屋根裏の魔女、恋を忍ぶ

如月 安

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第一部

第27話 乗りたくない

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「……っ!……わたくし……その、お見苦しいものを……」

 部屋を見回して床に落ちている帽子を見つけると、あたふたと拾い上げ、手で汚れを簡単に払うと、素早く頭にのせ、ベールで髪と瞳を隠す。

 ――な、な、な、なんということでしょう。

 ノワゼット公爵の騎士達に、顔を見られてしまった。

 ど・ど・ど・どうしよう……。

 頭の中で、ゴシップ誌の見出しが踊った。

『ロンサール伯爵家の醜聞! 夫人の浮気? リリアーナの瞳と髪は黒かった!!』

 慌てて三人を見やると、ぽかんとしているが、特に何か気付いたようでもなければ、不快そうでもなかった。

『あれあれ? なんで前ロンサール伯爵の娘が、黒髪と黒い瞳なんだ?』

『おかしい。伯爵夫妻は、金髪碧眼だったのに』

『さては、伯爵の娘じゃないな! 騙しやがって!』

 ……などと思われている様子は、特に見て取れなかった。


 よくよく考えれば、騎士達は、この二年ばかり、ノワゼット公爵に付き従って、ときどき屋敷に出入りしていたに過ぎない。
 とうに亡くなったわたしの両親のことなど、知る由もなければ、興味もないだろう。

(……見られてしまったものはしょうがない。開き直って、何事もなかったかのようにやり過ごそう)

 そして、今度こそ、これっきり。

 この怖い騎士達とは、金輪際、一生、永遠に、遭遇しないように隠れまくって逃げ延びて、長生きしてみせる。

「……ええと、それでは、わたくしは、これで失礼致しますので、」

 言い終わらぬうちに、ウェイン卿がはっとしたように目を見張ると、つかつかと歩み寄ってきて、わたしの左腕をがしっと掴んだ。

 ものすごく、ぎょっとする。

 ま、ま、ま、まさか、今? い、今ですか?
 考えてること、ばれましたか!?
 いやいやいや、こんな、ドアも開けっ放しの、近所に声も音も駄々洩れな状況で、う、嘘でしょ――!?

 人生のピリオドを覚悟して、目を瞑った。

 数秒待ってみても、剣を抜く音は聞こえない。

 恐る恐る目を開け、恐怖に引き攣りながら見上げると、ウェイン卿は眉根を寄せ、何かをじっと見つめていた。
 視線の先は、わたしの左腕だった。さっきセシリアが投げた皿の破片が当たって少し切れ、赤く血が滲んでいる。

 今の今まで忘れていたくらいなので、大した傷ではなない。
 むしろ、たった今、寿命が三年縮んだことの方が、問題だった。

 掴んでいた手は、すっと離された。

「……令嬢を屋敷までお送りしてくる。オデイエは、クリス達を公爵邸に送って行ってくれ。キャリエールは、人を集めてここの後始末を頼む」

 ウェイン卿が低い声で言うと、オデイエ卿とキャリエール卿が呆けた顔のまま答えた。
 
「わかりました。馬車はもう呼んでありますので、子ども達はわたしが責任持って、ちゃんと送っときます。あの……伯爵令嬢、お気をつけて」

「俺も、了解です。あの……伯爵令嬢、今日は、ゆっくり休んでください」

 意外すぎる優しい声かけに、また仰天する。

 ど……どうかしたのだろうか?

 これはこれで、逆に心臓に悪かった。さっきの衝撃がまだ冷めやらず、思わず、素が現れてしまっているのかも知れない。
 二人とも、根は優しい人だったのだろうな、と思う。
 もう金輪際、二度と会わない予定だが、最後の印象が僅かでも好意的に絞め括られて、良かった。

「ありがとうございます。皆様も、どうかお気を付けて。ですが、これでは馬車を汚してしまいますから、一人で歩いて帰ります。図書館も近く、すぐそこは歩き慣れた通りですから、どうぞ、お気遣いありませんように」

 自分のドレスを見ると、生ごみと吐しゃ物の飛沫にまみれて、ひどい有り様である。これでは誰だって、あの塵一つないピカピカの馬車に乗せるのを躊躇うだろう。
 
 何より、自分を仕留めようとしている人と一緒に帰りたくなどない。

 少し前なら、送ってやるなどと言われたら天にも昇れるほど喜んだだろうが、流石にそこまで愚かじゃない。

 どれほど素敵な相手でも、天敵と一緒にいたいと願うドブネズミはいない。

 しかし、普段通りの無表情に戻ったウェイン卿は、そう述べたわたしに向かって、眉を顰めた。

「それでは、失礼いたします」

 踵を返してさっさと戸口に向かおうとすると、ウェイン卿がさっと立ちはだかった。

 ぎくりとしたが、ドブネズミだって、命は惜しい。

 知らんぷりして避けて通ろうとすると、ウェイン卿も同じように移動して、また立ちはだかる。
 何度かそれを繰り返す。
 観念して、恐る恐る顔を上げると、眉を顰め、怒りを湛えた瞳で睨まれていた。

 蛇に睨まれたカエルならぬドブネズミのように身が竦み、「ひっ」と咽喉から出かかった声を必死に飲み込む。

 ウェイン卿は、何やら怒っている様子で、口早に言った。

「急ぎますので」

 嫌です! 乗りたくありません! と言いたいのに、口からは違う言葉が出た。

「……そ、そうですよね、申し訳ありません……」

 己の、己の気弱さが、憎い……!

 思いとは裏腹に、促されるまま、急ぎ足で馬車に乗り込んだ。






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