35 / 53
【番外編】ラストダンス〜元公爵夫人も離縁したい〜
2
しおりを挟む
「どうか、私を離縁して修道院へ送ってくださいませ」
この邸での最後の晩餐の席でも、サーシャはまだそう訴えていた。
王都での最後の夜を家族水入らずで過ごそうと、クリスが用意させた晩餐である。
かつて幾度となく夜会が開かれた豪奢なホールで、クリスとサーシャは向かい合って座っている。
これが最後と料理人が腕をふるった料理の数々に、しかしサーシャは手をつけずに俯いていた。
本当は自ら離縁の手続きをするなり修道院へ逃れるなりすればよかったのかもしれないが、公爵令嬢として蝶よ花よと育てられたサーシャはその術を持たなかった。
婚姻前はドウェイン公爵家に、そして婚姻後はアキテーク公爵家に守られ、社交界の花として君臨してきたサーシャには、結局一人で生きていく覚悟も勇気もないのである。
こんな境遇に自分を追いやった夫に素直にもなれず、ただ離縁してくれと言うばかりであった。
「それが、本心か?
そなたが修道院に入ってしまったらアンリはどうする?」
クリスは気まずそうにサーシャを見つめた。
まだ赤子のアンリは今、傍らに控える侍女の腕の中でスヤスヤと眠っている。
「叛逆者の娘が母では…、アンリの未来に影を落としますわ」
「…それを言うのは今更だろう。
私の息子というだけで、すでにアンリの汚点になっている」
「…アンリ…」
サーシャはアンリのあどけない寝顔を振り返り、涙を零した。
クーデターを起こして処刑された祖父とその旗印となった父をもつ息子のこの先の道は、相当険しいものになるだろう。
「私を憎んでも嫌ってもいい。
もう夫婦として生活できないというならそれでもいい。
だが、どうか、アンリのために逃げずに留まってくれないか?」
「逃げ…、る…?」
「私のことを信用できないのは当然だ。
たしかに今までの私は嫌なことから目を背け、自分の欲望のままに生きてきた。
だが、せめてこれからは、父として、アンリに恥ずかしい姿を見せないようつとめていきたいと思う」
夫の言葉に、サーシャは目を見開いた。
とても夫が発したとは思えないような言葉の数々だったからだ。
これほど真摯で、これほど殊勝な言葉を、サーシャは夫から聞いたことはない。
それが、たとえ建前だとしても。
クリスの何人かいた愛人と子供は、クーデターの報を聞いてすぐ実家に帰されていた。
その時手元にあったありったけの財宝を持たせてやったという。
それ以外の財宝はほぼ、事変後に王家に引き渡している。
人はすぐには変われない。
今は殊勝なことを述べていても、根っからの享楽主義の夫が変わるのは難しいだろう。
でも、彼は変わると、努力すると言ったのだ。
夫が父を見捨てたことを、サーシャは生涯忘れはしないだろう。
恨んでもいるし、憎む気持ちも、許せない気持ちもある。
だが…。
サーシャは顔を上げて夫の顔を見た。
優雅で美しかった貴公子の、けれど今は疲れを滲ませたその顔を。
この美しいテルルの第一王子に、サーシャはたしかに救われてもきた。
かつての恋人セレンとの未来がなくなった時、声をかけてきたのは彼だった。
クリスと結婚することにより、クリス、サーシャ双方にメリットはあった。
クリスにとってはただ弟への嫌がらせだったかもしれないが、サーシャのプライドはギリギリのところで保たれた。
お互いの欲を満たす結婚ではあったが、それだけではなかったはずだ。
ただ、この結婚によって、父は滅び、夫は失脚してしまったけれどー。
この邸での最後の晩餐の席でも、サーシャはまだそう訴えていた。
王都での最後の夜を家族水入らずで過ごそうと、クリスが用意させた晩餐である。
かつて幾度となく夜会が開かれた豪奢なホールで、クリスとサーシャは向かい合って座っている。
これが最後と料理人が腕をふるった料理の数々に、しかしサーシャは手をつけずに俯いていた。
本当は自ら離縁の手続きをするなり修道院へ逃れるなりすればよかったのかもしれないが、公爵令嬢として蝶よ花よと育てられたサーシャはその術を持たなかった。
婚姻前はドウェイン公爵家に、そして婚姻後はアキテーク公爵家に守られ、社交界の花として君臨してきたサーシャには、結局一人で生きていく覚悟も勇気もないのである。
こんな境遇に自分を追いやった夫に素直にもなれず、ただ離縁してくれと言うばかりであった。
「それが、本心か?
そなたが修道院に入ってしまったらアンリはどうする?」
クリスは気まずそうにサーシャを見つめた。
まだ赤子のアンリは今、傍らに控える侍女の腕の中でスヤスヤと眠っている。
「叛逆者の娘が母では…、アンリの未来に影を落としますわ」
「…それを言うのは今更だろう。
私の息子というだけで、すでにアンリの汚点になっている」
「…アンリ…」
サーシャはアンリのあどけない寝顔を振り返り、涙を零した。
クーデターを起こして処刑された祖父とその旗印となった父をもつ息子のこの先の道は、相当険しいものになるだろう。
「私を憎んでも嫌ってもいい。
もう夫婦として生活できないというならそれでもいい。
だが、どうか、アンリのために逃げずに留まってくれないか?」
「逃げ…、る…?」
「私のことを信用できないのは当然だ。
たしかに今までの私は嫌なことから目を背け、自分の欲望のままに生きてきた。
だが、せめてこれからは、父として、アンリに恥ずかしい姿を見せないようつとめていきたいと思う」
夫の言葉に、サーシャは目を見開いた。
とても夫が発したとは思えないような言葉の数々だったからだ。
これほど真摯で、これほど殊勝な言葉を、サーシャは夫から聞いたことはない。
それが、たとえ建前だとしても。
クリスの何人かいた愛人と子供は、クーデターの報を聞いてすぐ実家に帰されていた。
その時手元にあったありったけの財宝を持たせてやったという。
それ以外の財宝はほぼ、事変後に王家に引き渡している。
人はすぐには変われない。
今は殊勝なことを述べていても、根っからの享楽主義の夫が変わるのは難しいだろう。
でも、彼は変わると、努力すると言ったのだ。
夫が父を見捨てたことを、サーシャは生涯忘れはしないだろう。
恨んでもいるし、憎む気持ちも、許せない気持ちもある。
だが…。
サーシャは顔を上げて夫の顔を見た。
優雅で美しかった貴公子の、けれど今は疲れを滲ませたその顔を。
この美しいテルルの第一王子に、サーシャはたしかに救われてもきた。
かつての恋人セレンとの未来がなくなった時、声をかけてきたのは彼だった。
クリスと結婚することにより、クリス、サーシャ双方にメリットはあった。
クリスにとってはただ弟への嫌がらせだったかもしれないが、サーシャのプライドはギリギリのところで保たれた。
お互いの欲を満たす結婚ではあったが、それだけではなかったはずだ。
ただ、この結婚によって、父は滅び、夫は失脚してしまったけれどー。
38
お気に入りに追加
7,421
あなたにおすすめの小説
お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!
水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。
シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。
緊張しながら迎えた謁見の日。
シエルから言われた。
「俺がお前を愛することはない」
ああ、そうですか。
結構です。
白い結婚大歓迎!
私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。
私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。

1年後に離縁してほしいと言った旦那さまが離してくれません
水川サキ
恋愛
「僕には他に愛する人がいるんだ。だから、君を愛することはできない」
伯爵令嬢アリアは政略結婚で結ばれた侯爵に1年だけでいいから妻のふりをしてほしいと頼まれる。
そのあいだ、何でも好きなものを与えてくれるし、いくらでも贅沢していいと言う。
アリアは喜んでその条件を受け入れる。
たった1年だけど、美味しいものを食べて素敵なドレスや宝石を身につけて、いっぱい楽しいことしちゃおっ!
などと気楽に考えていたのに、なぜか侯爵さまが夜の生活を求めてきて……。
いやいや、あなた私のこと好きじゃないですよね?
ふりですよね? ふり!!
なぜか侯爵さまが離してくれません。
※設定ゆるゆるご都合主義
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。
うたた寝している間に運命が変わりました。
gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます
冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。
そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。
しかも相手は妹のレナ。
最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。
夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。
最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。
それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。
「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」
確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。
言われるがままに、隣国へ向かった私。
その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。
ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。
※ざまぁパートは第16話〜です

7歳の侯爵夫人
凛江
恋愛
ある日7歳の公爵令嬢コンスタンスが目覚めると、世界は全く変わっていたー。
自分は現在19歳の侯爵夫人で、23歳の夫がいるというのだ。
どうやら彼女は事故に遭って12年分の記憶を失っているらしい。
目覚める前日、たしかに自分は王太子と婚約したはずだった。
王太子妃になるはずだった自分が何故侯爵夫人になっているのかー?
見知らぬ夫に戸惑う妻(中身は幼女)と、突然幼女になってしまった妻に戸惑う夫。
23歳の夫と7歳の妻の奇妙な関係が始まるー。

今世ではあなたと結婚なんてお断りです!
水川サキ
恋愛
私は夫に殺された。
正確には、夫とその愛人である私の親友に。
夫である王太子殿下に剣で身体を貫かれ、死んだと思ったら1年前に戻っていた。
もう二度とあんな目に遭いたくない。
今度はあなたと結婚なんて、絶対にしませんから。
あなたの人生なんて知ったことではないけれど、
破滅するまで見守ってさしあげますわ!
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。