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3話
しおりを挟む唇を合わせる。始めこそはわずかにくっつけるだけだったのに。
大きな幹の後ろに隠れて、イースはじろりとミエルを見下ろした。ミエルは背中を幹にくっつけ、眉をハの字にしながら、訓練服のままイースを睨んだ。イースは、彼女の顔の横に腕を突き出し、ミエルを自身の影の中に押し込んだ。
とにかく、劣情ばかりにかられた。抑えつけていたものがあふれとんで、すぐさまこれを消さなければいけないのだということは、二人の共通概念である。瞳を合わせた瞬間、間髪入れずにキスをした。ちょん、と唇をくっつける。想像よりも、互いに柔らかさを感じていた。胸の中が暴れ狂うような思いが、静かに消えていくのを感じる。安心した。それから幾度も唇をつけた。互いに唇を食べて、片手を絡ませ、すり合わせた。「ん、ん、ん……」「はあ……ん、くっ……」
すぐ後ろでは訓練終わりに労をねぎらう同僚たちの声がきこえる。まさかこんな姿を見せるわけにもいかず、無音になるべく気をつけているはずなのに、荒い息ばかりが響いてしまう。
やっとこさ唇をはなしたとき、呆然としたようなミエルの顔が、ひどくイースは可愛らしく感じた。ぼんやりと、頬を赤らめていつもの色気のない訓練服なはずなのに、それがたまらなく愛しい。はずはなく。
「やっぱりある程度の発散は必要なのかしら。ひどく冷静になったわ。ありがとう」
「そうだな。まあ治療みたいなもんだ。腹立たしいことだけどな」
「キス程度で収まるのなら問題ないわ。さっさと帰りましょう」
「ああ、帰るか」
すたすたと帰宅した。それから彼らの訓練終わりのキスは日課となった。
ちゅぷちゅぷと水音が響く。
ただのキスで満足できなくなったのは、一週間が経過した頃だ。「ふわ……っ」 幾度も唇を重ねるうちに、ミエルはいつもは釣り上がっている瞳をとろりととろけさせて小さな口を開いた。赤い舌がちろりと見えたものだから、気づけばイースはそれをなめあげていた。「んん……っ!?」 驚いて逃げたところで、背後は木の幹に、イースの手により縫い付けられている。
恐る恐るとミエルがイースの舌に動きを合わせたとき、ひどくイースは興奮した。彼女の銀の髪はすっかりとぐしゃぐしゃで、近づけば香水もつけていないくせに、なぜだか甘い匂いがする。訓練終わりの汗だくな体で、ただ互いの舌を舐めあった。必死でこちらについてくるように、下手くそな舌の動きを繰り返すミエルが可愛らしかった。唇を話すと、互いの唾液の紐がつるりと延びる。
「あ……」
わずかに、ミエルは、まるで残念めいたような声を出した。
それを見て、イースは。
***
「くっそかわいくねーーー!!!」
自室の寮にて、ばすばす自身の枕を殴っている。その後ろでは、グリュンがアワアワと小さな両手を慌てふためかせていた。「ごめんね、ぼくが、しっかり持ってなかったから……」「いや、今更だしな」 ついたため息はグリュンに対してではなく、自分自身に対してだ。
まるでもっとキスをしたい、とでも言うようなミエルの顔つきに、ひどく彼の中で何かが大きな音をたてた。具体的には屹立していた。まあもともと、まるで思春期のごとく、キスをするだけで膨らみ上がっていた相棒だが、そのときのミエルを思い出すと、今も半身が痛くなる。
かわいい、と心底思ってしまった彼は、「う、おお、おう!?」と自身の感情に困惑と動揺し、妙な声を出して顔を引きつらせた。しかしミエルはすぐさま表情を冷徹に凍てつかせ、「どいてくれるかしら。日課は終わったでしょ」 氷の魔女だった。
氷の魔女、ミエル・リョート。
にこりと笑いもすれば可愛らしいものを、凍てつくような寒さで周囲を凍えさせると騎士学校でも評判だった。いくらリョート家が騎士を排出してきた家柄とは言え、女の騎士はそうそうといるわけではない。女のくせにとぶつかるたびに、様々な生徒たちをミエルは斬り伏せ、魔女の異名を欲しいままとした。そして、彼女の実力は確かに認められ、第一部隊への配属となったわけだが。
苛立ちながら枕を叩きつける作業は終了させ、イースはベッドの上に転がった。二段ベッドの上はグリュンの場所である。イースとグリュンは同室だ。「あ、あ、あのね、あの、イース……」 ひどく申し訳なさ気に顔をぺこんと下げるグリュンに、「いいって、気にすんな」 すでに何度めかの言葉である。責める気持ちなどないし、そもそも彼の薬をだめにしたのがイースとミエルだ。グリュンは怒ってもいい立場とも言えるとイースは考えている。
もともと、彼は怒りを長引かせる人間ではないし、人当たりだって悪くない。ただ、ミエルを相手にするときだけだ。
「…………」
思い出した。始めはただ淡白にキスをしていただけのはずが、このところミエルはイースの首元に腕を絡ませるようになってきた。好きだ。んなわけねーだろ。
***
「イース、好き……」
呟いた言葉を、そんなわけがないでしょうが、と彼と同じく唇を噛んでいたのは、もちろんミエルである。こちらは同室の人間はおらず、ただ一人きりの自室だ。もともと女性騎士は少なく、片手で数えるほどだ。男とはどうしても体力に劣るところがあるが、ミエルは通常の魔法はイースほどではないものの、身体操作の魔法は大の得意だ。彼女は片手で岩を粉砕できるほどの豪腕である。はずなのに。
イースのキスを抵抗できない自身が、とにかく腹立たしくてたまらなかった。
「あ、あんな、慣れた手付きで……ただ腹が立つわ」
ミエルは男女の付き合いの経験などない。手のひらをつないだことすらないのだ。そんなことをする暇があるのなら、剣や魔法の腕を磨いて生きてきた。そうしなければ、いくら彼女に才能があろうとも、生まれ持った性は覆すことなどできない。
ミエルはリョート家の一人娘である自負がある。王家を支える騎士を排出し続けてきたリュート家が、ミエルの代で途絶えるわけにはいかない、とただ真面目に幼い頃より苦しみぬいた。ただ母からしてみれば、さっさと嫁入りをして柔らかい手のひらの少女になって欲しいと願っていたようだが、色々と理由をこさえつつも、もともとの性格もあったのだ。ただ一番を求め、騎士として己を磨いた。ただそれも、赤髪の若き天才魔術師と名高いイースに妨害され、辛酸を嘗め続けてきたわけだが。
男と通じた経験がないことは、未婚の女としてみればそう珍しいことではないが、キスすらもしたことがないとなると、さすがにわずかの羞恥はあった。いや、もともとそんなことなどどうでもいい、と思っていたのだ。だからこそ挑むようなイースの言葉に、「のぞむところよ!」と腕まくりをして睨み合ったわけだが。
初めての相手はイースとなってしまった、と考えると、ミエルの頭の中がわずかにふわりとしてしまう気持ちがあった。まさかイースは、自身がミエルのまっさらな経験のない唇を奪ったなど、知りようもないことなのだが。
ソファーに持たれながら、彼女はとろりと考えた。気持ち、よかった。いやそんな馬鹿な。明日が楽しみ。なわけがない。またキスできるだろうか。最悪だ。
とにかく理性と欲が頭の中で戦っている。
「だめ、何考えてるの。あと三週間程度なのよ!」
理性を総動員させた。ミエルの舌を必死で舐めるイースが可愛らしかったなど、欠片すらも考えていない。しかし、なんとも強力な薬だ。これは貴族たちが欲しがるのもわかるが、ご禁制のものである。噂では王族が色恋を楽しむためにひっそりと作らせることがあると聞いているが、これはひどい。冷静なのは、訓練をしている間のみだ。それが終わると、弾けるような劣情に襲われる。
ならば。
ミエルはソファーから立ち上がった。
「フンッ!!!」
彼女の剣が宙を割いた。「ふんっ、ふんっ、ふんっ、ふんっ、ふんっ……!!!!」 幾度も汗をほとばしらせながら、素振りを繰り返す。「ヤアーーーッ!!!」 ただただ、ミエルの訓練は夜通し続いた。
「冷静にっ! なれっ……!! 訓練以外で、顔を合わせなければ、なんの問題も、ないことだわ……っ!!!!」
晴れ晴れとした気持ちで、朝方ミエルは呟いた。朝日が眩しい。しかし人生とは願うものとは逆に、ごろごろ転がり落ちてしまうものである。
***
「イース、だめ……ッ!」
「うるさい、だまれ……!!」
「あっ、や、あっ、あ、あううっ」
ぐちゅぐちゅと、イースがミエルの半身を脱がし、背後から彼女の膣を幾度も自身の指でこすった。なぜこんなことになってしまったのか。鍵がしまった扉を、彼女は涙をにじませながら見つめた。「あ、う、う、ひ、ひうう……っ!!」 女の声がする。これは自身のものだ。そう考えると驚いた。まさかこんな声が、自分に出すことができるなんで。
ミエルはただただ涙をこぼした。情けないことにも、それは拒否のものではなく、快楽の涙だった。
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