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巨大な卵5

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「私の手に手を重ねて下さい」

 いつも通りの言葉を、今回は客人でもあるフォルカーにかける。
 何故か気まずそうにモジモジする大男に、ビビアナはゴホンと一つ咳払いをした。フォルカーのような真面目なタイプにたまにあるのだ。

「フォルカーさん。私はたまご屋なので、女性扱いしなくても大丈夫です」

「う……しかし、若い女性の手を……」

「失礼しまぁす」

 躊躇うフォルカーの手をむんずと掴んで、無理矢理自分の手に乗せる。
 口を開けたまま顔を赤らめ
、固まっているフォルカーは無視だ。

 ビビアナは手のひらに集中した。
 いくつもの視線を感じる。それは上から、下から、横から、窓の外から。
 ビビアナのたまご屋で生まれた使い魔達が、フォルカーを値踏みしに来ているのだ。姿を見せずとも今来ている使い魔は、みんなフォルカーを気にしている。一目見て消えてしまう子もいれば、興味深くしばらく覗いている子もいる。
 後はビビアナの呼びかけで、本当にフォルカーを唯一無二と認めた使い魔が引き寄せられるのだ。 
 リュカはこの様子をオークションのようだと言ったけれど、確かに似ている。

(うん、わりと集まったかな。これくらい集まれば誰か落札してくれるかな~~)

 もちろん落札されるのはほんの一握りで、どんなに集まってもサッといなくなってしまうことの方が多いのだけれど。

 フォルカー落札オークションの終了を告げようとした時。
 サッと集まった気配が、みんな示し会わせたように消えてしまった。

(え? どういう事?)

 今の今まで順調に進んでいたのに。こんなことは初めてだ。

「店主?」

 フォルカーがビビアナの表情を見て呼びかけたのと同時に、タンクが店の中に飛び込んで来た。

「タンク?」

 ガググゥ……と低い唸り声を出して、ビビアナの服を噛んで店の奥へ引っ張る。

「何かあったのね」

 危険からビビアナを遠ざけようとしていようだ。

「フォルカーさん。奥へ移動しましょう」

「何かーーーー」



 ゴゴゴゥゥ。



 地響きのような音がした。
 次いですぐにドアのガラスにヒビが入る。粉々に割れないのは、割れても飛び散らない加工をしているからだ。以前、風を操る魔狸が調子に乗ってガラスを全部割ってしまったことがある。その時に施した対策だったけれど。
 ミシリミシリとひび割れが増え、繋がったまま一部が裂けた。

 ブワリと熱風が入って来る。焦げた匂いも同時に。

「店主! これはもしや」

「……火事?」

 たまご屋の敷地の外は森だ。魔物が住まう森は、普通の火では火事になることはほぼない。
 森は大丈夫だろうけれど。

「リュカは!?」

 納屋に向かったリュカは大丈夫だろうか。燃えているのが納屋なら?
 慌てて外に出ようとするビビアナをタンクが止めた。

「ごめんタンク。通して。ね? 行かなきゃ」

 主人の本気に使い魔は逆らえない。クンと喉を鳴らすタンクの頭を撫でて、ビビアナは店の外に出た。








 燃えていたのは森ではなかった。
 納戸から外に出された巨大な卵が、ゴウゴウと音を立てて黒い炎に包まれていた。

「あ、ビビアナ」

 リュカが燃える卵の側でニコリと場違いな笑顔を浮かべた。

「何をしているんだ!!」

 ビビアナが聞く前に、後を追って来たフォルカーが叫んだ。
 燃える卵に飛び込んで行こうとするほどのスピードで走って来る。

「何って、卵を焼いてみた」

 必死の形相のフォルカーは拳をグッと握り、リュカに殴りかかる勢いで詰め寄った。こんな状況でもいきなり殴りかからないのは、彼の性格だろうか。それとも、明らかに普通の火ではない炎を前に、太刀打ち出来ないという諦めだろうか。

「どうして……こんな事に」

「どうしてって、あんたも望んでたじゃん」

「望ん、でいた……だと?」

 フォルカーはグッと奥歯を噛んだ。
 言い返す言葉がない。
 どこのたまご屋でも孵る見込みがないと言われた卵。
 けれど諦める訳にはいかない理由があった。
 正直、こんな卵なんか消えてしまえと思ったことは何度もある。

(だが、それ以上に)

 この数日間、ビビアナが孵す卵を見て、生まれて来る小さな魔物を見て。

「孵化する奇跡を望んでいたんだ!」

 吐き出すように言った言葉に、リュカの瞳はキラリと光った。
 金色の瞳は黒い炎に包まる卵に向けられる。

「だってさ」

 炎の中、卵が動いた気がした。



 クスクス。
 クスクス。



 どこからともなく聞こえた笑い声と共に、グラリと空間が歪む。使い魔が現れる時と同じだ。
 最初に見えたのは頭。ニョキリと生首状態だ。
 顔立ちは人間と同じ。けれど人間とは違うキョロリとした瞳は、トパーズの宝石をそのまま嵌め込んだような白目のない物だった。

「僕はさ、コソコソされるのは好きじゃない」

 空間の穴からスルンと身体も出てきた。
 10歳程度の人間と変わらない体格の少女だった。一つ大きく違うのは、背中に薄桃色の羽ある。

「お久しぶりです。魔王さ「リュカ」」

「失礼しました。リュカ様」

 少女は空中で笑いながら、無邪気に頭を下げる。リュカはその様子を横目で見ながら、まるで羽虫でも払うように手を振った。

「もう、リュカ様ってば。そんなに邪険にしないで下さいよぅ。せっかくケルベロス連れて来たのに~~」

「お前が蒔いた種で僕のビビアナを巻き込むなら、許せないな、マナ」

「でもでも! フェニックスの卵は最初はもっと小さかったでしょ? あいつ、生まれることを拒否したんですよ?そのうちにどんどんおっきく育っちゃったんですから」

「それと人間に卵を渡したことと、どんな関係があるのか僕の前で言ってみな」

「あ~~、それはぁ……一種のショック療法?」

 テヘッと舌をだす。反省のカケラもない。

 リュカを中心にブワリと風が吹いた。
 広がった風は、凍えるほどに冷たい。
 燃える卵のおかげでビビアナとフォルカーには全く影響はなかったけれど、まともに浴びたマナの薄桃色の羽は、一瞬で凍り付いた。

「ち、ちょっと待って下さぁい! そりゃ少しは人間達がワチャワチャしてたら面白いなって……思ったんですけど、ほんの……少し、ですよ?
 ……う、う……魔、おう、さま」

 苦しげにドサリと地面に落ちる。

「……ま、おう……さ、ま」

 マナの羽に向かってリュカの指先が動いた。

「リュカ、駄目!!」

 思わず叫んだビビアナの声。後わずかで凍り付いたマナの羽に届くというところで、ピタリと手が止まった。

「リュカ、おいで」

 普段よりギラギラと輝く金色の瞳がビビアナを映す。

(頭の角は……うん、出てないね。でもあの目はヤバいヤツだわ)

 ビビアナはマナなんて知らない。彼女が何をしたかも知らない。
 リュカを魔王と呼んだマナ。権力者の怒りをかったなら彼女の自業自得だ。
 助ける義理も何もない。
 ビビアナに分かるのは、ただ面白そうだと言う理由で、リュカを怒らすことを仕出かしたということ。

 ビビアナを映した瞳は、一瞬で普段のリュカの瞳に戻った。

 ホッとしながらこちらに来るリュカを迎える。

「ちょ! ちょっと! 何で抱きつくわけ!?」

「いや、そういう雰囲気でしょ」

 猫ならゴロゴロと喉でも鳴らしそうな顔で、ビビアナの腰をがっちりホールドしている。無理矢理引き剥がさなかったのは、リュカの小さなため息を聞いたからだ。

「リュカ? どうしたの。落ち込んでるの?」

「……そうかな。
 フェニックスはさ、長い長い時間を何度も再生を繰り返して生き続けてるヤツなんだ。それってさ、結構キツイのを、僕は知ってる」

「そうね」

 マナが言っていたことが本当なら、フェニックスは生まれることを拒否して、未だに卵の中にいるということになる。
 それは永遠を生きなければならない魔王と同じ。

「消えてしまいたい気持ちを、僕は知ってる」

「うん」

 一度、世界を見限り、卵になった魔王。
 世界を生かす為に、存在し続けないといけない存在。長く長く、孤独と退屈と絶望を溜め込んでいた魔王の虚ろな瞳を思い出す。

 ビビアナの胸がギュとしまり、苦しくなった。

 ビビアナの知るリュカは、無邪気で時に意地悪で、寂しがり屋で……少なくとも魔王の頃の危うい雰囲気はなかった。
 これから先も、そうであればいいのに。

「ねぇリュカ。私はリュカより先に歳をとって死んじゃうけど、私の残りの人生の全部をリュカにあげるよ」

 ビビアナとの生活が少しでもリュカの孤独を和らげるなら、それでいい。

 腰にしがみついて離れないリュカが、耳元に唇を寄せる。

「ビビアナ、それってプロポーズだよね」

「違っ」

「店主!」

 背後から、フォルカーのハッと息を呑んだ音が、不思議なほど大きく聞こえた。

「今、ロマンスを展開している状況ではない! 卵が!」



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