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第一章
3.パサリ、という音
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思いのほか遅くまで飲み、深夜に家に着くと、とたんにどっと疲れが出てしまった。
あちこちのドアを閉める余裕もなく、開けっぱなしにしたまま、ふらつく足取りでなんとか奥の自室までたどり着き、ベッドに倒れ込んだ。
そのまま、いつの間にか、すこしうとうとしてしまっていたらしい。
自分のくしゃみで、目が覚めた。
パサリ。
その時、そんな音が玄関から聞こえた気がした。
軽いものだったが、自分以外には誰もいないはずの家のなかだ。念のために確認しておこうと、おそるおそる廊下に出てみた。
玄関の床に、白いものが落ちている。
近づいてみてそれがなにかわかると、背筋がぞわぞわとした。
静海の引き出しに大量にあったのと、同じ白い封筒だ。
本当は触れたくもなかったが、それでも確かめずにいられなくて、震える手で瑠奈はそれを拾うと封を開いた。
なかには、やはり白い便せんが一枚きり。
書いてあることは、予測の通りだった。
急いでドアを開け、マンション通路を見渡してみたが、人の気配はすでにない。
『瑠奈をかえして』。
----これを届けている相手は、静海の死を知らないのだろうか。
それはそれで不思議だった。
家までやって来るということは、静海の周辺事情に詳しいはず。
いくら葬儀をひっそりやったとはいえ、さすがに取引相手や友人などには、静海の死は連絡した。
となると、その人間関係の輪から外れた存在ということなのだろうか。
どうも、よくわからない。
新しい封筒を、何度も確かめてみた。しかし、そこからはなんのヒントも読み取れない。
ただ。
そこでようやく、あることに気づいた。
今はすでに、夜中の二時を回っている。
こんな時間にわざわざ届けに来るなんて、常識的な相手には思えない。
しかも、静海の引き出しにあった、あの量。
数ヵ月程度で、あれだけの量が溜まるとは思えない。
一度に大量に届けられたのでなければ、かなり長い年月が必要だろう。
そういったことを考えると、かなりの執着心を感じる。
----もしかしたら、ストーカーの類なのでは。
そのことにやっと思い至って、ぞっとする。
壁一枚隔てたすぐ外に、自分が見当もつかないような感情を持った人間が立っていたと思うと、それだけで内臓が引き絞られたような気持ちになった。
----静海叔母さんも、こんな感情を、ずっとひとりで抱えこんでいたのだろうか。
今までずっと、自分の庇護者であり、信頼と温かみの象徴だった叔母のことが急にわからなくなった。
いや。
もしかしたら、静海はやっぱり瑠奈のことを、ずっと庇ってくれていたのかもしれない。手紙のことを隠すことで、動揺しないようにしてくれていた可能性もある。
家族を亡くしたとき、瑠奈はひどいショックを受けたらしい。
らしい、というのは、実は瑠奈はその間の記憶がどうも曖昧なのだ。
『まだショックを受け止めきれていないのでしょう』
高校を卒業するまで通っていた心理療法士は、そう言っていた。
『あまりの衝撃を受けて、心がまだその傷を癒している途中なんです。いつか受け止められるようになったら、きっと思い出すようになるでしょう。焦ってはいけません』
その言葉に、安心していたのは本当だ。
でも、今の自分は、あまりにも過去を知らなさすぎる。
そう感じるということは、もしかしたら、受け止めることができる時期が来たのかもしれない。
瑠奈はもう一度、手の中の封筒に目を落とすと、こうなったら自分の過去を改めて、調べてみようと心を決めた。
封筒はいったん、例の引き出しにしまう。
それから、自分の部屋に戻ると、使い慣れたノートパソコンを起ち上げる。
しばらく迷ったあと、手始めに、自分の両親の名前でネット検索をしてみることにした。
思い切って自分の名前を直接調べるには、まだすこし怖い。
父の名前は古越道孝、母は晴海。
過去の記憶はひどく曖昧だったが、さすがにそれは覚えていた。
まずはここからだ。
実は、今までも、何度も検索してみようと思った。
でもそのたびに、勝手に調べるのはなんだか引き取ってくれた叔母への裏切り行為のような気がして、いつも寸前でやめてしまっていたのだ。
でも、もう、静海はいない。
思いきって名前を打ち込むと、結果一覧がすぐに出た。
出てきたトップの文字を見て、息が止まる。
『日本の未成年凶悪事件 十選』
どぎついタイトル。
突然ゴミ箱の蓋を開けてしまったような気がして、瑠奈はものすごい勢いでノートパソコンを閉じた。
動悸がする。
ひどい頭痛も襲ってきた。
瑠奈はデスクを離れ、ベッドに倒れ込んだ。
何度も深呼吸を繰り返し、なんとか気持ちを持ち直そうと試みる。
あんなタイトルを見ただけで、ここまで動揺している自分が情けなかった。
あんな見出しの記事のなかに、両親の名前があると思うだけで、あまりにもショックだ。
ただ、息を整えているうちに、もしかしたらあまりにも性急な、過剰反応だったかもしれないと思い直した。
どぎつい、と感じたタイトルにしたって、改めて考えてみればなんのことはない、ニュースの見出しのようなものだ。
自分の肉親のことを調べようとしたタイミングで出てきたので、ただ、驚いただけだ。
そもそも、検索ミスで引っかかっただけなのかもしれないし、なんなら同姓同名だってあり得るだろう。
そう考えて、いったんは気を取り直す。
----いや。
でも、すぐに気づいた。
姓の古越も、母の名前の晴海も、そこまでありふれたものだとは言い難い。
ぱっと思いつく範囲では、似てる言葉も、ない。
----だとしたら……。
瑠奈はまた、内臓が締めつけられるように感じた。
だが、もう、見てしまったのだ。
このまま放っておいても、結局気になってしかたがないだろう。
瑠奈は深呼吸をもう一回だけすると、気合を入れて起き上がった。
閉じたせいで電源が自動的にシャットダウンしていたノートパソコンを開き、もう一度起動する。
同じ名前を改めて打ち込むと、さっきのページがやはり出てきた。
おそるおそるリンク先を読みに行く。
『十選』と題されたうち、最初のふたつは、関係のない事件のようだった。
年代的にも、地域的にも、瑠奈とはまったく縁がない。
しかし三つめが気になった。
『少女による一家殺傷事件』
『当時未成年だった娘により、東京都××市に住む古越道孝さん一家の三人が刺し殺されるという凄惨な事件が起こった……』
あちこちのドアを閉める余裕もなく、開けっぱなしにしたまま、ふらつく足取りでなんとか奥の自室までたどり着き、ベッドに倒れ込んだ。
そのまま、いつの間にか、すこしうとうとしてしまっていたらしい。
自分のくしゃみで、目が覚めた。
パサリ。
その時、そんな音が玄関から聞こえた気がした。
軽いものだったが、自分以外には誰もいないはずの家のなかだ。念のために確認しておこうと、おそるおそる廊下に出てみた。
玄関の床に、白いものが落ちている。
近づいてみてそれがなにかわかると、背筋がぞわぞわとした。
静海の引き出しに大量にあったのと、同じ白い封筒だ。
本当は触れたくもなかったが、それでも確かめずにいられなくて、震える手で瑠奈はそれを拾うと封を開いた。
なかには、やはり白い便せんが一枚きり。
書いてあることは、予測の通りだった。
急いでドアを開け、マンション通路を見渡してみたが、人の気配はすでにない。
『瑠奈をかえして』。
----これを届けている相手は、静海の死を知らないのだろうか。
それはそれで不思議だった。
家までやって来るということは、静海の周辺事情に詳しいはず。
いくら葬儀をひっそりやったとはいえ、さすがに取引相手や友人などには、静海の死は連絡した。
となると、その人間関係の輪から外れた存在ということなのだろうか。
どうも、よくわからない。
新しい封筒を、何度も確かめてみた。しかし、そこからはなんのヒントも読み取れない。
ただ。
そこでようやく、あることに気づいた。
今はすでに、夜中の二時を回っている。
こんな時間にわざわざ届けに来るなんて、常識的な相手には思えない。
しかも、静海の引き出しにあった、あの量。
数ヵ月程度で、あれだけの量が溜まるとは思えない。
一度に大量に届けられたのでなければ、かなり長い年月が必要だろう。
そういったことを考えると、かなりの執着心を感じる。
----もしかしたら、ストーカーの類なのでは。
そのことにやっと思い至って、ぞっとする。
壁一枚隔てたすぐ外に、自分が見当もつかないような感情を持った人間が立っていたと思うと、それだけで内臓が引き絞られたような気持ちになった。
----静海叔母さんも、こんな感情を、ずっとひとりで抱えこんでいたのだろうか。
今までずっと、自分の庇護者であり、信頼と温かみの象徴だった叔母のことが急にわからなくなった。
いや。
もしかしたら、静海はやっぱり瑠奈のことを、ずっと庇ってくれていたのかもしれない。手紙のことを隠すことで、動揺しないようにしてくれていた可能性もある。
家族を亡くしたとき、瑠奈はひどいショックを受けたらしい。
らしい、というのは、実は瑠奈はその間の記憶がどうも曖昧なのだ。
『まだショックを受け止めきれていないのでしょう』
高校を卒業するまで通っていた心理療法士は、そう言っていた。
『あまりの衝撃を受けて、心がまだその傷を癒している途中なんです。いつか受け止められるようになったら、きっと思い出すようになるでしょう。焦ってはいけません』
その言葉に、安心していたのは本当だ。
でも、今の自分は、あまりにも過去を知らなさすぎる。
そう感じるということは、もしかしたら、受け止めることができる時期が来たのかもしれない。
瑠奈はもう一度、手の中の封筒に目を落とすと、こうなったら自分の過去を改めて、調べてみようと心を決めた。
封筒はいったん、例の引き出しにしまう。
それから、自分の部屋に戻ると、使い慣れたノートパソコンを起ち上げる。
しばらく迷ったあと、手始めに、自分の両親の名前でネット検索をしてみることにした。
思い切って自分の名前を直接調べるには、まだすこし怖い。
父の名前は古越道孝、母は晴海。
過去の記憶はひどく曖昧だったが、さすがにそれは覚えていた。
まずはここからだ。
実は、今までも、何度も検索してみようと思った。
でもそのたびに、勝手に調べるのはなんだか引き取ってくれた叔母への裏切り行為のような気がして、いつも寸前でやめてしまっていたのだ。
でも、もう、静海はいない。
思いきって名前を打ち込むと、結果一覧がすぐに出た。
出てきたトップの文字を見て、息が止まる。
『日本の未成年凶悪事件 十選』
どぎついタイトル。
突然ゴミ箱の蓋を開けてしまったような気がして、瑠奈はものすごい勢いでノートパソコンを閉じた。
動悸がする。
ひどい頭痛も襲ってきた。
瑠奈はデスクを離れ、ベッドに倒れ込んだ。
何度も深呼吸を繰り返し、なんとか気持ちを持ち直そうと試みる。
あんなタイトルを見ただけで、ここまで動揺している自分が情けなかった。
あんな見出しの記事のなかに、両親の名前があると思うだけで、あまりにもショックだ。
ただ、息を整えているうちに、もしかしたらあまりにも性急な、過剰反応だったかもしれないと思い直した。
どぎつい、と感じたタイトルにしたって、改めて考えてみればなんのことはない、ニュースの見出しのようなものだ。
自分の肉親のことを調べようとしたタイミングで出てきたので、ただ、驚いただけだ。
そもそも、検索ミスで引っかかっただけなのかもしれないし、なんなら同姓同名だってあり得るだろう。
そう考えて、いったんは気を取り直す。
----いや。
でも、すぐに気づいた。
姓の古越も、母の名前の晴海も、そこまでありふれたものだとは言い難い。
ぱっと思いつく範囲では、似てる言葉も、ない。
----だとしたら……。
瑠奈はまた、内臓が締めつけられるように感じた。
だが、もう、見てしまったのだ。
このまま放っておいても、結局気になってしかたがないだろう。
瑠奈は深呼吸をもう一回だけすると、気合を入れて起き上がった。
閉じたせいで電源が自動的にシャットダウンしていたノートパソコンを開き、もう一度起動する。
同じ名前を改めて打ち込むと、さっきのページがやはり出てきた。
おそるおそるリンク先を読みに行く。
『十選』と題されたうち、最初のふたつは、関係のない事件のようだった。
年代的にも、地域的にも、瑠奈とはまったく縁がない。
しかし三つめが気になった。
『少女による一家殺傷事件』
『当時未成年だった娘により、東京都××市に住む古越道孝さん一家の三人が刺し殺されるという凄惨な事件が起こった……』
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