こと切れるまでの物語

寺谷まさとみ

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第三話

【18】by Asahi

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【18】by Asahi

 温かい。
「アサヒ!」
「ん……。」
 意識が引き戻され、視界がゆったりと開けていく。
「ウォーブラ……?」
 目の前のウォーブラとミオレはお互いに目を合わせ、安心したように私を見た。私はウォーブラの腕の中にいた。
「良かった。気が付いたのね。」
「ここは……。」
 身体を起こしながら見回すと、白い空間にいた。手に触れるのはつるりとした硬質な床で、精緻な紋様が刻まれた壁のどこにも照明器具は見当たらない。部屋全体が淡く発光しているようだった。室内にはぽっかりと口を開けた扉がひとつあるだけだ。
「魔導時代の遺跡、ですか。」
 立ち上がって見まわす。壁の紋様と開いた扉以外、目立った要素はない。まるで四角い箱の中にいるようだった。
「アサヒ……。」
 鈴の音のような声は、小さく震えていた。私は振り向く。こんな訳の分からない場所にいきなり放り出されて、きっと不安なのだろう。
「あなたって、すっごく美形なのね!」
「へ? ……あ。」
 おそらく、転移する時に外套の紐がほどけてしまったのだろう。見回しても、私の外套は落ちていない。身体が妙に軽いと思ったら、そういうことか。
「ねぇどうしてそんなに綺麗な顔立ちをしているのに隠していたの? もしかして、髪の色が明るいからかしら。とても美しいのにもったいないわ。」
 慣れない言葉に、フードをかぶりなおそうとして、手が宙を泳ぐ。そうだ。今ここに外套はない。
「まぁ照れているの? 意外に可愛いところもあるのね。」
「可愛いとは……。」
 可愛いと言われるのも妙な気分だ。
 ミオレはこの状況にも関わらず、いつもと同じように明るく話している。気丈に振舞っているだけなのか、怖いもの知らずなのか……なんにせよ、その明るさは今とてもありがたいものだった。
私は部屋の中央の床に触れ、静かに目を閉じる。冷たくつるりとしているだけで、何も反応はない。もしかしたら戻れるかもしれない、と思ったものの見当はずれだったらしい。
「一方通行か。」
「ありゃ転移魔法陣ってやつか?」
 ウォーブラが、何もない床を靴底で叩いた。私は頷く。

 魔導時代の遺物のひとつに、転移魔法陣という仕掛けがある。
「転移魔法陣の仕掛けは二種類。『一方通行』と『双方向』です。」
どういう原理で成り立っているのか解明はされていないが、古代に存在した魔導技術を使っているらしい。魔導技術を使用した遺物の多くは、魔素と呼ばれる物質を利用して駆動する。
魔素は、微量だが私たちの身体にも流れている。転移魔法陣が起動したのも、ミオレがあの石碑に触れたからだろう。
「ウォーブラ、遺跡に潜った経験はありますか?」
「ちょっとしたもんなら、数回。うちにゃ斥候がいなかったから、散々調べ尽くされた安全なところだったな。」
「……では、ミオレさんを守りながら戦うことはできますか。」
「数が多くなけりゃ大丈夫だ。ただ、できるだけ広い空間の方がありがてぇ。俺は長物だからな。」
 ウォーブラは薙刀を器用に旋回させる。この部屋はそれなりに広いとはいえ、薙刀の長さを存分に生かせるほどじゃない。
「分かりました。では、僕に先頭を任せていただけますか?」
 ウォーブラは頷いた。
「では、進みましょう。」

 長い廊下を進んでしばらく、たどり着いたのは広く天井の高い空間だった。部屋と呼ぶには、あまりに大きいだろうか。大きい教会の聖堂、あるいは邸宅のホールくらいの広さがある。
入口を囲むように、三面の斜面が登っていて、その先にもおそらく空間があるのだろう。区切るように、等間隔に柵のようなものが立ち並んでいるのがみえるが、随分古びているようだ。
 ミオレが小さく悲鳴を上げた理由は、すぐに分かった。白骨化した古い死体がいくつか転がっていたからだ。
 ロープの先にナイフをくくって、斜面の先に立つ柵にめがけて投げた。いいように巻き付いたのを確認して、先に上がる。登り切った先にあったのは、両脇にふたつの扉と、中央にひとつ、巨大な扉があった。
「とても大きな扉だわ。こんなの人の手じゃ開けられないわ。」
 ウォーブラと登ってきたミオレが、興味深そうに大きな扉へ近づく。
「ミオレさん、勝手に近づいては…!」
 大きな扉の紋様がふわりと光った。地響きのような音と共に重厚な石扉が滑り開いていく。
(瘴気!)
 ミオレに駆け寄って、吹き出た瘴気から彼女を守るように抱きしめた。
「アサヒ!」
「下がっていてください! 瘴気です!」
 ややあって、扉が開き切り、瘴気は拡散して消えていく。その先は、最初にいた四角い部屋よりももっと広い空間で、中央には淡く光る魔法陣が描かれていた。中に魔物の姿は、ない。
「あれ、外に出られるんじゃないかしら?」
「最初に見たやつと似てるな。」
 後から駆け寄ってきたウォーブラが覗き込んだ。
「ねぇ、行きましょう。わたし、早く帰りたいもの。」
 その言葉に、私はすぐに頷けなかった。何か嫌な気配がする。
「やめといた方が良さそうだぜ。」
 にぃ、と口端を上げて笑ったのは、ウォーブラだ。その視線の先を追うと、部屋の隅に折り重なる何かが見える。錆びた剣。ぼろきれ。そして、干からびた遺体。
 私はミオレの視線を遮った。冒険者ならまだしも、彼女はただの旅人だ。こういうものは、あまり見ない方が良いだろう。
「最初の部屋の次にある、大々的に勝手に開く扉。真ん中に分かりやすくある転移魔法陣ってな。まるで入ってほしいって言われてるみてぇな仕掛けだぜ。」
 ウォーブラは振り返り、つるりと光る斜面を覗き見た。
「壊れてるけどよ、柵の間には有刺鉄線の跡がある。外敵を拒むみたいに、な。それに、下からはここに扉があるのも見えねぇ。」
 ウォーブラの瞳が爛々と光って、嗤う。
「となりゃ、外から来た奴らは、中にいたやつらがどの扉から来たなんてわかりゃしねぇってことだろ? 登り切った先で、入口と同じような魔法陣がありゃ、飛び込むやつも少なくはねぇだろうよ。」
 つまり、罠というわけか。
「……ま、憶測だけどな。」
「他の道を行きましょう。」

 それから別の扉を進んだのは、どうやら正解だったらしい。
 しばらく探索を続けると、その先に居住空間の名残がある場所へたどり着いた。食堂のような場所と、立ち並んだ個室の数を見る限り、集団で生活していたのだろう。
「きゃっ。」
「大丈夫か。」
 瓦礫に躓いたミオレの身体を、ウォーブラが抱き留めた。彼女の表情には疲労が色濃くみられる。遺跡に入ったのが昼過ぎだとすると、もう夜になっていてもおかしくないだろう。
「今日はここで休みましょう。」
「大丈夫。わたしまだ歩けるもの。」
 私の提案に、ミオレは首を振った。
「ミオレ、自分の足で帰りたいだろ?」
 ウォーブラは自分の三つ編みを拾って肩にかけると、視線をミオレの視線に高さを合わせるようにしゃがんだ。
「俺たち冒険者は、歩けるうちに休む。いつ何が起こるか分かんねぇから、動けなくなってから休むんじゃ遅いんだ。それは分かるな?」
「ええ……けれど。」
「不安だよな。」
 ミオレは頷く。
 ウォーブラはミオレの頭を撫でながら、安心させるような声でゆっくりと話した。
「ミオレ。お前がめちゃくちゃ頑張ってんのは、俺もアサヒも知ってんだ。眠れないなら目を瞑るだけでいい。不安なら泣いちまえ。口にしたって受けとめてやるよ。そんで、俺たちが必ずオリオのとこに戻してやる。俺の言葉が信じらんねぇなら、せめて前を見るんだ。お前は、オリオのところに帰る。それだけ考えてりゃいい。面倒なことも怖いことも、俺がやってやる。だから、生きることだけ見てろ。」
 力強い言葉は、ウォーブラの口から当たり前のように紡がれたものだ。そんな言葉、私じゃ口にできない。必ず、なんて言いきれない。約束を守れる保証もなければ、責任だって持てはしない。

 私は敷物に使えそうなものを見繕ってきて、床に簡素な寝床をつくった。周囲に魔物などの気配はないと確かめたものの、それでも扉が一つしかない個室に留まるのは避けたかったからだ。

 それからミオレはウォーブラの上着を抱きしめるようにして、すぐに寝落ちたようだった。その目尻から伝い落ちた一滴を拭う。
 私が想像するよりずっと、彼女は恐怖と戦っているのだろう。明るく気丈に振舞ってはいるものの、こうして眠る彼女は、ただの少女だ。オリオも心配しているだろう、と思う。
「ウォーブラ、先に休んでください。疲れたでしょう。」
 彼は黙ったまま私を少しの間見つめると、片手を軽く上げて手招きをした。
「?」
「いいから。」
 怪訝に思いながらしずしずと近寄ると、ぽん、と頭にウォーブラの手の平が乗った。ぽん、ぽん、ぽん、と柔らかく頭を触られ、私は彼を伺い見る。
「お疲れさん。」
「こんな時に、いったい何を。」
「こんな時だから、だよ。護衛対象連れて初めての場所を探るのには神経も体力も使うだろ。」
 ミオレが寝てからわざわざ言うのは、彼女に罪悪感を抱かせないようにするための、ウォーブラなりの気遣いなのだろうか。
「アサヒ。俺もいるからな。気張りすぎんなよ。」
「僕は別に――。」
 言いかけて口を閉ざしたのは、思わず声が震えてしまったからだ。彼の言葉が、じんと奥底に染み入るように広がっていく。その手はとても温かい。
「……不意にやさしく、しないでくださいよ。」
 彼の温度が、私の不安を溶かしていくような心地だった。そして同時に、気づいてしまう。自分の手が震えていることも。肩がどれほど強張っているかも。
 私が失敗すれば二人を殺してしまう。間違えれば二度と戻れないかもしれない。自分一人なら、怖くても、それだけで済む。むざむざ殺されるなんてごめんだが、もし、万一に死ぬことになっても、たった独り。なんてことないことで……。
 けれどウォーブラにもミオレにも、帰りを待つ人がいる。いなくなったら、酷く悲しむ人がいる。その未来も、私は背負っているのだと。あえて見過ごしていた不安と重圧が目の前に垂れこめて、私は自分の肩を抱いた。
疲れている。そうだ、私は疲れている。だから、こんな風に不安定な気持ちで、目の前の温かさに縋ってしまいそうになる。少し休んだら、きっといつも通りの私に戻れる。だから、だから大丈――。
「ああ、もうしゃーねぇな!」
 半ば叫ぶように、ウォーブラが私の腕を引いた。
「!」
 すっぽりと、私は彼の腕の中におさまってしまった。一瞬、何がどうなっているのか分からずにいた。見上げると、少しばかり照れたように口元を引き結んで、ウォーブラは視線を逸らした。
「落ち着くまでこうしててやっから、しばらく力抜けよ。ったく、肩に力入りすぎなんだよ。何でも抱え込みやがって。」
 とん、とん、とん……。ウォーブラの温かい手の平が、私の背中を優しく宥めた。触れるたびに、少しずつ身体が温かくほどけていく。彼の心臓が動く音に耳を預け、ゆるやかな呼吸につられて息をする。
「ウォーブラ。」
 私は彼の胸に顔をうずめたまま、その名前を呼んだ。
「何でい。」
 少しぶっきらぼうな声が、ツンと返事をする。
「ちょっとだけ、お任せしても構いませんか?」
「……ああ、安心して寝ろよ。ちゃんと傍にいてやっから。」
 上からの物言いに、どこか安心感を覚えて、私はゆったりを瞼をおろした。
 何の準備もなく、突然こんな遺跡に放り出されて迎えた夜。けれど、この腕には確かな安息が存在している。
(ああ、そうか。)
 ふわりと、どこか浮いた思考の中でもうひとつ、私は理解した。
(私が求めていたのは、こんなことだったんだ。)

 彼の鼓動を聞いて、私の意識は解けた。

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