上 下
47 / 47
第四章

(八)道筋

しおりを挟む
 晴れた空の日差しは、目に痛いほどまぶしかった。
 カンカンと叩くような音や、なにかの駆動音が街のあちこちで響いているのは、パラサイトモスの幼虫に食べられてしまった建物を修繕しているからだ。古く錆びていた手すりに、新たな手すりがはめこまれてつながれる。壁に補修材を縫って、そこだけ新品のように生まれ変わる。きっと長い間、この街はそうしてきたのだろう。毎年同じことをくりかえし、来年も同じようにいくつも新しいものにして、変わっていく。

 さすがに数日も経てば、パラサイトモスの死骸もすっかり回収されていて、今は清掃業者が大通りを中心に仕事をしているのが見えた。
 空気の入れ替えが終わったころに、ソウは窓を閉めると、乾いたばかりの上着に袖を通した。襟元をもちあげるように、全体の調子を整え、順番に留め具をかけ、襟元の金具を留める。ベルトを締めて、サイドテーブルに置いていた猫の面を手に取ると、赤い八打ちの紐を腰のベルトループに通して手早く結わえた。いつも通り、二刀一対の片刃曲刀をせおい――、
「戻りましたぁ! ナギです」
 客室の扉がばんと開いて、亜麻色の髪が大きく揺れた。
「ああ、ナギさんおかえり」
 パッと顔を上げて、笑みを向ける。両手で袋をかかえたナギは、どこか浮かれたように鼻歌をまじえて荷物をおろした。
「どうだった?」
「おかげさまでホクホクですよ。支度金でひと通り物資も見つくろってきて、あとは、食料を多めに持っていくので、今回は小型の馬車もおさえておきましたよ!」
 得意げに胸をはるナギに、ありがとうと伝えると、彼は「それほどでもぉ」と照れくさそうに頭をかいた。それから、思い出したように「ソウくんは、もう、大丈夫なんですか?」と訊ねてきた。
「うん。もう平気。動けるよ」
 ソウは笑いながら、思ったよりも傷は浅かったみたい、とつけたした。
 遅れて部屋に入ってきた黒影は、彼女の胴体よりもはるかにまるまるとした袋を抱えていた。
「わ、大丈夫?」
 ソウはあわてて駆け寄り、荷物を下ろすのを手伝う。
「ごめんね、任せっきりにしちゃって」
 謝るソウに対して、黒影はこちらを一瞥いちべつして、ふんと鼻を鳴らしただけだった。いつも通り、眉間にシワが寄っている。

***

「ではでは、これから第一回〈白の境界線〉踏破会議を開催しまぁす!」
 声高らかに、つま先を立ててくるりと回ったナギは、ばっ、と両手を大きく開いて、その場でばらりと地図を広げた。
「さて、これからナギたちが足を踏み入れるのは、白の境界線――魔幽まゆう大陸と、水瑠すいる地方を隔てる一帯です」
 ナギは魔幽まゆう大陸と水瑠すいるの境界を、指先で大きく、ぐるりと囲む。
「前にも言ったように、白の境界線には魔化した動物、白亜化した植物群が存在し、常に瘴気を発しています。なので、霧晴きりばれといっても、どこも瘴気濃度は、一般的な生態系とくらべると高いのですが……」
 ふところから取り出されたいくつかの石ころが、地図上にならべられた。
「この中で瘴気濃度の薄い場所がいくつか選ばれ、補給地点としてひらかれます」
「これが補給地点?」ソウは訊ねた。
「今年は六ヶ所。補給をしながら進むので、最低でも一ヶ月ちょっとかかります」
「けっこう長いね」
 するとナギは
「距離だけなら、短いんですけどねぇ」
 と軽く息をついた。真面目な顔をして、指を立てる。
「さて、道中に気をつけなければいけないのは、なによりも瘴気症です」
 それからナギは、三つの大切なことを話した。

 一日に一回、必ず薬草を煎じて飲み、予防を第一にすること。
 不調を感じたらすぐに相談し、瘴気症の初期対応をすること。そして――、

「道中は魔種除けの香草を必ず焚くこと、です」
「魔種をできるだけ避けるってことだね」
 ソウがかみくだいて言うと、ナギはうなずいた。不服そうに舌打ちをしたのは黒影で、だからといって、彼女はとくべつ何かを言ったりはしなかった。
 ナギは指を立てる。
「特に怖いのは、魔種によって負傷した場合です。周辺の瘴気濃度が高いので、いっきに白亜化してしまう可能性もあります」
 翡翠色の瞳が、こちらに向く。
「特にソウくんは、先日、魔種によって負傷しました。薬草を煎じたとはいえ、重ねて負傷するのは、とても、本当に危険です。気をつけてください」
「わかった」
 ソウは真剣な面持ちでうなずいた。腰に提げた猫の面に指先が触れて、小さな鈴の音が警鐘を鳴らす。手もとにはもう、携帯用緊急注射剤〈ワィトフォーワィト〉もない。
「さて、補給地点を三つ経由して、それから次に向かうのは、遊覧都市ドリミアルです」
「〈白の境界線〉の中に街があるの?」ソウは訊ねた。
「ここはとくべつなのですよ。窪地くぼちになっていて、ゆいいつ瘴気の霧の影響がおよばない場所なのです。夢の都市とも呼ばれるドリミアルは、世界三大観光地のひとつでもあり、もちろん人が居住しています。こちらの詳しい説明は、おいおい」
 ナギはさらに指をすべらせた。
「そして、そこからさらに進むと、かの有名な魔導遺跡バリアブルがあります。この手前の補給地点は行きません。その代わりに、少し迂回うかいしたところにある補給地点に立ち寄ります」
「わざわざ迂回するの?」
「ええ、一攫千金を狙って多くの冒険者が訪れるバリアブルの補給地点には、瘴気症を患った冒険者が緊急的に運ばれてきます。薬草や食料も含め、物資は困窮こんきゅうし、治安もそれほどよくないので……魔狩であるお二人にはとてもおすすめできません」
 なるほど、とソウはうなずいた。水瑠すいる地方から流入してきた冒険者も多くいるとすれば、魔狩のことはとうぜん知っているはずだ。冒険者の領分に、どんな理由であれ、魔狩が現れれば、とうぜん良い顔はされないだろう。
「そして最後の補給地点をへて、無事抜けることができれば、水瑠地方に入ることができます」
「じゃあ、合計五つの補給地点とドリミアルが、俺たちの立ち寄る場所になるんだね」
 ソウは、それらを指でなぞった。魔幽まゆう大陸に来てから、今日までですでに三ヶ月以上。ここから一ヶ月とすこし歩けば、ようやく、故郷への道筋が見える。
 言ってしまえば、ここをどうにか抜けることができなければ、もう十年、魔幽まゆう大陸に留まることになる。死んでしまえば故郷には帰ることも叶わない。ライに会うこともできなくなる。
(なんとしても抜ける)
 りん、と鈴の音がソウのかたわらで鳴った。
「ではでは、目指すは水瑠すいる地方の流国ながれぐに。三人いっしょに、がんばりましょう!」
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

この争いの絶えない世界で ~魔王になって平和の為に戦いますR

ばたっちゅ
ファンタジー
相和義輝(あいわよしき)は新たな魔王として現代から召喚される。 だがその世界は、世界の殆どを支配した人類が、僅かに残る魔族を滅ぼす戦いを始めていた。 無為に死に逝く人間達、荒廃する自然……こんな無駄な争いは止めなければいけない。だが人類にもまた、戦うべき理由と、戦いを止められない事情があった。 人類を会話のテーブルまで引っ張り出すには、結局戦争に勝利するしかない。 だが魔王として用意された力は、死を予感する力と全ての文字と言葉を理解する力のみ。 自分一人の力で戦う事は出来ないが、強力な魔人や個性豊かな魔族たちの力を借りて戦う事を決意する。 殺戮の果てに、互いが共存する未来があると信じて。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

幼い公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~

朱色の谷
ファンタジー
公爵家の末娘として生まれた6歳のティアナ お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。 お父様やお兄様は私に関心がないみたい。愛されたいと願い、愛想よく振る舞っていたが一向に興味を示してくれない… そんな中、夢の中の本を読むと、、、

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

処理中です...