3lads 〜19世紀後半ロンドンが舞台、ちょっとした日常ミステリー

センリリリ

文字の大きさ
上 下
8 / 15
花はどこへ

3

しおりを挟む


 夕食の席は気まずかった。

 ホッブス夫人には当然遅刻を怒られ、料理はとっくに冷え切っていた。
 夫人宅の唯一のメイド、ナンシーは有能だが料理の腕だけはいまいちで、食べ物に張りつめた雰囲気を和らげる効果はまったく期待できない。

 その空気に耐えられなくなったのか、レイモンドが突然、ナイフとフォークを皿の上に放り投げるように置いた。陶器と金属のぶつかる耳障りな音が、心地よいがあまり広くはない食堂に響き渡る。

「だってクレマチスが盗まれたと言うんですよ! 年端もいかない少年が! 気の毒じゃないですか、話を聞いてあげたっていいでしょう」

 ホッブス夫人も、ナイフとフォークを置く。ただし、とても物静かに。

 そして、片眉をあげた。

「クレマチスがなんなのかもご存知ないくせに」

 その言葉に、不服そうに言い返す。

「当然、知ってますとも」

「じゃあ、どんな花かおっしゃってみて下さい」

「それは……」

「それは?」

「は……花です」

 ここでたまらず、モリスはふきだしてしまった。レイモンドには恨めしげな目で見られ、ホッブス夫人にはジロリと睨まれる。

 が、結局夫人も口元を緩めた。

「叱られるとすぐ温室に隠れるくせに、種類なんか全然覚えてくれないと、庭師のデイヴィス老がしょっちゅう嘆いていたのを思い出しますわ」

 幼いレイモンドが、茂った葉のあいだに身を潜めている姿は、なぜだかモリスにはすぐに想像できた。

「だって、あれは……」

 子供時代に戻ったように、口を尖らせながら答えるのがなんだか微笑ましい。というか、十八歳のレイモンドは、二十四歳で勤め人のモリスから見れば、まだまだ子供っぽい存在だったが。

「あれは?」

「興味ないんだ。綺麗な花とか、花言葉とか」

「そうでしょうとも」

 あなたはそういう人です、という言葉が続くのが、聞かなくてもわかるような口調。

「毒草なんかならちょっとは……」

もう結構イナフ

 強い口調に、モリスまでもつい首をすくめた。
 夫人は呆れた口調で続ける。

「そういったことには関心がないのに、貧しい少年の話にはのめり込むんですね。実にあなたらしい」

「お……怒ってる?」

「呆れているだけです」

 口調のわりには、目つきは穏やかだった。
 モリスのような部外者からだと、こういうときの夫人はいつも、怒り呆れながらも、レイモンドのそんな性質を好ましく思っているように見える。

「人助けをしようという、あなたの心がけはよろしいです。だからといって、約束を待っている者を忘れてはいけません。次からはお気をつけ下さい。さあ、この話はこれで終わりにしましょう」

 お小言を切り上げたら、あとはいつもと同じように食事を続け、食後のおしゃべりの時間までたっぷり過ごしたあと、レイモンドは馬車で帰っていった。

「明日の朝、迎えにくるよ」

 モリスにそう言い残して。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大江戸美人揃

沢藤南湘
歴史・時代
江戸三大美人の半生です。

ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て

せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。 カクヨムから、一部転載

毛利隆元 ~総領の甚六~

秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。 父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。 史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。

陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――

黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。  一般には武田勝頼と記されることが多い。  ……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。  信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。  つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。  一介の後見人の立場でしかない。  織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。  ……これは、そんな悲運の名将のお話である。 【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵 【注意】……武田贔屓のお話です。  所説あります。  あくまでも一つのお話としてお楽しみください。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

戦国短編集

和泉田平四郎
歴史・時代
短編はここで章立てして公開します。 第一章は戦国武将太田資正です。一万文字程を九話に分けています。一日に一話づつ上げます。当初は「奔れ資正 走れ源九郎」なるタイトルを予定していましたが、何も考えずに書いたせいか話の筋がぼやけてしまったので、郷土史家の論文みたいな表題となりました。太田資正は私の好きな戦国人物のひとりです。彼の人生のほんの一コマを描いたのみですが、楽しんでいただければ幸いです。 ※なおこれらの小説は史実を元にしてはおりますが、基本的にフィクションです。

強いられる賭け~脇坂安治軍記~

恩地玖
歴史・時代
浅井家の配下である脇坂家は、永禄11年に勃発した観音寺合戦に、織田・浅井連合軍の一隊として参戦する。この戦を何とか生き延びた安治は、浅井家を見限り、織田方につくことを決めた。そんな折、羽柴秀吉が人を集めているという話を聞きつけ、早速、秀吉の元に向かい、秀吉から温かく迎えられる。 こうして、秀吉の家臣となった安治は、幾多の困難を乗り越えて、ついには淡路三万石の大名にまで出世する。 しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。

慈童は果てなき道をめざす

尾方佐羽
歴史・時代
【連作です】室町時代、僧のなりでひとり旅をする青年のお話です。彼は何かを探しているのですが、それは見つかるのでしょうか。彼の旅は何を生み出すのでしょうか。彼の名は大和三郎、のちの世阿弥元清です。

処理中です...