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第三章 セドリック その二
家令トマス②
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「仕事?」
セドリックは訝しげにトマスを見上げた。
基本、サラトガ公爵家での夫人の仕事は多くない。
公爵家の軍務は騎士団長オスカーが、執務は家令トマスが、そして家内のことは侍女長ソニアが中心になって、しっかり運営されているからだ。
王都に住む貴婦人たちなら夫の仕事のため、商売のためにと横の繋がりを持つため社交に精を出すのかもしれないが、サラトガ公爵家にはその必要も全くない。
遠く王都から離れていることもあるが、王家から頼りにされている『王国の盾』サラトガ公爵家が自ら望む繋がりなど必要ないのだから。
そのため、贅沢好きな義母は公爵家の金を湯水のように使って自身を飾り立てることと、マイロとイブリンの教育にしか興味がない。
セドリックの父である先代公爵は年が離れていた後妻が可愛かったのか、彼女に好き放題させていた。
その好き放題は、二年前に父が亡くなってからも止まる様子もない。
だからセドリックは、当然義母が公爵夫人として、そして領主夫人としての仕事をするところなど見たことがないのだ。
それどころかセドリックが戦で戦功をあげようと、サラトガ公爵家が『王国の盾』としてさらに名前をあげようと、全く我関せずだ。
それに対して、セドリックの実母は領主夫人として慈善活動などに積極的に取り組んでいたらしいが、セドリックが三歳の時に亡くなっている。
それ以来二十年余り、領民たちは領主夫人の存在さえ忘れていたことだろう。
「領主夫人の仕事は、社交や家内の管理のみではありませんよ、旦那様。お金を使うことも、貴族の夫人の大事な仕事なのです」
「…金?」
トマスの言葉に、セドリックは眉を上げる。
「もちろん大奥様の贅沢と我儘には困っておりますが、しかし強ち完全な無駄でもないのです。それで回る経済もあるのですから」
たしかに、義母が我儘を言って王都から招いたアーティスト、デザイナー、料理人、パティシエなどは一時的にではあるがサラトガ領にとどまり、王都の流行を伝えた。
それによって領都の街が華やかになり、活性化を促すこともあった。
義母がマイロとイブリンのために王都から呼び寄せた学者や家庭教師たちからも、セドリック自身が得るものもあった。
「しかし若奥様は、王家からの持参金も、サラトガ公爵家から支給される公爵夫人用の費用にも一切手をつけていらっしゃらないようなのです」
「一切?」
「はい。ドレスも宝飾品も必要ないし、普段着る衣装は輿入れの折に持参したもので事足りるとおっしゃっているようです」
「なるほど」
この二ヶ月間を振り返ればわかるが、アメリアは華美を好む女性ではない。
しかしトマスが言うように、貴族がある程度金を落とすのは、領地の活性化にも繋がるのだ。
「アメリアは…、何故あそこまで自己評価が低く、質素な生活に拘るのだろうな。三年間とは言え王女として暮らし、それ以前も貴族の令嬢であったのに」
「ええ、これまで私たちは王家からの情報と世間の噂を鵜呑みにしてきました。しかし、根本から疑ってみるのがよろしいかと。少し、奥様のご実家であるグレイ子爵家に探りを入れてみてはどうでしょうか」
「しかし…、私はアメリアの口から真実を聞きたいんだ」
セドリックはすでに、アメリアが何か秘密を抱えたままでも妻として受け入れる覚悟でいる。
だから、彼女が頑なに隠している秘密を彼女に隠れて暴くのは本意ではないのだ。
「旦那様のお気持ちもわかりますが、そもそも奥様が突然王家の養女になったことが悪評に繋がっているのです。このままでは奥様の傷を広げ、旦那様との溝を深めるばかりです」
トマスの言葉にセドリックは考え込んだ。
王家の醜聞を暴くと言えば言葉は悪いが、自分はアメリアの夫なのだから知る権利があるはずだ。
「オスカーに命じて、諜報部隊に探らせよう。王家にも他の貴族にもわからないよう、秘密裏にな」
セドリックがそう言うと、トマスは大きく頷き「早速オスカーに伝えましょう」と執務室を出て行こうとした。
しかし扉の前で足を止め、振り返った。
「ところで旦那様」
呼びかけられ、セドリックは訝しげに顔を上げた。
見れば、トマスは不満気な顔でセドリックを見ていた。
「なんだ?トマス」
「いえ…、たしかに全くご自分のためにお金を使わない公爵夫人もどうかと思いますが、新婚だというのに新妻にプレゼント一つ贈らない公爵様もどうかと、ふと思いましてね」
「……あ……」
セドリックは呆けたようにトマスを見つめた。
「しかし、アメリアはドレスも宝飾品も…」
「ええ、要らないとおっしゃるでしょうね。でも、そういうものだけがプレゼントと言うのでしょうか。それに旦那様は、ご自身が治める領都を奥様に案内したことさえないのでしょう?妻の義務は果たせとおっしゃいながら、夫の義務はどこへ行ったのでしょうね?旦那様」
トマスにそう言われて、セドリックは真っ赤になった。
怒りではない、今、猛烈に恥ずかしかったのだ。
「これは、私自身の後悔でもありますが…」
哀しげな顔で、トマスが話し続ける。
「奥様はまだ十七歳の、少女ともいえるお年なのです。何故私たちはもっと、大人の余裕と抱擁力で、奥様を受け入れてあげられなかったのでしょうね」
トマスが呟く言葉を聞き、セドリックは頭をガツンと殴られた気がした。
セドリックは訝しげにトマスを見上げた。
基本、サラトガ公爵家での夫人の仕事は多くない。
公爵家の軍務は騎士団長オスカーが、執務は家令トマスが、そして家内のことは侍女長ソニアが中心になって、しっかり運営されているからだ。
王都に住む貴婦人たちなら夫の仕事のため、商売のためにと横の繋がりを持つため社交に精を出すのかもしれないが、サラトガ公爵家にはその必要も全くない。
遠く王都から離れていることもあるが、王家から頼りにされている『王国の盾』サラトガ公爵家が自ら望む繋がりなど必要ないのだから。
そのため、贅沢好きな義母は公爵家の金を湯水のように使って自身を飾り立てることと、マイロとイブリンの教育にしか興味がない。
セドリックの父である先代公爵は年が離れていた後妻が可愛かったのか、彼女に好き放題させていた。
その好き放題は、二年前に父が亡くなってからも止まる様子もない。
だからセドリックは、当然義母が公爵夫人として、そして領主夫人としての仕事をするところなど見たことがないのだ。
それどころかセドリックが戦で戦功をあげようと、サラトガ公爵家が『王国の盾』としてさらに名前をあげようと、全く我関せずだ。
それに対して、セドリックの実母は領主夫人として慈善活動などに積極的に取り組んでいたらしいが、セドリックが三歳の時に亡くなっている。
それ以来二十年余り、領民たちは領主夫人の存在さえ忘れていたことだろう。
「領主夫人の仕事は、社交や家内の管理のみではありませんよ、旦那様。お金を使うことも、貴族の夫人の大事な仕事なのです」
「…金?」
トマスの言葉に、セドリックは眉を上げる。
「もちろん大奥様の贅沢と我儘には困っておりますが、しかし強ち完全な無駄でもないのです。それで回る経済もあるのですから」
たしかに、義母が我儘を言って王都から招いたアーティスト、デザイナー、料理人、パティシエなどは一時的にではあるがサラトガ領にとどまり、王都の流行を伝えた。
それによって領都の街が華やかになり、活性化を促すこともあった。
義母がマイロとイブリンのために王都から呼び寄せた学者や家庭教師たちからも、セドリック自身が得るものもあった。
「しかし若奥様は、王家からの持参金も、サラトガ公爵家から支給される公爵夫人用の費用にも一切手をつけていらっしゃらないようなのです」
「一切?」
「はい。ドレスも宝飾品も必要ないし、普段着る衣装は輿入れの折に持参したもので事足りるとおっしゃっているようです」
「なるほど」
この二ヶ月間を振り返ればわかるが、アメリアは華美を好む女性ではない。
しかしトマスが言うように、貴族がある程度金を落とすのは、領地の活性化にも繋がるのだ。
「アメリアは…、何故あそこまで自己評価が低く、質素な生活に拘るのだろうな。三年間とは言え王女として暮らし、それ以前も貴族の令嬢であったのに」
「ええ、これまで私たちは王家からの情報と世間の噂を鵜呑みにしてきました。しかし、根本から疑ってみるのがよろしいかと。少し、奥様のご実家であるグレイ子爵家に探りを入れてみてはどうでしょうか」
「しかし…、私はアメリアの口から真実を聞きたいんだ」
セドリックはすでに、アメリアが何か秘密を抱えたままでも妻として受け入れる覚悟でいる。
だから、彼女が頑なに隠している秘密を彼女に隠れて暴くのは本意ではないのだ。
「旦那様のお気持ちもわかりますが、そもそも奥様が突然王家の養女になったことが悪評に繋がっているのです。このままでは奥様の傷を広げ、旦那様との溝を深めるばかりです」
トマスの言葉にセドリックは考え込んだ。
王家の醜聞を暴くと言えば言葉は悪いが、自分はアメリアの夫なのだから知る権利があるはずだ。
「オスカーに命じて、諜報部隊に探らせよう。王家にも他の貴族にもわからないよう、秘密裏にな」
セドリックがそう言うと、トマスは大きく頷き「早速オスカーに伝えましょう」と執務室を出て行こうとした。
しかし扉の前で足を止め、振り返った。
「ところで旦那様」
呼びかけられ、セドリックは訝しげに顔を上げた。
見れば、トマスは不満気な顔でセドリックを見ていた。
「なんだ?トマス」
「いえ…、たしかに全くご自分のためにお金を使わない公爵夫人もどうかと思いますが、新婚だというのに新妻にプレゼント一つ贈らない公爵様もどうかと、ふと思いましてね」
「……あ……」
セドリックは呆けたようにトマスを見つめた。
「しかし、アメリアはドレスも宝飾品も…」
「ええ、要らないとおっしゃるでしょうね。でも、そういうものだけがプレゼントと言うのでしょうか。それに旦那様は、ご自身が治める領都を奥様に案内したことさえないのでしょう?妻の義務は果たせとおっしゃいながら、夫の義務はどこへ行ったのでしょうね?旦那様」
トマスにそう言われて、セドリックは真っ赤になった。
怒りではない、今、猛烈に恥ずかしかったのだ。
「これは、私自身の後悔でもありますが…」
哀しげな顔で、トマスが話し続ける。
「奥様はまだ十七歳の、少女ともいえるお年なのです。何故私たちはもっと、大人の余裕と抱擁力で、奥様を受け入れてあげられなかったのでしょうね」
トマスが呟く言葉を聞き、セドリックは頭をガツンと殴られた気がした。
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