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6. 聖王女と皇帝

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 皇帝の婚約宣言に騒然とする中、フェイラエールは父の側近に連れられ、西の塔に放り込まれた。
 西の塔は、愛人を囲ったり、貴人の収監施設に使われたりという曰く付きの居所《きょしょ》だ。
 内装は豪華だが、出入りに見張りが立てられ、人の出入りが制限される。
 表向きは「皇帝の婚約者の身辺警護のため」とされていたが、体のいい監禁だった。

 身支度のためのメイドも追い出し一人になると、フェイラエールは、無駄に豪華なベッドに転がった。

(よりによって、自分の父親と婚約とはね)

 現実味がなさ過ぎて怒る気力すら起きないが、最悪のケースも考えておくべきだ。

 例えば──。

 部屋の扉が前触れもなく開けられ、フェイラエールは心の中で悪態をついた。
 ベッドの上で体を起こし、入り口をにらみつける。

「ノックぐらいしていただきたかったわ──お父様」
「ほう、まだ父と呼ぶのか? 相変らず飲みこみが悪いな」

 先触れもノックすらもなく、突然この部屋を訪れたのは、先ほど婚約の宣言をした皇帝アテルオンだった。
 背後に控えた侍従を下がらせ、一人で、部屋の中に入ってくる。
 年齢を感じさせない金髪碧眼の美貌の皇帝は、フェイラエールの苦情は無視したまま、彼女のいるベッドまでやってきて、腰を下ろした。
 表情のない、普段通りの酷薄な眼差しは、品定めをするようにフェイラエールに向けられた。
 真価を見定めているようなその眼差しに、気分が悪くなる。

「では、私の父は、どなたなのですか?」
「お前が知る必要はない」
「でも、お母様は──」
「お前は、私の婚約者になった。結婚式は、三か月後だ」
「いやです。私は、愛する方と結婚して幸せになりたいのですっ」
「お前は聖王家の血を引いているがゆえに生かされたにすぎん。敗戦国の王女の私生児、それも不義密通の罪の子であるお前に選択肢はない」

 皇帝の雰囲気が冷ややかに変わってきたのを見ても、フェイラエールは口をつぐまなかった。
 フェイラエールは「色を好み、奔放で礼儀をわきまえない愚かな娘」だから。

「納得できません。お母様は、不義を犯す方ではっ……っつ」

 その瞬間、頬から頭に焼け付く熱さを感じ、その熱さごと、フェイラエールはベッドに倒れ込んだ。

「面倒だ。ここで手折《たお》っておけば、あきらめもつくだろう。女色《じょしょく》ということで放置していたが、放っておくと、今日のように蛮族にすら手を出すかもしれんしな」

 頬を殴られがんがんする頭のまま、フェイラエールは奥歯をかみしめる。
 その日のうちに、皇帝がフェイラエールの体を奪いに来ることは考えられる最悪のケースだった。

 皇帝は、羽織っていた上着を投げ捨てると、ベッドの端に体重をかける。
 フェイラエールは、横目でそれを見ると、倒れ込んだ先に隠してあったに手を伸ばした。

「触らないでください!」

 カタカタと震える手で、自らの喉元に、隠しておいたペーパーナイフを突き当てる。

「ちっ」

 熟練の戦士でも一瞬では間を詰められない微妙な距離。
 青ざめ、思い詰めた娘は、相手の動きに驚いて手元を狂わせれば簡単に死んでしまう──ように皇帝に思わせれば、フェイラエールの勝ちだ。

(皇帝は、私を殺すことはない。多分、私には、聖王家の末裔という以外にから)

「そんなことをすれば、お前の女騎士も、一族郎党この世から消えることになる」
「シリルに会えなくなるなら、今死んでも同じことだわっ」
「一週間やろう。お前に、俺を選ぶ以外選択肢はないということを、わからせねばならぬからな。この先、あの女騎士がどうなるかは、お前次第だ」

 動揺したかのように肩を震わせるフェイラエールを、皇帝は、冷たく見下ろす。

「よく考えることだな。従順な婚約者には、側付きを選ぶ権利を与えてやるかもしれぬぞ」

 そう言い残すと、皇帝は部屋を後にした。



「冗談じゃないわっ。なんで私とシリルが皇帝に飼殺されないといけないのよっ」

 怒りで肩を震わせていたフェイラエールは、皇帝の去った扉に手に持ったペーパーナイフを投げつけた。
 とりあえず、少し時間を確保することができたが、状況はあまりよくない。

(はっきりしていることは、皇帝は、私を生かしておきたいし、私が自分からいう事を聞く状態にさせたいということ)

 聖王家をつぶしたいだけならば、新興貴族からも社会通念に反しているとの謗りを受けかねないやり方で、娘であったフェイラエールを妻にする必要はない。
 聖王女の血筋が欲しいだけなら、先に薬漬けにでもして、フェイラエールの意思を奪って無理やり子供を作ればいいだけだ。

 生きたフェイラエールに、ある程度フェイラエール自身の意思で、をさせたいのだろう。

「まさか」

 一つの可能性にゆきあたり、フェイラエールは、その言葉を口に出す。

「私は、予言の啓示を受けた者だったということ?」
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