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ユーリとベルタ

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 厩舎の掃除を終えたユーリは、馬の足元でコロコロ転がる子猫達を見ながら微笑んだ。

 モコモコの黒猫、オハギを撫でると、短毛のトラも足元にすりよって来る。牛柄のミルクは我関せずで遊んでいる。
 最近イシカワ邸の仲間になった猫達は、姿も性格もバラバラだ。

 厩舎は最近、猫達のたまり場になっていた。

「おいでおいで! オハギ、トラ、ミルク!」

 マイカは子猫達に触りた過ぎて、手をワキワキさせながら少しずつ近付いていく。

「ル~~ルルルル」

 妙な声を出すマイカから逃げるように、子猫達はユーリの後ろに隠れた。

「な、なんで~~」

 子猫の反応に、マイカはガックリと肩を落とす。

「お、お嬢様しっかりしてください」

「え~~ん。フラれたぁ!」

 ユーリの慰めはマイカの耳に届いているのかどうか。
 猫好きには懐かないという、猫アルアルにマイカはメソメソ泣いた。

「大丈夫ですよ、お嬢様。この子達ももう少し大きくなれば……」

 ユーリはハッとして口を押さえた。

 猫は一度苦手だと判断した相手には、一生懐かないという。

(危ない。慰めのつもりが逆に傷つけてしまうところだった)

 マイカはユーリが知っているどんなタイプとも違う。
 ニコニコ愛想よくしていれば騙されるかと思いきや、一瞬でバサリと線を引く。

 ニコニコしていれば、たいていの人がユーリを信じた。見た目が幼く見えることも武器にして、人の信用を得ることは得意だ。悪どい奴ほど慎重に見えて、一度懐に入ってしまえば、警戒は解けやすい。すぐに騙される。
 そうやって生きてきた。結果、借金を擦り付けられて奴隷になってしまったけれど、犯罪奴隷になるよりはマシか。
 どちらにしたって平凡に穏やかな生活は、自分には夢のまた夢。

 始めはマイカも同じだと思った。金持ちのお嬢様なんて、簡単に騙して楽な生活を送ってやろう。そう思っていた。

 けれど、少しも隙をみせない。鉄壁のガードで踏み込んでも押しかえされる。
 結局、この人には取り入ろうとしても無駄だと判断した。

「うううっ……三匹もいるんだから、一匹くらい触らせてよぉ~~。この世界ではもしかしたら触れるかもって思ったのにぃ!」

 一見、こんなに隙だらけに見えるんだけど。

(面白いお嬢様だよなぁ)

 人の為に本当に何とかしてやりたいと思ったのは久しぶりだ。

 ユーリは雌のミルクを撫でる。

 猫の中で一番クールでマイペースなミルク。彼女だけは、マイカを嫌がっているというよりは、誰のことも気にしていない気がする。

(ミルク。今度、気まぐれにお嬢様に撫でさせてやってよ。美味しいおやつあげるから)

 ユーリは心の中でミルクに願った。


 まだまだメソメソしているマイカの頭に、鼻筋をグイグイ押し付けたのは、イシカワ邸の馬の一匹、カラメルだ。

「カラメル~~。そうだよねぇ私にはカラメルがいる! あんただけだよぉ」

 カラメルの首にギュッと抱きついて、ようやくメソメソが落ちついていく。

 やっぱりアニマルセラピーは効果あるなぁとマイカがしみじみ感じていると、ピッタリくっついていたカラメルの身体が、マイカからじわじわ離れていった。

「えっ? カ、カラメルまでぇ?」

 ユーリは見ていた。マイカに寄り添うカラメルの身体を、グイグイ押して二人を引き離そうとする存在を。

 クリーム色の馬、アデルハイトだ。

 アデルハイトがカラメルを押して、マイカからカラメルを離そうとしている。

(あ~~あ、カラメルも罪な奴だな。女の嫉妬は怖いぞぉ)

 再びメソメソに戻ったマイカに、ユーリは特製猫じゃらしをプレゼントすることに決めた。




 ここにいる二頭の馬は本当に優秀で、ユーリも時々踏みそうになる子猫達を、踏んだり蹴飛ばしたりする事はない。

 カラメルは雄の2歳馬で、濃茶色の毛色から、マイカがプリンのカラメル色を連想して名付けられた。
 馬の毛色を表す言葉では、栃栗毛という色だけれど、マイカの中ではカラメル色らしい。
 陽気で人懐こく優しい性格で、子供でも喜んで乗せてくれる。
 レオナルドとルッツが乗馬の練習をする時は、専らカラメルがパートナーだ。

 アデルハイトは雌の3歳馬だ。月毛と呼ばれる、いわゆるクリーム色の毛色をしている。
 性格は気位が高く、気に入った人物しか絶対に乗せない。イシカワ邸で彼女に乗ることを許されたのは、ヴィムとパウルのみだ。
 後、もう一人、乗馬は出来ないけれど、彼女に気に入られている人物がいる。

「アデルハイトさん。今日もあなたは綺麗ね。大きくて気品溢れて、素晴らしいわ」

 アデルハイトの元に頻繁に通い、その姿を眺めて褒め称える。アデルハイトの方も満更でもないようで、彼女が来ると嬉しそうだ。

「こんにちは、ベルタさん」

「こんにちは、ユーリ。今日もお邪魔してしまって、悪いわね」

 イシカワ邸のメイド長の立場にいる、ベルタだ。
 ベルタの前では、マイカとは別の意味で勝てないな、と感じる。穏やかな雰囲気がホッとする。

「ベルタさんが来ると、アデルハイトも嬉しそうです。馬が好きなんですか?」

「ふふふっ。私ね、馬を間近で見たの、この子達が初めてだったの。カラメルを見て、なんて可愛いらしいのかしらって思って、次にアデルハイトを見た時、馬の女王様かと思ったくらい素敵で、すごくドキドキしたのよ。初めて触れあった馬が、この子達で良かったわ。馬が好きになったもの」

 第一印象ですべてが決まることがある。
 初めて触れた犬に噛まれたら、すべての犬が苦手になるかもしれない。
 初めての買い物で嫌な目にあったら、買い物が嫌いになるかもしれない。
 一番信用していた人に裏切られたら、誰も信用出来なくなるかもしれない。

 ベルタはアデルハイトに向かって手を伸ばす。
 気位の高いアデルハイトが触らせてくれるとは思っていない。今まで何度か同じ仕草をしてみたのは、少しでもアデルハイトのテリトリーに入れて貰いたい気持ちだった。

「アデルハイトのように、強く逞しく、いつでもシャンとして、気高く気品溢れるようだったら……違った人生が待っていたのかもしれないわ」

 ベルタが力なく笑った。

「……でも、その人生が幸せかどうかは分からないけれど」

「ベルタさん……」

「あら、そんな顔しないで。私、このお屋敷に来てから、一度も後悔したことがないの。
 ユーリも、ずいぶん表情が柔らかくなったわよ」

「え……」

 ユーリはクルリと後ろを向く。
 今の自分の顔を見られたくない。
 通りで敵わないハズだ。ベルタにはすべてお見通しだったのか。

「あ、たぶん私だけじゃなくて、みんな感じていると思うわ」

「…………」

 ユーリはみんなの前で丸裸にされた気分になって、しゃがんで顔をあげられなくなった。

「あらまあ!」

 アデルハイトが自ら歩み寄って、ベルタの手に顔を擦り付けている。

 ベルタは嬉しそうに微笑んで、アデルハイトの毛並みを撫でた。
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