたいと思っても……リリは、君のことだけが、どうしても忘れられなかったんだ。」
その表情がリリの面影と重なって、ひどく胸を締め付ける。ぐっと喉の根元が軋んだ。そうだ。リリはよく、悲しそうに笑った。助けてと言うのを我慢するようにして、それから、今度は力を抜いて何もなかったように笑うのが癖だった。
 リヴィは一度目を閉じた。
「ウォーブラが、リリを覚えてくれていることが、とても嬉しい。」
ゆったりと開いた瞳に宿る色は、懇願でも悲哀でもない。静かな声と共に視線が上がり、張り詰めたウォーブラの赤い瞳をとらえる。
「ウォーブラ。俺を見て。」
 芯の通った、真っすぐな光。
「今、君の前にいるのは……いつも、君の隣にいるのは俺だ。」
 リヴィは洗練された動作で腰元の剣を引き抜いた。
「君にとって、俺は何? 領主の息子? ただ引け目を感じるだけの対象? 罪を償う相手? だとしたら……俺はもう、リヴィ=リリハルト・フォン・レンフォードじゃない。あの人の息子じゃない。家名は旅に出る時に捨てた。」
 その剣の柄に、特別な意匠はない。どこの武器屋でも買える量産品だ。
「ウォーブラ。俺は、君にとって一体何なんだ?」
「リヴィは……俺の隣にいて、俺の背中を守ってくれて……。」
「それで?」
「俺の、相棒だ。」
「ああ、そうだ。」
 リヴィは得意げに笑んだ。それは本当に微かな表情の変化でしかない。毎日見てきた、背中を預けて戦ってきたからこそ分かる差異だ。
「俺はウォーブラの傍にいる。明日も、その先も。ずっとだ。」
 リヴィは大きな手で包んで、安心させるようにそっと力を込めた。
「俺と行こう。ウォーブラ。世界中、君の好きな場所に。」
「お前、ずりぃぞ。んな事……言いやがって……。」
 ボロボロと溢れだした胸の内を、ウォーブラは両手でごしごしと拭った。次から次へと零れて、止まらない。リヴィの胸元に額をぶつけると、彼は何も言わずに受け入れ、そっとウォーブラの頭を撫でた。

それからしばらく、ウォーブラが落ち着くまでリヴィは何も言わず、ただ静かにウォーブラの傍にいた。

「ウォーブラ。ひとつ、訊いてもいいか。」
 リヴィの言葉に、ウォーブラは頷いた。
「……君は、リリを愛していたか。」
 ウォーブラは涙を拭いて、リヴィを真っすぐに見上げた。
「ああ、愛してる。」
 リヴィの瞳が、驚いたように目を見開き、そして緩やかに細くなった。
「そうか。」
いつも引き結んでいる一文字の口元が、へにゃりと綻ぶ。
 それは、5年の旅路の中で、初めて見た彼の破顔だった。



――ウォン、いつか一緒に、遠くへ行こう。

 どこからも逃げ出して。自由な場所に。
初めて交わした、たったひとつの約束。

――ああ。行こうぜ。世界中、好きな場所に。

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