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第六章 アメリア その三
エイミー先生②
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「エイミー先生!」
子供たちを見送って校舎に引き返そうとしたアメリアに駆け寄ってきたのは、同僚であるシオンという教師だ。
シオンの家は半農半士で、平時は父と弟と共に農業を営んでいる。
彼は幼い頃から賢く勉学好きであったが、義務教育しか受けていないらしい。
それは、彼の家が特に貧しいというわけではなく、まだまだ高等教育を受けるのが、貴族や裕福な商人など、特権階級に限られていたからだ。
高等教育機関はサラトガ領内には無いため、王都へ出なくてはならないのだ。
王都から遠く離れたサラトガ領で身を立てようと思えば騎士学校へ入るのが近道だが、シオンは武術は好きでは無かったらしい。
彼は義務教育を卒業した後、仕事の合間に独学で勉強した。
そして、これまた仕事の合間に近所の文盲の子供たちを集めて、文字や計算など基礎的なことを教えるようになったのだ。
ちょくちょく領内を散策していたアメリアはそんなシオンと知り合い、会えば言葉を交わすようになっていた。
そして彼の思いに賛同し、こうして夜間学校を設立して彼を招くまでになったのだ。
もちろんシオンはアメリアが公爵夫人である事実など知らず、彼女のことはサラトガ家の遠縁で、下級貴族の娘だと思っている。
それはもう一人の教師である元家庭教師も同じことで、アメリアの正体を知るのは校長であるシアーズだけだ。
アメリアはそのことに深い罪悪感を感じているが、それでも、身分を隠しながら働くことを選んだのだった。
「エイミー先生、今日もお迎えが来てるんですか?」
シオンは門の外の方をキョロキョロと見回すと、離れたところに停まっている馬車に目を止めた。
「ええ、まぁ…」
アメリアが曖昧に微笑むと、シオンも苦笑する。
「まぁそうか。一緒に働いてるとうっかり忘れそうになるけど、貴女は貴族のお嬢様なんだから」
「…シオン先生…」
最初アメリアは、徒歩で通勤するつもりだった。
公爵邸と学校はそれほど離れていないし、元々アメリアの散策範囲内だったのだから。
しかし危ないからとセドリックはそれを許してくれず、アメリアの送迎のために馬車を出した。
しかも、ちょくちょくセドリック自ら迎えに来るのだ。
「…たまには食事にでも誘いたいんですが、いつも馬車が迎えに来るみたいだし、そうじゃなくても貴女にはいつもカリナ先生とハンナ先生がくっついてるからなぁ」
シオンはそう言って苦笑した。
最初の頃こそ身分が違うために遠慮ぎみだったシオンだが、今ではすっかり同僚としてアメリアを扱ってくれている。
授業の進め方や生徒たちのことなどたくさんアメリアと話したいと彼は言ってくるから、食事の誘いもそういった類いのものなのだろう。
アメリアとしても同僚という立場が新鮮で、しかも年齢が近いシオンとはとても話しやすかった。
それにアメリアの本当の身分を知らないシオンは気さくに接してくれるし、また、博学の彼の話は愉快だ。
シオンと普通の友人同士のように街の食堂へ行けたりしたら、楽しいかもしれない。
でも。
「…ごめんなさい、シオン先生。お食事は難しいかもしれないわ」
公にしていないだけで、アメリアは人妻であり公爵夫人なのだ。
同僚とはいえ、男性と二人で出かけるなどあり得ない。
「…エイミー先生…」
「さぁ、私たちも帰り支度しましょう」
アメリアは軽くため息をつくと、シオンを促して校舎へ戻った。
シオンの誘いを断るたび、アメリアは罪悪感でいっぱいになる。
いや、シオンだけじゃない、生徒たちにも、保護者たちにも、自分は本当の身分を隠してさも仲間のような顔をしているのだから。
慕ってくれている生徒たちが本当の自分を知ったらどうなるんだろうと想像するだけで、泣きたくなるくらい怖い。
いつか暴かれてしまうという不安と戦いながら、それでも一日でも長くこんな日が続いて欲しいと願う。
(…私は、偽善者だわ…)
自嘲気味に笑うと、アメリアはセドリックが待つ馬車に乗りこんだ。
結局、偽りの顔でしか居場所を作れない自分が可笑しかったから。
(でも、三年…、いや、二年我慢すれば、きっと後継問題が持ち上がってくるはず)
晴れて平民にさえなれれば、もう皆に自分を偽ることなく接することができる。
その日を待ち望んで、今は耐えようと心に誓うアメリアであった。
子供たちを見送って校舎に引き返そうとしたアメリアに駆け寄ってきたのは、同僚であるシオンという教師だ。
シオンの家は半農半士で、平時は父と弟と共に農業を営んでいる。
彼は幼い頃から賢く勉学好きであったが、義務教育しか受けていないらしい。
それは、彼の家が特に貧しいというわけではなく、まだまだ高等教育を受けるのが、貴族や裕福な商人など、特権階級に限られていたからだ。
高等教育機関はサラトガ領内には無いため、王都へ出なくてはならないのだ。
王都から遠く離れたサラトガ領で身を立てようと思えば騎士学校へ入るのが近道だが、シオンは武術は好きでは無かったらしい。
彼は義務教育を卒業した後、仕事の合間に独学で勉強した。
そして、これまた仕事の合間に近所の文盲の子供たちを集めて、文字や計算など基礎的なことを教えるようになったのだ。
ちょくちょく領内を散策していたアメリアはそんなシオンと知り合い、会えば言葉を交わすようになっていた。
そして彼の思いに賛同し、こうして夜間学校を設立して彼を招くまでになったのだ。
もちろんシオンはアメリアが公爵夫人である事実など知らず、彼女のことはサラトガ家の遠縁で、下級貴族の娘だと思っている。
それはもう一人の教師である元家庭教師も同じことで、アメリアの正体を知るのは校長であるシアーズだけだ。
アメリアはそのことに深い罪悪感を感じているが、それでも、身分を隠しながら働くことを選んだのだった。
「エイミー先生、今日もお迎えが来てるんですか?」
シオンは門の外の方をキョロキョロと見回すと、離れたところに停まっている馬車に目を止めた。
「ええ、まぁ…」
アメリアが曖昧に微笑むと、シオンも苦笑する。
「まぁそうか。一緒に働いてるとうっかり忘れそうになるけど、貴女は貴族のお嬢様なんだから」
「…シオン先生…」
最初アメリアは、徒歩で通勤するつもりだった。
公爵邸と学校はそれほど離れていないし、元々アメリアの散策範囲内だったのだから。
しかし危ないからとセドリックはそれを許してくれず、アメリアの送迎のために馬車を出した。
しかも、ちょくちょくセドリック自ら迎えに来るのだ。
「…たまには食事にでも誘いたいんですが、いつも馬車が迎えに来るみたいだし、そうじゃなくても貴女にはいつもカリナ先生とハンナ先生がくっついてるからなぁ」
シオンはそう言って苦笑した。
最初の頃こそ身分が違うために遠慮ぎみだったシオンだが、今ではすっかり同僚としてアメリアを扱ってくれている。
授業の進め方や生徒たちのことなどたくさんアメリアと話したいと彼は言ってくるから、食事の誘いもそういった類いのものなのだろう。
アメリアとしても同僚という立場が新鮮で、しかも年齢が近いシオンとはとても話しやすかった。
それにアメリアの本当の身分を知らないシオンは気さくに接してくれるし、また、博学の彼の話は愉快だ。
シオンと普通の友人同士のように街の食堂へ行けたりしたら、楽しいかもしれない。
でも。
「…ごめんなさい、シオン先生。お食事は難しいかもしれないわ」
公にしていないだけで、アメリアは人妻であり公爵夫人なのだ。
同僚とはいえ、男性と二人で出かけるなどあり得ない。
「…エイミー先生…」
「さぁ、私たちも帰り支度しましょう」
アメリアは軽くため息をつくと、シオンを促して校舎へ戻った。
シオンの誘いを断るたび、アメリアは罪悪感でいっぱいになる。
いや、シオンだけじゃない、生徒たちにも、保護者たちにも、自分は本当の身分を隠してさも仲間のような顔をしているのだから。
慕ってくれている生徒たちが本当の自分を知ったらどうなるんだろうと想像するだけで、泣きたくなるくらい怖い。
いつか暴かれてしまうという不安と戦いながら、それでも一日でも長くこんな日が続いて欲しいと願う。
(…私は、偽善者だわ…)
自嘲気味に笑うと、アメリアはセドリックが待つ馬車に乗りこんだ。
結局、偽りの顔でしか居場所を作れない自分が可笑しかったから。
(でも、三年…、いや、二年我慢すれば、きっと後継問題が持ち上がってくるはず)
晴れて平民にさえなれれば、もう皆に自分を偽ることなく接することができる。
その日を待ち望んで、今は耐えようと心に誓うアメリアであった。
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