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夏
もっと近くへ
しおりを挟む真優さんに言われるままに改めてさっきまで座っていたベンチへ腰掛けたのだが、違う国に来たのかと思わされるぐらいに違った風景のようにみえた。
そのあまりにも素敵な空間へ、よそ者の自分が入り込んだという変な疎外感があって、緊張と不安と嬉しさが混じっていた。
そもそも真優さんと何を話したらいいのか。
真優さんとはあの学園祭のお疲れ会の後から、まともに話したことがない。
ちゃんと顔を合わせて挨拶したのなんて、今日がまともにできたぐらいじゃないだろうか。
そもそもなんで真優さんがこんなところに。
あ、いやいや。俺が真優さんが座っていたベンチだと知らずにふらっと座ってしまったんだ。
そりゃあ、よそ者だよ。
いやでも。悪気はなかったんだし。
「あの…」
聞き覚えある澄んだ声がか細く尋ねてくる。
「あ、はい!」
「なにかあったの?」
「あ、えっと…。」
「その…。」
今日は夕方になってもまだ暑さが残ってくれていてよかったとありがたみを感じた。
この止まらない冷や汗をそのせいにできるからだ。
「じゃあ、私から話し始めてもいいかな。」
「あ、はい。どうぞ。ええ。」
訳が分からなかったが、返事だけは一丁前に返せれていた。
「今度、私、発表会に出るんだ。前から指導してほしくて憧れていた先生のもとで。それも主役までいただいて。」
「あ、そうなんですか。」
冷や汗を隠すようにしたつもりが、逆にすこし冷たく返してしまった気がした。
「それがなんとね。ロミオとジュリエットなの。」
「この私がジュリエット役なの。可笑しいと思わない?」
「あぁ。あの有名な。いえ、お似合いかと思いますよ。」
心の中では真優さんのジュリエットなんて、どれほど素敵なのだろうなんて考えていたが、涼しげに装っていた。
「そう。拓馬君にそう言われるとなんだか安心したわ。」
「じゃあ次は拓馬くんの番ね。」
「え。真優さんのそんな重要な話に比べたら俺の話なんて。」
「女の子が会話をリードして、それで終わりでいいの?」
少しずるい笑みを浮かべてニコッと笑って真優さんがこっちを見る。
「それはいけませんね。では僕からもちゃんと話します。」
「そうこなくっちゃ。」
体を少しこちらへ近づけて座り直した真優さんが、興味津々にこちらを見てくるものだから、つい目をそらしてしまった。
「そうですね。言葉ってすごく当たり前にあるようだけど、実は命と同じぐらい尊いものなんだなって考えてたんです。」
「うん。それでそれで?」
真優さんの優しい相槌が入る。
「僕らは言葉に囲まれて生きてます。朝起きてさり気なく見るテレビ、通学する電車のアナウンス、何気なく聞こえる学生のどうでもいい会話、それを遮るように聞くいつもの音楽、いろんな教授の授業、こうやって話している真優さんとの会話も。」
「これって僕らが過ごす日常では当たり前にある存在みたいなもので、どこにでも言葉は石ころのように転がっていますし、そっと吹く風のようにどこからでも流れてきます。」
「でも、これらがもし無くなったとしたら。」
「きっと寂しくなると思うんです。そして言葉が大切だと思ってきて、でもそのときにはもう無いものになっている。あんなに溢れるぐらいにあって、手に余らせていた言葉。それがカラカラの喉に綺麗な水がほしくなるってぐらいに必要なものになるんです。」
「必要…というより。一種の欲望みたいなものになるんでしょうかね。」
「僕はそれほどに残酷な状態になったことがないんで、それはよくわかっているわけではないんです。」
「でも、言葉があって当たり前ってのはものすごく恵まれているんだなって思ったんです。」
「…。」
さっきまでズルい笑みを浮かべていたはずの真優さんが、ただ静かに僕が目をそらした先を一緒に見つめていた。
それに気がついたのは、つい熱くなって話に夢中になっていたということに気がついたのと同じ時だった。
「…………。」
まずいことをした。そうおもった。
『喋れないんだよ、真優さんの妹さん。』
佳祐から聞いたあの言葉。
その話をつい今日聞いたばかりなのに、ひどい話をしたと思った。
「あ、あの、なんか、すみません、急に変な話しちゃって。」
僕が真優さんの方へ視線をやっても、まだ真優さんは僕がさっき見ていた広場の花壇の方を眺めながら、一言呟いた。
「残酷なのは、私のせいよ。」
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