こと切れるまでの物語

寺谷まさとみ

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第三話

【16】

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第三話
【16】

 この街では、水路を歩くといくつも水門を見かける。深い水路。それを遮る水門。雨が降ればそれらも、今自分たちが歩いている場所も水に沈んでしまうらしい。その光景を見られなかったのは、少し名残惜しくもあった。もし、その光景を見るなら3か月ほど滞在しなければならない。何もなければ、そういうこともいいのだろう、とリヴィは思う。だが、状況はそうもいかない。ウォーブラの命が狙われた以上、長く滞在するわけにもいかなかった。
「結局あの白いヤツの素性も、ウォーブラを狙った目的も分からない、か。」
 隣を歩くイオが、ため息交じりに言った。
 白い青年と剣を交えた夜から三日が経ち、今はこうして次の依頼人との待ち合わせ場所に向かっている。
「ウォーブラに絡んできたっていう、ギルダンが雇ったとか? リヴィはどう思う?」
「分からない。……だが、許さない。」
 感情を押しとどめるように、静かに口にした。ウォーブラを殺そうとしたあの青年も、ウォーブラに心ない言葉を投げたギルダンも。

 それを止められなかった、自分も。

 不意に、肩を軽く叩かれた。イオの手だ。
「あんまり気負うんじゃないよ。あんた普段冷静なくせに、ウォーブラのことになると前が見えなくなるんだからさ。」
「……ああ。」
 頭に血が上っていたのを諭され、リヴィは頭を振った。これでは守れるものも守れなくなってしまう。視線を下げて、意図的に深く呼吸した。
「大丈夫だ。落ち着いた。」
「そうかい、ならよかった。」
 イオは歯を見せて明るく笑い、容赦なく背中を叩いた。こういう時、彼女の前向きな気遣いに救われる。
「ねぇ、アサヒ。あんたはあの耳飾り、良かったのかい?」
 問いかけに、前方を歩いていたアサヒが足を止め振り返った。イオが訊ねたのは、拾った獣人の少年に手渡した耳飾りのことだ。
 目覚めた少年に、ウォーブラを殺そうとした無感情な青年のことを訊ねたものの、結局のところ何も分からずじまいだった。
 少年は、無感情な青年に声を掛けられ、金銭を対価に仕事――ウォーブラの注意を引きつけること――を請け負ったらしい。そこまで話したところで、少年は息を詰まらせながら震え始めた。
 真夜中の仕事をすっぽかしたから、今日どんな仕打ちを受けるか分からない、死にたくないと怯える少年を前に、アサヒは自分の荷物の中から上品な小箱をひとつ取り出すと、書状をしたためて少年に渡した。
その小箱には、かなりの値打ちと分かる繊細華美な耳飾りがおさめられていた。

――これは僕から、あなたへの依頼です。ここに書いてある名前のお店を探して、この書状と小箱を届けていただけませんか? これを渡せば、代わりにお金が渡されるはずです。それはあなたがそのままもらってください。代わりに、ひとつ約束してください。あなたは通りすがりの知らない人にこの仕事を頼まれた。名前はおろか、顔も分からない。ただ、渡すように頼まれた。いいですね?

 そんな風に、柔らかく笑いかけて。
「いいのかい? 今頃どっかでちょろまかしてるかもよ?」
「構いませんよ。僕が紹介した店は確かな査定をしてくれるところです。下手なところに持ち込めばそれだけ安く買いたたかれて得られる報酬は下がる。損をするのはあの少年です。」
「それだけじゃないだろう? あんな綺麗な……誰かに贈るものだったんじゃないのかい?」
「いえ……。元々、僕には不要なものですから、いつか手放そうと思っていたんです。ただ、きっかけがなかっただけで。だから都合が良かったんですよ。」
 フードに隠れたアサヒの表情は窺えない。春の日陰を凪ぐ風のような声が、淡々と事実を告げているだけのようにも聞こえる。
「お、見えたぜ。」
 先頭を歩いていたウォーブラが指差したのは、一際大きな水門が象徴的な街の検問所だ。この水門は三十年前の新しい水門建設に伴って、その役目を終えたものらしい。
 大水門の傍らに立っているのは、旅装束に身を包んだ少女と、若い青年だった。
「あれか?」
 ウォーブラの疑問はもっともだ、とリヴィも依頼人と思しき二人組を注視した。
 今回の依頼は、水国と織国の国境の街リィンまでの護衛だ。旅をする若者がいないわけではないが、あまり資金のない旅人がわざわざ冒険者に依頼を出すことはほとんどない。大体は街道を走る護衛付きの馬車に、金銭を支払って、街道を進むのが常だ。
「初めまして! あなた達が今回護衛をしてくれる方々ね。わたしはミオレ。」
 ミオレと名乗る少女がぱっと顔を輝かせて、跳ねるように駆け寄ってきた。歳の頃は十四、十五くらいだろうか。
「ねぇ、赤い髪のあなた。隻眼なのね。その髪飾りはガラス玉? とっても綺麗。」
 よろしくね、とウォーブラの手を握って上下したかと思うと、ミオレは返答を待たずアサヒの手をとる。
「あなたはお顔を隠しているの? 恥ずかしがり屋さんかしら。そのうちあなたの目を見てお話したいわ。」
華やかで可憐な笑顔が、こちらに向いた。嫌な予感がする。リヴィがそう思ったのもつかの間、ミオレはリヴィの手を取って激しく振った。
「あなたは竜族? とぉっても背が高いのね! でも翼がないわ? いつか生えてくるの?」
「いや、もう生えない。」
 引き気味に答えると、少女は大きく眉を上げて驚いたようだった。明るい桃色の瞳が、さらに丸くなる。
「まぁ、そうなの。そんな方もいるのね! それにしても素敵な声だわ。ねぇ、あなた歌は歌わないの? きっと素敵だわ。」
「こら、ミオレ。冒険者の方々が困っているじゃないか。ごめんなさい。妹がご迷惑を。」
 遅れて追いかけてきた青年が謝ると、ミオレは「ごめんなさい。つい興奮してしまって。」と並んで謝った。
「いいよいいよ。元気で何よりさ。あたしはイオ。よろしくね。」
イオが兄妹に笑いかけて、順に紹介していった。
「ボクはオリオ。妹のミオレと一緒に旅をしています。」
 オリオは丁寧にお辞儀をすると、はにかむように笑った。その表情を素朴に彩っているそばかすが印象的で、少し気弱そうな雰囲気を纏っている。
「ウォーブラさん、リヴィさん、イオさん、アサヒさん。よろしくお願いね!」
 ミオレは髪を揺らして、明るく笑った。



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