こと切れるまでの物語

寺谷まさとみ

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第二話

【11】

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【11】

 彼女は縋るように俺を見る。眼前に迫る「死」への恐怖以外に、何があっただろう。
 棒切れのような細い手が、俺を求めて伸びてきた。血だらけの手を取って、必死に言う。大丈夫。俺がいる。ずっと一緒だ。きっと彼女は、それが嘘だと分かっていた。
 俺はどんどん冷たくなるその手を少しでも温めようと必死に握った。
――ごめん、ね。
 彼女はかすれた声でいう。違う。謝るのは俺だ。取り返しのつかないことをしたのは、俺の方だ。救えると思っていた。俺なら助けられると驕っていた。だって、見えていたから。
 、救えなかった。

***

「!」
跳ねるように飛び起きて、激しい脈動と共にウォーブラは息を短く切った。熱い身体の奥で、冷たい錘がことりと倒れたような寒気に、汗が一筋落ちる。うまく息が吸えない。視界が明滅する。寒くて、暑くて。気持ちが悪い。
「はっ、はっ、は、……は、」
 死んでしまいそうな気がした。意識が遠のき、ぐるぐる湾曲する感覚が内臓をゆらしている。
うずくまるように胸元を押さえていると、不意に背中を大きな手が撫でた。温かなその手は、ウォーブラが良く知っているものだ。
「大丈夫だ。ゆっくり。俺に合わせて、」
 無くなってしまいそうな身体を、促されるまま全て預けて、必死に呼吸に合わせる。
 リヴィがもう片方の手で、ウォーブラの手を包む。恐怖に思考を持っていかれないように、握られた温度だけを追う。
「そうだ。俺の声だけ聞いて。大丈夫。俺がいる。」
 弦楽器を穏やかに奏でたような、落ち着いた響きの声。
「は、……は、…は、あ……。」
「ウォーブラ。分かるか。」
 やがて緩やかな呼吸を取り戻すと、徐々に思考も明瞭になってきた。
 差し込む朝の光に横顔を照らされたリヴィが、安堵を見せた。
「良かった。」
「悪ぃ。俺……。」
 何か言わなければと焦りから口を開く。何を言うのが正解かわからず、唇が無駄に震えただけだった。喉元に詰まった感情は、言い訳のような懺悔と、深い怒りのような悲しみと、苦しみにあえぐような懇願だ。
「ウォーブラ。少し楽にしていろ。水を持ってくる。」
「あんがと……。」
 軽々と持ち上げられ、寝台にそっと下ろされる。支えられながら横になり、鉛のように思い腕で顔を覆った。リヴィの足音が離れ、引き戸の開閉音が耳に届く。そのうちに、階段をくだる足音が消えていった。


***


「へぇ、そいじゃ沙国での大規模討伐は失敗したのかよ。」
 食卓のパンを食いちぎって、ウォーブラは目を丸くした。
 国は違えども、仲介所の雰囲気はどこもそう変わらない。雑然としたまとまらない室内の中で、依頼を眺める者もいれば、夜分の仕事から帰ってきて酒を酌み交わす者もいる。冒険者がそれぞれのことをしているここは、いつも酒と煙草と食事の匂いがする。
「結果を見れば、失敗だろうねぇ。」
 答えたのはイオだ。長い前髪を煩わしそうに指ですくって耳にかけると、鼻筋を斜めに裂いたような傷跡が露わになった。
「最終的に、待機していた騎士団と荒稼ぎに来ていた冒険者が対処して事態は収束。行方不明者死亡者者は過去最大。魔狩協会の面目は丸つぶれさ。」
 コツ、コツ。指先でテーブルを小さく叩く。
「これで協会もちったぁ静かになるかね。」
「いやならないだろうね。」
 ウォーブラの言葉に、イオは首を横に振った。
「むしろ、冒険者を見下してる一部の魔狩は取り戻そうと躍起になるだろうさ。」
「そりゃ大変そうだな。色々と。」
 魔狩と冒険者は、基本的に折り合いが悪い。とはいっても、魔狩協会が一方的に冒険者を嫌煙している、という節が強い。
 魔狩と冒険者の違いは、その組織形態だ。魔狩は魔狩協会に属し、協会の規則と指示に従って動く魔物討伐のスペシャリストだ。所属する者は一様に筆記・実技を含めた試験を突破した実力者で、それぞれ実力に応じたランクが与えられる。実力のある冒険者が、魔狩に転向することも少なくない。仕事が選べない分、実力に見合った報酬が安定して得られるというのは大きな利点だ。
 一方で、冒険者はそういった組織がない。先人の冒険者やその家族が作った小さな「組合」が細く緩やかに繋がっているだけ。生活の保障もなければ、受ける仕事の制限もない。その分、報酬がほぼそのまま懐に入るのは、冒険者の強みだ。だからこそ一攫千金を目指す者も少なくない。
 そういう理由があってか、冒険者はならず者で横暴という印象を持っている魔狩も多い。冒険者たちもまた、魔狩をお高くとまっていて融通の利かない集団ととらえている節がある。
「んで、今日はどうするよ。」
 そう言って、硬い肉を頬張った。
「ふおいはぇふ、ぶっひのひゃいひゃひにゃふるひゃお」
「飲み込んでから言いな。」イオが遮る。
「物資の買い足しはするだろ。」
 そりゃね、とイオ。次いで口を開いたのは、アサヒだった。
「合わせて情報収集もしたいところですね。出立前に水留地方の情勢を把握しておきたいです。」
 冷静な意見を聞きながら最後の肉の塊を口に放り込み、スープで一気に流し込んだ。
「ウォーブラ、もう少し落ち着いて食いなよ。」
「てめーは俺の母ちゃんか。」
「少しはリヴィを見習いなよ。」
 隣のリヴィは、ナイフとフォークを器用に使って食事をしている。細かく切り分け、上品に食べている所作は、マナーの分からないウォーブラから見れば不思議なものだ。
「俺は食べられるときに食う派なんだよ。」
「あんたたち、同郷なんだろう?」
「同郷っつったってよ。リヴィは元々領主様に仕える騎士の生まれだぜ?」
「リヴィもなんか言ってやんなよ。」
 イオの言葉に、リヴィは食事の手を止め、ウォーブラを見やった。おもむろにナプキンを手にすると、そっとウォーブラの口元を拭う。「汚れていた。」一言いうと、食事を再開した。
「もうあんたら結婚しなよ。」
「俺は男色家じゃねぇよ。」
ウォーブラが苦笑で返すと、リヴィが真顔で「それもいいかもな。」と言った。
 
沈黙。

「冗談だ。」
 表情を変えないまま、冗談であることを明かしてリヴィは静かにグラスを口に運んだ。
「冗談に聞こえねぇよ。」
 引きつるウォーブラ。それを横目に、イオが思い出したように両手を叩きあわせた。
「そういえば、第三の神子様またご懐妊されたって。」
「知ってる。どこもかしこもその話題で持ちきりだ。耳をふさいだって入ってくら。」
 宝石のような美しい種から誕生する、瘴気に侵されない稀有な存在。正式には神珠族、通称神子様だ。その呼び名のように、どこの国でも神の象徴のように扱われている。
「第一の神子アリス様、かの英雄王に倣うように白樹化を止め国を救ったジン様。そして、皇国の王子と婚姻なさって、今や皇国の母となった第三の神子ミルフィリア様。どの方もみんな美しいそうじゃないか。あたしも、一回くらいはお目にかかってみたいもんだね。」
 ヴィオはうっとりと目を細めた。
「じゃあ次は皇国に行くか?」
「あそこは無理だよ。冒険者嫌いの国だからね。」
 残念そうに息をつく。が、すぐにぱっと顔を上げて、高い声を上げた。
「あたしたちがいるのは水留地方の水国。そして隣は水留地方一の観光地織国!ねぇ、次は織国に行こうよ。ユウメの温泉ってのに一回入ってみたいんだよ。あたし。」
「本当のところは?」
「良い男とうまい酒が飲みたい!」
 言い切った。イオは立ち上がって拳を握ると、ずいと前のめりに身を乗り出した。
「世界唯一にして最大の観光歓楽温泉街ユウメ! 怪我や病気の療養だけでなく、美容にも良い薬膳料理。観光地で有名なだけあって贅と情緒を拵えた快適な宿泊施設! 魔狩や冒険者だけでなく、世界中の貴族や国の偉い人までこぞって訪れるすんごい場所なんだよ。織国ロマンス、なんて呼ばれる熱い出会いもあって、知らずに惹かれあったお相手は貴族様で玉の輿! なぁんて……。」
「……お前、酔ってる?」
 頬を紅潮させ、一息で言い切るイオを目の前に、ウォーブラは引き気味に訊ねた。アサヒは凍り付いたように笑みを一切崩さない。リヴィは食事を終えてナプキンで口元を拭うだけで、そもそもまともに話を聞いていない。
「大体あんたらも女っけがなさすぎるんだよ! ちったぁ遊びなよ。この街、大きいから花街もあるよ?」
「――お皿、皆さんの分もついでに片付けますね。」
 アサヒがそれとなく食器をまとめた。逃げやがった。
「手伝おう。」
 リヴィがそれとなく立ち上がった。逃げやがった。
「ちょっとウォーブラ聞いてんのかい! だいたいアンタねぇ……。」
「酒飲んでもねぇのに絡んでくんなや。飲んでても願い下げだけどよ。」
「あたしゃ人の恋愛を肴に酒が飲みたいんだよ。あんたも大人なんだからさぁ。」
「建前と本音が逆じゃねぇか!てか話聞けや!」
 取り残されたウォーブラはこの後一時間。みっちりイオの話を聞くはめになった。
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