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魔女、行き倒れ王子を拾う

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 その日、メリルは浮かれていた。
 天気はいいし、仕事もひと段落ついたし、かねてより約束していた隣国の観光食べ歩きツアーにはもってこいの日和だ。頬を緩ませながら、しばらく留守にする魔女の庵の戸締りをして、棚の薬草や魔法薬に念のため保管魔法をかけていく。
 今回の旅行は、先日魔女の力で恩を売っておいた隣国の公爵家による接待旅行だ。もちろんタダ。美食と享楽の都と名高い港湾都市で、見目の良い若者を侍らせて、うはうはの豪遊旅行をするのだ。
 貸しは返してもらう。もちろん恩も。これがメリルの信条だ。

(はあぁ。これから二週間、若い男を侍らせて、逆ハーもどきの異世界豪遊をするのよ! そのために頼まれてた魔法薬作りも魔道具作りも、全部、ぜーんぶ、前倒しで終わらせたんだから!)

 その思考は、ふわふわの亜麻色の髪と新緑の枝葉を切り取ったような若草色のくりっとした瞳、十九歳という若さ溢れる年齢とは明らかにそぐわない残念なものだ。
 鼻歌を歌いながらターンをして、しばらく留守にする寂れた庵のタンスから、持っていく荷物を次々にリュックに放り込んでいく。
 準備は万端だ。

 けれど、外への扉を開けようとして、メリルはふと手を止める。
 胸騒ぎがして、一瞬ためらったのだ。
 念のためそのまま五秒待つが、何も起こらない。
 そのまま、笑顔で扉を開ける。

「やだなあ。私ってば気にしすぎ! 最近いいことばっかり起きてたから、何かあるんじゃないか……って……」

 ――そして、すぐに後悔した。

 玄関の前には、明らかに力尽きたと思しき姿で行き倒れた騎士が一人。

「……」

 メリルはとりあえず扉を閉めることにした。

  ◇◇◇◇◇◇

 メリルの住むルフト王国は、深い森と清廉な湖、実り多き大地に恵まれた豊かな王国だ。この国を統べる王家の皆様はなかなかに働き者で、豊かさに胡坐をかくこともなくバランスをとった善政を敷くと、民からの支持も厚い。
 メリルは、そんなルフト王国の西の森に住む、予言の魔女として名高い腕利きの魔女だ。彼女の予言を求めるものは多かったが、魔女の庵は森の奥深くにあり、近隣に住む者達でもめったに近寄れない。ここまでやってくるのは、それこそ、メリルの予言をあてにした欲深な者達か、本当に深刻な悩みを抱えた者達だけだった。

 メリルは椅子に座って腕を組むと、ベッドから体を起こして殊勝な面持ちでこちらを見つめる青年をじろりと睨みつけた。
 行き倒れの騎士は、この国の第三王子デューク=シエル=アル=ルフトと名乗った。辺境の騎士団に所属しており、辺境から王都へ向かう途中でこの魔女の庵に寄ったという。ここに来る途中、運悪く魔獣に襲われて毒草の群生地に入りこんでしまい、この小屋の前まで何とかたどり着いて力尽きたらしい。
 この森の魔獣なんてこちらが何かしなければ襲ってこないのに、何をやらかしているのだか。
 ぼろぼろで家の前に倒れ込んでいた騎士は、顔を拭いて少し身なりを整えると、赤銅色の髪と金の瞳の精悍な顔立ちの美青年に変身した。さすが王族である。美女ばかりをお妃さまにしているのだから当然だろう。豪遊旅行に侍らせる男の一人として、側に置いてもいいレベルだ。
 しかし依頼人に容姿は関係ない。むしろ余計だ。だいたい顔のいい男は性格が悪いと相場が決まっているのだから。

「で? お前さんはなぜここを尋ねてきたのじゃ? あいにくあたしは今忙しくてね。くだらない依頼なら受けられないよ」

 メリルはイライラしながら、ガラガラのだみ声でそう告げた。
 とりあえず家の前で死体になられたら寝覚めが悪いから、ベッドに運び込んできれいにして目立つ怪我の治療をしてやった。それから、解毒剤入りの薬湯と回復薬入りの軽い食事を振舞ってやったから、もう帰れるだけの体力は復活しているはずだ。
 魔女の庵の訪問の決まりを律儀に守って一人でここまで来たのだから、要件は聞くだけは聞いてやるが、王族とか身分の高い輩なんてたいていくだらない依頼に決まっている。
 いかんせん、今はタイミングが悪かった。
 メリルはこれから旅行に行くのだ。それも待ちに待った接待旅行! 心は既に隣国の空の下だ。左右に侍らせた美形にかしずかれる自分の姿が目に浮かぶ。
 メリルは口の奥の欠けた歯をもごもごさせながら、しわくちゃの腕を組みなおした。椅子の上でふんぞり返ると、こぼれてきた白髪を指の先でくるくると回した。
 目の端でちらりと見た王子は、金の瞳に思い詰めたまなざしでこちらを見つめてくる。

 そして。

 いきなりベッドを降りると、しなやかな身のこなしでメリルの前に片膝を突き、頭を下げた。
 貴族や高尚な騎士の間でしか見ることができない騎士の礼。
 メリルは、初めて目にしたその流麗さに一瞬にして目を奪われる。

「魔女メリルよ。ルフトの王族として、あなたに依頼をしたい。予言の魔女と名高い、あなたの助けが欲しい。危機に瀕したこの国を救うために力を貸してもらえないだろうか――王宮では、王太子を始めとする皆が聖女に傾倒し、政も捻じ曲げられ、国が立ち行かなくなる事態となっている。おそらく、聖女が何らかの悪しき力を用いて王宮の皆を操っているのではないかと」

 見目のよい騎士が跪き、真剣なまなざしでこちらを見つめてくる。焼けるような熱ささえ感じさせるその視線に、メリルは動くことができなかった。

「どうか、ルフト王国を正しき道へ導いてほしい。そのためなら、私自身を生贄にすることも厭わない。喜んで王国の人柱となろう」
「いけにえ。ひとばしら……はあ!?」

 しばらくぼうっとしてしまったメリルは、王子の言葉を反芻した後やっとその意味に気づく。
 生贄。人柱。
 ドン引きである。
 唖然とするメリルに王子はなおも言い募る。

「魔女殿は、その予言の力により隣国の国家転覆の危機も救われたと聞き及んでいる。――もちろん、魔女殿への報酬として宝石と若い男の生贄が必要だという話も承知している」

(いやいや生贄は必要ないから!!)

 しかし、生贄情報の発信源には心当たりしかない。
 メリルは、これから豪遊しようとしていた隣国の公爵家の腹黒ドラ息子の顔を思い浮かべて歯噛みした。想像の中でも猫のような目を細めたドヤ顔をしていてむかつく。
 確かに、間違いではない。若い男に囲まれてきれいな景色においしいお酒と料理が食べたいと言ったのはメリルだ。魔女にはちゃんと生贄を用意しておく、なんて冗談を言っていたのもあいつだ。
 でも、生贄の意味が違う。

(最近、依頼者が少なかったのは、ひょっとしてこのせい!? これは貸しだわ。あんの腹黒陰険男! この貸しは何倍にもして取り立ててやるんだから!)

「顔をおあげ」

 やっとのことで怒りを収めると、メリルはいったん深呼吸をして、目の前で跪いた王子を見下ろした。
 冷静になろう。すぐにカッとなるのはメリルの悪い癖だ。この王子もあの腹黒男の被害者なのだ。
 よく鍛えているのだろう。細身ながら、引き締まった体つきは、芯の通った力強さを感じさせる。
 焼けた肌に精悍な顔立ち。
 見上げる金の瞳は、真剣だ。
 額にかかる赤銅色の髪は、今は、汗で束になって、なんだかよくない色気を醸し出している。
 生贄の話を信じておきながら、メリルを全く恐れる風がないのは、実はちょっと気に入った。
 きっとまっすぐな気質の持ち主なのだろう。本気で王国のために身を捧げるつもりなのだ。
 ここに到着するまでに行き倒れるレベルだから、騎士としての実力は不安が残るが、真面目さと誠実さは伝わってくる。
 王権を盾にしてメリルに命令することだってできるのに、ただ実直にまっすぐに頼み込んでくるこの姿勢はメリルは嫌いではない。
 困ったことに。

「この身の覚悟はできている。魔女殿。どうかご助力を」

 聖女と聞いた時点で転生者がらみの予感しかしないのが頭の痛いところではあるが、きっと王宮はとんでもないことになっているのだろう。
 メリルは、はあっと大きくため息をつくとぎろりと王子の顔を睨んだ。

「対価はあるんだろうね。――上質な宝石が甕一つ分」

 王子の顔が希望に満ちたものに変化する。

「準備はできている」

(う、眩しい。これだからやなのよ! 王子なんて人種は!!)

「ふん、あたしを王都に連れて行きな。あたしの予言はね、予言に関わる主要人物をこの目で見る必要があるんだ」
「もちろんだ。王都では魔女殿にご不便がないように取り計らおう」

 隣国行きの件は、あのドラ息子にさらに貸しを上乗せして取り立てるつもりだ。何も今日急いで行かなくてもよいと思い直すことにした。
 それに、この国の王都も王宮も、隣国の港湾都市ほどでないにしろ、楽しむのにはよい街だと聞いている。事件が解決したら少し居座ってこの王子を侍らせて街を楽しむのも悪くない。本人は生贄だと信じているのだ。こき使ってやろうではないか。
 今後の算段をつけて気分がよくなったメリルは、ふん、と高飛車に言い放つ。

「メリルとお呼び。ちょうど旅支度をしてたところだからね。さっさと行くよ。日のあるうちに山を下りちまわないとならないからね」
「メリル殿。感謝する。私の事はデュークと。――あなたの指先に口づける栄誉を頂けるだろうか」
「はあ?」

 王子のくせに魔女の手に口づけるとか何を言っているのだ。
 けれど、メリルのそばで跪き、緊張した表情で許しを乞うように見上げられると、何だか耳としょぼくれたしっぽすら背後に見えてきそうで、つい、メリルは言ってしまった。

「ふん、好きにおし!」

 そして後悔した。
 王子デュークは、先ほどよりも、さらに嬉しそうにその表情を緩めると、メリルのしわくちゃの手を恭しく取り、その指先にキスをしたのだった。

 ――しわくちゃの老婆の姿であるメリルの指先に。

「この身は今からあなたの物だ。マイレディ」

 見目の良い王子が自らのレディに捧げる騎士の仕草とセリフは、先ほどよりも、さらに破壊力抜群で。

(だからやなのよ! 王子なんて人種は!!)

 メリルが再び行動不能に陥ったのは、言うまでもない。
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