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15. いなくなった子 2
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その日は、よく晴れていた。
陽射しもだんだん強くなってくる季節なので、雲雀さんもあたしも、河川敷への散歩には、つばの広い帽子をかぶっていくようになっていた。
「もうちょっと暑くなってきたら、すこしお散歩は休みましょうか。お家のリビングでも、充分日光浴はできますし」
おとといから読み始めた本をバッグから出し、渡しながらそう言うと、雲雀さんはちょっと寂しそうな表情になった。
(やっぱり、かなりこの散歩を楽しみにしてるんだ)
基本、あまり出かけたがらない雲雀さんだけど、これだけはずっと続けている。
だから本当はあまり止めたくはないんだけど、さすがに本格的な夏になると、遮るものがほとんどないここに来るのは、肉体的にもよくないだろう。
だから、しかたない。
「まあ、すぐに、っていう話じゃないですけど」
あたしは慌ててフォローを入れる。
それで、雲雀さんもすこし機嫌を取り戻したようだった。
それからしばらくのあいだは、あたしたちは黙ってそれぞれの本を読んでいた。
雲雀さんは薬学の本。お兄さんの仕事のことに興味があるらしい。
そしてあたしは介護資格の参考書だ。現時点で、ついた知識をすぐ実践に役立てるし、どうせそうなら資格を取ってしまうのもひとつの手だな、と思って勉強することにしたのだ。
本当はすぐにでも読みたい、事件ルポルタージュの新刊本も買ってある。でも、雲雀さんの目に入ったら、もしかしてあたしの『潜入ルポ』がバレるかもしれない。なので、読むのは自室に閉じこもっている時だけにしている。
空は広く晴れわたり、鳥の声が木々の枝の合間から聞こえてくる。
さらには川面から、涼しい風が吹いてきた。
快適なピクニック日和。
(お弁当を持ってきてもよかったな)
そんなことを考え、空を見上げていると、ふいに、視界を何かが横切った。
雲雀さんの帽子だ。
風に飛ばされてしまったらしい。
「わあっ」
あたしはあわてて本を放り出すと、それを追いかけて斜面を駆け下りた。
(川に落ちたらどうしよう)
焦った。
すると意外なことに、あたしより早く、その帽子を掴んでくれた人がいた。
「あ……、ありが、とう……」
息を切らしながら礼を言うと、その小さな手は、あたしに帽子を差し出した。
そう、小さな手。
相手は、小学生高学年くらいに見える、男の子だった。
「どうぞ」
小さな紳士風の丁寧な態度に、あたしはつい大人に対するような態度になってしまう。
「あ、どうも……、ありがとうございます」
帽子を受け取り、改めて礼を言って去ろうとして、気づいた。
男の子の足元の草の上には、ランドセルが置いてあった。傍には教材かなにかが入っているらしい袋もある。
なにより、男の子がどこかの私立のものらしい制服を着ていた。
(あらら、サボりか……)
決して、いいことじゃないのはわかってる。
でもなんだか、重いカバンを背中に背負い、肩肘にかっちり沿った服を着て、礼儀正しく生きている子供が、息抜きしてみたくなるのはわかる気がする。
「あの、よかったら、お礼に冷たいお茶でも飲む? 水筒に持ってきてるんだけど」
それで、状態には触れず、ただ提案だけをした。
男の子はしばらく迷っているようだった。
「でも、足りなくなっちゃうんじゃ……」
「ああ、大丈夫。大き目の水筒に入れてあるから。……もちろん、別にのどが渇いていないんなら、無理に勧めたいわけじゃないけど」
ひとりになりたい、ってことでここに来てるなら、邪魔する気はなかった。
「いえ、あの、じゃあ……。いただきます」
男の子は意を決したようにそう言うと、自分の持ち物を抱えた。
あたしについて斜面を登り、雲雀さんのいる場所に戻ると、男の子は勧められるまま、遠慮がちにベンチに腰をおろした。
「あんた、なに」
雲雀さんが不機嫌丸出しで訊く。男の子は身体を縮こまらせた。
「マ……、マサシって言います」
「バカね」
雲雀さんはあたしから受け取った帽子をかぶりながら吐き捨てるように言う。
「あんたの名前なんて訊いたわけじゃないのよ。あんたが何やってるのか、って訊いたの」
「あ……ええと……」
「まあまあまあまあ、雲雀さん」
あたしは慌てて間に割って入る。
「帽子を拾ってくれたんですよ。お礼言わなきゃ」
「ふん」
雲雀さんはそっぽを向く。
ただ一応、小さな声で「それはありがとう」とだけ言った。
マサシくんも、学校サボってる、なんて自分からは言いたくないんだろう。
さいわい? 雲雀さんが不機嫌になったおかげで、そこらへんの追及は続かずに済みそうだ。
あたしは水筒からコップに冷えたお茶を注ぎ、マサシくんに渡した。志麻さんの淹れてくれたおいしい緑茶だ。
「ありがとうございます。いただきます」
丁寧にお礼を言うと、ごくごくと、あっというまに飲み干した。
どうやら、のどは渇いていたらしい。
使ったコップをひっくり返し、きちんと水分を振るい落としてから返してくれる。
年齢に似合わない行儀よさに、またまた感心する。
前の職場の経営者一家の息子、章くんの年相応のやんちゃっぷりとは、ずいぶん違う。
(こんな優等生みたいな子が、サボるなんて。学校ってのも色々大変なんだな)
そんなことを思っていると、あたりに正午を告げるサイレンが鳴り響いた。
あたしたちはこのサイレンが聞こえると、家に戻ることになっていた。今頃、志麻さんがお昼ご飯の準備をして待っていてくれるはずだ。
「私たちはもう帰るけど、マサシくんも、そろそろ家に帰ったほうがいいんじゃない?」
あたしの言葉に、マサシくんは俯いてしまう。
(ああ、そうか。今帰ると、サボったのがバレるのか)
かと言ってこのままここにいても、多分食べ物も持ってないだろうし、変な人についていったりしても危ない。
あたしは放っておいて帰ってしまっていいものか迷っていると、雲雀さんが言った。
「うちにご飯食べにくる?」
「えっ、いいんですか」
とたん、破顔する。
(ダメだ。こんなに素直じゃ、おかしなヤツに声をかけられても、ついていっちゃいそうだ)
それくらいなら、いったん一緒に食事を済ませてから、改めて送っていったほうがいいだろう。
そう思ったのであたしは口を挟まず、荷物をまとめた。
「あの……、僕、車椅子押します」
マサシくんが申し出てくれるので、お願いすることにした。
初めての経験なんだろう。おっかなびっくり、といった感じではあったが、なるべく揺れないよう、真剣な顔つきで慎重に進める姿は、なんだか微笑ましい。
家に着くと、志麻さんが突然のお客さんに驚いた。
「大丈夫なの、学校は?」
「あの……、や、休みなんです」
ランドセルまで持っていて、そんなウソはすぐにバレる。
でもそれには突っ込まず、志麻さんは言葉を続けた。
「お母さんが心配してるんじゃないの」
「大丈夫です」
「大丈夫、って……」
「母は、僕のことに興味がありませんから」
「えっ」
意外な返事に、あたしはつい驚いてしまった。
こんないいところのお坊ちゃん風な子の口から、そんな悲しい言葉が出てくるとは思わなかったから。
志麻さんの表情も、一瞬で曇る。
でも、すぐにまた明るい顔に戻った。……戻ってみせていた。
「そんなことはないと思うから、お昼食べたら帰りなさい。まずは腹ごしらえね」
「あたしと一緒に食べるから、食事はリビングに運んで」
黙ってずっと聞いていた雲雀さんはそう言うと、さっさとひとりで先に行ってしまった。
あたしはマサシくんの荷物をキッチンの隅に置くのを手伝ってから、リビングへと連れて行った。
陽射しもだんだん強くなってくる季節なので、雲雀さんもあたしも、河川敷への散歩には、つばの広い帽子をかぶっていくようになっていた。
「もうちょっと暑くなってきたら、すこしお散歩は休みましょうか。お家のリビングでも、充分日光浴はできますし」
おとといから読み始めた本をバッグから出し、渡しながらそう言うと、雲雀さんはちょっと寂しそうな表情になった。
(やっぱり、かなりこの散歩を楽しみにしてるんだ)
基本、あまり出かけたがらない雲雀さんだけど、これだけはずっと続けている。
だから本当はあまり止めたくはないんだけど、さすがに本格的な夏になると、遮るものがほとんどないここに来るのは、肉体的にもよくないだろう。
だから、しかたない。
「まあ、すぐに、っていう話じゃないですけど」
あたしは慌ててフォローを入れる。
それで、雲雀さんもすこし機嫌を取り戻したようだった。
それからしばらくのあいだは、あたしたちは黙ってそれぞれの本を読んでいた。
雲雀さんは薬学の本。お兄さんの仕事のことに興味があるらしい。
そしてあたしは介護資格の参考書だ。現時点で、ついた知識をすぐ実践に役立てるし、どうせそうなら資格を取ってしまうのもひとつの手だな、と思って勉強することにしたのだ。
本当はすぐにでも読みたい、事件ルポルタージュの新刊本も買ってある。でも、雲雀さんの目に入ったら、もしかしてあたしの『潜入ルポ』がバレるかもしれない。なので、読むのは自室に閉じこもっている時だけにしている。
空は広く晴れわたり、鳥の声が木々の枝の合間から聞こえてくる。
さらには川面から、涼しい風が吹いてきた。
快適なピクニック日和。
(お弁当を持ってきてもよかったな)
そんなことを考え、空を見上げていると、ふいに、視界を何かが横切った。
雲雀さんの帽子だ。
風に飛ばされてしまったらしい。
「わあっ」
あたしはあわてて本を放り出すと、それを追いかけて斜面を駆け下りた。
(川に落ちたらどうしよう)
焦った。
すると意外なことに、あたしより早く、その帽子を掴んでくれた人がいた。
「あ……、ありが、とう……」
息を切らしながら礼を言うと、その小さな手は、あたしに帽子を差し出した。
そう、小さな手。
相手は、小学生高学年くらいに見える、男の子だった。
「どうぞ」
小さな紳士風の丁寧な態度に、あたしはつい大人に対するような態度になってしまう。
「あ、どうも……、ありがとうございます」
帽子を受け取り、改めて礼を言って去ろうとして、気づいた。
男の子の足元の草の上には、ランドセルが置いてあった。傍には教材かなにかが入っているらしい袋もある。
なにより、男の子がどこかの私立のものらしい制服を着ていた。
(あらら、サボりか……)
決して、いいことじゃないのはわかってる。
でもなんだか、重いカバンを背中に背負い、肩肘にかっちり沿った服を着て、礼儀正しく生きている子供が、息抜きしてみたくなるのはわかる気がする。
「あの、よかったら、お礼に冷たいお茶でも飲む? 水筒に持ってきてるんだけど」
それで、状態には触れず、ただ提案だけをした。
男の子はしばらく迷っているようだった。
「でも、足りなくなっちゃうんじゃ……」
「ああ、大丈夫。大き目の水筒に入れてあるから。……もちろん、別にのどが渇いていないんなら、無理に勧めたいわけじゃないけど」
ひとりになりたい、ってことでここに来てるなら、邪魔する気はなかった。
「いえ、あの、じゃあ……。いただきます」
男の子は意を決したようにそう言うと、自分の持ち物を抱えた。
あたしについて斜面を登り、雲雀さんのいる場所に戻ると、男の子は勧められるまま、遠慮がちにベンチに腰をおろした。
「あんた、なに」
雲雀さんが不機嫌丸出しで訊く。男の子は身体を縮こまらせた。
「マ……、マサシって言います」
「バカね」
雲雀さんはあたしから受け取った帽子をかぶりながら吐き捨てるように言う。
「あんたの名前なんて訊いたわけじゃないのよ。あんたが何やってるのか、って訊いたの」
「あ……ええと……」
「まあまあまあまあ、雲雀さん」
あたしは慌てて間に割って入る。
「帽子を拾ってくれたんですよ。お礼言わなきゃ」
「ふん」
雲雀さんはそっぽを向く。
ただ一応、小さな声で「それはありがとう」とだけ言った。
マサシくんも、学校サボってる、なんて自分からは言いたくないんだろう。
さいわい? 雲雀さんが不機嫌になったおかげで、そこらへんの追及は続かずに済みそうだ。
あたしは水筒からコップに冷えたお茶を注ぎ、マサシくんに渡した。志麻さんの淹れてくれたおいしい緑茶だ。
「ありがとうございます。いただきます」
丁寧にお礼を言うと、ごくごくと、あっというまに飲み干した。
どうやら、のどは渇いていたらしい。
使ったコップをひっくり返し、きちんと水分を振るい落としてから返してくれる。
年齢に似合わない行儀よさに、またまた感心する。
前の職場の経営者一家の息子、章くんの年相応のやんちゃっぷりとは、ずいぶん違う。
(こんな優等生みたいな子が、サボるなんて。学校ってのも色々大変なんだな)
そんなことを思っていると、あたりに正午を告げるサイレンが鳴り響いた。
あたしたちはこのサイレンが聞こえると、家に戻ることになっていた。今頃、志麻さんがお昼ご飯の準備をして待っていてくれるはずだ。
「私たちはもう帰るけど、マサシくんも、そろそろ家に帰ったほうがいいんじゃない?」
あたしの言葉に、マサシくんは俯いてしまう。
(ああ、そうか。今帰ると、サボったのがバレるのか)
かと言ってこのままここにいても、多分食べ物も持ってないだろうし、変な人についていったりしても危ない。
あたしは放っておいて帰ってしまっていいものか迷っていると、雲雀さんが言った。
「うちにご飯食べにくる?」
「えっ、いいんですか」
とたん、破顔する。
(ダメだ。こんなに素直じゃ、おかしなヤツに声をかけられても、ついていっちゃいそうだ)
それくらいなら、いったん一緒に食事を済ませてから、改めて送っていったほうがいいだろう。
そう思ったのであたしは口を挟まず、荷物をまとめた。
「あの……、僕、車椅子押します」
マサシくんが申し出てくれるので、お願いすることにした。
初めての経験なんだろう。おっかなびっくり、といった感じではあったが、なるべく揺れないよう、真剣な顔つきで慎重に進める姿は、なんだか微笑ましい。
家に着くと、志麻さんが突然のお客さんに驚いた。
「大丈夫なの、学校は?」
「あの……、や、休みなんです」
ランドセルまで持っていて、そんなウソはすぐにバレる。
でもそれには突っ込まず、志麻さんは言葉を続けた。
「お母さんが心配してるんじゃないの」
「大丈夫です」
「大丈夫、って……」
「母は、僕のことに興味がありませんから」
「えっ」
意外な返事に、あたしはつい驚いてしまった。
こんないいところのお坊ちゃん風な子の口から、そんな悲しい言葉が出てくるとは思わなかったから。
志麻さんの表情も、一瞬で曇る。
でも、すぐにまた明るい顔に戻った。……戻ってみせていた。
「そんなことはないと思うから、お昼食べたら帰りなさい。まずは腹ごしらえね」
「あたしと一緒に食べるから、食事はリビングに運んで」
黙ってずっと聞いていた雲雀さんはそう言うと、さっさとひとりで先に行ってしまった。
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