-Crazy- 殺しあいの約束

寺谷まさとみ

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第二章

(四)機国マヌーゲルにて

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――――

 この旅がはじまって半月がすぎるころには、森のようすがずいぶんと変わった。歩いている地面には下草がはえはじめ、あれだけ毎日見ていた夕方の驟雨しゅううも見られなくなった。

 初めての旅は、慣れないことだらけ。おどろくことも、知らないこともたくさんある。わからないことはひとつひとつナギさんに教えてもらう毎日で、退屈はしないけど、毎日くたくた。

 ナギさんはものしりだ。けれど、ちょっと忘れっぽいみたいで、訊きかえすとその前の話も、ナギさんが話したことも思い出せないことがあるみたい。
 いつも朗らかに笑っていて、愛嬌のある人だな、と思う。ナギさんがいなかったら、俺たちがこうして旅をするのに、ずっと手間取っていたと思う。
不思議な人だけど、たぶん、悪い人じゃない、と思うんだ。

 黒影はあいかわらずつっけんどんで、あんまり話してはくれない。
 強いんだけど、まわりを見ようとしていないというか……。
 けれど、ときどき気が向いたら話しかけてくれることがある。だいたいは文句のような言いまわしだけど、黒影なりの人づきあいなのかな、なんて前向きに思っておくことにした。

 魔幽まゆう大陸を抜けて水瑠すいる地方に着いたら、最初に流国ながれぐにへ立ち寄る予定。そこに魔狩協会の支部があるから、そこで一連の報告をして、上の判断を仰ぐつもり。
 だから、地道に報告書はまとめているんだ。
 それから、ライへこの手紙を送ろうと思ってる。本当はライのことが気がかりでしょうがないんだけど、ライが協会と連絡をとったり、言伝を頼んだりするようには思えないし。
 せめて、俺が帰るまで、元気でいてくれたらいいな、と思う。

――――


「起きろ」
 低い声にうっすらと目をあける。
 朝のまばゆい室内にそぐわない不健康な顔。こちらを不機嫌そうにのぞきこむ黒影をぼんやりと眺めたまま、ソウはふとぼやいた。
「寝起きに君の顔を見るのも、なんだか慣れてきたなぁ」
「二度寝してもかまわんぞ。次は目覚めないようにしてやろう」
 室内に張り詰めた怒気と共に鯉口をならす音が響いて、ソウは慌ててとび起きた。そのとき、指先に紙のはしが触れる。昨晩まとめた報告書が寝台に散らばっていた。どうやら報告書に不備がないかを確認している途中で寝落ちてしまったらしい。
「ごめんごめん、殺気立たないで。寝ぼけてたんだ」
 ソウはころっと笑いながら寝台から降りた。両手を合わせてかるく首をかしげてみせる。

 最初の街を出立してから、約一ヶ月。
 機国はたぐにに到着したのは、昨日の昼前のことだ。検問所で記入する文面は、ソウが知っている言語とはちがう。おかげで読むのも書くのもまるでわからず、ナギに教えられたッとおりに遅々としながら苦労して記入した。人の出入りは多いから待ち時間もずいぶん長く、検問をすませて宿につくころにはもうとっぷり日が暮れ、疲労も最大に。
 初めての長旅での移動生活と続いた野宿。知らない土地に来た緊張感。道中ではやたらと魔種に出会い、黒影は特攻しナギは狙われ、ソウはどうにか攻撃をしのぎ……久々のちゃんとした寝床と見張りをする必要のない夜は、とても快適な睡眠をもたらしてくれた。――爆睡してしまった、といったほうが正しくはあるが。おかげで、多少疲れは残っているものの、ずいぶんと身体が楽になった。
「寝過ごしちゃったかな? 久々のベッドでつい。ごめんね」
「やかましい」
 黒影の声を右から左に流して、散らばった報告書をまとめてじる。
 一度身体を伸ばして、それから窓ぎわへ向かった。たてつけの悪い窓を開く。瞬間、今まで足元でわずかにふるえていただけの駆動音が、大きな圧迫感とともに室内をふるわせた。煙と油のにおいが充満する。黒影が眉間のシワをますます深くした。
 窓外に広がっているのは、この〈鉱山の街〉マヌーゲルだ。機国の主要都市であり、とりわけ魔鉱石の採掘地として有名だ、というのは、昨日、検問までの待ち時間にナギが解説してくれた。
 鉱山の街といっても、鉱山区域自体はもう少し奥まったところにあるらしい。ここから見えるのは、固い地盤の壁へはりつくように形成された鉄骨の宿場町で、人が歩くたびにカンカンと音が響く縞鋼板の狭い道と、それらを縦につなぐ魔鉱式の古い昇降機が特徴的だ。
 密林と比べればずいぶんと文明の気配が感じられるが、空気は油と煙のにおいでじっとりと重く、肌にまとわりつくようだった。
「窓をあけても、あんまり爽やかな感じはしないね」
「今日は街を歩くのだろう」
 眼下を睨みつけながら、黒影が低く言った。
「うん。ここは魔鉱石の加工を担っている店もあるらしいから、魔導武具の調整ができたらいいかなって。すぐ支度するよ」
 すっかり乾いた洗濯物をとりこみながら、ソウは答えた。端と端をきれいに合わせ、同じ形に手早く整える。こうして畳むのは、収納するのも、あとで使うときにも面倒がないからだ。ものはついでとナギの着替えも一緒に畳んで、それは寝台に置いた。姿が見えないのは、おそらく宿の一階に降りているからだろう。
 ナギはよく、朝方と夜に依頼掲示板を見に行っては、冒険者たちと話をしている。ソウも手が空いているときは同行したが、やはり何を話しているのかさっぱりで、ただひたすらナギが楽しそうにしていた、という印象だった。
 部屋の隅にかかっていたハンガーを手にとってまとめると、クローゼットの中へ戻した。ソウの記憶になく動いているのは、きっと黒影が使ったからだ。意外にも黒影は、自分のことは自分でしたいらしく、昨晩も「ついでだからいっしょに洗濯するよ」と声をかけたところ、とても嫌そうな顔をされた。
「黒影はゆっくり休めた?」
 椅子に腰かけた黒影は、嫌厭けんえんとしたようすで一度だけ視線をよこした。「問題ない」と一言。まぶたを閉じて、それから口をひらくことはなかった。
 黒影があまり眠らないことは、機国はたぐにに到着するまでの一ヶ月を通してわかっていた。いつも大太刀を抱えこむようにして座り、壁に背をあずけてまぶたを閉じるだけで、横になって熟睡する姿は、今までに一度も見たことがない。
 昨晩、宿に到着してからも同じで、寝台の上に腰かけているだけだった。横にならないのかと訊ねると、眉間のシワがいっそう深くなり、返事はおろか舌打ちさえなく。案外まつげが長いな、と不躾ぶしつけにそのさまを見めていたら、今度は視線がうるさいと一蹴された。
 黒影から罵倒が返ってくると安心するていどには、その剣幕にもすっかり慣れてしまったものの、このことに対して、ソウは内心、釈然としないものを感じていた。
(罵倒されて安心するって、ちょっとなぁ……)
 ソウは洗面所に向かいながら、小さく息をついた。
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