こと切れるまでの物語

寺谷まさとみ

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第一話

【3】

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【3】

 夕暮れに差し掛かった空が、藍色を持ち上げようとしている。
 アギトドラは、逆鱗だけ深い光沢があるらしい。手の平くらいの大きな鱗は、赤ワインのような色味を映して、艶やかに光った。
「いやあ、助かりました。まさか、魔竜が現れるなんて。」
「モズさんこそ、大事なくて良かったよ。」
 商人モズの安堵に、イオは笑って返した。
「荷物の損害もほとんどありません。さすが、元魔狩マナハントの方だ。」
「あたしは元魔狩で、そういう知識が少しばかりあるだけ。仲間の実力が高いのさ。」
 イオとモズの会話から少し離れたところで、ウォーブラはアギトドラの尻尾を荷台に縛った。
「アサヒ、こっちは終わったぜ。」
「ありがとうございます。こちらも、あとは片付けるだけです。」
「採集家なのに、魔物の解体もできるなんてな。」
 魔種……いわゆる、魔物は、普通に生きている動物とは違う。個体ごとの能力が高いのは明らかだが、一番の違いは、身体の一部またはすべてが白く変色し、瘴気を放っていることだ。
 瘴気は有害だ。長く瘴気に侵されれば死に至る。魔物の解体をするには、それなりの知識と、それに基づいた手順をふまなければならない。
「僕は戦いが不得手ですから。」
 アサヒは汗を拭うとフードの下で柔和に笑ったようだった。
「二人とも! 終わったら少し場所を変えてから野営にするよ! もう夜になるから急ぎな!」
 イオの良く通る声が、ウォーブラとアサヒを呼んだ。
 魔物を倒した場所は、残った瘴気の気配に釣られて魔物が寄って来ることがある。それを危惧したのだろう。

 作業が終わって一時間ほど歩くと、空はもう藍色に沈み切っていた。
「ウォーブラ。この先に水場があるから、あのノラの子と一緒に行って、交代で流してきな。野営の準備はあたしらがやっとくから。」
 イオは戦えないアサヒの身を案じているのだろう。いつも厳めしい表情でガミガミとうるさいが、それはいわば、心配性の裏返しだ。
「正直ウォーブラに任せるのは心配だけど。」
「なんでい。リヴィならいいってのか。」
「リヴィはリヴィで向いてない。消去法だよとっとと行きな。」
 煩わしそうに手の平をしっしと払って、イオはこめかみを押さえていた。瘴気に当てられたらしい。しばらく前に、瘴気の影響を受けやすいのだと話していた。魔物の解体に手を出さないのも、そういった理由だ。

***

 梢の隙間から覗く朧夜の月が満たされるのは、明日になるだろうか。
樹の幹を背に、ウォーブラは衣擦れの音を聞き流していた。アサヒに見ないでほしいと頼まれたから、こうして適当に夜空を眺めて居る。
 月光が伸ばすやわらかな影が静かに揺れたとき、ぱさ、と軽い音が落ちた。
「アサヒ、お前なんでノラやってんだ?」
 水をはじく音が夜にこだまする。ずっと黙っているのもどこか気まずく感じられて、背中越しに訊ねた。
「その髪の色か?」
「そうですね。そのようなものかもしれません。」
 含みのある言い回しは、どこか淡泊な色合いをしている。静かな夜がもたらす沈黙は妙に長く感じられた。何か事情はあるのだろう。ふぅん、と、軽く流しながら、暇を持て余したウォーブラは、三つ編みの目をひとつずつ解いた。
「あなたこそ、どうして冒険者に?」
「別に。流れってやつだ。大層な目的も理由もありゃしねぇよ。」
 髪の毛の先を指に絡めて、そっと落とす。ほどいては指に絡めて、なんとなく眺めるふりをして、またひとつ、目を解く。
「戦いは怖くないんですか? ……僕は怖い。」
 凪のような声が、低くこもる。
「あ? まぁ、怖くないっていったら嘘になるだろうな。」
「どうして、戦う道を選ぶんですか。」
「えらく積極的だな。もっと他人に興味がないのかと思ってたよ。」
 一瞬、音が止んだ。零れ落ちる水滴の音だけが、空白の時間を途切れ途切れにつないでゆく。
「……どうして。」
「あー、ちみっと違うか。怖がってるように見えたんだよ。」
 三つ編みを解ききって、髪飾りを転がした。月明りを通して、影にぼんやりとした青色が映り揺れた。
「…………。」
「他人と距離取ろうとしてんのは、何か理由があんだろうと思ってる。まぁ、別に俺からはどうこうするつもりもねぇし、リヴィがお前を睨んでんのも、人見知りなだけだからよ。そんなに怯えんな。」
「私は別に怖がってなんて――。」

 バシャン!

 不意に、大きな水音が響いた。
「敵か!」
 ウォーブラは木の影から飛び出し、周囲の危険がないか咄嗟に見回す。
 アサヒは水中で足を滑らせ、転んだだけのようだった。
「大丈――……は?」
 が、目に入ったその姿に、ウォーブラの認識が追い付かず、
「あ、」
 木の根に足を引っかけ、
「――――なっ、」
 驚くアサヒを目の前に、
「「うわぁあああああああああッ!」」
 盛大な水音を立て、諸共転んだ。

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