さげわたし

凛江

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第五章 セドリック その三

ジャンの話②

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「ジャンは幼年学校を卒業していません。彼以外にも、私が知り合った子どもたちには何人もそんな子どもがいました。つまり、彼らは閣下の言う基礎的な学力さえ身についていないのです」
「まさか、そんなはずは…、」

セドリックはアメリアの言葉に眉を寄せた。
サラトガ領主は代々領民を大切にし、領民から慕われる領主であったと自負している。
特にセドリックが領主になってからは教育に力を入れ、貧しい者であっても通えるような無償の学校も作ったはずだ。

返事を詰まらせたセドリックをよそに、アメリアは言葉を繋いだ。
「ジャンの父親は半農藩士の民兵だったそうで、7年前の戦で戦死したそうです。当時まだ5歳だったジャンは長男で、彼の下には3人の弟妹たちがいます。そのため、彼は残された田畑を守るため、母親と共に朝早くから働いているんです」
「しかし、一家の大黒柱が戦死したならそれ相応の手当てが出ているはずですが」
「ええ、たしかに少なくない賠償金が支給されたようですが、ほとんどが使用人の給金になってしまったようですよ」

国境を守るサラトガ領は、サラトガ騎士団という職業軍人としての兵力を有している。
しかしいざ有事となれば当然サラトガ騎士団のみで戦うわけではなく、その下に多くの兵が招集される。
この兵たちは下級騎士としての訓練も受けるが、ほとんどが平時は農業を営んでおり、いわゆる半農半士なのだ。
戦の折に召集された民兵は当然戦死などすれば賠償金が支払われ、怪我をすればそれ相応の見舞金が支給される。
ジャンの父親もそういった、戦死した民兵の一人であった。

「ジャンの父親が戦死した時、彼を筆頭に4人の幼子がいたのです。働き手を失った母親は田畑を守るために使用人を雇い、賠償金はその後数年で底を突いたそうですよ。だからジャンはまだとおにも満たないうちから畑に出ていたんです。ああして家の外に出てまで働いているのなら、学校に通う暇なんてありませんよね。ただ、こんな状況なのはジャンに限ったことじゃありません。私が領内の散策で知り合った子供たちには、学校を卒業していない者がたくさんいました」

アメリアが出会った子供たちの状況を話すと、セドリックは酷く驚いていた。
セドリックなりに敷いてきた教育や福祉に関する政策が行き渡っていないことに衝撃を受けたのだろう。

戦死者が遺した家族に対して、十分な賠償金は支払って来たはず。
だが、その後のことまで追跡調査していたわけではない。
もしかしたら施策がなかなか行き届かない辺境の村などでならあり得ないこともないかもしれないが、ここ領都近くの村でそんなことがあるなんて。

「たしかにここサラトガ領は、私が育ったグレイ子爵領よりはるかに教育も福祉も進んでいます。グレイ子爵領は王都に近く国境から離れているため平和な領地ではありましたが、それでも学校へ通える者は富裕層のみでした。サラトガ領は無償で受けられる義務教育があるのですから、素晴らしいことだと思います」
「しかし賠償金が…、使用人を雇ったからといって数年で底を突くとは…」
「おそらく農地からの利益は、商人や仲買人に搾取されていたのでしょう。でも母親たちはそれにさえ気づかないのです」
「まさか…」
セドリックは絶句した。
「そうです。母親たちも、教育を受けてきていないのです」
要するに、母親たちもまた文盲のため、搾取されたことさえわからないのだ。

「そこで提案なのですが…、」
思わず一点を見つめていたセドリックは、アメリアの声に顔を上げた。

彼女は真剣な目をセドリックに向け、こう言った。
「私に、教師をやらせていただけませんか?また許していただけるなら、私の持参金や支度金は彼らの奨学金に回していただけないでしょうか」
「…………は?教師ですって?」
「全ての領民に教育を受けさせようとする閣下の理想は素晴らしいと思います。私は妻として、微力ながらそのお手伝いをしたいのです」

アメリアはまっすぐに、セドリックを見上げた。
セドリックは今度こそ目を見開き口を開け、呆けたようにその迷いのない妻の目を見つめた。
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