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第一部
第94話 いいこと思いついちゃった
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(……レオンらしい)
いつも優しく微笑って、飄々として、あの船に乗っている間、わたしが不安にならないように、皆で気遣い、心を配ってくれた。
優しい海賊達について、どこまで言おうか言うべきか、迷っていた。
この手紙は、わたしがくよくよと気に病んでいることを見透かして、書いてくれたに違いない。
眩しい青い空と海。甲板ではためく洗濯物の太陽の香り。冗談と笑いで溢れた食卓。
国を失い、故郷を追われても、騎士道精神と優しさを失わなかった、亡国の騎士達。
左にぴったりくっついたままのブランシュが、小首を傾げて、ほうっと吐息を漏らした。
「……まあ! 何だかこれって、とっても、……ロマンチックじゃない?」
「ブ、ブランシュ……」
ノワゼット公爵が、困惑した風に眉尻を下げる。
「あら、冗談よ」
隣のブランシュが、繋ぐ手にぎゅっと力を込め、ふふっと柔らかく笑う。
「ブランシュ……」
「ね、ウェイン卿?」
見ると、悪戯を思い付いた少女のような顔をして、ブランシュはウェイン卿を呼んだ。向かいに座る眉尻を下げたノワゼット公爵の視線は、先ほどからウェイン卿に向いている。
二人の視線を辿り見上げてみて、ぎょっとする。
ウェイン卿の眉間には深い皺。唇は固く結ばれ、眇られた瞳には、赤い陽炎が灯る。それは、つまり、
(すんごく、機嫌悪そう……)
そこで、ハッとした。
ウェイン卿はじめ騎士の皆様は、一週間近く、わたしを探してくれていたのだ。
それなのに、フラムクーヘンなど作ってへらへら呑気に船旅を楽しんでいたことが、白日の下にさらされてしまった。これは、つまり、
(激怒されて、しかるべき……!)
「あ、あのう! こ……この度は、多大なご迷惑をおかけしておきながら、呑気にフラムクーヘンなど焼いておりまして、誠に、申し訳ございませんでした」
ウェイン卿はこちらを、ちらっと見やり、「いえ……」と、ふいと目を逸らす。その目には、相変わらず赤い陽炎のようなものが灯っている。
欲しいおもちゃを買ってもらえなかった子どもでも、これほど不機嫌な顔はすまいと思われた。
(……完っ全に、気分を害している……!)
おろおろと周りを見回すと、公爵と他の騎士達は怒ってはいなかった。ただ、あーあ、と眉尻を下げてウェイン卿を見ている。
「……ああ、そうだよ! いいこと考えた!」
唐突に、ノワゼット公爵が、ぽんと手を打った。
その整った顔に映る満面の笑みを見て、この上なく、嫌な予感が走る。
「リリアーナとレクター、君たち、婚約したら?」
「…………はい?」
……なんて?
(……えーと? 聞き間違いですかね? 聞き間違いですよね?)
時間の停止した部屋の中で、ノワゼット公爵だけが、陽気な口調で滔々と語り出す。
「だってほら、ハイドランジアの残党が、リリアーナを攫いに来るって書いてある。このレオンとかいう男、凄腕みたいだ。じゃあ、レクターと一緒にいた方がいい。ロンサール伯爵とブランシュもそう思うだろ?」
「え? そうかな……? 別に……」
「そう、……かしら?」
ランブラーとブランシュも目が点になっている。どう見ても、あまりの無茶ぶりに頭の回転が追い付いていない。
「しかも、先日のパーティでリリアーナを見初めた連中から、早速、申し込みが届いてるんだろ? さっきちょっと見たけど、グラハム・ドーンの屋敷は、マジェンタ地区だよ。あと、ノイ伯爵邸もマジェンダだ」
それを聞いて、ランブラーとブランシュが目を見開いた。
「まさか! マジェンダ地区なんて、川向こうの右岸じゃないの! 馬車で一時間近くかかるじゃない! リリアーナがそんな遠いところに行くなんて、絶対に駄目よ!」
「そうだろ? しかも、バルビエ侯爵家なんか毎年、夏になると領地のラムズイヤー島に避暑に行っちゃって、三か月帰ってこない」
「そ、そんな馬鹿な……!? う、嘘だろ……? 三か月もリリアーナと離れるなんて、絶対に無理だ!」
「そうだろう、そうだろう。その点、レクター・ウェインはいいよ。公爵邸の近くでも伯爵邸の近くでも、レディ・リリアーナのいるところならどこでもいいよね?」
突然、水を向けられたウェイン卿を見る。
わたしと同じく愕然としていたが、さっきまで瞳に宿っていた陽炎のような赤い光は、もうなくなっていた。代わりに、目尻がほんのり赤く染まっている。
「は、はい、まあ……」
あまりのことに、おそらく思考が追い付いていないウェイン卿が、ぼんやりと答える。
「そうだろう、そうだろう? 功績には何の問題ないから、陛下に頼んで、ちゃんと爵位ももらっとく。僕の一押しだよ」
それを聞いて、ブランシュとランブラーは呆けたように呟いた。
「「た、確かに……」」
ノワゼット公爵は、満足気に頷いている。
(…………え?)
いやいやいやいや、無理無理無理無理。
わたしと婚約なんて、ウェイン卿が気の毒すぎる!
いくら上司とは言え、婚約まで勝手に決めて従わせるのは、流石にやりすぎである。
まさか、とハッとする。
ノワゼット公爵は、わたしの恋心に気付いていた……?
色々あってすっかり忘れていたが、ノワゼット公爵と言えば、戦争を勝利に導き、歴史に名を残す軍師とまで言われる人であった。
小娘が必死に心の内を隠しても、全てまるっとお見通しだったに違いない。
これはもう、間違いなく、
――愛するブランシュの妹が、叶わぬ恋に身を焦がしているのを憐れみ、部下のウェイン卿に押し付け、犠牲にしようとしている!?
「どうだい、レクターとレディ・リリアーナ?」
公爵に満面の笑みで問われて、はっきりと口にする。
「無理です!」
「はい、わたしは」
ウェイン卿が何か言いかけたようだが、気にせずに続ける。
「無理です!! 絶っっ対に、無理です!! ウェイン卿とわたくしが、婚約? あり得ません! わけがわかりません! そうですよね? ウェイン卿!!」
同意を求めてウェイン卿を見上げると、その顔は今度は青くなっていた。気のせいか、周りの騎士達の顔色も悪い。
ノワゼット公爵に視線を戻すと、その顔は、あちゃー、であった。ランブラーとブランシュまでが、口元を手で覆って、可哀想……って顔をしている。
公爵が、困惑したような笑みを浮かべたまま、ウェイン卿に向かって口を開いた。
「レクター、ちょっと、レディ・リリアーナを説得してくるか……?」
「……はい、そうします。令嬢、行きましょう」
深刻な面持ちで頷いたウェイン卿は、そのまま、がばりとソファに座っているわたしの腰に腕をまわす。
ぴったりくっついていたブランシュは、ぱっと手と身体を離し、わたしに向かって、ぱちんとウィンクして見せた。
「……はい?」
(……ブランシュも、知ってるの?)
なんでバレた? どこでバレた?
「では、少し、庭を散歩して参ります」
沈痛な面持ちのウェイン卿にわき腹のあたりを持ち上げて立たされる。半分足が浮いた状態で、キャリエール卿がさっと開けたドアをくぐった。
「レクター、お手柔らかにねー……」
ノワゼット公爵の控えめな声が、背後から聞こえた。
いつも優しく微笑って、飄々として、あの船に乗っている間、わたしが不安にならないように、皆で気遣い、心を配ってくれた。
優しい海賊達について、どこまで言おうか言うべきか、迷っていた。
この手紙は、わたしがくよくよと気に病んでいることを見透かして、書いてくれたに違いない。
眩しい青い空と海。甲板ではためく洗濯物の太陽の香り。冗談と笑いで溢れた食卓。
国を失い、故郷を追われても、騎士道精神と優しさを失わなかった、亡国の騎士達。
左にぴったりくっついたままのブランシュが、小首を傾げて、ほうっと吐息を漏らした。
「……まあ! 何だかこれって、とっても、……ロマンチックじゃない?」
「ブ、ブランシュ……」
ノワゼット公爵が、困惑した風に眉尻を下げる。
「あら、冗談よ」
隣のブランシュが、繋ぐ手にぎゅっと力を込め、ふふっと柔らかく笑う。
「ブランシュ……」
「ね、ウェイン卿?」
見ると、悪戯を思い付いた少女のような顔をして、ブランシュはウェイン卿を呼んだ。向かいに座る眉尻を下げたノワゼット公爵の視線は、先ほどからウェイン卿に向いている。
二人の視線を辿り見上げてみて、ぎょっとする。
ウェイン卿の眉間には深い皺。唇は固く結ばれ、眇られた瞳には、赤い陽炎が灯る。それは、つまり、
(すんごく、機嫌悪そう……)
そこで、ハッとした。
ウェイン卿はじめ騎士の皆様は、一週間近く、わたしを探してくれていたのだ。
それなのに、フラムクーヘンなど作ってへらへら呑気に船旅を楽しんでいたことが、白日の下にさらされてしまった。これは、つまり、
(激怒されて、しかるべき……!)
「あ、あのう! こ……この度は、多大なご迷惑をおかけしておきながら、呑気にフラムクーヘンなど焼いておりまして、誠に、申し訳ございませんでした」
ウェイン卿はこちらを、ちらっと見やり、「いえ……」と、ふいと目を逸らす。その目には、相変わらず赤い陽炎のようなものが灯っている。
欲しいおもちゃを買ってもらえなかった子どもでも、これほど不機嫌な顔はすまいと思われた。
(……完っ全に、気分を害している……!)
おろおろと周りを見回すと、公爵と他の騎士達は怒ってはいなかった。ただ、あーあ、と眉尻を下げてウェイン卿を見ている。
「……ああ、そうだよ! いいこと考えた!」
唐突に、ノワゼット公爵が、ぽんと手を打った。
その整った顔に映る満面の笑みを見て、この上なく、嫌な予感が走る。
「リリアーナとレクター、君たち、婚約したら?」
「…………はい?」
……なんて?
(……えーと? 聞き間違いですかね? 聞き間違いですよね?)
時間の停止した部屋の中で、ノワゼット公爵だけが、陽気な口調で滔々と語り出す。
「だってほら、ハイドランジアの残党が、リリアーナを攫いに来るって書いてある。このレオンとかいう男、凄腕みたいだ。じゃあ、レクターと一緒にいた方がいい。ロンサール伯爵とブランシュもそう思うだろ?」
「え? そうかな……? 別に……」
「そう、……かしら?」
ランブラーとブランシュも目が点になっている。どう見ても、あまりの無茶ぶりに頭の回転が追い付いていない。
「しかも、先日のパーティでリリアーナを見初めた連中から、早速、申し込みが届いてるんだろ? さっきちょっと見たけど、グラハム・ドーンの屋敷は、マジェンタ地区だよ。あと、ノイ伯爵邸もマジェンダだ」
それを聞いて、ランブラーとブランシュが目を見開いた。
「まさか! マジェンダ地区なんて、川向こうの右岸じゃないの! 馬車で一時間近くかかるじゃない! リリアーナがそんな遠いところに行くなんて、絶対に駄目よ!」
「そうだろ? しかも、バルビエ侯爵家なんか毎年、夏になると領地のラムズイヤー島に避暑に行っちゃって、三か月帰ってこない」
「そ、そんな馬鹿な……!? う、嘘だろ……? 三か月もリリアーナと離れるなんて、絶対に無理だ!」
「そうだろう、そうだろう。その点、レクター・ウェインはいいよ。公爵邸の近くでも伯爵邸の近くでも、レディ・リリアーナのいるところならどこでもいいよね?」
突然、水を向けられたウェイン卿を見る。
わたしと同じく愕然としていたが、さっきまで瞳に宿っていた陽炎のような赤い光は、もうなくなっていた。代わりに、目尻がほんのり赤く染まっている。
「は、はい、まあ……」
あまりのことに、おそらく思考が追い付いていないウェイン卿が、ぼんやりと答える。
「そうだろう、そうだろう? 功績には何の問題ないから、陛下に頼んで、ちゃんと爵位ももらっとく。僕の一押しだよ」
それを聞いて、ブランシュとランブラーは呆けたように呟いた。
「「た、確かに……」」
ノワゼット公爵は、満足気に頷いている。
(…………え?)
いやいやいやいや、無理無理無理無理。
わたしと婚約なんて、ウェイン卿が気の毒すぎる!
いくら上司とは言え、婚約まで勝手に決めて従わせるのは、流石にやりすぎである。
まさか、とハッとする。
ノワゼット公爵は、わたしの恋心に気付いていた……?
色々あってすっかり忘れていたが、ノワゼット公爵と言えば、戦争を勝利に導き、歴史に名を残す軍師とまで言われる人であった。
小娘が必死に心の内を隠しても、全てまるっとお見通しだったに違いない。
これはもう、間違いなく、
――愛するブランシュの妹が、叶わぬ恋に身を焦がしているのを憐れみ、部下のウェイン卿に押し付け、犠牲にしようとしている!?
「どうだい、レクターとレディ・リリアーナ?」
公爵に満面の笑みで問われて、はっきりと口にする。
「無理です!」
「はい、わたしは」
ウェイン卿が何か言いかけたようだが、気にせずに続ける。
「無理です!! 絶っっ対に、無理です!! ウェイン卿とわたくしが、婚約? あり得ません! わけがわかりません! そうですよね? ウェイン卿!!」
同意を求めてウェイン卿を見上げると、その顔は今度は青くなっていた。気のせいか、周りの騎士達の顔色も悪い。
ノワゼット公爵に視線を戻すと、その顔は、あちゃー、であった。ランブラーとブランシュまでが、口元を手で覆って、可哀想……って顔をしている。
公爵が、困惑したような笑みを浮かべたまま、ウェイン卿に向かって口を開いた。
「レクター、ちょっと、レディ・リリアーナを説得してくるか……?」
「……はい、そうします。令嬢、行きましょう」
深刻な面持ちで頷いたウェイン卿は、そのまま、がばりとソファに座っているわたしの腰に腕をまわす。
ぴったりくっついていたブランシュは、ぱっと手と身体を離し、わたしに向かって、ぱちんとウィンクして見せた。
「……はい?」
(……ブランシュも、知ってるの?)
なんでバレた? どこでバレた?
「では、少し、庭を散歩して参ります」
沈痛な面持ちのウェイン卿にわき腹のあたりを持ち上げて立たされる。半分足が浮いた状態で、キャリエール卿がさっと開けたドアをくぐった。
「レクター、お手柔らかにねー……」
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