74 / 101
第七章 セドリック その四
国境
しおりを挟む ゼーウェンが幼い頃より育ち、また魔術師として修行を積んできた賢神の森を出てから一月余り。
今朝岩山の大きな風穴の影で簡単に朝食を済ませ、再び飛行を続ける。
飛竜の疲れを見ながらの旅だ。
ゼーウェンの飛竜――騎乗用として用いられるグルガンのような竜種は、ある程度体に脂肪を溜め込むと、そのまま飲まず食わず2週間は持つ。
竜の代謝経路は本当に良く出来ていて、脂肪からエネルギーと水分を無駄なく取り入れられる。腎臓も、かなりの尿の濃縮に耐えられる。
このような死の大地では欠かすことの出来ない交通手段となるのだ。
竜が環境に耐えられるとはいえ、万が一病気にでも罹られれば即ち死を意味する。その上、こんなところで盗賊にでも襲われたらたまったものではない、とゼーウェンは思う。
――早く目当ての物を得て死の大地を出なければ。
厳しい環境だからこそ、希少価値の高い飛竜を狙う賊もいない訳ではないのだから。
「――! 見えた」
前方に遠く小さく見える岩山より少し左。
一段と高いそこは、ゼーウェンが目指す死の大地の頂である。
ゼーウェンは、すぐさま意識を静め、周囲の場を探った。
間違いない、かの頂のそれはとてつもない諸力の高まりを見せている。意識下で意識が眩む程の強い光を感じた。
辿り着くまで後2クロー(約1時間半)程だろうか。
***
意識下で見る光の渦はどんどんその強さを増してゆく。飛竜を着地させるために、その頂の周りを旋回し、首を返して上方から下降しようとした、その時。
ゼーウェンの魔術師としての目に、頂に奇妙な靄がかかっているのが映った。
「なんだ、あれは」
近づくにつれ、その形が何かに似ている、と思い。
人影だ、と直感した瞬間突然そこが眩い光に包まれた。
「グルガン、しっかりしろ!」
ゼーウェンはすばやく呪文を唱え、目を眩まされた飛竜を回復させる。同時に体勢を立て直すと再び上昇した。頂上の光はもはやなく、意識の目にも暗黒の穴が周囲の場を引き込んでいるのが分かる。
不安と焦りと絶望が入り混じったような感情が彼の心を支配しはじめた。
――誰かいる!
先ほどまでは人の気配が感じられなかったのに。あの人影だろうか。
もしや、花を先に奪われてしまったのだろうか。
ゼーウェンは今度は下方から真っ直ぐ飛ぶようにグルガンに指示した。
湧き上がる、自分自身への怒り。
――油断した、何たる失態だ!
母の形見だという指輪をした手をぎゅっと握り締めた。
――奪われたのなら取り戻す――我が師の恩に報いる為にも、何としてでも『花』を持ち帰らなければ!
***
この大陸にあるグノディウス王国とアリア皇国の南方に接するフォルディナ公国。その辺境、カーリア地方に、かつて、暗黒森と呼ばれていた広大な森が広がっている。
そこは昔から入ると必ず迷い、二度と出て来る事は出来なかった。故に、人々は、その森には魔物が棲んでいて、入ったものは魅入られ喰われてしまう、と噂しあった。
いつしかそこは暗黒森と恐れられ、忌み嫌われるようになったのである。
18年前、一人の男がこの地にやって来た。
男は魔術に長けており、この森にある種の結界が施されている事に気が付いた。男がその結界を解いて結びなおした事で、人々は森に入って歩き彷徨っても必ず出口に辿り着けるようになったのである。
後に、暗黒森であったそこは、魔術師の男に畏怖と敬意を表してセルヴェイの森もしくは賢神の森と呼ばれる様になった。
セルヴェイとは魔術師の男の名。賢神とは風の神フォーンを指し、フォーンは魔術と知恵の神でもあった。
セルヴェイは森の中央に庵を結んだ。そして、ゼーウェンの師となったのである。
ゼーウェンが物心ついた時には師であるセルヴェイと共に暮らしていた。
自分自身、養い親でもある師について知ることはあまりなかった。近くの村に買出しに行ったついでに村人達から色々師について聞かれることがあった。
しかしゼーウェンが知っているのは、かつて師が北方のグノディウス王国に仕えていたということと、偶に身分の高そうな人物が尋ねて来ること位だった。
そんな時、いつも心なしか師が暗い表情をしていたのを覚えている。
何者であるかは兎も角、セルヴェイ師は森を安全にした功労者として村人達に歓迎されていた。ただ一人、村のウルグ教の神官を除いてだが。
治療の知識や珍しい薬草を持っているセルヴェイ師は、医者がいない辺境の小さな村では貴重な人物である。ウルグ教会の説くところの魔術は禁忌であるとか、邪術であるとかいう思想はここではあまり意味を成さなかったとも言える。
彼はまたよき教師、親であり、ゼーウェンはそんな師のもとだからこそ魔法の才能を最大限に発揮できたと思う。
一人前の魔術師になる為には、師から出された試練を乗り越えなければならなかった。
試練はそれぞれの導師によって、また弟子によって違う形式で与えられるが、概ね旅にでて、何かを証として持ち帰る――凡そ手に入れにくい物がその対象となったが――が一般的である。
よって、それは俗に『試練の旅』と言われていた。
ゼーウェンに試練の旅として与えられた課題、それは。
死の大地の中心、術場の高まる瞬間に現れる『花』を持ち帰ること、だった。
今朝岩山の大きな風穴の影で簡単に朝食を済ませ、再び飛行を続ける。
飛竜の疲れを見ながらの旅だ。
ゼーウェンの飛竜――騎乗用として用いられるグルガンのような竜種は、ある程度体に脂肪を溜め込むと、そのまま飲まず食わず2週間は持つ。
竜の代謝経路は本当に良く出来ていて、脂肪からエネルギーと水分を無駄なく取り入れられる。腎臓も、かなりの尿の濃縮に耐えられる。
このような死の大地では欠かすことの出来ない交通手段となるのだ。
竜が環境に耐えられるとはいえ、万が一病気にでも罹られれば即ち死を意味する。その上、こんなところで盗賊にでも襲われたらたまったものではない、とゼーウェンは思う。
――早く目当ての物を得て死の大地を出なければ。
厳しい環境だからこそ、希少価値の高い飛竜を狙う賊もいない訳ではないのだから。
「――! 見えた」
前方に遠く小さく見える岩山より少し左。
一段と高いそこは、ゼーウェンが目指す死の大地の頂である。
ゼーウェンは、すぐさま意識を静め、周囲の場を探った。
間違いない、かの頂のそれはとてつもない諸力の高まりを見せている。意識下で意識が眩む程の強い光を感じた。
辿り着くまで後2クロー(約1時間半)程だろうか。
***
意識下で見る光の渦はどんどんその強さを増してゆく。飛竜を着地させるために、その頂の周りを旋回し、首を返して上方から下降しようとした、その時。
ゼーウェンの魔術師としての目に、頂に奇妙な靄がかかっているのが映った。
「なんだ、あれは」
近づくにつれ、その形が何かに似ている、と思い。
人影だ、と直感した瞬間突然そこが眩い光に包まれた。
「グルガン、しっかりしろ!」
ゼーウェンはすばやく呪文を唱え、目を眩まされた飛竜を回復させる。同時に体勢を立て直すと再び上昇した。頂上の光はもはやなく、意識の目にも暗黒の穴が周囲の場を引き込んでいるのが分かる。
不安と焦りと絶望が入り混じったような感情が彼の心を支配しはじめた。
――誰かいる!
先ほどまでは人の気配が感じられなかったのに。あの人影だろうか。
もしや、花を先に奪われてしまったのだろうか。
ゼーウェンは今度は下方から真っ直ぐ飛ぶようにグルガンに指示した。
湧き上がる、自分自身への怒り。
――油断した、何たる失態だ!
母の形見だという指輪をした手をぎゅっと握り締めた。
――奪われたのなら取り戻す――我が師の恩に報いる為にも、何としてでも『花』を持ち帰らなければ!
***
この大陸にあるグノディウス王国とアリア皇国の南方に接するフォルディナ公国。その辺境、カーリア地方に、かつて、暗黒森と呼ばれていた広大な森が広がっている。
そこは昔から入ると必ず迷い、二度と出て来る事は出来なかった。故に、人々は、その森には魔物が棲んでいて、入ったものは魅入られ喰われてしまう、と噂しあった。
いつしかそこは暗黒森と恐れられ、忌み嫌われるようになったのである。
18年前、一人の男がこの地にやって来た。
男は魔術に長けており、この森にある種の結界が施されている事に気が付いた。男がその結界を解いて結びなおした事で、人々は森に入って歩き彷徨っても必ず出口に辿り着けるようになったのである。
後に、暗黒森であったそこは、魔術師の男に畏怖と敬意を表してセルヴェイの森もしくは賢神の森と呼ばれる様になった。
セルヴェイとは魔術師の男の名。賢神とは風の神フォーンを指し、フォーンは魔術と知恵の神でもあった。
セルヴェイは森の中央に庵を結んだ。そして、ゼーウェンの師となったのである。
ゼーウェンが物心ついた時には師であるセルヴェイと共に暮らしていた。
自分自身、養い親でもある師について知ることはあまりなかった。近くの村に買出しに行ったついでに村人達から色々師について聞かれることがあった。
しかしゼーウェンが知っているのは、かつて師が北方のグノディウス王国に仕えていたということと、偶に身分の高そうな人物が尋ねて来ること位だった。
そんな時、いつも心なしか師が暗い表情をしていたのを覚えている。
何者であるかは兎も角、セルヴェイ師は森を安全にした功労者として村人達に歓迎されていた。ただ一人、村のウルグ教の神官を除いてだが。
治療の知識や珍しい薬草を持っているセルヴェイ師は、医者がいない辺境の小さな村では貴重な人物である。ウルグ教会の説くところの魔術は禁忌であるとか、邪術であるとかいう思想はここではあまり意味を成さなかったとも言える。
彼はまたよき教師、親であり、ゼーウェンはそんな師のもとだからこそ魔法の才能を最大限に発揮できたと思う。
一人前の魔術師になる為には、師から出された試練を乗り越えなければならなかった。
試練はそれぞれの導師によって、また弟子によって違う形式で与えられるが、概ね旅にでて、何かを証として持ち帰る――凡そ手に入れにくい物がその対象となったが――が一般的である。
よって、それは俗に『試練の旅』と言われていた。
ゼーウェンに試練の旅として与えられた課題、それは。
死の大地の中心、術場の高まる瞬間に現れる『花』を持ち帰ること、だった。
10
お気に入りに追加
1,247
あなたにおすすめの小説

声を取り戻した金糸雀は空の青を知る
ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
「大切なご令嬢なので、心して接するように」
7年ぶりに王宮へ呼ばれ、近衛隊長からそう耳打ちされた私、エスファニア。
国王陛下が自ら王宮に招いたご令嬢リュエンシーナ様との日々が始まりました。
ですが、それは私に思ってもみなかった変化を起こすのです。
こちらのお話には同じ主人公の作品
「恋だの愛だのそんなものは幻だよ〜やさぐれ女騎士の結婚※一話追加」があります。
(本作より数年前のお話になります)
もちろん両方お読みいただければ嬉しいですが、話はそれぞれ完結しておりますので、
本作のみでもお読みいただけます。
※この小説は小説家になろうさんでも公開中です。
初投稿です。拙い作品ですが、空よりも広い心でお読みいただけると幸いです。

黒薔薇王子に好かれた魔法薬師は今日も今日とて世界を守る
綾乃雪乃
恋愛
ミリステア魔王国の巨大城で働く魔法薬師のメイシィ
彼女には1つ困った悩みがあった
それは、自国の第三王子、クリードに一目惚れされてしまったこと
彼のあだ名は『黒薔薇王子』
周りにいる側近たちは口をそろえて言う 「彼が病めば――――世界が崩壊する」
今日も《彼》から世界を守れ!
病み王子 × お仕事一筋女子の魔王城恋愛コメディ
なろう、エブリスタ、カクヨムにも掲載中

7年ぶりに帰国した美貌の年下婚約者は年上婚約者を溺愛したい。
なーさ
恋愛
7年前に隣国との交換留学に行った6歳下の婚約者ラドルフ。その婚約者で王城で侍女をしながら領地の運営もする貧乏令嬢ジューン。
7年ぶりにラドルフが帰国するがジューンは現れない。それもそのはず2年前にラドルフとジューンは婚約破棄しているからだ。そのことを知らないラドルフはジューンの家を訪ねる。しかしジューンはいない。後日王城で会った二人だったがラドルフは再会を喜ぶもジューンは喜べない。なぜなら王妃にラドルフと話すなと言われているからだ。わざと突き放すような言い方をしてその場を去ったジューン。そしてラドルフは7年ぶりに帰った実家で婚約破棄したことを知る。
溺愛したい美貌の年下騎士と弟としか見ていない年上令嬢。二人のじれじれラブストーリー!

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

公爵様のバッドエンドを回避したいだけだったのに、なぜか溺愛されています
六花心碧
恋愛
お気に入り小説の世界で名前すら出てこないモブキャラに転生してしまった!
『推しのバッドエンドを阻止したい』
そう思っただけなのに、悪女からは脅されるし、小説の展開はどんどん変わっていっちゃうし……。
推しキャラである公爵様の反逆を防いで、見事バッドエンドを回避できるのか……?!
ゆるくて、甘くて、ふわっとした溺愛ストーリーです➴⡱
(外部URLで登録していたものを改めて登録しました! ◇他サイト様でも公開中です)

7歳の侯爵夫人
凛江
恋愛
ある日7歳の公爵令嬢コンスタンスが目覚めると、世界は全く変わっていたー。
自分は現在19歳の侯爵夫人で、23歳の夫がいるというのだ。
どうやら彼女は事故に遭って12年分の記憶を失っているらしい。
目覚める前日、たしかに自分は王太子と婚約したはずだった。
王太子妃になるはずだった自分が何故侯爵夫人になっているのかー?
見知らぬ夫に戸惑う妻(中身は幼女)と、突然幼女になってしまった妻に戸惑う夫。
23歳の夫と7歳の妻の奇妙な関係が始まるー。

ひとりぼっち令嬢は正しく生きたい~婚約者様、その罪悪感は不要です~
参谷しのぶ
恋愛
十七歳の伯爵令嬢アイシアと、公爵令息で王女の護衛官でもある十九歳のランダルが婚約したのは三年前。月に一度のお茶会は婚約時に交わされた約束事だが、ランダルはエイドリアナ王女の護衛という仕事が忙しいらしく、ドタキャンや遅刻や途中退席は数知れず。先代国王の娘であるエイドリアナ王女は、現国王夫妻から虐げられているらしい。
二人が久しぶりにまともに顔を合わせたお茶会で、ランダルの口から出た言葉は「誰よりも大切なエイドリアナ王女の、十七歳のデビュタントのために君の宝石を貸してほしい」で──。
アイシアはじっとランダル様を見つめる。
「忘れていらっしゃるようなので申し上げますけれど」
「何だ?」
「私も、エイドリアナ王女殿下と同じ十七歳なんです」
「は?」
「ですから、私もデビュタントなんです。フォレット伯爵家のジュエリーセットをお貸しすることは構わないにしても、大舞踏会でランダル様がエスコートしてくださらないと私、ひとりぼっちなんですけど」
婚約者にデビュタントのエスコートをしてもらえないという辛すぎる現実。
傷ついたアイシアは『ランダルと婚約した理由』を思い出した。三年前に両親と弟がいっぺんに亡くなり唯一の相続人となった自分が、国中の『ろくでなし』からロックオンされたことを。領民のことを思えばランダルが一番マシだったことを。
「婚約者として正しく扱ってほしいなんて、欲張りになっていた自分が恥ずかしい!」
初心に返ったアイシアは、立派にひとりぼっちのデビュタントを乗り切ろうと心に誓う。それどころか、エイドリアナ王女のデビュタントを成功させるため、全力でランダルを支援し始めて──。
(あれ? ランダル様が罪悪感に駆られているように見えるのは、私の気のせいよね?)
★小説家になろう様にも投稿しました★

【完結】初恋相手に失恋したので社交から距離を置いて、慎ましく観察眼を磨いていたのですが
藍生蕗
恋愛
子供の頃、一目惚れした相手から素気無い態度で振られてしまったリエラは、異性に好意を寄せる自信を無くしてしまっていた。
しかし貴族令嬢として十八歳は適齢期。
いつまでも家でくすぶっている妹へと、兄が持ち込んだお見合いに応じる事にした。しかしその相手には既に非公式ながらも恋人がいたようで、リエラは衆目の場で醜聞に巻き込まれてしまう。
※ 本編は4万字くらいのお話です
※ 他のサイトでも公開してます
※ 女性の立場が弱い世界観です。苦手な方はご注意下さい。
※ ご都合主義
※ 性格の悪い腹黒王子が出ます(不快注意!)
※ 6/19 HOTランキング7位! 10位以内初めてなので嬉しいです、ありがとうございます。゚(゚´ω`゚)゚。
→同日2位! 書いてて良かった! ありがとうございます(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる