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第八章 拉致、そして帰還
逃亡②
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間もなく、背後から男たちの怒声が聞こえ始めた。
怒声と足音から、追っ手はかなりの数だと思われる。
(ダメ…、力の限り逃げるの。これ以上、閣下やお兄様に迷惑をかけるわけにはいかない…!)
賊の話から、『拉致を指示した者』の目的はアメリア自身にあるようだった。
だから、自分がその『誰か』の元に送られることはサラトガ家とランドル王国に災いをもたらすものに違いないと思う。
このまま待っても、きっとサラトガ騎士団は、アメリアを救い出してくれるだろう。
それは信じている。
しかし自分だって、ランドル王国の王女として、そして『王国の盾』サラトガ家の嫁として、大人しくじっとしているのは嫌だと思った。
ただ助けを待つのではなく、自分から行動したいと思ったのだ。
足が痛い。顔が、体が痛い。
世話係の女性と取り替えた靴は大きく、逃げる途中で脱げてしまった。
不自由な手では遮る木々を避けることも出来ず、向かってくる枝に顔や体を傷付けられている。
男たちの怒声が間近に迫っている。
アメリアは小石に足を取られ、前につんのめった。
腕から転び、強かに額も打つ。
(もう、ダメなの…?…閣下…っ!)
立ちあがろうとしたアメリアの背後から、ニュッと腕が伸びてきた。
(……っ!!)
とうとう追いつかれたかと暴れようとしたところを、強い力で口を塞がれる。
「…静かに」
そう耳元で囁いた声は、確かに聞いたことのある声だった。
アメリアの口を塞いだその男は、枝を拾って明後日の方向に投げると、そのまま茂みの中に身を潜めた。
「あっちだ!!」
賊たちは枝が落ちる音を聞いてそちらの方へ走って行く。
しばらくして賊たちが周りにいなくなると、男はアメリアを立ち上がらせた。
「さぁ、今のうちに出来るだけ遠くに逃げましょう。奴らはすぐに戻ってきます」
「どうして、貴方が…っ」
「それは後で。今は逃げるのが先だ」
アメリアは強く頷くと、男の後ろについて走り出した。
どうしてこの人が…、彼は敵か、味方か…、と、疑問は果てしなく湧いてくるが、今はとにかく彼について逃げるしかない。
「大丈夫ですか?背負いましょうか?」
「いいえ、大丈夫。走れます」
足は痛いが、背負ってもらえばその分逃げるのが遅くなる。
幼い頃から野山を走り回っていたアメリアは足には自信があった。
「さすが、エイミー先生だ」
シオンが笑った気配がする。
暗闇で表情ははっきり見えないが、そう、その男は同僚のシオンだった。
半農半士のシオンは、兵糧兵として国境に赴いたはずである。
何故、そのシオンがこんなところにいるのか。
そもそも、教師であるシオンが何故、賊の仲間のような格好をして、ここにいるのか。
疑問は尽きないが、アメリアはとにかく力の限り走った。
賊は、シオンが投げた枝のおかげで全く逆の方向を探している。
その間に少し距離を稼いだ二人は、大きな岩陰に身を潜めた。
アメリアの足がもう限界だと察したシオンが、少し休むことを提案したのだ。
「…ごめんなさい、でも、私ならまだ走れるから…」
「何言ってるんですか、こんな足で」
靴が脱げ、裸足で逃げていたアメリアの足は傷だらけだ。
シオンは懐から出した布を引き裂くと、アメリアの足にぐるぐると巻きつけた。
「これでも、何も無いよりはマシでしょう」
「ありがとう、シオン先生…」
「必ず助けが来るはずですから、もう少し頑張ってください」
「助け…、ですか?」
「ええ、陛下が、急ぎこちらに向かっているはずです」
「陛下ですって⁈」
アメリアは驚いて、足の手当てをするシオンを見下ろした。
ここで『陛下』と呼ばれるのは、アメリアの実兄クラークしかいない。
何故シオンがこの国の国王に連絡したりできるのだろう。
そんなアメリアに構わず、シオンは足の手当てを続ける。
「陛下は開戦後すでにサラトガ領に向けて王都を発っていました。途中で僕の手紙を受け取ったはずですから、間もなく到着するはずです。どうかそれまで、堪えてください」
「シオン先生、貴方は一体…」
シオンは布の端をギュッと結び終わると、アメリアを見上げ、少しだけ微笑んだ。
「僕は、陛下が貴女につけた影の護衛なんですよ、アメリア王女殿下」
「影…?」
アメリアはさらなる驚きに目を丸くする。
「ええ、影です。護衛とか密偵とか、色々やります。サラトガ領の平民になりすましたり、海賊の仲間に潜り込んだりね」
「…平民に、なりすます…?」
「たとえば…、本当のシオンという青年は、8年前の戦で行方知れずになっていました。彼が天涯孤独の身の上なのをいいことに、僕は彼になりすましていたんです」
シオンは自嘲気味に、小さく笑った。
仕事とはいえ、こういうことを何度も繰り返してきたのだろう。
「僕は陛下の指示でサラトガ領に潜り込み、貴女を見守ってきました。先日兵糧兵として国境に向かったふりをしましたが、それも海賊団に潜り込むよう指示があったからです。でも、その隙に貴女が連れ去られてしまうなんて…。あの後、なんとか助け出せないかと様子を伺っていたのですが、でも、昨夜は…、」
そう言うとシオンは辛そうに唇を噛んだ。
おそらくアメリアが賊に襲われそうになったことを思い出しているのだろう。
「本当はすぐにお助けして逃げ出したかった。でも所詮多勢に無勢。逃げ切れるとは思えなかった。結局、『頭』に知らせるのが精一杯でした」
「そうだったんですか…」
アメリアは感慨深げにそう呟いた。
たしかにあの時、タイミング良く『頭』が現れた。
あれは、シオンのおかげだったのだ。
「ありがとうございます、シオン先生」
アメリアが礼を言って微笑むと、シオンは眩しそうに目線を下げた。
怒声と足音から、追っ手はかなりの数だと思われる。
(ダメ…、力の限り逃げるの。これ以上、閣下やお兄様に迷惑をかけるわけにはいかない…!)
賊の話から、『拉致を指示した者』の目的はアメリア自身にあるようだった。
だから、自分がその『誰か』の元に送られることはサラトガ家とランドル王国に災いをもたらすものに違いないと思う。
このまま待っても、きっとサラトガ騎士団は、アメリアを救い出してくれるだろう。
それは信じている。
しかし自分だって、ランドル王国の王女として、そして『王国の盾』サラトガ家の嫁として、大人しくじっとしているのは嫌だと思った。
ただ助けを待つのではなく、自分から行動したいと思ったのだ。
足が痛い。顔が、体が痛い。
世話係の女性と取り替えた靴は大きく、逃げる途中で脱げてしまった。
不自由な手では遮る木々を避けることも出来ず、向かってくる枝に顔や体を傷付けられている。
男たちの怒声が間近に迫っている。
アメリアは小石に足を取られ、前につんのめった。
腕から転び、強かに額も打つ。
(もう、ダメなの…?…閣下…っ!)
立ちあがろうとしたアメリアの背後から、ニュッと腕が伸びてきた。
(……っ!!)
とうとう追いつかれたかと暴れようとしたところを、強い力で口を塞がれる。
「…静かに」
そう耳元で囁いた声は、確かに聞いたことのある声だった。
アメリアの口を塞いだその男は、枝を拾って明後日の方向に投げると、そのまま茂みの中に身を潜めた。
「あっちだ!!」
賊たちは枝が落ちる音を聞いてそちらの方へ走って行く。
しばらくして賊たちが周りにいなくなると、男はアメリアを立ち上がらせた。
「さぁ、今のうちに出来るだけ遠くに逃げましょう。奴らはすぐに戻ってきます」
「どうして、貴方が…っ」
「それは後で。今は逃げるのが先だ」
アメリアは強く頷くと、男の後ろについて走り出した。
どうしてこの人が…、彼は敵か、味方か…、と、疑問は果てしなく湧いてくるが、今はとにかく彼について逃げるしかない。
「大丈夫ですか?背負いましょうか?」
「いいえ、大丈夫。走れます」
足は痛いが、背負ってもらえばその分逃げるのが遅くなる。
幼い頃から野山を走り回っていたアメリアは足には自信があった。
「さすが、エイミー先生だ」
シオンが笑った気配がする。
暗闇で表情ははっきり見えないが、そう、その男は同僚のシオンだった。
半農半士のシオンは、兵糧兵として国境に赴いたはずである。
何故、そのシオンがこんなところにいるのか。
そもそも、教師であるシオンが何故、賊の仲間のような格好をして、ここにいるのか。
疑問は尽きないが、アメリアはとにかく力の限り走った。
賊は、シオンが投げた枝のおかげで全く逆の方向を探している。
その間に少し距離を稼いだ二人は、大きな岩陰に身を潜めた。
アメリアの足がもう限界だと察したシオンが、少し休むことを提案したのだ。
「…ごめんなさい、でも、私ならまだ走れるから…」
「何言ってるんですか、こんな足で」
靴が脱げ、裸足で逃げていたアメリアの足は傷だらけだ。
シオンは懐から出した布を引き裂くと、アメリアの足にぐるぐると巻きつけた。
「これでも、何も無いよりはマシでしょう」
「ありがとう、シオン先生…」
「必ず助けが来るはずですから、もう少し頑張ってください」
「助け…、ですか?」
「ええ、陛下が、急ぎこちらに向かっているはずです」
「陛下ですって⁈」
アメリアは驚いて、足の手当てをするシオンを見下ろした。
ここで『陛下』と呼ばれるのは、アメリアの実兄クラークしかいない。
何故シオンがこの国の国王に連絡したりできるのだろう。
そんなアメリアに構わず、シオンは足の手当てを続ける。
「陛下は開戦後すでにサラトガ領に向けて王都を発っていました。途中で僕の手紙を受け取ったはずですから、間もなく到着するはずです。どうかそれまで、堪えてください」
「シオン先生、貴方は一体…」
シオンは布の端をギュッと結び終わると、アメリアを見上げ、少しだけ微笑んだ。
「僕は、陛下が貴女につけた影の護衛なんですよ、アメリア王女殿下」
「影…?」
アメリアはさらなる驚きに目を丸くする。
「ええ、影です。護衛とか密偵とか、色々やります。サラトガ領の平民になりすましたり、海賊の仲間に潜り込んだりね」
「…平民に、なりすます…?」
「たとえば…、本当のシオンという青年は、8年前の戦で行方知れずになっていました。彼が天涯孤独の身の上なのをいいことに、僕は彼になりすましていたんです」
シオンは自嘲気味に、小さく笑った。
仕事とはいえ、こういうことを何度も繰り返してきたのだろう。
「僕は陛下の指示でサラトガ領に潜り込み、貴女を見守ってきました。先日兵糧兵として国境に向かったふりをしましたが、それも海賊団に潜り込むよう指示があったからです。でも、その隙に貴女が連れ去られてしまうなんて…。あの後、なんとか助け出せないかと様子を伺っていたのですが、でも、昨夜は…、」
そう言うとシオンは辛そうに唇を噛んだ。
おそらくアメリアが賊に襲われそうになったことを思い出しているのだろう。
「本当はすぐにお助けして逃げ出したかった。でも所詮多勢に無勢。逃げ切れるとは思えなかった。結局、『頭』に知らせるのが精一杯でした」
「そうだったんですか…」
アメリアは感慨深げにそう呟いた。
たしかにあの時、タイミング良く『頭』が現れた。
あれは、シオンのおかげだったのだ。
「ありがとうございます、シオン先生」
アメリアが礼を言って微笑むと、シオンは眩しそうに目線を下げた。
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