96 / 101
第九章 それぞれの想い
夫として、『影』として
しおりを挟む
「ところで、アメリアを実妹だと公表した後のことだが」
クラークの言葉に、頭を下げていたセドリックは弾かれるように顔を上げた。
「正直、先にも言ったように、このままここにアメリアを置いておきたくはない。私はあの子の幸せを願っていた。あの子を手放すのは嫌だったが、遠く王都から離れ、何より、そなたに嫁せば幸せになると信じていたんだ。今となっては、なんて愚かな考えだったのかと思う」
「何故…、私だったのでしょうか」
それは、ずっと不思議に思っていたことであった。
たしかにサラトガ騎士団は王国一強いだろう。
国境に接してはいるが、いざという時守ってもらえると判断したのも本音だと思う。
また、悪い噂から遠ざけるために王都から離れさせたかったというのも理解できる。
だが、わざわざ辺境に嫁がせずとも、他にいくらだって貴族家の子息はいたのではないだろうか。
中には、王の養女が降嫁してきたと有り難く思う者だっていたかもしれない。
しかしセドリックの問いを聞いたクラークは、僅かに眉を顰めた。
「…そうか。そなたはそれさえも知らなかったのか。そんな会話でさえ、アメリアとの間になかったのだな」
「…どういうことでしょうか?」
「…いや。これを私の口から話すのは憚られる。戦を終えて凱旋してきたら、本人の口から聞くといい」
「本人……?」
「ああ。もちろんアメリアのことだ」
何やらもったいぶった言い方に眉を上げたセドリックだったが、元よりこんなことで腹を立てる資格はない。
セドリックはこれまでアメリアに関するあらゆることを見過ごし、放置してきたのだから。
「しかしこのまま王宮に連れ帰ったとしても、あの子にとっては居心地が悪いだろう。どんなに真実を訴えても、アメリアを不義の子と見る輩は必ずいる。それなら、王家で持つ保養地の離宮でのんびり暮らすか、また、この国が生きづらければ、遠い国へ留学させるなど、あの子の望むようにしてやりたい。『影』によるとあの子は楽しそうに教師の職を務めていたようだから、市井で自由に暮らさせてやってもいい。ただ、それでもアメリアの所在を突き止め、利用しようとする輩はいる。だから、あの子がどの道を選んでも、私は全力で応援するつもりだ。今度こそ、アメリアを…、妹を、命をかけて守りたい。あの子を命がけで生んだ母の思いに報いるためにも、あの子には幸せになる義務がある」
ーー命をかけて守り抜くーー
その言葉は、本来ならセドリックの言葉であるはずだった。
しかし今のセドリックにその言葉を言う資格はない。
先程から義兄が離縁前提の話をしていても、それに反論する言葉さえ持ち合わせていないのだ。
セドリックは再び深々と頭を下げると、退出するため立ち上がった。
しかし部屋を出る前に、国王の後ろに控える『影』に目をやった。
「陛下。この後少し、彼と話す時間をいただいてもよろしいでしょうか」
◇◇◇
「…私に何かご用でしょうか」
貴賓室を退出したセドリックは、自分の執務室に『影』を誘った。
『影』は無表情のままセドリックと対峙し、そうたずねる。
アメリアの前で見せていた『シオンの笑顔』とは別人のようで、セドリックは苦笑した。
「そなた…、名をなんという?」
「…私に名はありません。今は『シオン』とお呼びください」
「ではシオン。此度は、我が妻を救ってくれたこと、感謝する」
突然深々と頭を下げるセドリックに、さすがにシオンも面食らった。
今は2人きりとはいえ、サラトガ公爵が一介の『影』に頭を下げたのだから。
しかし国王直属の『影』として生きてきた彼は、当然動揺を見せたりはしない。
「…頭をお上げください、閣下。あの方を救ったのは、結局閣下ではありませんか」
「いや。そなたがいなければ、私は全て後手後手にまわっていた。おそらく、あのままアメリアを賊に連れ去られていただろう」
賊は、騎士団の大半が戦に出て手薄になった領都の港を突破するつもりだったようだ。
海をまわって隣国にアメリアを連れ去る予定だったのだろう。
海に出られてしまえば、海賊の方がずっと有利である。
実際、アメリアを保護した直後、水平線に黒い影が見られたと報告が入っている。
おそらく、港の近くまで海賊の船団が来ていたのだろう。
もう少しアメリア救出が遅かったら、港を襲われ、彼女を連れ去られていたかもしれない。
「そなたがアメリアを連れて逃げてくれたのは、絶妙のタイミングだった。あのまま小屋の中に拘束されたままだったら、踏み込むのを躊躇しただろうしな」
「…あのタイミングだったのは偶然です。それに、私が連れて逃げたわけではありません。あの方は自分の意思で、自分の力であの小屋を逃げ出したのです」
「アメリアが…、自分で?」
「はい。見張りの女を倒し、服を取り替え、自分の足で逃げたのです。僕はそれをお助けしただけです」
セドリックは驚いて目を見開いた。
まさかアメリア自身が行動を起こしたのがきっかけだとは、今の今まで思っていなかったのだ。
「そうか…、アメリアは自分で…」
「あの方は、陛下や閣下が思っているよりずっとお強い方です。きっとこれからの道も、ご自分で切り開いていかれるでしょう」
シオンの強い眼差しを受け、セドリックは頷いた。
きっとシオンには、セドリック以上にアメリアを見続けてきたという自負があるのだろう。
もしかしたら護衛対象以上の気持ちもあるのかもしれない。
しかし所詮は『影』である自分の立場もよく理解しているのだ。
「とにかく。今まで見守ってくれていたことにも、今回助けてくれたことにも、心から礼を言う。これからも、どうかよろしく頼む」
再びセドリックが頭を下げた時、とうとう無表情なシオンの目が見開いた。
これまで散々『英雄』扱いされてきた公爵が、時には使い捨てでさえある『影』に真摯に礼を言うなど、信じられなかったのだ。
クラークの言葉に、頭を下げていたセドリックは弾かれるように顔を上げた。
「正直、先にも言ったように、このままここにアメリアを置いておきたくはない。私はあの子の幸せを願っていた。あの子を手放すのは嫌だったが、遠く王都から離れ、何より、そなたに嫁せば幸せになると信じていたんだ。今となっては、なんて愚かな考えだったのかと思う」
「何故…、私だったのでしょうか」
それは、ずっと不思議に思っていたことであった。
たしかにサラトガ騎士団は王国一強いだろう。
国境に接してはいるが、いざという時守ってもらえると判断したのも本音だと思う。
また、悪い噂から遠ざけるために王都から離れさせたかったというのも理解できる。
だが、わざわざ辺境に嫁がせずとも、他にいくらだって貴族家の子息はいたのではないだろうか。
中には、王の養女が降嫁してきたと有り難く思う者だっていたかもしれない。
しかしセドリックの問いを聞いたクラークは、僅かに眉を顰めた。
「…そうか。そなたはそれさえも知らなかったのか。そんな会話でさえ、アメリアとの間になかったのだな」
「…どういうことでしょうか?」
「…いや。これを私の口から話すのは憚られる。戦を終えて凱旋してきたら、本人の口から聞くといい」
「本人……?」
「ああ。もちろんアメリアのことだ」
何やらもったいぶった言い方に眉を上げたセドリックだったが、元よりこんなことで腹を立てる資格はない。
セドリックはこれまでアメリアに関するあらゆることを見過ごし、放置してきたのだから。
「しかしこのまま王宮に連れ帰ったとしても、あの子にとっては居心地が悪いだろう。どんなに真実を訴えても、アメリアを不義の子と見る輩は必ずいる。それなら、王家で持つ保養地の離宮でのんびり暮らすか、また、この国が生きづらければ、遠い国へ留学させるなど、あの子の望むようにしてやりたい。『影』によるとあの子は楽しそうに教師の職を務めていたようだから、市井で自由に暮らさせてやってもいい。ただ、それでもアメリアの所在を突き止め、利用しようとする輩はいる。だから、あの子がどの道を選んでも、私は全力で応援するつもりだ。今度こそ、アメリアを…、妹を、命をかけて守りたい。あの子を命がけで生んだ母の思いに報いるためにも、あの子には幸せになる義務がある」
ーー命をかけて守り抜くーー
その言葉は、本来ならセドリックの言葉であるはずだった。
しかし今のセドリックにその言葉を言う資格はない。
先程から義兄が離縁前提の話をしていても、それに反論する言葉さえ持ち合わせていないのだ。
セドリックは再び深々と頭を下げると、退出するため立ち上がった。
しかし部屋を出る前に、国王の後ろに控える『影』に目をやった。
「陛下。この後少し、彼と話す時間をいただいてもよろしいでしょうか」
◇◇◇
「…私に何かご用でしょうか」
貴賓室を退出したセドリックは、自分の執務室に『影』を誘った。
『影』は無表情のままセドリックと対峙し、そうたずねる。
アメリアの前で見せていた『シオンの笑顔』とは別人のようで、セドリックは苦笑した。
「そなた…、名をなんという?」
「…私に名はありません。今は『シオン』とお呼びください」
「ではシオン。此度は、我が妻を救ってくれたこと、感謝する」
突然深々と頭を下げるセドリックに、さすがにシオンも面食らった。
今は2人きりとはいえ、サラトガ公爵が一介の『影』に頭を下げたのだから。
しかし国王直属の『影』として生きてきた彼は、当然動揺を見せたりはしない。
「…頭をお上げください、閣下。あの方を救ったのは、結局閣下ではありませんか」
「いや。そなたがいなければ、私は全て後手後手にまわっていた。おそらく、あのままアメリアを賊に連れ去られていただろう」
賊は、騎士団の大半が戦に出て手薄になった領都の港を突破するつもりだったようだ。
海をまわって隣国にアメリアを連れ去る予定だったのだろう。
海に出られてしまえば、海賊の方がずっと有利である。
実際、アメリアを保護した直後、水平線に黒い影が見られたと報告が入っている。
おそらく、港の近くまで海賊の船団が来ていたのだろう。
もう少しアメリア救出が遅かったら、港を襲われ、彼女を連れ去られていたかもしれない。
「そなたがアメリアを連れて逃げてくれたのは、絶妙のタイミングだった。あのまま小屋の中に拘束されたままだったら、踏み込むのを躊躇しただろうしな」
「…あのタイミングだったのは偶然です。それに、私が連れて逃げたわけではありません。あの方は自分の意思で、自分の力であの小屋を逃げ出したのです」
「アメリアが…、自分で?」
「はい。見張りの女を倒し、服を取り替え、自分の足で逃げたのです。僕はそれをお助けしただけです」
セドリックは驚いて目を見開いた。
まさかアメリア自身が行動を起こしたのがきっかけだとは、今の今まで思っていなかったのだ。
「そうか…、アメリアは自分で…」
「あの方は、陛下や閣下が思っているよりずっとお強い方です。きっとこれからの道も、ご自分で切り開いていかれるでしょう」
シオンの強い眼差しを受け、セドリックは頷いた。
きっとシオンには、セドリック以上にアメリアを見続けてきたという自負があるのだろう。
もしかしたら護衛対象以上の気持ちもあるのかもしれない。
しかし所詮は『影』である自分の立場もよく理解しているのだ。
「とにかく。今まで見守ってくれていたことにも、今回助けてくれたことにも、心から礼を言う。これからも、どうかよろしく頼む」
再びセドリックが頭を下げた時、とうとう無表情なシオンの目が見開いた。
これまで散々『英雄』扱いされてきた公爵が、時には使い捨てでさえある『影』に真摯に礼を言うなど、信じられなかったのだ。
18
お気に入りに追加
1,229
あなたにおすすめの小説
ある愚かな婚約破棄の結末
オレンジ方解石
恋愛
セドリック王子から婚約破棄を宣言されたアデライド。
王子の愚かさに頭を抱えるが、周囲は一斉に「アデライドが悪い」と王子の味方をして…………。
※一応ジャンルを『恋愛』に設定してありますが、甘さ控えめです。
私、女王にならなくてもいいの?
gacchi
恋愛
他国との戦争が続く中、女王になるために頑張っていたシルヴィア。16歳になる直前に父親である国王に告げられます。「お前の結婚相手が決まったよ。」「王配を決めたのですか?」「お前は女王にならないよ。」え?じゃあ、停戦のための政略結婚?え?どうしてあなたが結婚相手なの?5/9完結しました。ありがとうございました。
いつかの空を見る日まで
たつみ
恋愛
皇命により皇太子の婚約者となったカサンドラ。皇太子は彼女に無関心だったが、彼女も皇太子には無関心。婚姻する気なんてさらさらなく、逃げることだけ考えている。忠実な従僕と逃げる準備を進めていたのだが、不用意にも、皇太子の彼女に対する好感度を上げてしまい、執着されるはめに。複雑な事情がある彼女に、逃亡中止は有り得ない。生きるも死ぬもどうでもいいが、皇宮にだけはいたくないと、従僕と2人、ついに逃亡を決行するのだが。
------------
復讐、逆転ものではありませんので、それをご期待のかたはご注意ください。
悲しい内容が苦手というかたは、特にご注意ください。
中世・近世の欧風な雰囲気ですが、それっぽいだけです。
どんな展開でも、どんと来いなかた向けかもしれません。
(うわあ…ぇう~…がはっ…ぇえぇ~…となるところもあります)
他サイトでも掲載しています。
あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。
ふまさ
恋愛
楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。
でも。
愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。
【完結】少年の懺悔、少女の願い
干野ワニ
恋愛
伯爵家の嫡男に生まれたフェルナンには、ロズリーヌという幼い頃からの『親友』がいた。「気取ったご令嬢なんかと結婚するくらいならロズがいい」というフェルナンの希望で、二人は一年後に婚約することになったのだが……伯爵夫人となるべく王都での行儀見習いを終えた『親友』は、すっかり別人の『ご令嬢』となっていた。
そんな彼女に置いて行かれたと感じたフェルナンは、思わず「奔放な義妹の方が良い」などと言ってしまい――
なぜあの時、本当の気持ちを伝えておかなかったのか。
後悔しても、もう遅いのだ。
※本編が全7話で悲恋、後日談が全2話でハッピーエンド予定です。
※長編のスピンオフですが、単体で読めます。
悪役断罪?そもそも何かしましたか?
SHIN
恋愛
明日から王城に最終王妃教育のために登城する、懇談会パーティーに参加中の私の目の前では多人数の男性に囲まれてちやほやされている少女がいた。
男性はたしか婚約者がいたり妻がいたりするのだけど、良いのかしら。
あら、あそこに居ますのは第二王子では、ないですか。
えっ、婚約破棄?別に構いませんが、怒られますよ。
勘違い王子と企み少女に巻き込まれたある少女の話し。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる