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第三章
2.過去の声 1
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初瑠は瑠奈にとって、いつでも、一番近くて一番遠い存在だった。
一歳違いだった初瑠と瑠奈は、見かけこそそっくりで双子と間違われるほどだったが、それ以外はなにもかもが正反対だった。
初瑠は学校の成績ではいつも上位。スポーツも万能で、特に足が速くて陸上部の花形選手だった。人懐こく、情にも厚くて、いつも周りには華やかな友人たちが集まっていた。
対して、瑠奈はといえば……。
成績はせいぜい中の上。運動は苦手だったし、人の輪に入って笑い合うよりは、図書室に行って、ひとりで本の世界に浸っているほうが好き。
そう。それはまるで、名前の由来の通りの生き方のようだった。
初瑠-sol-太陽。
瑠奈-luna-月。
初瑠と瑠奈同士は、お互い無いものをもっていることを認めあっていた。だから、仲はすごくよかった。
しかし、周りの連中がなにかとふたりを比べて物を言うのが常で、特に瑠奈はそれが鬱陶しかった。
ちなみにこの感情を幼い頃から理解してくれていたのが叔母の静海で、よく子守がてら遊びに来ては話を聞いてくれたものだった。
初瑠と瑠奈が小学校低学年だった、最初の父が存命だった頃だ。
なんでも、静海も、姉であり瑠奈たちの母でもある晴海と子供の頃よく比べられていて、閉口した経験があるらしい。
「わかるよ。お姉ちゃんはなんとも思ってないんだけどさ。それが余計やりきれなかったなあ」
ただ、実際のところ、瑠奈にはその言い分はすこし不思議だった。
自分が知っている母の晴海は、神経が弱く、なにかといえば具合が悪くなって、奥の寝室で横になっていることが多かった。
しかし静海のほうはいつも快活で、面白いボードゲームを見つけて持ってきてくれたり、近所での子供参加のイベントに連れて行ってくれたりと、とても魅力的な人物に見えていたからだ。
「いやいや。女の子の癖に生意気だ、って、何度言われたことか。お姉ちゃんはおしとやかで、守ってあげたくなる感じなのに、って」
静海はそう言って舌を出してみせたが、そうやって笑って受け流せる心が、本当に輝いて見えた。
そして。
子供のころは出来が悪いと言われていても、大人になったら評価が変わることもある。
そんなことを体現している静海が話を聞いてくれることは、瑠奈にとってなによりの救いだった。
しかし、父が交通事故で若くして亡くなり、やがて母が再婚してからは、静海も疎遠になった。
新しい父が、家族以外の人間が家を出入りすることを、ひどく嫌ったからだった。
そしてその頃から、初瑠は瑠奈の憧れの人間ではなくなり始めた。
母の晴海が再婚したのは、古越道孝という名の、すこし年下の男性だった。
ある日突然、今度再婚するつもりだと言って家に連れてきたその男は、すこし濃いめの甘いマスクに柔和な笑顔で、ひどく好感の持てる人間に見えた。
「道孝さんのセミナー、半年先まで予約が埋まっているのよ。すごいでしょ。海外にも呼ばれることもあるんですって」
晴海は、自慢げに言ったものだ。
セミナーに通い出してからの母の変化を知っていた初瑠と瑠奈も、同じような気持ちだった。
前夫を心労による自殺という形で亡くして以来、母はずっと、浮ついた生活を続けていた。ホストクラブに通いつめて散財したり、果ては、裏カジノでのギャンブルにまで手を出したり。
両親、つまり瑠奈たちの祖父母から受け継いだ遺産の莫大な不動産収入で、生活的にはなにも困らないのが、かえってよくなかった。
そういう生活をやめるようにと、何度かふたりで言ってもみた。でも、嫌なら家から出ていきなさい、と言われると黙るしかなかった。
そこで、自分たちで稼いで自立する、と啖呵を切るまでの勇気は持てなかったからだ。
しかしそんな晴海が、あるときゴルフ仲間に誘われて、生活の質向上を謳うセミナーに気まぐれに参加した。
それが、転機となる。
気に入って定期的に通うようになると、みるみるうちに生活が、落ち着いたものへと変化していった。
そこまできてようやく、娘二人も安心することができるようになった。
そして、そのセミナーの主催者、晴海を乱れた生活から救ってくれた人物こそが、道孝だった。
彼のセミナーは大人気で、多くの人間がそのおかげで生活を立て直したり、人生をやり直すことができ、感謝しているという。
その彼が、人生を共にするパートナーとして、母を選んでくれたのだ。
自分の親ながら、誇らしかった。
しかも直に会ったのは初めてだったとはいえ、彼はときどきメディアにも取り上げられるような、いわゆるちょっとした『有名人』だった。
「あたしたちだって、テレビでインタビューされたりするかもしれないよ」
初瑠などは、能天気にそんなことまで言い出す始末だった。
「えぇ……、いいよ、そんなの」
内気な瑠奈は、そんな場面を考えただけで、憂鬱になったものだ。
結婚式は、それからすぐだった。
意外だったのが、家族だけの内輪の式だったことだ。
道孝のたっての希望だったらしい。
母は一緒にセミナーを受けた生徒たちや、道孝が知人だと話す芸能人や政治家、ベンチャービジネスの有名経営者などを招待して大々的に挙げたかったらしいが、そういう虚飾はよくないと諭され、納得したらしい。
なにかと派手好みで金遣いの荒い母を、万事そんな風にたしなめコントロールできる道孝に、娘二人は絶大なる信頼を寄せるようになった。
そうして、晴海が再婚してからの新生活は、なにもかもが順調だった。
道孝は女三人に囲まれる喧しい生活に嫌な顔ひとつせず、相談ごとがあるとなれば、きちんと一対一の場を設けてくれて、時間も気にせず話を聞いてくれた。
さらに、晴海も以前とはかなり違う生活をするようになった。
前夫に対しては婿養子だったうえまだ両親も健在だったためか、わがままいっぱいに振る舞い、夫に気苦労をかけていることなど、気づきもしなかった。
それを反省したのか、新しい夫には、ひどく従順な態度を取った。
たとえば、道孝のセミナー事業拡大への協力。
セミナー会場はどんどん大きなところになり、アーティストのコンサートにも使われるような場所の名前も何度かあった。晴海は進んで、そのための資金を提供した。
会場のレンタル料、スタッフの人件費、設営代。地方で開催する場合は、移動に使う列車のグリーン車や飛行機のビジネスクラスといった交通費。果てには、高級レストランや割烹仕出しといった食事代まで。
出費はきりがなかった。
でも、最終的には、人生に迷い困っている人々の役に立つ金なのだと言われれば、出し渋る理由などない、そう信じ込んでいた。
自分がそれに救われたとも思っていたので、同じような人々の役に立てるようになるのは、己の成長の証でもあるのだと吹き込まれた。そしてその言葉に、すっかりのぼせあがっていたのだ。
そのセミナー自体には、初瑠も瑠奈も行ったことはなかった。しかし、多くの人間を集め、導いているという道孝には、尊敬の念しかなかった。
そしてどうやらその頃から、晴海の所有していた不動産の名義は、どんどん道孝に書き換えられていたらしい。
「彼が言うにはね。お金の管理なんてめんどくさくて世知辛いもの、私には向いてないって。だから、自分が代わりにちゃんとやったほうがいいだろう、って言ってくれたの。愛だわぁ」
晴海は嬉しそうに娘たちに言ったものだ。
たしかに、結婚前までの金の使い方を見ていると、いつ何時また愚かな使い方に戻ってしまうかと、素人の瑠奈たちでさえ不安に感じるほどだったから、一理あった。
だから、当時は、なにも問題だとは思ってなかった。
突然引っ越しが決まったのは、それから一年ほど後のことだった。
それ以前から、運転手や家政婦、コックなど、雇い人が多すぎると、道孝は常々不満を言っていた。あまり楽をしすぎる生活は、真実に近づく道を進むためには、むしろ障害になる、と。
その意見に従い、晴海は彼らをひとりずつ解雇した。
そうなると、それまで住んでいた、広い家や庭は自分たちだけで世話をするには無駄が多い。それでもうすこし小ぢんまりとした、マンションに引っ越すことになったのだ。
実はこの頃から、古越家の金回りが、あまりよくなくなっているようだった。それは、瑠奈たちも感じていた。だから本当は、使う金を減らしたかっただけなのかもしれない。
どうも、セミナーの客が増えないどころか、徐々に減ってきているようだった。なにか、悪い評判もたっているらしい。
「自分を変えることに抵抗を感じる人間は多い。たとえそれが正しいことでも、いや、正しいからこそ、自分の間違いを認めるのは恐怖なんだ。僕が真実を言うから、自分をごまかしたい人間は、訳もなく反発するんだよ」
それが、道孝の理屈だった。
「活動は続けるべきよ。そうすれば、理解者は少しずつでも増えていくはず。道孝さんは、間違っていないんだから」
晴海はそう言って、さらなるセミナーを開く資金のために、いくつかの不動産を売却することに賛成した。
初瑠と瑠奈は腹を立てていた。
世間はどうしてそう、真実から目を逸らすことに躍起になるのだろう。
つまり、道孝を拒絶する世の中のほうが間違っている、そんな風に思っていた。
そういった事情から越した新しい家は、新興住宅地に建つ、まだ新しいマンションだった。
瑠奈たちの住居はメゾネット式で、上下のフロアに分かれていた。
玄関から入ってすぐ左側にトイレや浴室、洗面室などがあり、その前を過ぎた正面に、二十畳のリビングダイニングがある。そこには左端にアイランド式のキッチンがあり、右端には上階に行く螺旋階段があった。
二階にあたる部分は夫婦の主寝室とウォークインクローゼット、娘たちそれぞれの個室があり、家族四人で静かに暮らすには、充分な広さだった。
それまでは、客間や使用人用の部屋などまであった広い家しか知らなかった瑠奈たちは、最初は戸惑った。しかしそれこそが、無駄に慣れ切った堕落した精神だと言われ、これからの生活こそが、『足るを知る』ということを学べる、絶好の機会だと諭された。
食事も一変した。
それまでの、好きなものを好きなだけ摂るという食生活は見直すべきだとして、買って来る食材も、作るメニューも、道孝が監督することになった。
瑠奈たちの小遣いがなくなったのも、この頃だ。
若いうちから浪費を覚えるのはよくない、ということで、なにか欲しいものがあるのなら、道孝に訊いて判断を仰ぐことになった。
だが結局そうしたところで、アイドルのグッズやメイク道具などを買たいと言っても、テーマパークにみんなで遊びに行くといった類のことにも、許可が出ることは一度もなかった。
そういうことに慣れ親しんで育つと、将来は晴海のようにホストに貢いだり散財するようになるぞ、と言われると、なにも言葉を返せなかった。
自然そうなると、学校ではだんだんと二人は孤立するようになる。
それを訴えてみたが、そんなものでしか繋がることができないのなら、それはしょせん上っ面のつきあいで、続ける必要などないものだ、という言葉が返ってきただけだった。
しかしそうなってくると、血気盛んな十代は、黙っていられない。
特に気の強い初瑠は、しだいに道孝に反抗するようになってきた。
「初瑠、ダメだよ」
瑠奈は何度もそう言って、初瑠をなだめたものだ。
最初はそれを聞き入れ、反抗的な態度を改めてくれたりもしていたが、いつしかそれもなくなった。
そしてとうとうある晩、初瑠は家出をしてしまった。
繁華街にいたところをすぐに警察に見つかり、家まで送られてきたが、これに対する道孝と晴海の怒りはすさまじかった。
「今後一切、勝手に家から出ることは許しません」
初瑠を睨みつける道孝に指示され、晴海が言い渡した。
そして初瑠は、自分の部屋で『謹慎』させられることになった。
その前に、個人の部屋からは、机や棚、服や小物まで全部運び出され、無機質な箱のような部屋へと変えさせられた。
瑠奈も命じられて、手伝うしかなかった。
一歳違いだった初瑠と瑠奈は、見かけこそそっくりで双子と間違われるほどだったが、それ以外はなにもかもが正反対だった。
初瑠は学校の成績ではいつも上位。スポーツも万能で、特に足が速くて陸上部の花形選手だった。人懐こく、情にも厚くて、いつも周りには華やかな友人たちが集まっていた。
対して、瑠奈はといえば……。
成績はせいぜい中の上。運動は苦手だったし、人の輪に入って笑い合うよりは、図書室に行って、ひとりで本の世界に浸っているほうが好き。
そう。それはまるで、名前の由来の通りの生き方のようだった。
初瑠-sol-太陽。
瑠奈-luna-月。
初瑠と瑠奈同士は、お互い無いものをもっていることを認めあっていた。だから、仲はすごくよかった。
しかし、周りの連中がなにかとふたりを比べて物を言うのが常で、特に瑠奈はそれが鬱陶しかった。
ちなみにこの感情を幼い頃から理解してくれていたのが叔母の静海で、よく子守がてら遊びに来ては話を聞いてくれたものだった。
初瑠と瑠奈が小学校低学年だった、最初の父が存命だった頃だ。
なんでも、静海も、姉であり瑠奈たちの母でもある晴海と子供の頃よく比べられていて、閉口した経験があるらしい。
「わかるよ。お姉ちゃんはなんとも思ってないんだけどさ。それが余計やりきれなかったなあ」
ただ、実際のところ、瑠奈にはその言い分はすこし不思議だった。
自分が知っている母の晴海は、神経が弱く、なにかといえば具合が悪くなって、奥の寝室で横になっていることが多かった。
しかし静海のほうはいつも快活で、面白いボードゲームを見つけて持ってきてくれたり、近所での子供参加のイベントに連れて行ってくれたりと、とても魅力的な人物に見えていたからだ。
「いやいや。女の子の癖に生意気だ、って、何度言われたことか。お姉ちゃんはおしとやかで、守ってあげたくなる感じなのに、って」
静海はそう言って舌を出してみせたが、そうやって笑って受け流せる心が、本当に輝いて見えた。
そして。
子供のころは出来が悪いと言われていても、大人になったら評価が変わることもある。
そんなことを体現している静海が話を聞いてくれることは、瑠奈にとってなによりの救いだった。
しかし、父が交通事故で若くして亡くなり、やがて母が再婚してからは、静海も疎遠になった。
新しい父が、家族以外の人間が家を出入りすることを、ひどく嫌ったからだった。
そしてその頃から、初瑠は瑠奈の憧れの人間ではなくなり始めた。
母の晴海が再婚したのは、古越道孝という名の、すこし年下の男性だった。
ある日突然、今度再婚するつもりだと言って家に連れてきたその男は、すこし濃いめの甘いマスクに柔和な笑顔で、ひどく好感の持てる人間に見えた。
「道孝さんのセミナー、半年先まで予約が埋まっているのよ。すごいでしょ。海外にも呼ばれることもあるんですって」
晴海は、自慢げに言ったものだ。
セミナーに通い出してからの母の変化を知っていた初瑠と瑠奈も、同じような気持ちだった。
前夫を心労による自殺という形で亡くして以来、母はずっと、浮ついた生活を続けていた。ホストクラブに通いつめて散財したり、果ては、裏カジノでのギャンブルにまで手を出したり。
両親、つまり瑠奈たちの祖父母から受け継いだ遺産の莫大な不動産収入で、生活的にはなにも困らないのが、かえってよくなかった。
そういう生活をやめるようにと、何度かふたりで言ってもみた。でも、嫌なら家から出ていきなさい、と言われると黙るしかなかった。
そこで、自分たちで稼いで自立する、と啖呵を切るまでの勇気は持てなかったからだ。
しかしそんな晴海が、あるときゴルフ仲間に誘われて、生活の質向上を謳うセミナーに気まぐれに参加した。
それが、転機となる。
気に入って定期的に通うようになると、みるみるうちに生活が、落ち着いたものへと変化していった。
そこまできてようやく、娘二人も安心することができるようになった。
そして、そのセミナーの主催者、晴海を乱れた生活から救ってくれた人物こそが、道孝だった。
彼のセミナーは大人気で、多くの人間がそのおかげで生活を立て直したり、人生をやり直すことができ、感謝しているという。
その彼が、人生を共にするパートナーとして、母を選んでくれたのだ。
自分の親ながら、誇らしかった。
しかも直に会ったのは初めてだったとはいえ、彼はときどきメディアにも取り上げられるような、いわゆるちょっとした『有名人』だった。
「あたしたちだって、テレビでインタビューされたりするかもしれないよ」
初瑠などは、能天気にそんなことまで言い出す始末だった。
「えぇ……、いいよ、そんなの」
内気な瑠奈は、そんな場面を考えただけで、憂鬱になったものだ。
結婚式は、それからすぐだった。
意外だったのが、家族だけの内輪の式だったことだ。
道孝のたっての希望だったらしい。
母は一緒にセミナーを受けた生徒たちや、道孝が知人だと話す芸能人や政治家、ベンチャービジネスの有名経営者などを招待して大々的に挙げたかったらしいが、そういう虚飾はよくないと諭され、納得したらしい。
なにかと派手好みで金遣いの荒い母を、万事そんな風にたしなめコントロールできる道孝に、娘二人は絶大なる信頼を寄せるようになった。
そうして、晴海が再婚してからの新生活は、なにもかもが順調だった。
道孝は女三人に囲まれる喧しい生活に嫌な顔ひとつせず、相談ごとがあるとなれば、きちんと一対一の場を設けてくれて、時間も気にせず話を聞いてくれた。
さらに、晴海も以前とはかなり違う生活をするようになった。
前夫に対しては婿養子だったうえまだ両親も健在だったためか、わがままいっぱいに振る舞い、夫に気苦労をかけていることなど、気づきもしなかった。
それを反省したのか、新しい夫には、ひどく従順な態度を取った。
たとえば、道孝のセミナー事業拡大への協力。
セミナー会場はどんどん大きなところになり、アーティストのコンサートにも使われるような場所の名前も何度かあった。晴海は進んで、そのための資金を提供した。
会場のレンタル料、スタッフの人件費、設営代。地方で開催する場合は、移動に使う列車のグリーン車や飛行機のビジネスクラスといった交通費。果てには、高級レストランや割烹仕出しといった食事代まで。
出費はきりがなかった。
でも、最終的には、人生に迷い困っている人々の役に立つ金なのだと言われれば、出し渋る理由などない、そう信じ込んでいた。
自分がそれに救われたとも思っていたので、同じような人々の役に立てるようになるのは、己の成長の証でもあるのだと吹き込まれた。そしてその言葉に、すっかりのぼせあがっていたのだ。
そのセミナー自体には、初瑠も瑠奈も行ったことはなかった。しかし、多くの人間を集め、導いているという道孝には、尊敬の念しかなかった。
そしてどうやらその頃から、晴海の所有していた不動産の名義は、どんどん道孝に書き換えられていたらしい。
「彼が言うにはね。お金の管理なんてめんどくさくて世知辛いもの、私には向いてないって。だから、自分が代わりにちゃんとやったほうがいいだろう、って言ってくれたの。愛だわぁ」
晴海は嬉しそうに娘たちに言ったものだ。
たしかに、結婚前までの金の使い方を見ていると、いつ何時また愚かな使い方に戻ってしまうかと、素人の瑠奈たちでさえ不安に感じるほどだったから、一理あった。
だから、当時は、なにも問題だとは思ってなかった。
突然引っ越しが決まったのは、それから一年ほど後のことだった。
それ以前から、運転手や家政婦、コックなど、雇い人が多すぎると、道孝は常々不満を言っていた。あまり楽をしすぎる生活は、真実に近づく道を進むためには、むしろ障害になる、と。
その意見に従い、晴海は彼らをひとりずつ解雇した。
そうなると、それまで住んでいた、広い家や庭は自分たちだけで世話をするには無駄が多い。それでもうすこし小ぢんまりとした、マンションに引っ越すことになったのだ。
実はこの頃から、古越家の金回りが、あまりよくなくなっているようだった。それは、瑠奈たちも感じていた。だから本当は、使う金を減らしたかっただけなのかもしれない。
どうも、セミナーの客が増えないどころか、徐々に減ってきているようだった。なにか、悪い評判もたっているらしい。
「自分を変えることに抵抗を感じる人間は多い。たとえそれが正しいことでも、いや、正しいからこそ、自分の間違いを認めるのは恐怖なんだ。僕が真実を言うから、自分をごまかしたい人間は、訳もなく反発するんだよ」
それが、道孝の理屈だった。
「活動は続けるべきよ。そうすれば、理解者は少しずつでも増えていくはず。道孝さんは、間違っていないんだから」
晴海はそう言って、さらなるセミナーを開く資金のために、いくつかの不動産を売却することに賛成した。
初瑠と瑠奈は腹を立てていた。
世間はどうしてそう、真実から目を逸らすことに躍起になるのだろう。
つまり、道孝を拒絶する世の中のほうが間違っている、そんな風に思っていた。
そういった事情から越した新しい家は、新興住宅地に建つ、まだ新しいマンションだった。
瑠奈たちの住居はメゾネット式で、上下のフロアに分かれていた。
玄関から入ってすぐ左側にトイレや浴室、洗面室などがあり、その前を過ぎた正面に、二十畳のリビングダイニングがある。そこには左端にアイランド式のキッチンがあり、右端には上階に行く螺旋階段があった。
二階にあたる部分は夫婦の主寝室とウォークインクローゼット、娘たちそれぞれの個室があり、家族四人で静かに暮らすには、充分な広さだった。
それまでは、客間や使用人用の部屋などまであった広い家しか知らなかった瑠奈たちは、最初は戸惑った。しかしそれこそが、無駄に慣れ切った堕落した精神だと言われ、これからの生活こそが、『足るを知る』ということを学べる、絶好の機会だと諭された。
食事も一変した。
それまでの、好きなものを好きなだけ摂るという食生活は見直すべきだとして、買って来る食材も、作るメニューも、道孝が監督することになった。
瑠奈たちの小遣いがなくなったのも、この頃だ。
若いうちから浪費を覚えるのはよくない、ということで、なにか欲しいものがあるのなら、道孝に訊いて判断を仰ぐことになった。
だが結局そうしたところで、アイドルのグッズやメイク道具などを買たいと言っても、テーマパークにみんなで遊びに行くといった類のことにも、許可が出ることは一度もなかった。
そういうことに慣れ親しんで育つと、将来は晴海のようにホストに貢いだり散財するようになるぞ、と言われると、なにも言葉を返せなかった。
自然そうなると、学校ではだんだんと二人は孤立するようになる。
それを訴えてみたが、そんなものでしか繋がることができないのなら、それはしょせん上っ面のつきあいで、続ける必要などないものだ、という言葉が返ってきただけだった。
しかしそうなってくると、血気盛んな十代は、黙っていられない。
特に気の強い初瑠は、しだいに道孝に反抗するようになってきた。
「初瑠、ダメだよ」
瑠奈は何度もそう言って、初瑠をなだめたものだ。
最初はそれを聞き入れ、反抗的な態度を改めてくれたりもしていたが、いつしかそれもなくなった。
そしてとうとうある晩、初瑠は家出をしてしまった。
繁華街にいたところをすぐに警察に見つかり、家まで送られてきたが、これに対する道孝と晴海の怒りはすさまじかった。
「今後一切、勝手に家から出ることは許しません」
初瑠を睨みつける道孝に指示され、晴海が言い渡した。
そして初瑠は、自分の部屋で『謹慎』させられることになった。
その前に、個人の部屋からは、机や棚、服や小物まで全部運び出され、無機質な箱のような部屋へと変えさせられた。
瑠奈も命じられて、手伝うしかなかった。
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