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第二部 どうせ捨てられないのなら

第3話

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「食べる?」
「食う」

 私は今日も、森に倒れていた彼――デニスに治癒魔術をかけ、元気になった彼とお昼を食べている。
 デニスは、私が昨日あらかじめエリア展開して置いた治癒魔術のおかげか、昨日より状態はよい。
 彼は期待通り、私の手料理をそれはそれはおいしそうに食べてくれて、早起きして工夫を凝らして作った甲斐があったと、私はちょっと嬉しくなってしまう。

 昨夜は、お兄様のストレス発散が初日よりうるさくて、城内から苦情が相次いだ。
 再び朝帰りして寝落ちしているお兄様の代わりに、今日も私が森に出向くことにしたのだ。今回は、苦情が出ないよう結界に防音の効果もつけたいと思っている。
 これは、お兄様にはちょっと難しいし、私が行くしかないわよね。
 ついでに、デニスは間違いなく今日もいるだろうからと、お昼も多めに準備しておいたのだ。

「ねえ、探してた人には会えたのかしら?」
「会えた」
「どうだった?」
「奴は、……強かった」

 そうよねえ。

「次は負けねえ」

 うーん。難しいんじゃないかしら?
 相手はお兄様。我が勇者一族の中でも、数百年に一度と言われる強さを誇るのだ。

「それは、絶対に勝たないといけないのかしら?」
「絶対に負けられねえ」
「こだわりすぎると、前に、進めなくなるわ」
「……」
「忘れてしまうのも方法のひとつかも」

 言った瞬間に失敗したと思った。
 デニスは、こちらを向いて激しく言い放つ。

「そんなに軽くねえ!!」

 赤い瞳に乗せた感情のほとばしりに私は胸を突かれた。
 知った風な口をきいてしまったことを後悔する。

「事情を知らないのに、勝手なこと言ってごめんなさい」
「いや……いい」

 デニスのこだわる理由は分からないけれど、「彼ら」の信条に起因するものかもしれない。それに対して、私が軽々しく口にしてよいものではなかった。
 いつもの私ならすぐに思い至ることなのに、ただ、自分の希望を先に口に出してしまうなんて。

 ――私が、デニスに怪我をしてほしくなかったから。

 相手は魔獣なのに、少し、ほだされてしまったのかもしれない。

 私は、彼と別れると、昨日より治癒魔術を強めに展開しておく。
 きっとお兄様のストレス発散は、結婚式まで続く。
 せめてそれまではデニスが心置きなく挑戦できるように。
 そう祈りながら。

 ◇◇◇◇◇◇

「お義姉さまっ」
「妹ちゃん?」

 城に戻ると、花に囲まれたお義姉さまが柔らかく微笑んでくださって、私は、心臓がきゅうっと絞られるような愛しさを覚える。
 今日のお義姉さまは結婚式のブーケを選んでいるらしい。美しい花に囲まれたお義姉さまは、可愛すぎて倒れそう。

「ねえ、見てみて。白いお花だけでもこんなに種類があるなんて知らなかった。どれも可愛すぎて迷っちゃう」
「ええ、どれも素敵です。迷っていらっしゃるならいくつもお選びになったらいかがでしょう? 式の時、国民へのお披露目の時、披露宴の時など。私は真っ白なカサブランカも好きですが、八重咲のチューリップも素敵ですね」
「ア、アーレントは、どれが好きかな」

 お兄様ったら、こんな時にいらっしゃらないなんて!

「もう、こんな時にお義姉さまの側にいないなんて、あの不肖の兄は何をしているのでしょう!」
「まだ寝てるみたい……。アーレントが毎晩森で暴れてて、妹ちゃんがその片付けしてるんだって聞いたんだけど。ごめんね」

 お義姉さまは、私に申し訳なさそうにそう伝えてくるが、その表情は寂しそうだ。
 もう、一体お兄様は何をしてるのかしら!!

「お義姉さま、兄なんかやめて、いっそのこと私と……」
「イルセ」
「アーレント!」

 ぱあっと、花が開くように輝くお義姉さまの顔を見て、私は敗北を悟った。
 妹の前にも関わらずいちゃいちゃし始めるお兄様に白い目を向けながら、私はその場を去ることにする。
 これは戦略的撤退ですわ。お兄様がいない時に、お義姉さまの寂しさにつけこむ作戦の方が有効ですもの。
 そう思ったのに、お兄様がなぜか呼び止めてきた。

「アンジェリカ」
「まあ、私の存在に気づいてらしたとは思わなかったわ」
「……結界の修復、感謝している」

 あのお兄様が私にお礼を言うなんて!
 いいえ、せっかくの機会です。お兄様に思いっきり恩を売って差し上げることにしますわ。

「ええ、破損個所までありましたし、騒音の苦情に対応するために防音まで広範囲に重ね掛けしましたから、それなりに手間がかかりましたわ。この借りは高くつきますわよ」
「すまない」

 殊勝な兄なんてやっぱりおかしい。

「……夜の暴走はまだ続きますの?」
「……ああ」

 番を得た勇者の暴走とやらは、やはりまだ続くらしい。詳しい理由などは聞きたくないので、あまり細かくは問わない。

「あ、あの、妹ちゃん。私も、明日の午前中は空くらしいの。結界の修復、私も一緒に手伝いに行こうか」
「ダメだ!! ……結界は、王家の独自技術が必要だ。イルセにはまだ無理だ」

 実際そうなんですが、お兄様、言い方ってものがあるでしょう!
 ほら、お義姉さま、泣きそうですわ!

「お義姉さま、私、お昼も向こうで食べて参りますので、午前中だけでは終わりませんのよ。また今度ご一緒してくださいね。その際には、結界の作り方をお教えしますわ……代わりと言っては何ですが、私、最近森に持っていくお弁当を作ってるのです。色々工夫してるんですが、お義姉さま、明日試食してくださらない?」
「え? 妹ちゃん、王女様なのにお料理できるの。すごい。ぜひ!」
「ダメだ!! ……明日の午前中は、イルセは俺と市場へでかける」

 市場、と目を輝かせるお義姉さまの様子に、私はまた敗北を悟る。
 まあ、いいでしょう。お義姉さまが幸せならそれでいいわ。

「それでは、私のお弁当はまた今度にしましょう」
「うん」

 お兄様、ほっとしたように、あれは人間の食いもんじゃねえ、とかぼそぼそ失礼なこと言うのやめてくれません?
 お義姉さまが本気にしたらどうするんでしょうか!
 おいしく食べてくれる方だっているんだから。
 私は、高位魔獣のデニスの姿を思い浮かべた。

「そうだわ、お兄様。ストレス発散はいいけれど、周りに迷惑をかけてはいけませんわ。あの森には他の生き物も住んでいるのですもの」
「ああ、うるさい羽虫がな。だが、俺は向かってくるものには容赦はしない」
「お兄様、それでもお兄様は強いのだから手加減してあげないと」
「手加減? 俺のものを奪う者に与える情けはない」

 すっと周りの温度まで下げるようなお兄様の覇気を、私は、手を振って散らした。
 さすがに羽虫がデニスだということぐらいは分かる。
 奪うって……言い方はちょっとわかりづらいが、この王国と民、王族に危害を加えることを許してはいけないのは分かる。罰しないと、対外的にも示しがつかない。
 それでも弱き者への慈悲を期待するのは、多分、私の我儘でしかない。

「そうね。お兄様が正しいわ」

 デニスが今日もコテンパンにのされる運命は確定した。
 明日は、せめて彼が喜ぶようなメニューで元気づけてあげようかしら。
 ローストビーフにチョコレートをトッピングしてマヨネーズで味付けしたサンドイッチとか、おいしそうよね。
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