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魔女、刻印の恐ろしさを知る

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 その後の行程は順調だった。朝早く出発したので、午前中の早い時間に一つ目の宿場町を通過する。町の出口を守る衛兵から、クローディア嬢と従者らしき一行が今朝町を出たことを確認できた。先回りして二つ目の宿場町で彼女たちと接触することができそうだ。

 だから、順調に行き過ぎて油断していたのかもしれない。

 人目を避け、街道を外れた道を通り、水場で馬を休ませ、お互いに少し距離を取りながら和やかに談笑する。
 メリルの孫娘サアヤは王都に住んでいる設定だったので、王都の様子や住んでいる場所を聞かれたら困ったことになるとはじめは気を使った。けれど、会話は、デュークの辺境での騎士団の野外演習の様子や、メリルの山での生活などが多く、お互いに知らないことを教え合うのはとても楽しかった。
 そんな最中だった。

「グルルルルッー!」

 水場の向こうに姿を現した子連れの魔獣が、突如牙を向いてメリルの元へ向かってきたのだ。
 警戒はしていた。
 魔獣といえども、人を見て即座に襲い掛かってくるような狂暴な種は王都の近くに出没しない。この地域に出るような魔獣ならば、魔獣除けの臭い玉を放ったりすることで、十分回避することができる距離、そのはずだった。
 通常ならば。

――例外的に、子供を守る母親の魔獣は、襲ってくる。

 デュークの語った言葉を今さら思い出し、それを甘く見ていた自分を呪う。
 メリルへ飛びかかって来た、灰色の大型犬ほどの大きさの魔獣の凶器は、牙と爪。魔法を使わない代わりに素早さと力に長けた魔獣。
 雄たけびを上げてタガが外れたように狂気に染まった目で襲い掛かってくるそれを、メリルはただ茫然と見つめていることしかできなかった。
 狼に似た魔獣が大きく口を開け、魔力を帯びた牙がメリルの眼前に迫る。

 けれど次の瞬間、メリルの視界が横から滑り込んできた大きな影にふさがれた。

「ギャウウウウン!!」

 翻るマントでふさがれた視界の向こうで剣が空を切る音がし、剣圧で大気が揺れた。
 ドサッと地面に獣が倒れる音がする。
 魔獣の突撃からメリルをかばい、デュークが魔獣の首を見事な剣さばきで切り落としたのだった。
 メリルは軽く目をつぶると、止まっていた息を大きく吐き出した。
 水場の逆側に現れた魔獣は魔女の庵でもよく見かける種類で、普段なら襲ってくるような種ではなかった。

(デュークの魔獣の刻印が、魔獣を狂わせたんだ)

 メリルは、初めて魔獣の刻印の恐ろしさを肌で感じ取った。
 危機を脱してようやく一息つくと、今見た光景が瞼の裏に浮かんでくる。
 デュークの剣さばきは見事で、危なげなく魔獣を倒していた。それがすさまじい技であることは、素人のメリルにも分かった。でもそれは、魔獣の脅威にさらされ続けたデュークが、やむにやまれず身に付けたものなのかもしれない。そう思うと胸が痛んだ。
 せめて、メリルがデュークに守られて感謝していることを伝えたい。もちろん怯えた素振りなんてこれっぽっちも見せるつもりはない。メリルが少しでもおびえていたと知ったらきっと、デュークの女性への苦手意識に拍車がかかってしまう。
 メリルは指先の震えが消えたのを確認すると、デュークの方を向き、殊更に明るい声でお礼を言う。

「ありがとう、デューク。助かったわ。それより強いのね。びっくり……」

 けれど、デュークは話しかけるメリルに答えず、振り返らないまま再び剣を構える。
 彼の視線の先にあるのは、母の死骸に近づいてきた子供の魔獣だ。
 ザン、と小さな音とともに、小さな姿は母の躯の隣に倒れた。

「え、なん……で」
「親を人に殺された魔獣は、人を襲う。騎士の務めだ」

 そう告げるデュークの横顔は、感情を殺し淡々としていた。
 メリルは、口に出した言葉を後悔して、ぐっと歯をかみしめた。
 それと同時に色々なことに気づいてしまう。
 こんなに危なげなく魔獣を倒せてしまうだけの技量を持ちながら、デュークがぼろぼろになりながら魔女の庵を訪れた訳に。
 親子とも殺すか、親子とも生かすか。そんな選択肢しかない中で、山の庵でデュークが何を選んだのかをメリルは知ってしまった。

(優しい、人なんだ)

 そんな人に責めるような言葉を使ってしまった。
 メリルの頭の中が後悔で染まっていく。
 謝りたくて仕方なかったが、それは、「サアヤ」が知るはずのないことを知っているからだ。どう伝えようかと考えあぐねている間にメリルはそれを言うタイミングを逸してしまった。
 そんなメリルの前で、デュークがふらりとバランスを崩した。ガッと地面に剣を突き刺し、かろうじて倒れ込むのを防いでいる。

「怪我をしたの!?」

 女性が苦手などと言っている場合ではなかった。
 メリルが駆け寄ると、デュークの左腕は、わずかに洋服が裂かれ、その奥にうごめく刻印に、異変が起きている。

(魔獣の刻印が活性化してる……! きっと、さっきの魔獣の攻撃で)

 デュークの左腕の傷は、肌に這う刻印の蔦の文様を、ほんの少しかすっただけのようだった。
 しかし、それは起こってしまった。
 きっと今、デュークの体内では、活性化した刻印のせいで、神経をかきむしるような痛みが発生しているはずだ。

「仰向けになって」
「だい、じょう、」
「大丈夫なわけないでしょう!」

(このまま活性化したら、大変なことになる)

 魔獣の刻印が熟すと、魔獣を呼び込む芳香を発する。
 活性化を抑える処置をするべく、メリルはデュークを押し倒すと、シャツのボタンをはずして、大元である心臓の位置につけられた傷に、手をのせた。
 刻印を包み込むように薄く、弱く魔力を流し込む。反発されないよう、ひたすら薄く、デュークの体と刻印とを切り離すように。
 そして、包み込んだメリルの魔力を徐々に増やし刻印の魔力と中和させる。
 その瞬間、デュークの体が大きく跳ねる。

「くっ……」
「活性化を抑えるわ。少し痛むけど我慢して。だんだん楽になるはずだから」

 額に浮かぶ汗に赤銅色の髪がはりつき、その金の瞳は、苦し気に細められる。デュークは、わずかに頷いたようだった。
 活性化した魔獣の刻印を抑えるように、メリルは自分の魔力でそれを丁寧に中和していく。メリルの魔力は、どんどん喰われていくが、活性化はとまらない。

「あの方……のために、どうか……」
「何?」
「行かなければ、あの方の……」

 うなされるデュークの意識は混濁しているのか、つぶやいている言葉は、あまり意味をなしていない。

(魔力が足りない)

 懐から宝石を取り出し、自らの魔力を補充しながら、メリルは慎重にデュークの魔力を中和していった。
 反発を招くので、一気に魔力を注入するわけにはいかない。
 神経をすり減らすような作業を続けていき、どれほどの時間がたったのだろうか。少しずつ、刻印の活性化が落ち着いてきた。
 メリルは、ほっと息をつき、デュークの胸においた手を下ろそうとした。
 が、デュークが、それをつかみ、離さなかった。

「デューク?」

 デュークは、赤銅色の髪の隙間から、熱で潤んだ金色の瞳をうっすらと開ける。夢見心地なのか、熱に浮かされたようにそっとつぶやく。

「もう少し、このままで。――あなたの手は、心地いい」
「うん」

 メリルも、デュークの金の瞳を見つめたまま、そっと目を閉じた。
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