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それぞれの役割
おかえり、ただいま
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「今日も来るんですかね、騎士のお坊ちゃん」
秘書ラウルの声に、アリスは書類から少しだけ目線を上げた。
ラウルは皮肉げに口角を上げて、アリスを見下ろしている。
「…旦那様よ、ラウル」
アリスが嗜めるように言うと、ラウルはふんっと鼻を鳴らした。
「…どこが旦那様ですか。婿のくせに伯爵家の手伝いもしないで…」
「それは旦那様のせいじゃないわ。私が望んだことよ、ラウル」
アリスにそう言われ、ラウルは口をへの字にして黙り込んだ。
ラウルだって、わかっているのだ。
クロードが家業に携わることを拒んだのも、騎士団に残ることを望んだのもアリス自身だということを。
しかしそれをいいことに、あのお坊ちゃんはサンフォース邸に寄り付かず、王女の護衛騎士の任にまでついたのだ。
…何故か最近は頻繁に訪れるけれど。
サンフォース家で、クロードの評判はすこぶる悪い。
皆アリスお嬢様に心酔しているのだから、当然と言えば当然である。
だがそれを態度に出すとアリスに叱られるため、最近頻繁に顔を出すようになったクロードをそれなりにあたたかく迎え入れているのだ。
「お嬢様、旦那様がお見えになりました」
侍女のフェリシーが、クロードの来訪を告げに来た。
その顔も、仏頂面だ。
「あら、今、どちらに?」
「お庭で、タロと戯れておいでですわ」
「そう。じゃあ私もそちらに行くわ」
「……はい」
いそいそと執務室を出ていくアリスを見送り、ラウルはさらに口をへの字に曲げた。
クロードの来訪を聞いて微かに嬉しそうな顔をした主人に、少しだけ腹が立ったのだ。
◇◇◇
「旦那様、おかえりなさいませ」
アリスに声をかけられ、タロと戯れていたクロードは振り返った。
「…ただいま」
クロードがはにかむように答える。
まだまだこのシチュエーションに慣れないのだ。
以前は「いらっしゃいませ」と言っていたアリスが、「おかえりなさいませ」と言ってくれるようになった。
あの、晩餐会以降のことだ。
タロを間において、二人はよく会話するようになった。
以前はタロのことしか話題が無く会話に行き詰まってばかりいたが、最近は話題も多く、会話もスムーズに進んでいる。
「お仕事の方は順調ですか?」
お茶を飲みながらアリスがたずねると、クロードは少し苦笑した。
ルイーズ王女がかなりわがままで奔放だということは、アリスも王太子妃ゾフィーから聞いて知っている。
クロードのことを相当気に入っていて片時も離そうとせず、かなり振り回しているということも。
「昨日は王女殿下のお伴で中央劇場に行って参りました。舞台も荘厳な作りで、石造りの外観も本当に素晴らしかったです」
「まぁ、オペラですか?今流行りの演目を演っていますものね」
中央劇場ならアリスも行ったことがある。
ナルシスと婚約中、一度だけオペラを観に行ったのだ。
「…興味があるようでしたら、ご一緒にいかがですか?」
「え…?オペラを、私と、ですか?」
伺うようにたずねたクロードに、アリスは目を丸くした。
「ええ。その、私たちに不仲説が流れているのはご存知ですよね?先日の夜会で少しは払拭できたようですが、もう少し二人で人前に出た方がいいように思うのです」
(え、今さら…?)
アリスはきょとんと小首を傾げた。
自分たちの不仲説などもうずっと以前から流れているし、なんなら、どうせそのうち離縁するのだからと放置しておくつもりでいた。
そう考えながら目の前のクロードの顔を見れば、恥ずかしそうに目を伏せ、耳が真っ赤になっている。
(…可愛い…)
男の人に可愛いなど失礼かもしれないが、アリスは素直にそう思った。
敬遠している時はただ女性慣れしていない生真面目な堅物に見えていたが、少し打ち解けてみれば、彼は温和で純朴な好青年である。
そのクロードが、アリスを誘ってくれているのだ。
もしかしたら、離縁は決まっていてもそれまでの関係を少しでも円満に過ごせるよう、彼なりに気をつかっているのかもしれない。
「でも…、その演目は、旦那様はご覧になったのでしょう?」
「私は護衛の勤務中でしたから、劇の方は全く見ておりませんし、内容も覚えておりません」
「なるほど」
生真面目なクロードらしい回答である。
しかし、劇は覚えていないのに、劇場の外観を褒めるクロードにアリスは苦笑した。
夜会の席で流暢な外国語を披露したクロードを見て確信したが、彼はアリスが思っていたよりずっと博識だった。
特にあの時テルミー夫人に古い灯台を勧めていたように、歴史的建造物などに造詣が深いようだ。
「是非、ご一緒したいですわ。でも、護衛のお仕事は大丈夫なんですの?」
「護衛と言ったって二十四時間付きっきりなわけじゃありません。交代勤務ですから休みや明け番がありますし、こうして貴女とお茶を飲む時間だってあるでしょう?」
「でしたら…、一日中一緒にいられるのなら、昼間は国立博物館に行きませんか?」
「博物館ですか⁈」
クロードはにわかに目を輝かせ、身を乗り出した。
国立博物館というのは中央劇場の近くにあり、昔は宮殿として使われていた建物を国に下げ渡して博物館として公開しているものだ。
クロードが歴史的なものに興味があるなら、絶対に好きだと思ったのだが。
「行きましょう、是非!しばらく行ってないから新しい展示も気になってたんですよ!ああ、楽しみだなぁ」
嬉しさを隠そうとともせず顔を綻ばせるクロードを、アリスはあらためて可愛いと思った。
秘書ラウルの声に、アリスは書類から少しだけ目線を上げた。
ラウルは皮肉げに口角を上げて、アリスを見下ろしている。
「…旦那様よ、ラウル」
アリスが嗜めるように言うと、ラウルはふんっと鼻を鳴らした。
「…どこが旦那様ですか。婿のくせに伯爵家の手伝いもしないで…」
「それは旦那様のせいじゃないわ。私が望んだことよ、ラウル」
アリスにそう言われ、ラウルは口をへの字にして黙り込んだ。
ラウルだって、わかっているのだ。
クロードが家業に携わることを拒んだのも、騎士団に残ることを望んだのもアリス自身だということを。
しかしそれをいいことに、あのお坊ちゃんはサンフォース邸に寄り付かず、王女の護衛騎士の任にまでついたのだ。
…何故か最近は頻繁に訪れるけれど。
サンフォース家で、クロードの評判はすこぶる悪い。
皆アリスお嬢様に心酔しているのだから、当然と言えば当然である。
だがそれを態度に出すとアリスに叱られるため、最近頻繁に顔を出すようになったクロードをそれなりにあたたかく迎え入れているのだ。
「お嬢様、旦那様がお見えになりました」
侍女のフェリシーが、クロードの来訪を告げに来た。
その顔も、仏頂面だ。
「あら、今、どちらに?」
「お庭で、タロと戯れておいでですわ」
「そう。じゃあ私もそちらに行くわ」
「……はい」
いそいそと執務室を出ていくアリスを見送り、ラウルはさらに口をへの字に曲げた。
クロードの来訪を聞いて微かに嬉しそうな顔をした主人に、少しだけ腹が立ったのだ。
◇◇◇
「旦那様、おかえりなさいませ」
アリスに声をかけられ、タロと戯れていたクロードは振り返った。
「…ただいま」
クロードがはにかむように答える。
まだまだこのシチュエーションに慣れないのだ。
以前は「いらっしゃいませ」と言っていたアリスが、「おかえりなさいませ」と言ってくれるようになった。
あの、晩餐会以降のことだ。
タロを間において、二人はよく会話するようになった。
以前はタロのことしか話題が無く会話に行き詰まってばかりいたが、最近は話題も多く、会話もスムーズに進んでいる。
「お仕事の方は順調ですか?」
お茶を飲みながらアリスがたずねると、クロードは少し苦笑した。
ルイーズ王女がかなりわがままで奔放だということは、アリスも王太子妃ゾフィーから聞いて知っている。
クロードのことを相当気に入っていて片時も離そうとせず、かなり振り回しているということも。
「昨日は王女殿下のお伴で中央劇場に行って参りました。舞台も荘厳な作りで、石造りの外観も本当に素晴らしかったです」
「まぁ、オペラですか?今流行りの演目を演っていますものね」
中央劇場ならアリスも行ったことがある。
ナルシスと婚約中、一度だけオペラを観に行ったのだ。
「…興味があるようでしたら、ご一緒にいかがですか?」
「え…?オペラを、私と、ですか?」
伺うようにたずねたクロードに、アリスは目を丸くした。
「ええ。その、私たちに不仲説が流れているのはご存知ですよね?先日の夜会で少しは払拭できたようですが、もう少し二人で人前に出た方がいいように思うのです」
(え、今さら…?)
アリスはきょとんと小首を傾げた。
自分たちの不仲説などもうずっと以前から流れているし、なんなら、どうせそのうち離縁するのだからと放置しておくつもりでいた。
そう考えながら目の前のクロードの顔を見れば、恥ずかしそうに目を伏せ、耳が真っ赤になっている。
(…可愛い…)
男の人に可愛いなど失礼かもしれないが、アリスは素直にそう思った。
敬遠している時はただ女性慣れしていない生真面目な堅物に見えていたが、少し打ち解けてみれば、彼は温和で純朴な好青年である。
そのクロードが、アリスを誘ってくれているのだ。
もしかしたら、離縁は決まっていてもそれまでの関係を少しでも円満に過ごせるよう、彼なりに気をつかっているのかもしれない。
「でも…、その演目は、旦那様はご覧になったのでしょう?」
「私は護衛の勤務中でしたから、劇の方は全く見ておりませんし、内容も覚えておりません」
「なるほど」
生真面目なクロードらしい回答である。
しかし、劇は覚えていないのに、劇場の外観を褒めるクロードにアリスは苦笑した。
夜会の席で流暢な外国語を披露したクロードを見て確信したが、彼はアリスが思っていたよりずっと博識だった。
特にあの時テルミー夫人に古い灯台を勧めていたように、歴史的建造物などに造詣が深いようだ。
「是非、ご一緒したいですわ。でも、護衛のお仕事は大丈夫なんですの?」
「護衛と言ったって二十四時間付きっきりなわけじゃありません。交代勤務ですから休みや明け番がありますし、こうして貴女とお茶を飲む時間だってあるでしょう?」
「でしたら…、一日中一緒にいられるのなら、昼間は国立博物館に行きませんか?」
「博物館ですか⁈」
クロードはにわかに目を輝かせ、身を乗り出した。
国立博物館というのは中央劇場の近くにあり、昔は宮殿として使われていた建物を国に下げ渡して博物館として公開しているものだ。
クロードが歴史的なものに興味があるなら、絶対に好きだと思ったのだが。
「行きましょう、是非!しばらく行ってないから新しい展示も気になってたんですよ!ああ、楽しみだなぁ」
嬉しさを隠そうとともせず顔を綻ばせるクロードを、アリスはあらためて可愛いと思った。
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