螺旋邸の咎者たち

センリリリ

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27. あの日のこと

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「あの日は、春とは思えないほど、冷え込んだ日でした」

 爽希さんはどこかフワフワとした口調で始めた。
 芙蓉さんはなにか言いかけたが、やめたらしい。
 彼女にしても、真相は知りたいのだろう。

「雲雀はその日、中学の卒業式でした。僕も出席する予定でしたが、急な仕事が入ったせいで、式に間に合いませんでした。だから、雲雀はひとりで家に帰ってました」

 妙に淡々とした態度。

「仕事なんて、放っておけばよかった。何度、後悔したことか」

 その態度がかえって、なんだか底知れないものをあたしに感じさせる。
 でも実際のところそれがなんなのか、見ているだけでは判断は難しかったけれど。

(『怖い』? 『悔しい』? 『悲しい』?)

 そのどれでもあるようにも思えたし、まったく違うようにも思える。
 ただ、耳を傾け続けることでしか、はっきり知ることはできないような気がした。

「僕はせめて雲雀に謝ろうと、家に向かいました。そして、玄関を入ったときに、声が聞こえたんです。雲雀が、あの男に脅されている声が」

「あの男、ですって!? ちゃんと名前を言いなさいよ!」

 芙蓉さんが鼻息荒く言う。
 まあつまり、大基さんのことなんだろう。

「嫌ですね」

 でも、爽希さんは取り合わなかった。

「そもそも、勝手にこの家に入ることができたのが、おかしかったんですよね。そう。その頃雇っていた家政婦が、あなたと繋がっていたことは、後から知りました。彼女が招き入れたそうじゃないですか」

(じゃあ、そもそも……?)

 あたしは、ふたりの顔を交互に見た。
 爽希さんはあいかわらず毅然としたままだったけど、芙蓉さんはみるみるうちに顔色が悪くなっていった。

「雲雀はねえ、十五歳だったんです」

 爽希さんは、懐かしむように目を細めた。

「進学する高校も決まっていて、将来は大学に進み、経営を学ぶと、夢を語ってくれてました。僕の仕事を手伝ってくれるって」

(ああ、そんなことがあったんだ)

 今でも、その夢は捨ててないんだ。
 だから、独学で勉強を続けてたんだ。

「まだまだ子供みたいで、オシャレや恋愛の話なんかも、ためらいながらも好奇心を隠せない、そんな年頃でした」

 ここで、爽希さんの表情が歪む。

「その雲雀に向かって、あの男がなんて言ってたと思います?」

「な、なによ……」

 迫力に、芙蓉さんは心なし身を引きながら、なんとか言葉を返す。

「『卒業祝いだ』。そう、言ってましたよ。『卒業祝いに、女にしてやる』。『股が緩い女の産んだ娘に、ふさわしいプレゼントだろ、感謝しろ』って」

(はああああ!?)

 ただ聞いているだけで、あたしは怒りで歯ぎしりをしてしまった。

(なんだ、その論理)

「なんでもこの家の権利書が、階段の上の部屋にあると知って、最初は雲雀に案内させようと脅したそうです。それを拒絶しているうちに、そんな態度に出たと」

 ここで突然、爽希さんは乾いた笑いをたてた。
 正直、ぞっとくる笑い方だった。

「あの子は、制服のまま、階段でレイプされてました。母親違いとはいえ、実の兄に。僕は彼女を助けたかった。そのために、あの男を落とすために、からくりを作動させた……」

 そう話す爽希さんの顔は、妙に美しかった。
 造形の美しさじゃない。
 覚悟を決めた人間の、欲も自衛もなにもかもを削ぎ落としたゆえの、美しさ。
 見とれてはいけない。
 それでも、惹きつけられずにいられない。

「父が生前、あのからくりを強迫観念的に作ったときには、正直、大げさだと笑いました。殺されそうになったら階上に誘導して、あのからくりを使って相手を落とせ、と何度も言い聞かされました。でも、あの頃の僕は、まさかそこまでひどいことをあなたたちがやってくることはないだろうと、たかをくくっていたんです。それがどんなに甘い見通しだったのか、あのとき、思い知りましたが」

 あんまりな話に、あたしは言葉が出なかった。
 さすがに芙蓉さんも、茫然としている。
 まさか自分の溺愛する息子が、そんなことをしていたなんて、思ってもみなかったようだった。

「ただ、ひとつだけ誤算がありました」

 爽希さんの目つきが、暗くなる。

「あいつは落ちるとき、雲雀の長い髪を掴みました。そのせいで、一緒に……」

 それ以上は言うにしのびなかったのだろう。爽希さんの言葉が途切れた。

(雲雀さん……)

 ふと気づいて、あたしは階下に目をやった。
 彼女にとって、おそらくトラウマになる出来事の話を、今、している。
 大丈夫か、心配になったのだ。
 でも、あたしのそんな感情は、余計なお世話のようだった。
 雲雀さんは、じっとしたまま、階上から聞こえてくる爽希さんの声に、静かに耳を傾けていた。

(ああ……、もう、色んなものを、乗り越えた人の強さか)

 雲雀さんがいつも凛としていたわけが、なんだかわかった気がする。
 年齢の割に、落ち着いて思慮深い性格なのも。

「わかりますか。世界を疑う必要なんてなく、ただただ輝く青春を謳歌しているのが当然の年齢のときに、病院に長いあいだ閉じ込められ、一生自分の足では歩けないと言われ、さらには妊娠までさせられて、あげく流産した、十五歳の少女の気持が」

(なんて、ひどい)

 さすがに芙蓉さんも、なにも言えないようだった。
 それどころか、あれだけ強気を漲らせていた視線を、爽希さんからすっと逸らした。

「もう一度言ってもいいですか。僕は彼にしたことは、後悔していません。もしまた同じ場面に出逢えば、同じことをします。ただひとつ、雲雀が落ちないようにできなかったことだけは、今でも悔いていますが」

「……人殺し!」

 芙蓉さんは、最後の抵抗とばかり、絞り出すように言う。
 でも、前のときのような勢いが、ない。

「そうですね。僕は人殺しです。……でも」

 爽希さんは芙蓉さんを指さした。

「あなたは、その、原因だ」

「ど……どういう、こと」

 芙蓉さんは意外なことを言われ、目を見開いた。

「よく考えてみたんですよ。あの後。成人なんてとっくに過ぎた大の男が、あんな理屈を十五歳の少女に押しつけるなんて、おかしいですよね」

「う……」

「誰が、あんなことを吹き込んだんでしょう。疑問に感じないほど、長い時間、執拗に、まるで洗脳するようにでもしなければ、あんな理不尽なことを真顔で言うような人間にはならなかったんじゃないでしょうか」

「な、なによ、なに!? あたしが洗脳したっていうの!?」

 芙蓉さんの顔には、汗が浮かんでいる。

「違いますか?」

 爽希さんは芙蓉さんの反論を、あっさりと封殺した。

「あなたは長い年月をかけて、自分の息子に、呪いの毒を注ぎこみながら育てた。そして、無関係のまま放っておけばよかった相手に、まるで式神のように彼を送りこんだ」

(ああ、そうか……)

 そうだ。
 話を聞く限り、もともとはあくまで男女の三角関係の話、しかもひとりは身を引いた。
 それで済む話ではあるんだ。
 でも、それは呪いになった。
 子まで引き継がれた、呪いに。

(家族……。家族、血縁、かあ……)

 正直、あたしにはここらへんの感覚はわからない。
 それが今までずっと、自分の不幸だと思ってた。

(でももしかしたら、幸運でもあったのかな)

 急に価値観が逆転してしまい、あたしは目の前がクラクラする。

「そ、そんなの、そんなの、あんたの勝手な屁理屈でしょ! 実際に手を下したのは、あんたよ!」

 芙蓉さんは叫んだ。

「たしかにそうです。でも、手を下させるように持っていったのは、まごうことなき、あなたです」

 爽希さんがきっぱりと言う。

(考えてみれば、あたしと堀田さんも、そうか……)

 芙蓉さんは直接、手は下さない。
 代わりに、からめ手を使うんだ。
 知り合いらしい堀田さんを焚きつけて、あたしを潜入ルポさせるようにして。
 あたしはたまたまそれに乗り切れなかったけど、もしもふたりの意図通りにしていたら。
 今頃はこの家のプライベートを切り売りして、ボロボロにしていたかもしれない。
 そう思うと、ぞっとした。
 自分で手を下さなずに、人を陥れることを、なんとも思わず実行できる人がいることに。
 あたしがそれに加担しかけていたことに。

(殺す人、殺させる人、どっちがより怖いんだろう……)

 あたしには答が見つからない。

「もう、いいかげん、終わりにしませんか」

 爽希さんが、疲れたように言う。

「あなたには、もう十分な財産があるでしょう。それに僕たちは再三言っているように、そちらの家も財産も、たとえわずかでも、貰うつもりはありません。信用できないというなら、相続放棄の手続きを取ってもいいです。だから、もう、こちらにちょっかいをかけるのを、やめていただきたい」

「そんなの……」

 芙蓉さんは、納得がいかない様子だ。

「どうやら正嗣くんは、素直な性格に育っているようでしたよね。彼なら、呪いから解き放たれることができるでしょう。それで満足してくださいませんか」

「できるわけないでしょう! あんたは人殺しでしょ! ちゃんと罪を償いなさいよ!」

「……償ったら、もう、手出しをやめてくれますか?」

 爽希さんが、真顔で問いかけた。
 まさか、そんな返事がくるとは思っていなかったのか、芙蓉さんの次の言葉は、見当はずれのものだった。

「言い訳はもういいから!」

 たぶん、たくさんの言い訳が返ってくると、思いこんでいたままなんだろう。
 きっと自分だったらそうするから。

「……言い訳、してませんけど」

 あたしは思わず、口をはさんでしまった。
 これには爽希さんも驚いたのか、ふたり同時に、あたしを強い視線で見た。

「償うつもりがある、って言ってますよ」

 あたしは芙蓉さんをじっと見つめたあと、今度は爽希さんを見つめた。

「それは、警察に出頭して、裁判を経て、下される罰に応じるつもりがある、ということですよね」

 頷いた。

「じゃあ……」

「ダメ!」

 そこで急に、雲雀さんの声が響いた。
 見下ろすと、車椅子から飛び出そうとでもするかのように前のめりになっている身体を、いつの間にか来ていた志麻さんが、抱えるようにして必死に止めている。

「ダメよ、兄さん!」

 爽希さんは、芙蓉さんを一瞥したあと立ち上がり、ゆっくりと階段を降り始めた。

「それじゃ、あたしは……」

 なにかを言いかけ、車椅子を走らせる雲雀さん。
 でも、その前に立った爽希さんは、ゆっくりと首を振った。

「いいんだ、雲雀。今まで何事もなかったような振りを続けてきたけど、もう、限界だと思う」

「でも!」

「雲雀。相談がある」

「な……、なに」

「会社を、引き継いでくれないか。僕が罪を償っているあいだ」

「えっ」

「独学で、経営のことを勉強してるのは知ってる。必要なアドバイスがあれば、獄中からでもできる限り答える。だから、頼まれてくれないか」

「で、でも……。そんな」

 雲雀さんが口ごもっているうちに、芙蓉さんも降りてきていた。
 すると、爽希さんは振り返り、こう言った。

「これでいいですか。もう我々にちょっかいをかけないと、誓約書を書いてくれますか。こちらは代わりに、相続放棄の書類を書きましょう」

 さらには、皮肉な笑みを浮かべる。

「ああ、ちなみにこれは、あなたのためじゃありません。正嗣くんのためです。よくお考えになってください」

 正嗣くんのため、という言葉が、芙蓉さんにはどうやら効くようだ。爽希さんはその名前をかなり強調した。

「この取引が成立するなら、彼の父親が本当は誰なのかも、追及しないでおきます」

(うわ、マジか)

 これは爆弾発言だろう。
 実際、芙蓉さんは絶句して立ちすくんでいた。
 つまり、まあ、図星なんだろう。

(まさか……、堀田さんじゃないだろうなあ?)

 あたしは思ったが、もう、そこを追求する気は起きなかった。
 なんていうのかもう、こういう他人を陥れて自分の利益にしたがるような人たちに、関わりあいたくない。たとえ根性なしと言われようとも。

(あたしが関りたいのは……)
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