36 / 52
不穏な足音
失踪
しおりを挟む
嵐のようなエルミラが去った後も、ルナの日常は表面上は穏やかに過ぎた。
ポーラに怪我がなかったから良かったようなものの、大変なことになっていたところだ。
この件はアルドから大公家に報告され、ルナの周囲はさらに厳重な警備がされることになった。
あの後アルド夫妻は、ドリーを解雇した。
仲間を信じられない人間は雇えないと。
そして夫妻から、ルナの身の上をある程度察していたということも告白された。
アルドは生糸や絹織物の調達で、ローレンシウム子爵領とも取り引きがあった。
書類上ではあるが、領主の丁寧な取引と、子爵夫人からの細やかな気遣いに感じ入り、ものとしてさほど良品ではない年があったとしても、長く細く付き合いたいと思っていたところだ。
ところが、ある日を境にローレンシウム領は杜撰な取引をするようになり、気遣いも全くなくなった。
経理は杜撰、粗悪品が紛れていても保障も無いばかりか謝罪の一つも無い。
それが、アルド自身が森で襲撃された事件の頃からだったと気づいたのは、あれから間もなくのことだ。
不審に思って調べてみると、あの事件の少し前に、ローレンシウム家の長女が馬車の事故で亡くなっていたことを知った。
その長女のことをもっと調べてみようとしたが、病弱で家に引きこもっていたということ以外、驚くほど、その容姿も性格も見えてこない。
(まさか…)
アルドの脳裏に、1つの仮説が浮かんだ。
彼がミゲルとルナに出会ったのは、ローレンシウム家の長女が亡くなったとされている数日後だ。
そしてルナは、平民を装ってはいてもその言葉遣いや所作から簡単に良い家の令嬢だと察せられた。
アルドは確信はないままに、ローレンシウム家との取引を打ち切った。
アルド商会が打ち切ったのを皮切りに、他のガリウム公国内の商会も次々に取引を辞めたという。
「私と手紙のやり取りをしていたのは、ずっと君だったんだね」
アルドの言葉に、ルナが黙ってうなずく。
「君とミゲルは私の命の恩人だ。それに、恩人とか関係なく、私はもう君を実の娘のように思っている。だからルナ、君の父として、ミゲルがいない間は私に守らせておくれ。そして、どうかここから嫁に出させて欲しい」
そう話すアルドの隣で、エヴァも大きく頷いている。
「嬉しい…。私には、ミゲルだけじゃなかったんですね」
ルナはポロポロと涙を溢した。
その肩を、エヴァが優しく摩ってくれる。
「そうよ。あなたは私たちの娘よ。ポーラだってあなたのこと本当のお姉さんだと思ってるわ」
ルナは泣きながらうんうんとうなずいた。
ポーラがあんな小さな体でルナを守ってくれようとしたことは、身をもってわかっている。
それに、アルド家族が自分を大事に思ってくれているのもわかっていた。
時折触れてしまう指先から溢れてくる彼らの心の声に嘘はなかったから。
でもこうして嘘偽りない言葉で、きっぱりと家族だと思っていると言い切ってくれるのは、本当に涙が出るほど嬉しい。
実の家族からは、欲しくても得られなかった言葉だから。
ただ、嬉しさと同時に、やり切れなさも感じてしまう。
どうしても今はまだ、自分の異能だけは打ち明けられないから。
彼らはエルミラが言ったルナの『心が読める』異能については全く信じていないようだ。
それをルナは、有難くも申し訳なくも思っている。
(打ち明けることは出来ないけど、より誠実に接していけたらな)
そしていつかミゲルと相談して折り合いがついたら…、そうしたら、この新しい家族に全てを打ち明けたいと思う。
◇◇◇
しばらく穏やかな日が続いた。
アルドの話によると、ガリウム公国の首都に滞在していたエルミラは、結局自国に帰ったらしい。
アルドからの報せを受け、公子の婚約者モニカが、ローレンシウム子爵に激しい抗議の手紙を送ったらしい。
属国と侮ってはいても未来の大公夫人と今ことを構えるのには分が悪いと、子爵も相当焦っただろう。
しかしホッとしたのも束の間、そんなルナに信じられないような報せが届いた。
それは、視察団が首都を離れて半月後のことだった。
視察先から、ミゲルが忽然と消えたという報せだったのだ。
ユリアス公子の視察先で、護衛騎士のミゲルはほとんどの時間を主の側で過ごしていたはずだった。
夜も交代で公子の部屋の前に立っていたし、休憩時間も他の騎士たちと同じ部屋で仮眠をとっていた。
だが、それでも一人になる時間はあっただろう。
同僚の話によると、ミゲルは婚約者への土産を買いたいと、夜番明けに一人で出かけたと言う。
そして彼は、翌日の交代の時間になっても戻らなかった。
その一人になる時間を狙ったように、ミゲルは失踪したのだ。
失踪前のミゲルに、何ら不審な点は見当たらなかった。
護衛の任はきっちりと果たし、休憩時間は気さくに同僚たちに声をかけていた。
なんなら、可愛い婚約者ののろけ話を聞かされて、皆辟易していたくらいだという。
目の前には出世の道が開けていて、もうすぐ愛する婚約者と結婚するというこの時期に、自ら失踪するなどあり得ない。
ユリアスは視察を切り上げてミゲルの捜索を行ったが、彼の足取りは杳として知れなかった。
最後に彼を見かけたのは宝飾店の主人だったが、店を出た後の彼の姿を目撃した者は誰もいなかったのだ。
結局ユリアスは数人の精鋭を捜索隊として残し、首都へ帰ったのだった。
ポーラに怪我がなかったから良かったようなものの、大変なことになっていたところだ。
この件はアルドから大公家に報告され、ルナの周囲はさらに厳重な警備がされることになった。
あの後アルド夫妻は、ドリーを解雇した。
仲間を信じられない人間は雇えないと。
そして夫妻から、ルナの身の上をある程度察していたということも告白された。
アルドは生糸や絹織物の調達で、ローレンシウム子爵領とも取り引きがあった。
書類上ではあるが、領主の丁寧な取引と、子爵夫人からの細やかな気遣いに感じ入り、ものとしてさほど良品ではない年があったとしても、長く細く付き合いたいと思っていたところだ。
ところが、ある日を境にローレンシウム領は杜撰な取引をするようになり、気遣いも全くなくなった。
経理は杜撰、粗悪品が紛れていても保障も無いばかりか謝罪の一つも無い。
それが、アルド自身が森で襲撃された事件の頃からだったと気づいたのは、あれから間もなくのことだ。
不審に思って調べてみると、あの事件の少し前に、ローレンシウム家の長女が馬車の事故で亡くなっていたことを知った。
その長女のことをもっと調べてみようとしたが、病弱で家に引きこもっていたということ以外、驚くほど、その容姿も性格も見えてこない。
(まさか…)
アルドの脳裏に、1つの仮説が浮かんだ。
彼がミゲルとルナに出会ったのは、ローレンシウム家の長女が亡くなったとされている数日後だ。
そしてルナは、平民を装ってはいてもその言葉遣いや所作から簡単に良い家の令嬢だと察せられた。
アルドは確信はないままに、ローレンシウム家との取引を打ち切った。
アルド商会が打ち切ったのを皮切りに、他のガリウム公国内の商会も次々に取引を辞めたという。
「私と手紙のやり取りをしていたのは、ずっと君だったんだね」
アルドの言葉に、ルナが黙ってうなずく。
「君とミゲルは私の命の恩人だ。それに、恩人とか関係なく、私はもう君を実の娘のように思っている。だからルナ、君の父として、ミゲルがいない間は私に守らせておくれ。そして、どうかここから嫁に出させて欲しい」
そう話すアルドの隣で、エヴァも大きく頷いている。
「嬉しい…。私には、ミゲルだけじゃなかったんですね」
ルナはポロポロと涙を溢した。
その肩を、エヴァが優しく摩ってくれる。
「そうよ。あなたは私たちの娘よ。ポーラだってあなたのこと本当のお姉さんだと思ってるわ」
ルナは泣きながらうんうんとうなずいた。
ポーラがあんな小さな体でルナを守ってくれようとしたことは、身をもってわかっている。
それに、アルド家族が自分を大事に思ってくれているのもわかっていた。
時折触れてしまう指先から溢れてくる彼らの心の声に嘘はなかったから。
でもこうして嘘偽りない言葉で、きっぱりと家族だと思っていると言い切ってくれるのは、本当に涙が出るほど嬉しい。
実の家族からは、欲しくても得られなかった言葉だから。
ただ、嬉しさと同時に、やり切れなさも感じてしまう。
どうしても今はまだ、自分の異能だけは打ち明けられないから。
彼らはエルミラが言ったルナの『心が読める』異能については全く信じていないようだ。
それをルナは、有難くも申し訳なくも思っている。
(打ち明けることは出来ないけど、より誠実に接していけたらな)
そしていつかミゲルと相談して折り合いがついたら…、そうしたら、この新しい家族に全てを打ち明けたいと思う。
◇◇◇
しばらく穏やかな日が続いた。
アルドの話によると、ガリウム公国の首都に滞在していたエルミラは、結局自国に帰ったらしい。
アルドからの報せを受け、公子の婚約者モニカが、ローレンシウム子爵に激しい抗議の手紙を送ったらしい。
属国と侮ってはいても未来の大公夫人と今ことを構えるのには分が悪いと、子爵も相当焦っただろう。
しかしホッとしたのも束の間、そんなルナに信じられないような報せが届いた。
それは、視察団が首都を離れて半月後のことだった。
視察先から、ミゲルが忽然と消えたという報せだったのだ。
ユリアス公子の視察先で、護衛騎士のミゲルはほとんどの時間を主の側で過ごしていたはずだった。
夜も交代で公子の部屋の前に立っていたし、休憩時間も他の騎士たちと同じ部屋で仮眠をとっていた。
だが、それでも一人になる時間はあっただろう。
同僚の話によると、ミゲルは婚約者への土産を買いたいと、夜番明けに一人で出かけたと言う。
そして彼は、翌日の交代の時間になっても戻らなかった。
その一人になる時間を狙ったように、ミゲルは失踪したのだ。
失踪前のミゲルに、何ら不審な点は見当たらなかった。
護衛の任はきっちりと果たし、休憩時間は気さくに同僚たちに声をかけていた。
なんなら、可愛い婚約者ののろけ話を聞かされて、皆辟易していたくらいだという。
目の前には出世の道が開けていて、もうすぐ愛する婚約者と結婚するというこの時期に、自ら失踪するなどあり得ない。
ユリアスは視察を切り上げてミゲルの捜索を行ったが、彼の足取りは杳として知れなかった。
最後に彼を見かけたのは宝飾店の主人だったが、店を出た後の彼の姿を目撃した者は誰もいなかったのだ。
結局ユリアスは数人の精鋭を捜索隊として残し、首都へ帰ったのだった。
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~
柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。
その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!
この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!?
※シリアス展開もわりとあります。
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。
せいめ
恋愛
メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。
頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。
ご都合主義です。誤字脱字お許しください。
【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。
曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」
「分かったわ」
「えっ……」
男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。
毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。
裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。
何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……?
★小説家になろう様で先行更新中
ハズレ嫁は最強の天才公爵様と再婚しました。
光子
恋愛
ーーー両親の愛情は、全て、可愛い妹の物だった。
昔から、私のモノは、妹が欲しがれば、全て妹のモノになった。お菓子も、玩具も、友人も、恋人も、何もかも。
逆らえば、頬を叩かれ、食事を取り上げられ、何日も部屋に閉じ込められる。
でも、私は不幸じゃなかった。
私には、幼馴染である、カインがいたから。同じ伯爵爵位を持つ、私の大好きな幼馴染、《カイン=マルクス》。彼だけは、いつも私の傍にいてくれた。
彼からのプロポーズを受けた時は、本当に嬉しかった。私を、あの家から救い出してくれたと思った。
私は貴方と結婚出来て、本当に幸せだったーーー
例え、私に子供が出来ず、義母からハズレ嫁と罵られようとも、義父から、マルクス伯爵家の事業全般を丸投げされようとも、私は、貴方さえいてくれれば、それで幸せだったのにーーー。
「《ルエル》お姉様、ごめんなさぁい。私、カイン様との子供を授かったんです」
「すまない、ルエル。君の事は愛しているんだ……でも、僕はマルクス伯爵家の跡取りとして、どうしても世継ぎが必要なんだ!だから、君と離婚し、僕の子供を宿してくれた《エレノア》と、再婚する!」
夫と妹から告げられたのは、地獄に叩き落とされるような、残酷な言葉だった。
カインも結局、私を裏切るのね。
エレノアは、結局、私から全てを奪うのね。
それなら、もういいわ。全部、要らない。
絶対に許さないわ。
私が味わった苦しみを、悲しみを、怒りを、全部返さないと気がすまないーー!
覚悟していてね?
私は、絶対に貴方達を許さないから。
「私、貴方と離婚出来て、幸せよ。
私、あんな男の子供を産まなくて、幸せよ。
ざまぁみろ」
不定期更新。
この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。
【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。
たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。
わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。
ううん、もう見るのも嫌だった。
結婚して1年を過ぎた。
政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。
なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。
見ようとしない。
わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。
義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。
わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。
そして彼は側室を迎えた。
拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。
ただそれがオリエに伝わることは……
とても設定はゆるいお話です。
短編から長編へ変更しました。
すみません
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
【完結】王女様がお好きなら、邪魔者のわたしは要らないですか?
曽根原ツタ
恋愛
「クラウス様、あなたのことがお嫌いなんですって」
エルヴィアナと婚約者クラウスの仲はうまくいっていない。
最近、王女が一緒にいるのをよく見かけるようになったと思えば、とあるパーティーで王女から婚約者の本音を告げ口され、別れを決意する。更に、彼女とクラウスは想い合っているとか。
(王女様がお好きなら、邪魔者のわたしは身を引くとしましょう。クラウス様)
しかし。破局寸前で想定外の事件が起き、エルヴィアナのことが嫌いなはずの彼の態度が豹変して……?
小説家になろう様でも更新中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる