上 下
4 / 47
序章

(四)ベースキャンプにて

しおりを挟む
 枯れた大地に、乾燥した熱風が吹きつける。
 卓状地のオアシスに設営されたベースキャンプには、見るだけでもかなり多くの魔狩が集まっていた。数百――否、数千人は超えるだろうか。それだけではない。魔鉱列車から降りて、ベースキャンプに到着するまでの間に、街道では多くの冒険者が見られた。
 今回の作戦――おそらく、緊急招集がかかるに至った元凶は、魔狩だけにとどまらず、冒険者や騎士団も注目しているのだろう。

 ソウは眼下の砂漠を遠く見渡した。
 一面は黄金のように輝いていて、じっと見つめていると目がくらみそうだ。
 その砂海にひとつ、不気味な目玉のように、巨大な円形の構造物がぎょろりとのぞいている。何層もの輪を重ねたようなソレは、外周から赤・橙・黄・緑・青と順に色を重ね、中心部だけ色が抜け落ちた生成色きなりいろをしていた。
 それらを土台として立ちあがっている白亜の建造物こそ、古代イグラーシャ遺跡だ。照りつける陽光を一身に浴びて輝く遺跡はまるで、古代文明の滅亡を象徴しているようにさえ見えた。
「よ、色男!」
 ふきつける熱気にも、興奮が沸きたつこの場の空気にもうんざりしてきたころに、軽薄な口ぶりで肩を叩いてきたのは、猿顔の男だ。よくしゃべる口を真横に大きくあけた笑みは明るく、いつも快活。動きやすさを優先した身軽な装備は、特に足元に自由がきくような、ひらけたつくりになっている。
「トビ、元気そうだね」
 色男、という言葉は無視しておく。顔を合わせるたびに、王子様だの美男子だの、そういう冗談をあいさつ代わりに言う男だ。
「彼女はできたのかよ?」
「はは、見ればわかるでしょ。いないよ」
 戦いの前になんとも緊張感のない話題だが、これもいつものことだ。
 ソウは外套をひるがえし、天幕の影へ足をはこんだ。トビもまたとなりに並んで、天幕の影に入る。
「お前さ、後輩の女の子面倒見てるんだろ? どうなのよ」
「そういうのじゃないよ」
 軽く笑いながら、ソウは支給品の確認をはじめた。
「またまたぁ。本部でも人気なんだぜ? ランクBの〈迅雷〉ソウ様。顔よし、実力よし、収入よし、そのうえ優しくて真面目で性格がいいときた」
「君がいるってことは、今回はそういう仕事なんだね」
「お前さ、ふつうの会話にふつうの調子でそういうこと言うのやめようよ」
「ああ、ごめん。で、なにしにきたの?」
 ひととおり支給品を確認してからトビに視線を向ける。
 彼はやれやれと肩をすくめた。
健康観察メンタルチェック。俺の仕事だよ」
 トビはつまらなさそうにクリップボードを持つ片手をゆらす。
「もうちょっと怖がったり緊張したりしろよなぁ」
「ああ、そういうこと」
 ソウは苦笑した。
 トビが身軽な装備に重点をおいているのは、前線で負傷した魔狩を回収するためだ。

――〈飛脚〉のトビ。医療班で最も危険な前線の仕事をうけおう部隊に所属する彼は、魔種を倒すことを目的としていない。彼らの目的は、一人でも多くの魔狩を生存させることにある。敵がいる場での安全確保、適切な応急手当、そして戦線からの離脱。自身が負傷者にならないための技術。仲間を救うための知識と判断力。

 トビが所属する医療班は、魔狩を救う最後の命綱だ。そして彼がいるということは――、
「今回の討伐対象はダイオウルフ。ランクA相当の超大型の上位亜種だ」
「緊急招集がかかったときから、そうじゃないかと思ってたけど。やっぱりそうなんだね」
 大規模討伐戦。これが今回の仕事だ。各地から集められた魔狩で部隊を編成し、凶悪な魔物を狩る。ふだん、それぞれに振りわけられる個々の仕事とはちがい、ここでは役割をこなすことが最重要となる。
「まぁ、それはいつものことか」
 ソウにとって、やることはいつもと変わらない。自分がやるべきことを徹底するだけだ。
 そのときだった。
 ふいに、視界を真っ黒な影が横切った。
 最初は見まちがいかと思った。なぜならまるで気配がなかったから。まさしく、影のようだ、と表現するのが正しいような、黒色。
(なんだ。あれ……)
 人の合間を悠然と過ぎていく薄い背中。身体の線にぴったりと密着する黒い上衣から白い肩口が露出しているが、皮と骨だけで、肉が薄く痩せこけている。その背中を追うように、艶のない髪が、長く伸びていた。麻布を真っ黒に汚れた泥へていねいに浸して、乾燥させたような髪は、日暮れに伸びあがる影を想起させる。地面をずるりと這いずって、重く重く進んでいく。
 魔狩の一人だろうか。しかし防具のたぐいは装備していない。ゆいいつ、それらしいものといえば、その細長い背丈をゆうに超える、つや消しの施された黒い鞘の地味な大太刀が、ひとふり。
 異質だ。
 この場において、いま目の前に存在している影のような者が、もっとも異質だ。だがそれよりも――。
(……どうして、誰も気づかない?)
 片刃曲刀の柄に、指先がおのずと触れる。あれほどの殺意をふりまいておきながら、誰もその存在に気づかない。
 この瞬間だけ、時間が止まってしまったのではないかと錯覚しそうになる。肌に触れていた熱気が、ヒリヒリと焼くような殺気に塗りかえられてゆく。
 固唾かたずむ。目をはなした瞬間に首を掻き切られるような気がしたからだ。ひさしく感じていなかった感情に、ソウは目をみはったままふるえていた。

 これは恐怖だ。
 これは嫌悪だ。
 これは警鐘だ。

 おもむろに、影の足が止まる。ぬ、とその場で首をつきだすように、青白い横顔が髪の隙間から出た。ツンと尖った鼻先と、細いあごが、クツクツと笑う。ゆったりと頭を揺らして、その蒼白の顔がこちらを見――。
「ソウ。おいどうした。なぁ、大丈夫か?」
 目の前で、トビの手がひらひらと揺れた。とっさに上半身を引いたときに、体勢を崩して尻もちをついてしまう。
 影はいない。見えない。
 いまの一瞬で消えてしまったのか――それとも、ただの幻だったのか。
「び、っくりしたぁ」
 ソウは目をまるくしたまま、ようやく声をあげた。
「おいおい、どうした。大丈夫か?」
「ああ、ごめん。ちょっとね」
「そんなにおどろくなよ。ぼーっとして。寝不足か?」
 さしだされた手をつかんで、そうかも、とソウは苦笑した。こういう時ばかりは、あまり顔にでない体質でよかった、と心から思う。
「なれない土地だからかな」
 もし誰も認識していないものが見えた、なんて言おうものなら、もれなく気がふれたと思われてしまう。ソウはもっともらしい理由をつけて、それ以上の追及をかわした。
 先ほどのアレがなんだったのかはわからない。気にはなるものの、それに気をとられてはいられない。いまは目の前の仕事に集中しなければならないからだ。家に弟を一人残してきたのに、うっかり死んでしまっては、亡くなった両親に顔向けできない。
 念のため、頭のすみにとどめておくことにして、それ以上考えるのはやめにした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛しの婚約者は王女様に付きっきりですので、私は私で好きにさせてもらいます。

梅雨の人
恋愛
私にはイザックという愛しの婚約者様がいる。 ある日イザックは、隣国の王女が私たちの学園へ通う間のお世話係を任されることになった。 え?イザックの婚約者って私でした。よね…? 二人の仲睦まじい様子を見聞きするたびに、私の心は折れてしまいました。 ええ、バッキバキに。 もういいですよね。あとは好きにさせていただきます。

主人公は高みの見物していたい

ポリ 外丸
ファンタジー
高等魔術学園に入学した主人公の新田伸。彼は大人しく高校生活を送りたいのに、友人たちが問題を持ち込んでくる。嫌々ながら巻き込まれつつ、彼は徹底的に目立たないようにやり過ごそうとする。例え相手が高校最強と呼ばれる人間だろうと、やり過ごす自信が彼にはあった。何故なら、彼こそが世界最強の魔術使いなのだから……。最強の魔術使いの高校生が、平穏な学園生活のために実力を隠しながら、迫り来る問題を解決していく物語。 ※主人公はできる限り本気を出さず、ずっと実力を誤魔化し続けます ※小説家になろう、ノベルアップ+、ノベルバ、カクヨムにも投稿しています。

錬金術師カレンはもう妥協しません

山梨ネコ
ファンタジー
「おまえとの婚約は破棄させてもらう」 前は病弱だったものの今は現在エリート街道を驀進中の婚約者に捨てられた、Fランク錬金術師のカレン。 病弱な頃、支えてあげたのは誰だと思っているのか。 自棄酒に溺れたカレンは、弾みでとんでもない条件を付けてとある依頼を受けてしまう。 それは『血筋の祝福』という、受け継いだ膨大な魔力によって苦しむ呪いにかかった甥っ子を救ってほしいという貴族からの依頼だった。 依頼内容はともかくとして問題は、報酬は思いのままというその依頼に、達成報酬としてカレンが依頼人との結婚を望んでしまったことだった。 王都で今一番結婚したい男、ユリウス・エーレルト。 前世も今世も妥協して付き合ったはずの男に振られたカレンは、もう妥協はするまいと、美しく強く家柄がいいという、三国一の男を所望してしまったのだった。 ともかくは依頼達成のため、錬金術師としてカレンはポーションを作り出す。 仕事を通じて様々な人々と関わりながら、カレンの心境に変化が訪れていく。 錬金術師カレンの新しい人生が幕を開ける。 ※小説家になろうにも投稿中。

忍びの末裔の俺、異世界でも多忙に候ふ

たぬきち25番
ファンタジー
 忍びの術は血に記憶される。  忍びの術を受け継ぐ【現代の忍び】藤池 蓮(ふじいけ れん)は、かなり多忙だ。  現代社会において、忍びの需要は無くなるどころか人手が足りない状況だ。そんな多忙な蓮は任務を終えた帰りに、異世界に転移させられてしまった。  異世界で、人の未来を左右する【選択肢】を見れるレアスキルを手にしてしまった蓮は、通りすがりの訳アリの令嬢からすがられ、血に刻まれた【獣使役】の力で討伐対象である猛獣からも懐かれ、相変わらず忙しい毎日を過ごすことになったのだった。 ※週一更新を予定しております!

異世界召喚されて捨てられた僕が邪神であることを誰も知らない……たぶん。

レオナール D
ファンタジー
異世界召喚。 おなじみのそれに巻き込まれてしまった主人公・花散ウータと四人の友人。 友人達が『勇者』や『聖女』といった職業に選ばれる中で、ウータだけが『無職』という何の力もないジョブだった。 ウータは金を渡されて城を出ることになるのだが……召喚主である国王に嵌められて、兵士に斬殺されてしまう。 だが、彼らは気がついていなかった。ウータは学生で無職ではあったが、とんでもない秘密を抱えていることに。 花散ウータ。彼は人間ではなく邪神だったのである。 

侯爵夫人は子育て要員でした。

シンさん
ファンタジー
継母にいじめられる伯爵令嬢ルーナは、初恋のトーマ・ラッセンにプロポーズされて結婚した。 楽しい暮らしがまっていると思ったのに、結婚した理由は愛人の妊娠と出産を私でごまかすため。 初恋も一瞬でさめたわ。 まぁ、伯爵邸にいるよりましだし、そのうち離縁すればすむ事だからいいけどね。 離縁するために子育てを頑張る夫人と、その夫との恋愛ストーリー。

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

追放された魔女は、実は聖女でした。聖なる加護がなくなった国は、もうおしまいのようです【第一部完】

小平ニコ
ファンタジー
人里離れた森の奥で、ずっと魔法の研究をしていたラディアは、ある日突然、軍隊を率いてやって来た王太子デルロックに『邪悪な魔女』呼ばわりされ、国を追放される。 魔法の天才であるラディアは、その気になれば軍隊を蹴散らすこともできたが、争いを好まず、物や場所にまったく執着しない性格なので、素直に国を出て、『せっかくだから』と、旅をすることにした。 『邪悪な魔女』を追い払い、国民たちから喝采を浴びるデルロックだったが、彼は知らなかった。魔女だと思っていたラディアが、本人も気づかぬうちに、災いから国を守っていた聖女であることを……

処理中です...