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花はどこへ
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しおりを挟む夕食の席は気まずかった。
ホッブス夫人には当然遅刻を怒られ、料理はとっくに冷え切っていた。
夫人宅の唯一のメイド、ナンシーは有能だが料理の腕だけはいまいちで、食べ物に張りつめた雰囲気を和らげる効果はまったく期待できない。
その空気に耐えられなくなったのか、レイモンドが突然、ナイフとフォークを皿の上に放り投げるように置いた。陶器と金属のぶつかる耳障りな音が、心地よいがあまり広くはない食堂に響き渡る。
「だってクレマチスが盗まれたと言うんですよ! 年端もいかない少年が! 気の毒じゃないですか、話を聞いてあげたっていいでしょう」
ホッブス夫人も、ナイフとフォークを置く。ただし、とても物静かに。
そして、片眉をあげた。
「クレマチスがなんなのかもご存知ないくせに」
その言葉に、不服そうに言い返す。
「当然、知ってますとも」
「じゃあ、どんな花かおっしゃってみて下さい」
「それは……」
「それは?」
「は……花です」
ここでたまらず、モリスはふきだしてしまった。レイモンドには恨めしげな目で見られ、ホッブス夫人にはジロリと睨まれる。
が、結局夫人も口元を緩めた。
「叱られるとすぐ温室に隠れるくせに、種類なんか全然覚えてくれないと、庭師のデイヴィス老がしょっちゅう嘆いていたのを思い出しますわ」
幼いレイモンドが、茂った葉のあいだに身を潜めている姿は、なぜだかモリスにはすぐに想像できた。
「だって、あれは……」
子供時代に戻ったように、口を尖らせながら答えるのがなんだか微笑ましい。というか、十八歳のレイモンドは、二十四歳で勤め人のモリスから見れば、まだまだ子供っぽい存在だったが。
「あれは?」
「興味ないんだ。綺麗な花とか、花言葉とか」
「そうでしょうとも」
あなたはそういう人です、という言葉が続くのが、聞かなくてもわかるような口調。
「毒草なんかならちょっとは……」
「もう結構」
強い口調に、モリスまでもつい首をすくめた。
夫人は呆れた口調で続ける。
「そういったことには関心がないのに、貧しい少年の話にはのめり込むんですね。実にあなたらしい」
「お……怒ってる?」
「呆れているだけです」
口調のわりには、目つきは穏やかだった。
モリスのような部外者からだと、こういうときの夫人はいつも、怒り呆れながらも、レイモンドのそんな性質を好ましく思っているように見える。
「人助けをしようという、あなたの心がけはよろしいです。だからといって、約束を待っている者を忘れてはいけません。次からはお気をつけ下さい。さあ、この話はこれで終わりにしましょう」
お小言を切り上げたら、あとはいつもと同じように食事を続け、食後のおしゃべりの時間までたっぷり過ごしたあと、レイモンドは馬車で帰っていった。
「明日の朝、迎えにくるよ」
モリスにそう言い残して。
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