さげわたし

凛江

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第三章 セドリック その二

家令トマス①

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結局、セドリックはアメリアと晩餐を共にすることなく本邸に戻った。
執務に没頭しようとしたのだが、どうしても先程のアメリアの姿が頭から離れない。

結婚式も挙げず領民にお披露目もしなかったのは、完全にセドリックの失策であった。
いくら彼女に公爵夫人として表立った仕事をさせるつもりがなかったとしても、お披露目くらいはするべきだったのだ。
戦場では先陣切って鬼神の如く華々しい活躍を見せる自分が、何故こうも彼女のことになると後手後手に回るのだろう。

「旦那様、先程から筆が止まっておりますよ」
頭を抱えて執務机に突っ伏しているセドリックに、家令のトマスが声をかけた。
「続けるとおっしゃったのは旦那様なのですから、今日中に終わらせてくださいますように」
冷ややかに言い切るトマスを前に、セドリックはのろのろと頭を上げた。

今セドリックの前にあるのは方々の公的部署から上がった申請書類で、部下が精査した上回ってきたものだ。
最終的に決済を出すのはセドリックなので、トマスに詳細を尋ねながらサインをしている。
しかしトマスにしてみれば、今日は早めに仕事を切り上げて離れへ向かったはずの主人が早々に戻ってきて、突然先程の続きをやると言い出したのだ。
自身も早めに引き上げられると思っていたトマスにとっては傍迷惑な主人であった。
しかも自分で言い出したくせに全く筆が進まないのだから。

「…奥様と、何かございましたか?旦那様」
全く使い物にならない主人に、仕方なくトマスは声をかけた。
その言葉を待っていたかのように、セドリックは小さく頷く。

「…私はダメだな、トマス。またアメリアを傷つけてしまった」
項垂れる主人に、トマスは深くため息を吐いた。
「旦那様が軍事以外はポンコツなことなど、わかりきったことでしょう?」
トマスの辛辣な言葉が返ってきて、セドリックはさらに眉尻を下げる。
ポンコツは言い過ぎだと思うが、トマスをはじめ優秀な部下に支えられて執務を熟せていることはもちろんセドリックも理解しているのだ。

先代から仕えているトマスは、セドリックを幼い頃から指導してきた者である。
母を早くに亡くし父は後妻と弟妹たちに取られたセドリックにとって、トマスと侍女長ソニア、そして騎士団長のオスカーは、言わば育ての親とも言える存在だった。

「…アメリアに、領地で結婚式を挙げようと話したんだ。…彼女は泣いて嫌がっていたが」
結局セドリックは筆を置き、情け無い顔でトマスを見上げた。
「なるほど。奥様からすれば当然の拒絶ですね。今更、また晒し者になれと言うことですから」
「アメリアは…、王女の身分にあるというのに自己評価が低すぎる。悪評に晒されてきたことが理由なのだろうが、私は、私が彼女を大事にする様子を領民に見せることによって悪評を一蹴したいと思ったんだ」
「恐れながら旦那様。それで奥様の悪女説がなくなるとは私は思えませんけどね。突然領民の前で奥様と仲睦まじい様子など見せれば、今度は国王陛下だけではなく、サラトガ公爵まで誑かしたのかなどと言われてしまうでしょう」

トマスの思いがけない言葉に、セドリックは大きく目を見開いた。
「だが…、だが彼女は、今まで領民と触れ合ってきた時間があるのだぞ?これまで皆彼女の素の姿を見て、親しみを感じていたはずだろう?」
「そんな単純な者ばかりではありませんよ旦那様。奥様に騙されたと言う者も必ず出てくるでしょう。得てしてそういう意見の方が強くなり、噂になり、真実になってしまうのです」
「…噂とは、怖いな」
「噂に踊らされた旦那様がおっしゃいますか?いや、最初に奥様を色眼鏡で見ていた私が言えることでもありませんが」

トマスはそう言うと唇を噛んで目を伏せた。
トマスもまた、アメリアが降嫁してきた頃の自分たちの態度を、激しく悔いていた。

当時は王都から入ってくるアメリアの噂を鵜呑みにし、公爵邸全体で彼女を蔑み、嫌っていた。
皆領主セドリックを尊敬し、好き過ぎたために起こった悲劇である。

使用人たちは皆きちんと仕事は熟していたが、誰も、遠く王都から嫁いできた、まだ幼さの残る王女にあたたかい声をかける者はいなかった。
本来なら使用人たちを叱咤し、率先して王女を労わるべき存在だった家令である自分がそうしなかったため、かえって助長してしまったとも言えるだろう。

「睦じい姿を見せればうまくいくと…、そんな簡単なものではなかったのだな。だが、では私はこれからどうすればいいのだ?」
ぼそりと、セドリックが呟いた。
「奥様にもっと領主夫人としての仕事と自信をお与えしてはいかがでしょう」
そう言うとトマスは伏せていた目線を上げ、セドリックを見据えた。
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