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しおりを挟むプロローグ
「アリサ! 右!」
「わかってるわよ、モーラ!」
右から灰色狼が鋭い牙を剥き、華奢な少女の肩に飛びかかる。
「くっ! ダブルスティング!」
アリサはそれをかわしつつ、すれちがいざまに両手に持った短剣を二本ともダイアーウルフの胴体に突き刺した。すると、ダイアーウルフは煙となり、魔石と毛皮がドロップ品としてダンジョンの床に落ちる。
アリサはかわしたつもりだったが、前脚が肩をかすったようで、そこから血が溢れていた。それに気づいた、杖を持った少女が慌てて声をかける。
「アリサ、回復します! ヒーリング!」
その間にも、アリサは次の敵に目を向けていた。
「モーラ! 追加が二匹来るわよ!」
「もうあたしにも見えてるよ! タウント・ロア! ウオオオオオオオ!」
大柄の女性――モーラがスキルで咆哮すると、追加でやってきたダイアーウルフは、彼女に釘づけになった。
「ディフェンスオーラ!」
「サンキュ! メイ子!」
杖を持った少女――メイに補助魔法をかけてもらったモーラは、追加の二匹のダイアーウルフに向けて盾を構える。
モーラが盾であしらいながら、隙を見て剣で斬りつけている間に、気配を殺していたアリサがダイアーウルフの後ろに現れた。
「……ファイアースラッシュ」
アリサが魔法で火を纏わせた短剣で、ダイアーウルフを突き刺す。
「キャイイイイン!」
ダイアーウルフが燃え上がり、煙となる。同時にモーラが、もう一匹のダイアーウルフの心臓に剣を突き刺した。二匹とも魔石と毛皮のドロップ品に変わる。
「今のうちにさっきの小部屋に!」
ダイアーウルフのドロップ品もそのままに、モーラのかけ声で三人は、二時間ほど前までいた小部屋に急いで戻った。
「メイ子、お願い」
「はい、ホーリーガード」
三人が小部屋に入ったところで、メイが魔法を唱えると、室内に神聖な魔力が充満し、魔物を遠ざける結界となった。
「ふう、こりゃキツいね」
「モーラ、アンタが転移トラップを踏むからこうなったんでしょうが!」
「オークがメイ子を狙ってたんだ。アリサの〝探知〟を待ってる余裕はなかったんだよ!」
「もっと自分に引きつけて、メイを守ったらよかったでしょ! あんなに前に出る必要はなかったわ!!」
「しつこい女だね! 踏んじまったものは仕方ないだろうが! そんな風にツンケンツンケンネチネチしてるから、ジークにも逃げられんだよ」
「なんですって! 逃げられてないわよ! 私がフッたのよ!」
「どうだか。ジークから聞いたよ? ヤらせもしないくせに女房気取りで困るってさ」
「はあ!? なんでアンタとジークがそんな話をするのよ!? ……モーラ、まさか……」
「ふざけんじゃないよ、あたしにそんな趣味はないよ。そんなことを疑う前に、自分の魅力を磨いたらどうだい?」
モーラは豊満な胸を両手で押し上げ、ぶるんぶるんと揺らす。
アリサは自分の控えめな胸に視線を落とし、プルプルと震え出した。
「アンタ、言っていいことと悪いことがわからないの? それを言ったら戦争しかないのよ?」
「ははっ、この程度で? やっぱり貧相な胸の女は器も貧相だね」
「なんですって!」
「なんだい、やるのかい?」
二人が立ち上がり、胸を押しつけあうように睨みあっていると――
「あのー、そんなことより物資が……。ここから地上までの食料が足りませんよ?」
「「…………」」
メイは二人の言い合いに慣れていた。下らないことで喧嘩まがいになるのはいつものことだ。だから、これによって仲が険悪になることがないのも理解している。
それよりも、この状況をどうするかの方が問題だ。
「水は私の水魔法でなんとかなりますが、ここはダンジョンですので魔物の死体が残りません。現地調達もできませんよ」
ダンジョンでは魔物を倒すと死体が残らない。代わりに、魔石と何かしらのドロップ品が残る。
フィールドでは魔石やドロップ品にならず、死体がそのまま残るので、死体から素材を剥ぎ取ったり、魔物を調理して食べることが可能だ。
「……まずいね。メイ子、あと何日持つ?」
「節約して三日というところですね」
「アリサ、ここは何階層あたりか、わかるかい?」
「……正確にはわからないわ。転移トラップを踏んだのが十八階層、ここでの魔物がダイアーウルフだったから、四十階台の階層なのは間違いないわね」
「四十階台か……ぶっちゃけ三日じゃ無理だね」
モーラ、アリサ、メイ、三人の女だけのパーティー《桜花乱舞》は、ランクが金級の冒険者でかなりの実力者だ。そして最高到達階層は五十階層。きちんと準備していれば、四十階台の階層でも余裕をもって探索できる。
「だから、ポーターを雇えばよかったのよ」
「今回は二十階層までの予定だったじゃないか。アリサもそれで納得したろ」
「そうだけど……」
「今回は男しかポーターがいませんでしたし、今さらそれを言っても仕方ありません。なんとか戻らないと」
「そうね。軽く食事して動き出しましょ」
アリサがメイの言葉にうなずいた。
桜花乱舞は男をパーティーに入れない。これは、三人がパーティーを組んだときに絶対のルールとして設けたものだった。男が入ると、必ず揉め事が起きるからだ。
慣れたダンジョンだったが、常に命懸けな探索が、より困難なものになったのは間違いない。
三人は気を引き締めて、残り少ない干し肉をかじり、地上を目指した。
第一章 ヨシト、異世界に降り立つ
「え? ……いやいやいや……まじ?」
背中の痛みに目を覚ましてあたりを見渡すと、俺は何年経ってるかわからないほど古ぼけた木造建物の中にいた。
広さは四畳半ぐらい。家具や小物など一切なく、ただ今寝ていた藁と一つのドア、その隣にガラスの入ってない小窓がある。光が差し込むその小窓から外を見ると、往来には人が行き交っていて、奥にも建物が見える。どこかの街の通りのようだ。いずれにしても日本とは思えない。
「まさか……来たかコレ……」
俺は建物から出た。日差しが燦々と降り注ぐ。眩しさから手をおでこにあてて光を遮りつつ、あたりを確認する。
「間違いない、異世界だ……」
往来にいる人々は、まちがいなく日本人とは異なっていた。
彼らのうち半数ぐらいは、腰や背中に武器を身につけている。剣、弓、槍、あれはハンマー、メイスか? 杖を持つ人もいる。
服だって、鉄製の鎧に革のような鎧、ローブを着ている人や、手に籠手だけつけてる人など、様々だ。
これだけでも異世界くさいが、明らかに人間じゃない者もいる。ラノベとかで出てくる獣人やエルフだ。
「やった……やったあああああああああ!!」
両の拳を空に向かって振り上げると、人々が足を止めてこっちを見た。
「あっ、すみません。なんでもないです」
訝しげな目をしながらも、人々は動き出す。
(あぶねー、いきなり目立っちまった。つうか異世界かあ……来たいとは思ってたけど、まさか本当に来られるとは。……あれ? 俺、死んだ? いや、死んでないはず)
異世界転移の方法と言えば、トラックに轢かれたり、神に呼ばれたり、王国に召喚されたりだと相場が決まってる。だが、よくよく思い出しても、夜普通にベッドで寝ただけだ。
(二十一歳で脳梗塞? いや、死因なんてどうでもいい。まずはチートがあるかどうかだ)
とりあえず、さっきのボロ屋の中に戻った。
(この建物もなんなんだ? 見たところ、接する通りはメインストリートくさいのに、ボロくて完全に浮いている)
そちらは考えてもわからないので、やはりまずは自分のステータスが確認できないか試してみる。
「えーと、ステータスオープン、メニュー、インベントリ、インターフェース、ペーパードール……おいおい、勘弁してくれよ。まさかなんもなしか? それはハードモードすぎるだろ……あー、鑑定、おっ?」
自分が寝ていた藁を見ながら、鑑定と呟いたとき――
【藁】
稲の藁
「おお、わかった! しかも稲があるのか! やった!」
ゲームのように画面がポップアップされるのではなく、脳内に情報が浮かんだ。
「なら自分を……嘘だろ?」
【ヨシト=サカザキ】
名前:ヨシト=サカザキ
年齢:21/性別:男/種族:人族/レベル:1
称号:なし
STR:C/VIT:D/DEX:C/AGI:C/INT:D/MEN:D
スキル:言語理解/亜空間倉庫EX/完全鑑定
【言語理解】
会話が可能になる
【亜空間倉庫EX】
魔力にかかわらず、収納容量が一定になる
【完全鑑定】
通常の鑑定より詳細がわかる
「バカにしてやがる……」
異世界と言えば剣と魔法だ。なのに魔法はおろか、近接戦闘術もない。チートが一切なかった。
「しかも完全鑑定って、完全じゃねーじゃねーか……」
説明文の曖昧さは、完全鑑定というよりも、フレーバーテキスト鑑定と言ってもいいくらいだ。
亜空間倉庫とは、いわゆるアイテムボックスだろう。だが、魔力にかかわらず容量が固定と言われても、どれだけ入るんだかはわからない。EXだから普通より入りそうだが、鑑定で確証を得ることができない。
これで完全とは笑ってしまう。いや、笑えない。
「マジかー……ハードモードタイプの異世界だったかー。まあ、それでも日本よりはいいか」
大学に入れるほど裕福な家庭でもなかった。特待生になれるほど頭もよくない。奨学金は返済が地獄だとネットで見たので、高校卒業と同時に働きはじめた。
だが、なかなかいい待遇の仕事はなく、派遣に登録して食いつないでいた。
「とりあえず、次は冒険者ギルドを探そう」
異世界なら、冒険者ギルドもきっとあるに違いない。
今まで読んできたラノベの主人公に比べてかなり冷遇されている気がしたが、現実はこんなものかと割りきって、それでも異世界に妄想を膨らませながら、掘っ建て小屋を後にした。
◇
街をふらふらと歩く。
屋台からいい匂いがするので何か食べてみたかったが、この世界の金がないことに気づいた。そもそも、持ち物は何もないし、もちろん金目のものもない。
ただ、昨日はコンビニに買い物に行ったときの服、シャカシャカジャージのまま寝てしまったため、今も同じ格好だった。もしかしたらこれが売れるかもしれない。見たところ、異世界人は割とカラフルな服装や、想像より近代的な服装をしてる人が多いが、さすがにナイロン素材のやつはいないだろう。ひょっとしたらバカ高く売れるかもしれない。
街中を歩きつつ、高級そうな服屋を探す。
歩いていると、この街は結構大きいことがわかった。メインストリートくさい道をまっすぐ進んでいるが、まだ端までたどり着かない。遠目には、余裕で高さ十メートル以上はありそうな、街を囲む壁も見える。城塞都市なのだろうか。
店内を覗いて服屋っぽい店が目についたので、ドアを開けて中に入る。
カランカラン~と、ドアにつけた鈴のようなものが音を立てた。
「いらっしゃい。あ~らっ、なかなかいい男ね♪」
(オカマか? 異世界にもオカマがいるのか?)
店員は筋肉ムキムキの、青い顎をした男だった。
彼が俺を舐めるように見るので少し気後れをするが、今はそれどころではない。
とりあえずは金だ。
「あのー、金は持ってないんだけど……」
店員は顔をしかめたが、すぐさま〝にやあ〟と笑みを浮かべた。
「ふ~ん、もしかしたら、今着てる服を売りたいの?」
「……すごいね、なんでわかったの?」
「アタシはプロの服屋よ? それも、ちょ~一流のね♪」
「……いくらくらいになるのかな?」
店員は、俺の周囲をくるくる回ってシャカシャカジャージを見る。時たまジャージの肌触りを確かめてるのか、俺の体を撫でるように触る。かなりぞわっとした。
そして顎に手を当てて少し考えてから、鋭い目付きで俺を見た。
「アナタ、迷い人ね?」
思わずビクッとしてしまった。迷い人が何かはわからないが、ニュアンスから、別の世界から来たと言われてる気がする。
「……そんなに硬くならなくていいわ、硬くするのはベッドの上だけで十分よ♪」
店員は冗談を言ってるが、目は笑ってない。俺は返答しかねて黙っていた。
「答えなくていいわ。その反応だけで十分よ。……大丈夫、黙っててあげる」
正直、店員はこんなことを言う必要はない、これは俺のために言っているのだ。
迷い人が別の世界から来た人間のことを言ってるとして、どっかに通報して、何かしらの利益になるなら、黙ってそうすればいい。そうでなかったとしても、こんな風に時間を費やす必要はない。……おそらく。
俺に情報を与える利点がないのだから、店員は善意で言ってると思われる。
それに賭けて、質問してみる。
「……迷い人ってのは?」
「このノヴァリース以外の世界から来た人よ。強い力を持った人を勇者、それ以外の人を迷い人と言うわ」
「……そんなにいっぱいいるの?」
「勇者は珍しいけど、迷い人は十年に一人くらいはいるわね」
(ということは、今もどこかにいるんだな)
迷い人はそれほど珍しくないと言われて、少し安堵した。
「アナタ、いつ来たの?」
「……今日だよ」
「あら♪ ようこそ、ノヴァリースへ♪」
俺は迷った。でもこの店員は大丈夫な気がする。もちろん、大丈夫と見せかけた作戦かもしれないが、今は無一文だ。勝負に出るしかない。
「……これを買ってくれる? できればしばらく暮らせるくらいの金になればいいんだけど」
「アナタ、ノヴァリースに来てからまっすぐこの店に来たの?」
「ほぼまっすぐかな? いや、まっすぐだな。他にはどこにも寄ってない」
「本当に?」
店員の質問の意味がわからなかった。
「うん、物理的にもまっすぐ来た。この大通りしか通ってない」
「よかったわ。アナタ、運があるわね」
「どういうこと?」
少し柔らかな表情になっていた店員が、また厳しい表情になった。
「その服は価値が高いものよ。迷い人の世界にしかないはず。目が利く人間に見つからなくてよかったわね。……見られてたら、死んでたかも」
(やっぱりナイロンは、この世界ではレアか。でも殺されるほどとは……)
「い、いくらくらいになるのかな?」
「そもそもアタシに売ってもいいの?」
「無一文だから」
「なら、ありがたく買うわ。大金貨二十枚でどう?」
「……大金貨の価値がわからないんだけど」
「貨幣には、銅貨、銀貨、金貨、白金貨、黒金貨があるわ。銅貨百枚で銀貨一枚よ。それ以降も一緒。そして、それぞれに『大』があって、十枚分の価値があるわ。銀貨十枚で大銀貨一枚って具合にね。大体、アパート暮らしの夫婦二人で一ヶ月生活するのに、銀貨五十枚ってとこね」
単純計算で、一人なら銀貨五十枚で二ヶ月、金貨一枚で四ヶ月。ということは、アパート暮らしなら、大金貨二十枚で七十年近く暮らせるってことだ。
「そうだな……じゃあ、そんなにいいものじゃなくていいから、この服の代わりになる服と靴が欲しい。それプラス大金貨二十枚でどうかな?」
既に十分だと思ってはいたが、おまけをねだってみた。
「いいわ。下着と靴下を五セット、シャツとズボンを二つずつ。あと、スワンプトードの革でできた靴をつけるわ。どうかしら?」
「価値がわからないから任せるよ」
スワンプトードってカエルだろう。カエルの革靴ってのがちょっと心配だが、いざとなったら買い直せばいい。所詮、服も装備も消耗品だ。
「なら決まりね」
「この服は『ジャージ』と言うんだ。柔らかいし、部屋着なんだよ」
「なんでもいいのよ、珍しければ」
少しこの世界のことや日本のこと、気をつけた方がいいことなどを雑談してから、ジャージを渡し、新しい服を貰った。
着替えのとき、寒気がする視線を感じたが、そのくらいは我慢だ。
代わりに貰った服は綿と麻の混合みたいな肌触りだった。靴はカエルと聞いていたけど、カエルだとは想像できないくらい丈夫だった。履き心地も悪くない。
予備の服は、革でできたリュックに入れて、店員から手渡された。
「また相談にいらっしゃい」
「助かったよ、ありがとう」
「可愛い子はいつでも歓迎よ。服のことじゃなくても相談にいらっしゃいな♪」
俺はリュックと大金貨十九枚と両替してもらった金貨十枚を持って、店を出た。
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