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第三章
1.鏑木結理
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次の日の会社帰り、瑠奈はいつもとは反対側の改札口から出てみた。
もしかして、今日も鏑木が来ているのなら、裏をかこうと思ったからだ。
なにしろ、相手はプロだ。
向こうのペースを少しでも崩して、自分の優位を少しでも確保してから、相手をする必要を感じていた。
建物や柱の陰を利用して移動し、売店の裏側からいつもの改札口側を盗み見ると、予想のとおりに、いる。
熱心な表情で、周囲の乗降客に、視線を走らせている背後にまわった。
「どこまで、知っているんですか」
なんの前置きもなく声をかけると、狙い通り驚いたようで、鏑木の背中の筋肉がびくりと跳ねたのがわかる。
しかし、すぐに体勢を立て直すと、毅然とした態度で振り返った。
ここらへんの対応力は、百戦錬磨の経験を感じさせる。
そして今や、本音はどうであれ、焦っている様子を微塵も見せないことに成功していた。
「あなたこそ、どこまで隠しているんですか」
それどころか、ニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべ、開口一番、訊き返してきた。
自分の記憶に自信がなくなっている最中だったので、瑠奈は言葉に詰まる。
こんなにすぐに反撃されるとは、予想していなかったというのもある。
「よかったら、食事でもしながら、ゆっくり話を聞かせてもらえませんか」
ただ、意外なことに、鏑木は攻撃的になるつもりはなかったらしい。
そんな提案をしてきた。
一瞬迷ったが、たしかにこんな雑踏で、いつまでも真剣な話はできないだろう。
だから、話に乗ることにした。
どっちにしろ、ろくな知識のない今の自分では、どこかで腹を括るしかない。
「わかりました。どこまでお答えできるかは、わかりませんけど。話によっては、こちらの事情を優先してもらいますが」
「ええ、もちろん、かまいません」
喧嘩腰とも言える瑠奈の言葉もなんのその、鏑木は素直に頷いた。
「このあたりに、知ってる店があります。そこでいいですか」
この街に土地勘でもあるのか、意外にも、そう申し出てきた。
逆に瑠奈のほうはといえば、実はこの周辺の飲食店には意外と疎い。
日々の忙しい生活のなかでは、駅からスーパー、そして自宅へと続く道がせいぜいの行動範囲でしかない。ひとりで飲食店に入るのなら、さっさと買い物して自宅で食べるほうが疲れないから、自然とそうなってしまった。
だから、会社の近くとは違って、自分の馴染みの店というものがない。
そんなわけで、残念だが、ここは鏑木に従うしかなかった。
着いたのは、駅前から始まる商店街から横に逸れた路地の奥にある、小さな店。
見慣れない文字が大きく書かれた看板の隅には、ビニールテープを組み合わせたカタカナ文字で、申し訳程度に『インドフート』と書いてある。最後の『ト』はたぶん『ド』から濁点が取れたのを、そのまま放っておいているのだろう。まあつまり、インド料理の店らしい。この街に専門店があるなんて、今の今まで知らなかった。
なかは狭いレストラン……というより、食堂に近い雰囲気だ。
カウンター席が三つあり、そこに座った客はカウンターのなかにいる調理人に、しきりと話しかけている。隅のテーブル席には男が四人、広げた新聞のような発行物を指で示しながら、なにやら議論している。彼らが話す言葉も、店内のあちこちに書いてある文字も、看板と同じ、馴染みのないものだった。
瑠奈たち以外は、みな、インド系の人々のように見える。
「ここなら、日本人客はほとんど入らないようですから、ご近所の人に偶然聞かれて噂になる、といった類の心配をしないですみます」
なぜわざわざこういう店を選んだのか、戸惑う瑠奈に、鏑木が言った。
「知らない街に来たら、まずはこういう店を探しておくんです。相手の方が話しにくかったり、人目を気にしなくちゃいけないようなことを取材する仕事なので」
細やかな気配りが、意外だった。
鏑木はさっさと進むと、議論している四人組とは対角線上にある端のテーブル席に瑠奈を案内した。
「まずは、お腹になにかいれましょうか。空腹じゃ、頭も働かないでしょう」
鏑木はそう言い、メニューを差し出す。
瑠奈はよくわからないながらも、カレーとつけあわせらしい野菜のついたワンプレートのセットを頼んだ。鏑木も似たようなものを頼む。
味は良かった。
ほとんど言葉を交わさないまま食事を終え、皿を片づけてもらってから、改めて温かいチャイを二杯、鏑木が頼んだ。
「どうして急に、お話しくださる気になったんですか」
そのあたりでようやく、鏑木が斬り込んできた。
瑠奈はすこし迷ったが、自分で決めたことじゃないか、と心のなかで自分を鼓舞し、正直に話してみることにした。
「幽霊を、見るんです」
「幽霊?」
バカにされるかと思ったが、鏑木は真剣な顔つきで身を乗り出し、話を促した。
「どんな幽霊ですか」
その態度に、瑠奈は話を続ける気になった。
「血まみれの……、たぶん、女子中学生だと思います。制服らしきものを着ているので」
鏑木は唇を引き結び、しばらくなにか考えていた。
それから意を決したように、バッグからタブレットを出す。無言のまましばらくなにかを探していた。
やがて目当てのものが見つかったらしく、それが表示された画面を、ゆっくりと瑠奈に向ける。
そこには、制服を着て笑っている、長い髪の少女の画像があった。
集合写真からそこだけ切り抜いたのか、輪郭の線が不自然だったが、そこに映っているのは瑠奈によく似た容姿の少女だ。
そしてその服装は、たしかにあの幽霊の着ていた制服だった。
「この娘です……! これ、誰ですか」
この反応になにか思うところがあるのか、鏑木は用心深そうな目つきになる。
「瑠奈さん、これが誰なのか、本当にわからないんですか」
「はい」
「なるほど……」
鏑木は画像を引っ込めた。
「これは、古越初瑠さんの写真です」
「初瑠……そる?」
「はい」
その名前には聞き覚えがあった。……というか、ひどく懐かしい名前のように感じる。
「ご両親を刺し、ご自分も自殺したとされる……、瑠奈さんのお姉さんですよ。本当にわからなかったんですか」
鏑木は不思議そうだった。
話を聞けば、瑠奈だってどうしてすっかり忘れてしまっていたのかわからない。
そうだ。
自分には、姉がいた。まるで一卵性双生児のように、自分の片割れとも思えた相手で……。
「あの……」
なにかを言いかけようとした。
しかし次の瞬間、意識が飛んだ。
鏑木は驚いて、目の前の人物を見つめた。
関戸瑠奈、旧姓、古越瑠奈。
一家四人が被害者となった事件の、ただひとりの生き残り。
目の前に座っているその若い女性は、ついさっきまで穏やかな口調で話していたのに、突然、テーブルに突っ伏し、黙りこんでしまったのだ。
「……瑠奈さん?」
怖々、声をかけてみるが、反応がない。
そうしているうちに、店にいる人々の視線が集まってくるのを感じる。
ついさっきまでは完全にほったらかしだったが、なにかまずいことが起きているのを察知したらしい。
瑠奈は長い髪を結ばないままにしているので、顔の端さえ鏑木には見えない。しかたなく、髪のあいだから覗く肩にそっと触れてみる。
「瑠奈さん、大丈夫ですか」
そうやってしばらく身体を揺すっていると、唐突に、瑠奈が顔をあげた。
「初瑠は正義の味方だから」
突然そう言った。
「はい?」
面食らった鏑木がつい訊き返すと、瑠奈は幼い子供のように、頬を膨らませた。
「正義の味方だから、悪い奴をやっつけてくれたの」
悪い奴。
実は、その言葉に、鏑木は心当たりがあった。
瑠奈たちの父親、古越道孝だ。
関係のあった人々に取材をしたのだが、彼の評判が、なんとも不可解だったのだ。
元職場や近所の人などの、あまりつきあいの深くない人間にはそんなに評判は悪くない。それどころか、『感じがよかった』と言う者までいた。
ところが一転して、学生時代の友人や、結婚前につきあっていた恋人などといった、一度は深い関係になった人間の話となると、とたんに『底知れない気味悪さがある男』とという評価が主流になってしまう。
それに、彼はあくまで、母親が再婚した相手だ。
思春期の多感な少女たちが、血の繋がらない、後から家族の中に割り込んできた彼にいきなり『父』と言われて、かえって敵意を持ったとしても、おかしい話ではないように思う。
さらには、事件の起こる半年ほど前から、一家はどうやら奇妙な生活をしていたらしいとの話もある。それを主導していたのが、どうやら道孝らしいという噂も。
「瑠奈さん、その話をもっと詳しく……」
ジャーナリストとしてのアンテナにびんびん来る話だ。もっと突っ込んだことを訊こうと、自然、前のめりになる。
しかしそれに怯えたのか、瑠奈は急に身を引いた。
「駄目。話しちゃ駄目、って言われてるの。家のなかの話は、だれにもしちゃいけないんだよ。罰があるの。罰は嫌」
幼い口調の内容に、鏑木はさらに好奇心を刺激された。
実は古越家の事件は、まだ幼ささえ残る年齢の少女が、なぜそんな凶行に出たのか、動機がきちんと解明されていなかった。
状況証拠などからの推測はあったが、唯一生き残り、事情も知っているはずの瑠奈は精神が混乱し、まともな証言ができる状態になかった。
それ以外の関係者はすべて死亡してしまっているので、捜査も結局、ひと通りを済ませただけで終了してしまうしかなかったらしい。
鏑木が接触を試みたのも、ずいぶん時間がたった今なら、実はその真相を語ってもらえるのではないのかという目論見もあったからだ。
実は五年ほど前にも一度、瑠奈に話を聞けないかと試してみたことがある。
しかし、引き取り手だった叔母の静海の断固たる拒絶に遭い、それ以上の手出しはできなかった。
最近、その静海が亡くなったと聞いて、再度チャレンジしてみる気になったのだ。
我ながら、人の死を好機と捉える品性のなさにうんざりする。がしかし、それくらいの図太さがないと、まるで闇に消えてしまったような事件を、掘り起こし直すことなどできない。
鏑木はあくまで、センセーショナルな見かけの事件の奥にある、人間の感情がなんだったのかが知りたいだけだ。
「じゃあ、瑠奈さん。初瑠さんがどんな人だったか、教えてくれませんか。人柄のことなら、家のなかの話じゃないですよね?」
屁理屈だとは思ったが、瑠奈はしばらく考えたあと頷いたので、どうやら有効ではあったらしい。
……なにより、本当は瑠奈は話したいのではないか。そんな気がした。
もしかして、今日も鏑木が来ているのなら、裏をかこうと思ったからだ。
なにしろ、相手はプロだ。
向こうのペースを少しでも崩して、自分の優位を少しでも確保してから、相手をする必要を感じていた。
建物や柱の陰を利用して移動し、売店の裏側からいつもの改札口側を盗み見ると、予想のとおりに、いる。
熱心な表情で、周囲の乗降客に、視線を走らせている背後にまわった。
「どこまで、知っているんですか」
なんの前置きもなく声をかけると、狙い通り驚いたようで、鏑木の背中の筋肉がびくりと跳ねたのがわかる。
しかし、すぐに体勢を立て直すと、毅然とした態度で振り返った。
ここらへんの対応力は、百戦錬磨の経験を感じさせる。
そして今や、本音はどうであれ、焦っている様子を微塵も見せないことに成功していた。
「あなたこそ、どこまで隠しているんですか」
それどころか、ニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべ、開口一番、訊き返してきた。
自分の記憶に自信がなくなっている最中だったので、瑠奈は言葉に詰まる。
こんなにすぐに反撃されるとは、予想していなかったというのもある。
「よかったら、食事でもしながら、ゆっくり話を聞かせてもらえませんか」
ただ、意外なことに、鏑木は攻撃的になるつもりはなかったらしい。
そんな提案をしてきた。
一瞬迷ったが、たしかにこんな雑踏で、いつまでも真剣な話はできないだろう。
だから、話に乗ることにした。
どっちにしろ、ろくな知識のない今の自分では、どこかで腹を括るしかない。
「わかりました。どこまでお答えできるかは、わかりませんけど。話によっては、こちらの事情を優先してもらいますが」
「ええ、もちろん、かまいません」
喧嘩腰とも言える瑠奈の言葉もなんのその、鏑木は素直に頷いた。
「このあたりに、知ってる店があります。そこでいいですか」
この街に土地勘でもあるのか、意外にも、そう申し出てきた。
逆に瑠奈のほうはといえば、実はこの周辺の飲食店には意外と疎い。
日々の忙しい生活のなかでは、駅からスーパー、そして自宅へと続く道がせいぜいの行動範囲でしかない。ひとりで飲食店に入るのなら、さっさと買い物して自宅で食べるほうが疲れないから、自然とそうなってしまった。
だから、会社の近くとは違って、自分の馴染みの店というものがない。
そんなわけで、残念だが、ここは鏑木に従うしかなかった。
着いたのは、駅前から始まる商店街から横に逸れた路地の奥にある、小さな店。
見慣れない文字が大きく書かれた看板の隅には、ビニールテープを組み合わせたカタカナ文字で、申し訳程度に『インドフート』と書いてある。最後の『ト』はたぶん『ド』から濁点が取れたのを、そのまま放っておいているのだろう。まあつまり、インド料理の店らしい。この街に専門店があるなんて、今の今まで知らなかった。
なかは狭いレストラン……というより、食堂に近い雰囲気だ。
カウンター席が三つあり、そこに座った客はカウンターのなかにいる調理人に、しきりと話しかけている。隅のテーブル席には男が四人、広げた新聞のような発行物を指で示しながら、なにやら議論している。彼らが話す言葉も、店内のあちこちに書いてある文字も、看板と同じ、馴染みのないものだった。
瑠奈たち以外は、みな、インド系の人々のように見える。
「ここなら、日本人客はほとんど入らないようですから、ご近所の人に偶然聞かれて噂になる、といった類の心配をしないですみます」
なぜわざわざこういう店を選んだのか、戸惑う瑠奈に、鏑木が言った。
「知らない街に来たら、まずはこういう店を探しておくんです。相手の方が話しにくかったり、人目を気にしなくちゃいけないようなことを取材する仕事なので」
細やかな気配りが、意外だった。
鏑木はさっさと進むと、議論している四人組とは対角線上にある端のテーブル席に瑠奈を案内した。
「まずは、お腹になにかいれましょうか。空腹じゃ、頭も働かないでしょう」
鏑木はそう言い、メニューを差し出す。
瑠奈はよくわからないながらも、カレーとつけあわせらしい野菜のついたワンプレートのセットを頼んだ。鏑木も似たようなものを頼む。
味は良かった。
ほとんど言葉を交わさないまま食事を終え、皿を片づけてもらってから、改めて温かいチャイを二杯、鏑木が頼んだ。
「どうして急に、お話しくださる気になったんですか」
そのあたりでようやく、鏑木が斬り込んできた。
瑠奈はすこし迷ったが、自分で決めたことじゃないか、と心のなかで自分を鼓舞し、正直に話してみることにした。
「幽霊を、見るんです」
「幽霊?」
バカにされるかと思ったが、鏑木は真剣な顔つきで身を乗り出し、話を促した。
「どんな幽霊ですか」
その態度に、瑠奈は話を続ける気になった。
「血まみれの……、たぶん、女子中学生だと思います。制服らしきものを着ているので」
鏑木は唇を引き結び、しばらくなにか考えていた。
それから意を決したように、バッグからタブレットを出す。無言のまましばらくなにかを探していた。
やがて目当てのものが見つかったらしく、それが表示された画面を、ゆっくりと瑠奈に向ける。
そこには、制服を着て笑っている、長い髪の少女の画像があった。
集合写真からそこだけ切り抜いたのか、輪郭の線が不自然だったが、そこに映っているのは瑠奈によく似た容姿の少女だ。
そしてその服装は、たしかにあの幽霊の着ていた制服だった。
「この娘です……! これ、誰ですか」
この反応になにか思うところがあるのか、鏑木は用心深そうな目つきになる。
「瑠奈さん、これが誰なのか、本当にわからないんですか」
「はい」
「なるほど……」
鏑木は画像を引っ込めた。
「これは、古越初瑠さんの写真です」
「初瑠……そる?」
「はい」
その名前には聞き覚えがあった。……というか、ひどく懐かしい名前のように感じる。
「ご両親を刺し、ご自分も自殺したとされる……、瑠奈さんのお姉さんですよ。本当にわからなかったんですか」
鏑木は不思議そうだった。
話を聞けば、瑠奈だってどうしてすっかり忘れてしまっていたのかわからない。
そうだ。
自分には、姉がいた。まるで一卵性双生児のように、自分の片割れとも思えた相手で……。
「あの……」
なにかを言いかけようとした。
しかし次の瞬間、意識が飛んだ。
鏑木は驚いて、目の前の人物を見つめた。
関戸瑠奈、旧姓、古越瑠奈。
一家四人が被害者となった事件の、ただひとりの生き残り。
目の前に座っているその若い女性は、ついさっきまで穏やかな口調で話していたのに、突然、テーブルに突っ伏し、黙りこんでしまったのだ。
「……瑠奈さん?」
怖々、声をかけてみるが、反応がない。
そうしているうちに、店にいる人々の視線が集まってくるのを感じる。
ついさっきまでは完全にほったらかしだったが、なにかまずいことが起きているのを察知したらしい。
瑠奈は長い髪を結ばないままにしているので、顔の端さえ鏑木には見えない。しかたなく、髪のあいだから覗く肩にそっと触れてみる。
「瑠奈さん、大丈夫ですか」
そうやってしばらく身体を揺すっていると、唐突に、瑠奈が顔をあげた。
「初瑠は正義の味方だから」
突然そう言った。
「はい?」
面食らった鏑木がつい訊き返すと、瑠奈は幼い子供のように、頬を膨らませた。
「正義の味方だから、悪い奴をやっつけてくれたの」
悪い奴。
実は、その言葉に、鏑木は心当たりがあった。
瑠奈たちの父親、古越道孝だ。
関係のあった人々に取材をしたのだが、彼の評判が、なんとも不可解だったのだ。
元職場や近所の人などの、あまりつきあいの深くない人間にはそんなに評判は悪くない。それどころか、『感じがよかった』と言う者までいた。
ところが一転して、学生時代の友人や、結婚前につきあっていた恋人などといった、一度は深い関係になった人間の話となると、とたんに『底知れない気味悪さがある男』とという評価が主流になってしまう。
それに、彼はあくまで、母親が再婚した相手だ。
思春期の多感な少女たちが、血の繋がらない、後から家族の中に割り込んできた彼にいきなり『父』と言われて、かえって敵意を持ったとしても、おかしい話ではないように思う。
さらには、事件の起こる半年ほど前から、一家はどうやら奇妙な生活をしていたらしいとの話もある。それを主導していたのが、どうやら道孝らしいという噂も。
「瑠奈さん、その話をもっと詳しく……」
ジャーナリストとしてのアンテナにびんびん来る話だ。もっと突っ込んだことを訊こうと、自然、前のめりになる。
しかしそれに怯えたのか、瑠奈は急に身を引いた。
「駄目。話しちゃ駄目、って言われてるの。家のなかの話は、だれにもしちゃいけないんだよ。罰があるの。罰は嫌」
幼い口調の内容に、鏑木はさらに好奇心を刺激された。
実は古越家の事件は、まだ幼ささえ残る年齢の少女が、なぜそんな凶行に出たのか、動機がきちんと解明されていなかった。
状況証拠などからの推測はあったが、唯一生き残り、事情も知っているはずの瑠奈は精神が混乱し、まともな証言ができる状態になかった。
それ以外の関係者はすべて死亡してしまっているので、捜査も結局、ひと通りを済ませただけで終了してしまうしかなかったらしい。
鏑木が接触を試みたのも、ずいぶん時間がたった今なら、実はその真相を語ってもらえるのではないのかという目論見もあったからだ。
実は五年ほど前にも一度、瑠奈に話を聞けないかと試してみたことがある。
しかし、引き取り手だった叔母の静海の断固たる拒絶に遭い、それ以上の手出しはできなかった。
最近、その静海が亡くなったと聞いて、再度チャレンジしてみる気になったのだ。
我ながら、人の死を好機と捉える品性のなさにうんざりする。がしかし、それくらいの図太さがないと、まるで闇に消えてしまったような事件を、掘り起こし直すことなどできない。
鏑木はあくまで、センセーショナルな見かけの事件の奥にある、人間の感情がなんだったのかが知りたいだけだ。
「じゃあ、瑠奈さん。初瑠さんがどんな人だったか、教えてくれませんか。人柄のことなら、家のなかの話じゃないですよね?」
屁理屈だとは思ったが、瑠奈はしばらく考えたあと頷いたので、どうやら有効ではあったらしい。
……なにより、本当は瑠奈は話したいのではないか。そんな気がした。
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