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第一章

(七)炯眼

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 ぼんやりとけだるそうな月明かりが、夜をゆるやかに満たしている。
 宴会からはなれた河の船着き場で、独り。ボトルをかたむける痩せぎすの背中があった。
「こんなところにいたんだ」
 後ろから声をかけると、黒影はこちらを一度ちらと見ただけで、欠片も興味がなさそうに、またボトルをかたむけた。
 長く垂れた黒い髪は、月明かりに照らされてもなお黒い。光沢のない黒だ。ツンと尖った横顔はいっそう白く、夜の暗闇から浮いている。いつ見ても、不気味な人だ。目の下の濃いくまが、より不気味さをきわだたせている。
「みんなと一緒に食べないの?」
 背後の街並みを見やって、ソウは黒影のとなりへ座った。あいかわらず返答はない。無口なのか、ただ嫌われているだけなのか。
「俺は憂国うれいぐにに家があるんだ。両親はいないんだけど、弟が一人いて……事情があって働くのも難しいし、不器用で家事もできないから、けっこう心配でさ」
 街の灯りは、魔鉱灯だろうか。故郷にあるものとは、まるで形がちがう。建物の間を渡る紐にぶらさげられた容器は、透明で硬質だ。その容器には、液体が並々と満たされていて、小さな魔鉱石が沈んでいる。魔鉱石の淡い光が、液体を通してぼんやりと広がって、街並みを頼りなく灯している。
 ソウは持ってきた包みをひらいて果物をさしだしたが、黒影は首を横に振った。
 広場からひとつ離れた船着き場は、とても静かだ。
「君は、家族とかいないの?」
「兄がいる」
 く、とかたむけたボトルからは、酒の匂いがした。ラベルの表記は読めない。魔幽まゆう大陸のものだろう。
「そっか。心配?」
「別に」
 黒影はわずらわしそうに、また酒を呑みくだした。いつ見ても不機嫌そうに見える。鋭い目じりの三白眼が、よけいにそう見せているのだろう。
「お兄さんのこと、嫌いなの?」
「……わずらわしい。面倒だ。とっととくたばれ、と思っている」
「辛辣だなぁ」
 苦笑する。出会ったときからそうだが、黒影は言葉をまるで飾らない。しね、気持ちが悪い、くたばれ。過激な言葉を平気で口にする。すなお、といえば聞こえはいいが、そういった言葉は歓迎されるものでもなければ人に向けていい言葉でもない。
「だが同時に、憎からず思っている」
 ソウは驚いて、となりを見やった。同時に、黒影の視線がこちらを向く。
 真っ黒によどんだ瞳と視線がぶつかる。
 黒影は、こちらを見つめている。
「キサマはどうなんだ」
「え、なに? 弟のことは好きだし、大事だよ」
 この返答に、黒影は眉間のシワを濃くした。
 また、うすら寒いだのアホらしいだの言われるのだろうか。そう思った矢先、さらに言葉が重ねられた。
「その、人をたらしこむような笑いかただ」
「へ?」
 ソウは目を丸くした。あまりにもとうとつで、言葉の意味を図りかねる。その、合間。黒影の細い指先が伸びてきた。とっさに身を引いたせいで、態勢を崩してしまう。黒影の手が、ソウの肩を押した。
 どさり。背中が硬い竹板にぶつかった。黒影の細い身体が、遠く霞んだ夜空をさえぎるように、重なる。夜闇よりも暗く濁った黒い髪が、視界をおおうようにこぼれ、星のきらめきが見えなくなる。
 ソウはわずかに身を強張こわばらせながら、自分を組み敷く黒影を見あげた。
「乱暴はやめてよ」
 言葉を返したとき、頬をぐいと押しつかまれた。
 黒影の炯眼けいがんが、こちらを凝視している。
「昼間のこともそうだ。キサマはあのクズの言葉を心から信じていたわけでもあるまい」
「そりゃ、怪しいなとも思っていたよ。けれど、」
「焦り。怒り。驚き、喜び。キサマはどれをとってもキレイで違和感がない。だから気色悪いんだ。まるで、心の底から善良な一般人だとでもいうように」
 ぐ、とさらに力がこめられる。そのひょうしに、細い指先がずれて、ソウのくちもとへわずかに触れた。

 怖気おぞけ

「さわ、るな!」
 気がつけば、這いのぼるような不快感をふりはらうように、痩せたみぞおちに蹴りこんでいた。瞬間的にまずいと理性が働き直前でとどめようとしたが、遅かった。黒影の身体は簡単に地面の上を転がった。
(まずった)
 いますぐ駆けよって、謝らなければ。
 考えるも、立ちあがれない。指先に力が入らない。小刻みにふるえる身体の奥が、嫌に脈動する。気持ちが悪い。

 吐きそうだ。

「……」
 黒影の気配が動いたような気がした。どうやら、咳きこみながらも、立ちあがったらしい。顔をあげることすらままならない、伏せたソウの視界に、ゆらり、と不気味な影がさしこんだ。コッ、と竹板を踏む音がする。

――来るな。
――寄るな。

 心の中で、近づいてくる気配を拒む。
 月明かりがふたたび閉ざされたとき、ソウは黒影を見あげた。
(意味が、わからない)
 色味の欠けた口もとは、笑っている。
 口の両端をつりあげて。
 とても愉快そうに。
 まるで、獲物を見つけた獣のようだ。そのさまがひどく不気味で、気色が悪い。
 ソウは黒影を睨むように見つめて、つま先にちからをこめ、ゆっくりと立ちあがった。
「なに」
 ああ、言いかたをまちがえた。つい胡乱うろんげに訊ねてしまった。
 向こうが先に手を出してきたとはいえ、蹴りこんでしまったことは事実だ。それについて謝らなければならない。怪我をしていないか確認して、もし怪我をしていたら、手当てをしないといけない。それが正しい。
「そういう顔のほうが良いぞ。よほど人間らしい」
「!」
 とっさに一歩、身を引いた。自分よりすこし背の低い黒影を強く睨んだとき、その黒い瞳に、自分が映っていることに気がつく。
 ソウは両手で顔をおおった。
「ああくそ。嫌いだ」
 誰に言うつもりでもなく、ひとりごとのように。
 笑ったのは黒影だ。
「ふ、ふ」
 気持ちの悪い息をこぼして、黒影はのぞきこむようにまた近づいてきた。
「アンタわかっててやったな」
 指の隙間から、目の前の黒影を睨みさげる。
 白と黒のうす気味悪い顔がさらに、にたぁり。こちらの侮蔑を意に介さず、さらに一歩。今度はソウの手首をひねるようにつかんだ。
 怖気。
「ッ」
 その手を振りはらう。
「だから、触るなって。言っただろ」
「まだふるえているのか。ずいぶん可愛らしいことだ」
「……」
 ソウは奥歯を噛んで、眉間のシワをほぐすように指先で揉んだ。
 調子が狂う。息を吐いて、静かに吸う。
「……苦手なんだ。触られるのも触るのも。だから控えてほしい」
 あくまでも、攻撃的にならないように。口調が荒れないように留めながら、できるだけゆっくりと伝える。感情をかき乱すような不快感が今なお爪を立てるようにやかましいが、それは呑み下して、そのまま捨ておいた。
「……蹴ったのは、本当にごめん。怪我は?」
 目の前の黒影は吐き捨てるように鼻で笑った。
「あのていどで怪我をするなら、いまごろワタシは生きていない」
「それもそうだね」
 嘆息。かるく苦笑をまじえて、ソウは身なりを整えた。
「俺はそろそろ寝るよ。君も早めにね」
 おやすみ、とやわらかい調子で伝えて、踵を返す。返答はない。
 もどる前に一度だけちらと見やると、ソウが訪れたときと同じように、独り、酒をあおる黒影の背中が見えた。
 痩せっぽちの背中に、重く長い髪が垂れこめている。
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