こと切れるまでの物語

寺谷まさとみ

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第四話

【26】

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【26】

 枯れた果実が、ぼんやりとした夜に柔らかく光っている。それらは軒先や柵に蔓で結ばれ、夜を照らす灯りとして使われているようだった。
「もう一杯!」
「お、姉ちゃんいけるクチだね。ならこっちの酒はどうだい。俺のおすすめだ。」
 豪快にジョッキをあおるイオを遠目に眺めながら、ウォーブラは酒を飲み下した。さらりと広がる香りは、リィンのしっとりとした空気を冷涼に流すような爽やかさがある。喉を抜ける辛みも、今の気分には心地よかった。
「良い飲みっぷりだ! ならこっちはどうだ?」
「あはは! 美味しいねぇ。」
 ウォーブラ達のいる酒場は、街の中央広場ともいえる樹をぐるりと囲むように連なっていて、その印象もウォーブラが今までに見てきた街のどれとも異なっていた。
 第一に、天井がない。厨房だけは風雨に曝されないように屋根壁に囲まれているが、店というよりは屋台と言った印象で、こぢんまりとしたものだ。飲食をする席は、木組みの床に茣蓙を適当に敷いて、線引きすることもなく雑多に飲み明かすらしい。テーブルなどもなく、提供される食事の器にはどれも脚がついているから、直置きすることが前提になっているのだろう。
「お食事、持ってきましたよ。」
「おう、あんがとな。」
 アサヒが差し出した器を受け取り。輪の中央に置く。ちらと彼女を見やると、外套の裾を踏まないように整えながら座るところで、その胸元では小さな赤い石が揺れていた。
「ここは酒豪が多いそうですね。仲介所で食事処が併設されていないのも、そういう理由だそうです。」
リィンの仲介所に併設されているのは冒険者用の宿と道具屋だけだ。昼間、街で見かけた食事処の多くが、こうして晩に酒を提供している。
「イオさん、楽しそうですね。」
見ず知らずの酒豪たちと飲むイオを見ながら、アサヒは微笑ましそうに笑った。
「飲み友達ができたって、昨日喜んでたぜ。」
 酒のあてを頬張って、ウォーブラも笑った。新鮮な魚は、艶やかな張りのある「たたき」だ。いい脂がのった肉の 表面を彩るのは丁寧にあぶられた香ばしさで、それに、薬味をたっぷりと乗せて、最後にぱらぱらと塩を添えて、食む。 
 こういう土地の魚は淡白なものと先入観を持っていたが、ここの魚の味は薬味の強さに負けない、あるいはそれ以上の旨味が確かにある。そして一番驚いたのは、魚の臭みがまるで感じられないことだった。それが食べ方や調理の仕方なのか、それとも鮮度なのか、料理に疎いウォーブラには見当がつかなかったが、とにかく美味い。
 炙りの香ばしさと合わせて薬味が魚の旨味をさらに引き上げ、気が付けばあっという間に一皿なくなってしまった。
「おいしいですね。」
 柔和に微笑むアサヒも、いつの間にか平らげていた。アサヒは見た目の細さと緩やかな食べ方からは想像もつかないが、ウォーブラが思うよりも随分食べる。美味しいものに目がない、というのも最近分かったことで、食べながら味を分析して確かめているような様子は今までも度々見られた。
「アサヒは混ざらなくていいのかよ。」
「ご冗談を。」
 アサヒは軽く笑って、小さなグラスを傾けた。
「昨日もその酒飲んでたな。うまいのか?」
「味見しますか。」
「んや。あとで注文するわ。」
 何の気なしに差し出されたグラスを遠慮して、ウォーブラは視線をずらした。不意に目が合ったリヴィは、小さく首を傾げた。手元のさらに盛られたつまみは、やはりあまり減っていない。
「はは。」
「何だ。」
「いや、どこに行ってもリヴィはリヴィだな、と思ってよ。こっちの皿と交換しようぜ。こういうやつ苦手だろ。」
「……ああ。」
 リヴィは僅かに目元を緩めて、果実の皿を受け取った。
「すんません、ここ、空いてますか?」
 かけられた声に振り向くと、派手な柄の布を頭部に巻いた青年が立っていた。片手にグラス、もう片方に皿を携えている。歯を見せてにっと笑う表情には親しみを感じる元気さがある。
「ちょっとあっち騒がしくって。かといって、裏で寂しく独り酒ってのも……。良かったらご一緒させてもらえないっすかね。」
「おう、座れや。」
 適当に茣蓙を引っ張ってきて席を進めると彼はお礼を言ってアサヒとウォーブラの間に座り、食事を適当に置いた。
「リィンは温かいっすね。気候じゃなくて、人が。開いてる感じっす。」
「ああ、俺も思うよ。」
「あ、おれスノウって言います。おにーさんたちは?」
 スノウが差し出したグラスに、こちらもグラスを差し出して縁をあてる。軽い音を立てて澄んだお酒が波紋を立てた。
「俺はウォーブラ。あっちの黒いのが相棒のリヴィで、そっちのフード被ってんのがアサヒ。」
「へぇ、アサヒってことは、織国の出身っすか? 里帰り?」
「いえ、出身は青海地方で。織国は行ったことがないんです。」
「ああ、じゃあ親がそっち出身だったとか、そういうことっすか。」
 納得したようにうなずいて、スノウは魚をつまんだ。彼の纏う雰囲気は、派手柄の布よりもずっと、周囲になじむようだ。
「おれのツレがね、織国の出身らしいんすけど。いかんせん感情の起伏が見えないやつで。里が近づいてるのに、嬉しいのか、どうなのか。」 
「へぇ。」
 リヴィみたいなやつがほかにもいたもんだ、とウォーブラは話半ばに酒を飲んだ。リヴィは感情がないわけじゃないが、見えにくい。感情をそのまま口にするイオと比べれば、表現に乏しく、そのせいで機微がないように見えてしまう。
「織国は観光客にとっていいとこっすよ。飯は美味いし、美女は沢山だし。ただ、遊んだ分だけ金はかかるんで気を付けてくださいね。」
 ケラケラとスノウは笑い声をあげて、一気にグラスを仰いだ。彼が飲んだ青色の酒は、確かリィンの酒場でもっとも辛口で、度数の高いもののはずだ。初日にものは試しと飲んでみたが、一口で咽せて喉が焼けるようだった。あれはおよそ人の飲み物じゃない。
「お前、それ……。」
「ん? ああ、美味しいっすよね。お酒も、ご飯も。」
 スノウは咽るどころか、にぱっと輝かしい笑みを浮かべて空になったグラスを持ち上げた。
「アサヒさんは何食べてるんですか?」
 スノウがぐいと身を寄せて、アサヒの手元を覗き込んだ。
「これは根菜のサラダです。たたきにも使われていた薬味の若いものを千切りにして、ソースと和えたものだそうですよ。」
「美味しそうっすね。一口くださいよ。」
 ぱっと見上げたスノウに対し、アサヒは少し身を引いてフードを下げた。危うく顔をみられそうになったのだろう。
「あれ、アサヒさん……。」
 その声色に、ウォーブラも思わずドキリと心臓が鳴った。まさか見られたんじゃないだろうな、女とばれたんじゃ、などと、一瞬にして嫌な想像がいくつも駆け巡る。
「すっげぇ肌綺麗っすね! 良い匂いもするし。」
「え、ああ……ありがとうございます。」
「あれ、アサヒさんの髪って……。」
 瞬間、アサヒは ばっと身を引いて、フードを深く被りなおした。スノウに次の言葉を与えないうちに立ち上がり、硬い声で遮った。
「すみません。酔いが回ってきたようなので、少し静かな場所で風に当たってきます。」
「おい、アサヒ!」
 足早に立ち去ったアサヒを見て、スノウはきょとんとした表情で振り向いた。
「すんません、なんか、おれ悪いことしちゃいました……?」
「まぁ、気にすんな。」
 かといって、酔ったアサヒを独りにするのも少し心配だ。ウォーブラが立ち上がった時、広場で大声が響いた。
「何だいやろうってのかい? 女だからってなめんじゃないよ!」
見れば、イオが今にも取っ組み合いを始めそうな様子で男と対峙している。周りの男どもは、宴の華だとでもいうように「いいぞ! やっちまえ!」とあおるばかりで、止めようとする人間は誰一人いない。一体どんな流れでそうなったのかは分からないが……。
「……リヴィ。」
 頭を抱えて、ウォーブラは息をついた。リヴィは何も言わずに立ち上がり、イオの元へ向かう。ウォーブラもまた、遅れて駆け寄る。男二人で羽交い絞めにしないと、イオは止められない。普段は口うるさく人の心配をするくせに、酒が入るとこうだ。
「ったく、世話がかかるのはお互いサマってな。」

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