こと切れるまでの物語

寺谷まさとみ

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第一話

【9】by Asahi

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【9】by Asahi

 あれから数日。私たちは水瑠地方の入り口の国、水国へたどり着いた。
 検問を済ませ、高床の木造建築に挟まれた石畳の街道を進むと、やがて一際大きい通りにぶつかった。いくらか角を曲がり、商会に到着する。モズは一度先に入り、ややあって戻ってくると、真っすぐにウォーブラ達の元に向かった。荷入れが横で始まる。
「ウォーブラさん、リヴィさん、イオさん。一か月間ありがとうございました。あとはこの依頼完了札を仲介所に持って行って、報酬を受け取ってください。」
 街の商会の前で、モズはウォーブラに札を手渡した。
「魔物の素材は契約の通り、お好きになさってください。」
「あんがとよ。またいつかよろしく頼む。」
「こちらこそ。」
 モズとウォーブラは固い握手を交わした後、お互いに軽く身体を抱いた。
「それからアサヒさん、お世話になりました。心ばかりですが、これを。」
 モズはこちらを向くと、いくらかの貨幣が入った袋を差し出した。
「そんな。僕は報酬をいただくようなことはなにも。」
 私はただ自分の身を守りたかっただけで、それが結果として商団を守ることに繋がっただけにすぎない。
「道中の食事、大変美味でしたし……私たちを守るために魔物除けの香水を惜しみなく使ってくださいましたね。それから、私たちがイオさんと待機しているとき、魔物の群れを引きつけ、ウォーブラさんと討伐してくださったと伺いました。正式な依頼ではないので、討伐報酬をお渡しすることはできないのですが、これは道中にあなたが提供してくださったものの代金としてお受け取りいただけないでしょうか。」
 彼が評価してくれたという事実を蔑ろにするのは、失礼にあたるだろうか。少し迷って、私はそれを受け取った。
「……ありがたく、頂戴いたします。」


 モズが商会へ入るのを見送って、私もまたウォーブラ達に向き直った。
「では、僕もこれで。」
「なぁ、アサヒ。俺と行こうぜ。」
「はい。お会いしたときはぜひ…―――は?」
 自分の耳を疑うあまり、素っ頓狂な声で聞き返してしまった。
「一緒に来いよ。」
「なに、を。僕は……。」
 戸惑う視線を隠すように、フードの先を引く。
「あなた方のように、戦えません。」
 そう、誰かを守れるほど武術に秀でているわけでもない。胸元の宝玉から紋様を広げれば、多少なりとも戦えるが、これを人前で曝すわけにもいかない。
「この前は……いきなり、斬りかかってごめん。あれから考えてたんだ。正直、まだあんたのことはよくわからない。けどあたしたちにない知識や技術を持ってる。だから、教えておくれよ。少しずつでいいからさ。あんたのこと。」
 イオが一歩前に出て、そう言った。申し訳なさそうに、バツの悪いような顔で笑って、頬をかく。
 そうじゃ、ない。
「……俺たちで話し合って決めたことだ。」
 リヴィが怜悧な声で告げる。
「なぁ、アサヒ。俺たちが怖いか。」
 いつだって、怖いのは未来だ。
 差し伸べられた手。私は頷く。怖いと。
「僕は今、どうしてもあなたたちに明かせない事情があります。」
 ウォーブラは静かに、言葉の先を待っているようだった。
「あなたたちを危険にさらしてしまうかもしれない。」
 私は胸元をぎゅっと握りしめた。
「そうなったとき、責任が取れない。取り返しがつかないかもしれない。」
 免罪符を求めるような、卑怯な言い方だ。
「だから、僕は。」
 一緒に、いられない。
「そうか。」
 夕暮れの喧騒に消える。静かな声。刹那、
「じゃあ決まりだ! 今日からよろしくな。アサヒ。」
「は⁉」
 ぱっと笑みを浮かべたウォーブラに、私は抗議する。
「話聞いていましたか? その耳は飾りですかそれともその頭からそもそもダメなんですか‼」
「ひゅー、辛辣。」
「口笛吹くな話聞け!」
 思わず首元に掴みかかる。この男は正気なのか。
「確かに、私は少しばかりある医術に薬草の知識や美味しい食事などは提供できます。ですが、それ以上に危険なんです! そしてそれに巻き込みたくないんですよいい加減に分かれ!」
 一息に叫んだとき、ウォーブラの首元の包帯が視線に入った。どきりとして、握っていた手を放す。だが、不意に強く握られた。
「放してください。」
 そう言って睨んだところで、ウォーブラは動じない。悠然と笑い、さらにぐいと握り引き寄せられる。陽だまりのような温かさが手のひらをしっかりと包んだ。
 喉元がきゅうと細くなって、私はどうしようもなく彼を見た。
 いいのだろうか。彼らに、ほんの少し心を預けても構わないだろうか。

 私はそれを、許せるだろうか。

「俺にはお前が必要だ。アサヒ。」
 真っ直ぐに名前を呼ばれた瞬間、全身が熱くなる。瞼に力を入れたのは、今まで留めてきた何もかもが溢れて零れてしまいそうだったからだ。
「んな顔すんなよ。」
 私がそっと手を握り返すと、彼は嬉しそうに笑った。それは大人びた獰猛な笑みでも、底の知れない意地悪な口元でもなく、少しやんちゃな少年が浮かべる思い切りのいい笑顔だった。

 いつか夢見たささやかな理想が、この手にありますように。
 暁の空が、世界を変えてゆく。



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